23.ビゼィ・クラミツという女
ビゼィという巨悪を目前にして、たじろぐほどトートも柔弱ではない。
「つまり、手持ちがないと」
貪婪なビゼィの不埒な相談に間髪いれず答える。
神面都市に大使として赴任し、ザウロニアの顔として各国の代表を相手に一歩も侵すこともなく退くことなく、丁々発止やりあってきた経歴は伊達じゃない。
これは絶対に成立させねばならない取引だ―トートの長年培われた大使としての経験と直感がそう告げた。
無論、罠の線も考慮したが、例え囮捜査だとしても外交官特権で逃走するだけの時間は稼げるはずだ。神面都市の奴らに私を裁く権利は無いからだ。
この取引が恐らく逃走資金を稼げる最後の機会だ。尚且つ、取引が纏まれば相手を通じて、神面都市で犯罪を取り締まる者と犯す者、双方に、まだ自分が神面都市で不法な商いを続ける気であるように思わせることができる。
トートの内心の緊張と焦りを余所にビゼィは、元から細い目を更に細めるかのように穏やかに微笑みながら答える。
「手持ちは充分あるんです。けど、なかなか良い出物に巡りあえなくて・・・」
ビゼィくらい人臣の位を極めれば普通に手に入る品物では満足できないのであろう。だが一流の品物になると流通に載ることはない。産出地の採掘権を得るか、品物の産地を、直接、獲れば良いのだろうが、下手をすれば大粒の原石が発掘された時点で現場で奪い合いが生じるのだ。
こんな状況で確実に手にするには原石を加工した者にとって有益な売却先として顧客名簿に名を連ねるしかない。
また、神面都市で生活を続ける以上、彼女がそんな兵権を得ることは他国にでも仕えない限り、この先、絶対にないだろうから、産地を押さえるというのは無理な選択肢だ。
それ故、ビゼィのような趣味を持つ者にとって、顧客名簿に名を連ねるということは何事にも代え難いことなのだ。
「なるほど、貴族でもなければ、そのような伝手はなかなか持てませんからねぇ」
「噂では、なかなか手に入らない一品をお持ちとか?」と期待に満ちた返事をしながら、ビゼィは懐から司法神の紋章が書かれた証紙らしき紙束を取り出すと静かに机に置き
「お詫びに一つ売って頂けませんか?」とトートへ商談を切り出した。
それは持ち主が神に誓って承認すれば、どこの司法神神殿でも書かれた枚数の金貨と換金をしてくれる魔法の証紙、彼女専用の小切手帳であった。
ただ、普通は1、3・・・15と三倍づつ金貨の枚数が書かれ、各五枚綴りの計三十枚なのだが、ビゼィの証紙は金額が書いてなかった。
これは神面都市の司法神神殿でしか換金ができないビゼィ専用のものだ。これで大金を小分け(と、いっても一枚で大都市に豪邸を買えるほどの額だが)にして支払ってもらえば逃走も楽になるだろう。
神面都市の司法神神殿でしか換金ができないのに価値が目減りしないのは神面都市が戦火の及ばない永世中立の世界に名だたる交易都市だからだ。
この無記名の証紙を目の前にして、落ち着き払っていたトートも思わず片眉が吊り上がり、一瞬、鼻白むが、すぐさま落ち着きを取り戻し
「ほう、さすがは美術品の収集家として名高いビゼィ様。どんな物でもですかな?」
「ええ、これは私の個人的取引ですから、良い品であれば、どんなものでも」
「いいでしょう。実は丁度、良い出物がありまして」
トートは応接柔椅子から立ち上がると、自分の執務机の引き出しから丁寧に蝋引紙に包まれた何かを取り出す。
大事そうに包みを両の掌にのせながらビゼィのもとへ戻り、洋卓に乗せた包みを恭しく開け放つ。
包みの中には、あの夜、セムトが持ち込んだ穢れた血の如く赤黒い流れを身に纏った黒血真珠が三個あった。
「それでは我がザウロニアが誇る黒血真珠など如何ですかな?」
自国の威容を誇るがごとき表情でトートはビゼィに語りかけるが、黒血真珠が漂わせる妖気と異形の美に目を奪われたビゼィに果たしてトートの声が、はっきりと耳に届いているのかどうか。
「まあっ素晴らしい・・・これでしたら幾らでも。お好きな金額を」
ビゼィは黒血真珠を一つ手に取ると、その異形の美に陶酔した表情で玩ぶかのよう掌で転がし、己の肉体へ撫でつける。
トートは成約の証紙を手に取ると
「では、良いつきあいができそうですから、長く付き合えますよう少々値引いて、一つ、これぐらいで」
良い付き合いも何も、これが最後の付き合いなのだが、そんなことは微塵も感じさせず、ごく自然にトートは成約の証紙を手に取ると金額を書きこみ、金額を書き込んだ証紙を破りとると、ビゼィに金額を提示するかのように証紙を応接机に置く。
ビゼィは応接机に置かれた証紙を一瞥すると右手の指先を証紙に触れながら
「宜しい。司法神の名において我が契約が此処に成約をしたことを奉らん」
と呟くと証紙が青白く輝き、書き込まれた金額の数字が焼き付けたかのように焦げた。
取引は、無事、神に承認され円滑に終わった。
「では取引成立ですな。これで貴方も同じ穴の狢ですぞ」
トートはビゼィに向って不敵な笑みを浮かべるが、ビゼィは飽きもせず両手で大粒の黒血真珠を玩んでおり、トートには一瞥もくれない。
「かまいませんわぁ。ところで、このような素晴らしい代物、いったいどのような方法で」
ところがビゼィが黒血真珠の美しさに酔っているかのような口調で大胆なことを口にした。虚を突かれたのだろう、やや間があった後、トートは含み笑いをし
「一体、誰から、そのような話を」
何時もの落ち着いた表情でビゼィに聞き返す。
「ドゥーラークという因縁浅からぬ相手に・・・」
ビゼィがトートにむかって、先ほどの微笑みとは違う、彼女の三白眼が確認できる凄みのある不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、なるほど彼からね。噂はかねがね聞いております。それならば、お教えしましょう」
それに気圧されることなくトートは落ち着き払った態度で答える。まるでドゥーラークが横領品横流しの良い取引相手のように聞こえるが、これには嘘が含まれている。
確かにトートはドゥーラークと取引はしているが、大使館の多い神面都市ならではの外交に関する情報取引が主なもので、品物の横流しについては殆どドゥーラークを通していなかった。
それどころか、最近、ドゥーラークを仲介しないで幾つか故買市場に流していることを嗅ぎつけられたのかドゥーラークから色々と探りが入ってきていた。これもトートが遺品横領から足を洗おうと考える一因の一つとなったことは言うまでもない。
また、上手くいけば優秀な暗殺団を有しているドゥーラークと司法神神殿の間で抗争が起こり、自分の逃走時間を稼ぐこともできるだろうとトートは考えていた。
トートは廊下にファオの姿しかないことを確認すると後ろ手に扉を閉め、ゆっくりとビゼィへ歩み寄りながら、念を押すように告げた。
「これを聞いた以上、貴方も共犯ですぞ」
「ええ、これからは友人としてできうる限り、貴方に協力いたしますわ」
協力というのは、もしかしたら、この守銭奴が全てを独占する為にドゥーラークを始末することかもしれんなと頭の中で身震いしつつもトートは馬鹿丁寧に説明を始めた。
「心強い御言葉ですな。わがナウレイアの神殿には、死後の安逸を願う富裕階層の方々の遺体が、装飾品を身にまとって送られてきます。まず、遺体を保存する呪文をかけ、次に盗賊よけの棺に入れ、そして触れる者の肉体を溶かす清掃液に漬けられる訳ですが、その前に、ちょいと宝石をどけておくわけです」
「ねるほどね。でも、それじゃ魔術で見つけられてしまうのでは?」
自分から聞いた割には関心なさそうに黒血真珠を玩びながらビゼィが疑問を口にした。
「いや、なに、この部屋でしたら魔法が効きませんので、魔術では品物が棺桶にあるのか、ここにあるのかわからない」
お手上げとばかりにトートは両手を広げ、おどける。
「そうなんですか?」
初めてビセィが驚きの表情を見せた。トートは勝ち誇ったように、少し意地悪げに微笑みかけながら話を続ける。
「それに清掃液が入った棺桶を開けようとする者は、まず居ませんから、品物は何処にでも流し放題というわけですな」
だが、突如、彼の答えに納得した人物が、もう一人現れた。
「なるほど、そういうことでしたか」




