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19.夜も耽れば明けて目覚めの朝に・・・

 最後の一票によって全てが決まるせいか、自然と天秤―ビゼィに衆目が集まる。天秤は静かにチアノの前へ進み出ると

「チアノ・・・たしかに貴方のいうとおり、何時如何なる時でも主に救いを求める人を見捨てるわけにはいきません」周囲の緊張を和ますかのように落ち着いた口調でチアノに語りかけた。

「はい」

「ましてや司法神の御使いである我らが、非道の咎人に手をかけられ苦しんでいる者を見逃して良い訳はありません。悪を挫き咎人に裁きを下すことは必定です」

「ビゼィ司祭!ありがとうございます」

 チアノが感謝の言葉を告げてもビゼィの論告は続く

「しかし!私は救出に関しては反対します。たった一人の為に、他人の権利を侵害した犯罪者の為に多数を犠牲にできませんからね」

「な!?」

 ビゼィの論告が自分の思惑にそぐわない方向へ至らんとする様をみてチアノの心に動揺が奔る。

「それには幾つか理由もございます。例えば、神殿に重い病を治すために入院している者達がおります。チアノ、彼らが犠牲になったらどうする責任をとるつもりなの?」

「それは・・・そうならぬよう万全をもって避難にあたっ」

「寝たきりの重病人達から、一人の被害者を出さずに上手く避難することが出来てチアノ・ヴァレンチノ?」

 チアノの抗弁を押しつぶすかのようにビゼィが畳み掛ける。心なしかチアノと対峙する天秤が、その存在感と大きさを文字通り増したように思えた。

「チアノ・ヴァレンチノ、犠牲者が出たら終わりじゃないの。一人でも傷つけば、それだけで司法神の名に傷がつくのよ」

 文字通りビゼィに圧倒され、何も答えぬチアノに構わず彼女ビゼィは論告を続ける。いや、これは皆に向けた論告ではなく、チアノ個人の無謀な暴挙を厳しく問責する為の説教となっていた。

「ましてや、その傷が元で治療に遅れがでたり、最悪、命が失なわれた場合、損なわれる司法神ヴェルナ神殿全体の信頼を、貴方はどう償うつもりなの?」

 チアノは何も答えられなかった。悪戯を咎められた悪童の様に頭を垂れ、視線を避けてながら耐え忍ぶことしかできなかった。

「チアノ・ヴァレンチノ、貴方は弱者への配慮、思いやりが足りないのよ」

 最後に、そう穏やかに諭すとビゼィは引き下がる。チアノは何も言い返せなかった。相手のいうことが言葉の端から端まで理解できてしまうのが腹立たしかった。

 理解できるということは、相手の言葉に僅かでも理があることがわかるということであり、分が悪いことに僅かな理はチアノ側であるということだ。そこまで理解しているのだが、感情的には全く納得がいかなかった。

 チアノは苛立つ心が過剰に相手に伝わらぬよう苦心しつつ、皆が速く戻らぬかと別の理由で更に苛立つが自分で招き開いた会議だから、相手を無理矢理追い出す無礼もおかすことも出来ない。

 チアノの苦境を察したロアン司祭が「それでは裁決を下す。反対五、賛成四により、執行者チアノが対象を速やかに葬り去る事が決定された。みな、異論はないな」と一同に問いかけるが、勿論、誰も異論はなかった。

「それでは、これにて神律審判を閉廷する!」ロアン高司祭が告げると、一人、また一人と去ってゆく。


 ロアン司祭は憤激と悲嘆にくれるチアノに「おまえの意思にそぐわない結果となってしまったが、これも運命さだめじゃて仕方がないことじゃ」と諭すように語りかけつつ去ってゆく。

「相手のことを思うなら、その時々の最高の手段ベストもって、最期まで尽くすがいい」

「その最高の手段を講じようとしたのに・・・」

 チアノはロアンのいた場所に愚痴を一つ、恨みがましく吐き捨てる。

「そう腐るなよ。腐れ●●●のチアノ。そんな調子じゃ身も心も腐っちまうぞ!」

「そうだ!そのような姿勢は良くない。更なる敗北を招く」

 口に出すのも憚れるような単語を躊躇なく喋る釘のついた棍棒に跨った、片羽の鷲がチアノを激励する。二人とも嘗てはチアノの上司で同じ現場で働いていた。

「気に喰わぬ結果が出たからといって気を緩めるな!いつ如何なる時も全力で持ってあたれよ!」

 チアノへの熱い指導を口にしながら、片羽の鷲は棍棒に跨ったまま去ってゆく。そんな空回りした一本調子の熱い口調は、チアノを呆れさせ、口元に冷笑を浮かべさせつつも、不満足な結果に納得のいかない依怙地なチアノの心を口元と一緒に少し綻ばせた。

 

 こうなっては是も非もあるまい。残る巨大な鉄仮面と、これから先の作戦を打ち合わせしなければならない。

 己の意に反するが既に決定された方針だ。これに従い、速やかに事件を収束させねばなるまい。

 だが既に先達とのやり取りが効いたのか、幾分、素直気持ちでヤン隊長に当たることができそうだ。全ての情報はやり取りしてあるので相談は、すぐ終わる。

「さて、急ぎましょうか?」

「おおチアノ神官、偉大なる姉妹よ。君のような優秀な同胞はらからが支援してくれるのはありがたい」ここに招かれた者達の多くが去り、二人しかいないせいか、こちらに伝わる相手の心も強く感じ取れる。仮面の奥底から感謝の念が一際強く伝わってくる一方で、僅かながら苦境に喘ぐ弱音も微かに聞こえた。

「意外とてこずってるようで」

「流石に君の眼は誤魔化せないか」

「そりゃあ私の中にいますから。なぜ以前と同じ結果にならないのです?」

「何時もどおりなら、こうはいかんのだが・・・今日に限って、君のとこに度々、迷惑をかけているミルフェの奴が不調らしく、厳しい状況に陥ってしまってな」

 何時になく弱気なヤン隊長の言葉と同時にチアノの脳裏にミルフェが、睡眠不足と前日からの疲労で後れをとり、神律審判直前の戦闘で深手を負ってしまうまでの顛末が映し出された。

「先日、あの悪魔に重傷を負わされた二名に続いて、これだ。駒不足なのさ」

「大丈夫です。丁度、悪魔が根城にしている広場近くにある商店に、手錬の魔導師二名と供に待機しております」

「魔導師が二名も!?それは有難い」

「うち一名は私の妹ですから」

「あのクリュオ森林王国の宮廷魔術師殿か!どうやら運が向いてきたようだな」

これ以上、犠牲者を出さない為に二人は徹底的に作戦を練った。


 店内ではチアノが瞼をおろし、安楽椅子に身を任せて凭れかかり瞑想に入った瞬間!突如、目を見開き立ち上がる。

 一瞬、瞼を閉じたと思ったら、即座に立ち上がったのでセスとウィルは驚き、そして怯えた。何か集中を妨げる気に喰わないことがあったのだろうか?セスは恐々としながらも「もう終わったの?」とチアノに訊ねる。

「ええ、もう終わったわ。満足のいく結果じゃなかったけどね」頭を振りつつチアノが不機嫌そうに答える。

 何も包み隠さない直接的な思考の交差は言葉を取り交わすより早い。が、過度の瞬間的な情報のやり取りは、脳に大きな負担をもたらし、時として眩暈、立ちくらみなどの朦朧状態や、精神的恍惚状態などをもたらす。

 このような光景を事情を知らない人々が目撃し、神律審判直後の姿を神から天啓を受けたと解釈することもあろう。


 意識がはっきりとしたところでチアノはセスに向き直り苦い表情で

「さてと、困ったことになったわ」

「ど、どうなったの?」

 チアノが不機嫌なのでセスも自然と口調が強張る。

「これからヤン隊長達と合流して彼女を悪魔として処分することになったわ・・・」

「そ、そうなんだ。でも、これだけ大所帯なら安心じゃん」

 そのような結果になることは予想がついていたので、セスはさほど驚かなかったが次の事実には驚いたようだ。

「それがね、ヤン隊長のとこ、前日から班員が二名負傷して休んでいて」

「そりゃ大変だね。でもウィルと私を入れて二人分、いや二十人分だし」

「更に寝不足で疲れてたミルフェも深手を負ってしまって」

「ええぇっ!?あの若いアンちゃんが?」

「そうなのよ。あの悪魔達と私達より先に戦って息も絶え絶えな状態・・・」

 ミルフェの惨状は嗜虐的性向サディストを持つセスでも責任を感じたのか「それは・・・責任感じちゃうなぁ・・・」と小声で呟く。

 今朝、自分の暇つぶしの相手にさえしなければとセスに少し暗い影を落とす。

「おいおい、良くわからんけど、結局、どうすりゃいいの?」

 事情がわからないウィルが困ったように双子の姉妹を見つめる。チアノは気を取り直し二人に決まった作戦を説明する。

「作戦なんだけど、これから外で大捕物が始まるから始まったら、まずウィル」

「俺かい?」

「貴方は悪魔の片足を氷漬けにして」

「まかしとけ」

 ウィルは自信ありげに右手を軽く振って答える。

「セス、貴方は胸から上の人間部分の上半身を氷漬けに」

「え?残った片脚とか悪魔の部分じゃなくて?」

 チアノは皮肉めいた微笑をセスに返しながら「彼女の悲鳴を聞きながら躊躇なく作戦行動をとれる連中ばかりじゃないのよ」と努めて冷静に答えた。

(姉さん、もしかして、まだ諦めてないのかな?)

 普段のチアノならば有り得ない態度にセスは訝しんだが、面倒なので意思疎通テレパシーの魔術をもちいることにした。

 これならば魔力元素マナの動きにより、魔術を行使したことはウィルに気取られるかもしれないが、会話の内容を聞かれることはない。

 双子の姉妹ゆえ、悩むよりは動けとなってしまうのは仕方がないことだ。

(姉ちゃん、もしかして助けるの?)

(当たり前じゃない!私が斬り飛ばしたら何気ない顔して上半身を持ち逃げして!)

「ええエェ~!!」

 チアノの杜撰すぎる計画に、呆れと不満を感じたセスは思わず不満の声を出してしまう。

 普段、あまり取り乱さないセスの狼狽ぶりをみて、ウィルも不穏な何かを察して「お、おい、俺は脚を凍らせるだけでいんだよな?な?」落ち着かない態度でチアノに、これから取るべき行動の確認を求めている。

 チアノは、おまえが余計な声があげるからだとばかりにセスを睨みつけた後、わざとらしいほど和やかな表情でウィルに向き直り

「そうね、脚を凍らせたあとは神官達を守る魔術、魔力盾シールドなどで援護を頼みます」

 さきほどから伝わってくる傲慢さが消え、馬鹿丁寧に頭をさげて支援を要請してきた。

「はぁ・・・」

 その不自然な変わり身の早さに戸惑いつつもウィルはなんとか返事ともとれる相槌を返す。

「あくまでも手柄は彼らに、ね」

 こういう状況でなければ、微笑みかけてもらった者達の殆どが微笑み返すであろう美しい笑顔があったが、この状況では不自然すぎて逆効果だった。

(こいつら何かやらかす気だな・・・折りを見て逃げ出さねば)

不信感が募るウィルに戦線の離脱を決心させるには充分な効果があった。だが、そんなウィルにはかまわず、双子の姉妹は密談を続ける。

(そんなことしたら神面都市ここでも、まともな生活ができなくなっちゃう)

(大丈夫!彼女が蘇ったら証言させるから無問題よ!)

 そんなことしても悪魔が蘇るだけなのに冗談じゃないとセスは思ったが、説得できる相手ではないことは深く理解しているので相槌を打っておく。

(じゃあ安心だね)

(ええ、そこら辺は任せて。それより戦闘が始まったら彼女に作戦を伝えてね)

(ええっ!?)

 悪魔に意思疎通テレパシーの魔術で語りかけるということは、一時的とはいえ悪魔と精神的に繋がりをもつということだ。

 繋がりを持つということは、一時的に相手を受け入れるということである。

 もし、悪魔が意思疎通テレパシーの魔術に長けていれば、一度でも精神的な繋がりをもつだけで、深層心理へたどられ精神を乗っ取られてしまう危険が大きい。

 いや、三匹分の悪魔の精神力だから確実に乗っ取られるだろう。この手の魔術は少しでも相手を己の精神なかに入れたら負けだ。

 どんな邪神や魔王が相手でも抗うことは出来るかもしれないが、一度ひとたび、己の中に受け入れてしまうと子悪魔が相手でも抗うのは難しくなる。

 チアノがセスに頼んだことは、それほど非常識な提案だったのだ。

(え?なに?アンタそんなこともできないの?)

 セスから返事が返ってこないので、怒りが爆発しそうなチアノの不満げな意思が強烈に伝わってきてセスの心を圧迫しだす。

(わかってる!わかってるって!問題ないからまかせて!!)

「オイ、おまえ大丈夫か?」

 直立不動の姿勢で顔面を硬直させながら脂汗を滴らせてるセスをみて、心配したウィルが声をかけてきたので「だ、大丈夫。それよりウィルこそ、しっかりしろよ」セスもなんとか返事をかえす。

 が、語尾が何時もの乱暴な口調に戻ってしまっていた。チアノの前では、極力、使わないようにしていたのだが、精神的疲労のせいか、そこまで気が廻らなかったようだ。

(大丈夫じゃないよ・・・もう死にそ・・・いや、いっそ死ぬくらいなら)

 セスは、いろいろと助かる方法を考えるが、チアノも魔力元素マナの動きを感じ取ることができるから下手な嘘はつけない。

「もう一か八かにかけるしかない・・・」

 セスが誰となく呟いた、その一言を聞いたチアノは、思わず微笑みながら満足気に頷く。セスが観念して己の作戦に従事する決心がついた証に思えたからだ。

 その姿は、何故だかわからないが、ウィルが見てきた、どんな悪魔よりも邪悪に感じた。

 その邪悪な姿が右手を額にあて短い呻きをあげると、同時に扉へ駆けだす。

「ヤン隊長がきたっ!仕掛けるッ!」

 虫の報せだろうか?いや、到着したら神託通信で伝えるように示し合わせていたのであろう。セス達も慌てて後に続いてゆく。

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