18.我、君を思う故に我あり
監視映像をみて感慨深げにカスケードが口を開く
「神面都市の聖女か、魔力をもってないらしいが人の心が読めるそうだな」
「はい」
カスケードはM1564号の返事を聞き鷹揚に頷くと「それならば常人とは違った神がかり的な格別の力を多く頂けそうだな・・・」と満足気に呟いた。
「よし、少し魔力元素の溜まり具合をみてくる。引き続き監視を頼むぞ」
「はっ」
M1564号はカスケードが部屋を出て行くと、首に突きつけられた匕首の狙いが外れたような感覚を感じた。それは、多分、安堵感というものだ。
彼女は自問自答する。自分は人の心を持たぬ故、己が感情など表すことも抱くこともないはずなのにと。
このような新たな衝動を感じるようになったのは何故?いや、以前からこんな感覚を持っていたような気がする。そう遠くない昔に・・・それが何時だったかは思い出せない。
いや、素体の複製品に過ぎない自分が思い出すというのは的確な表現といえるのだろうか?
だが、このように何かを感じ、今の様に考えていたことは確かな記憶、いや記録として残っているのだ。
それは物事を処理していく上で参考にすべき過去の知識でしかなかった筈なのに、今では物事を決める指針にまで取って代わろうとしている。全ては、あの女を見つけてから変わった。
あの女、宿の記録にはリン・マオラと名前を記しているが偽名だ。その名前はM1564号の素体となった人物の名前だからだ。
未だ鳴り止まぬ胸の高鳴り、留まることを知らぬ高揚感は 脳裏に浮かぶ過去の記録、古い記録から引き出せば木造の奇妙な造りの建物内で幾度となく雌雄を決した。素体が勝ち負けを意識するような年代に達してから勝利した記録は一度も無かった。
後に素体であるリン・マオラは長耳の女性を庇って水竜によって絶命させられた。その後、死体は回収され、今の自分と、ほぼ同じ肉体へ改造された。この強化後の肉体でも、あの女には勝てなかった。
一度も勝利をしたことがないという記録から導き出せる答えは、自分が勝てる見込みは一切無い。皆無ということだ。
その導き出された答えは普通の人間ならば抑止力となるはずだが、M1564号にとっては返って、あの女には挑まなければならないという衝動を煽るだけであった。
大体、主の命令だけを聞けば良いとされるM1564号のような守護者が、そのような個人的意思や望みを持つことはない。
まして、人間だって持ち場を離れて身勝手に決闘を挑むことなど許されはずもない。人間でさえ許されない行動をとろうとした自分は欠陥品なのでは?という疑念がM1564号の頭中に浮かぶ。
この不安定な足場に立たされるような、あらゆる行動に支障が出る思考を排除する為に任務を優先することにした。それは先程の監視作業に戻ることである。
M1564号は我を得て以来、初めて理以外によって突き動かされた。気がつけば視線は、あの女に向けられていた。
あの女を監視装置越しに見つめた。ただただ、どちらかが倒れ、力尽き果てるまで刃を交し合い、限界まで肉体を痛めつけあいたい。そう思いながら見つめ続けた。
やがて一つの真実にたどり着く。自分は欠陥品ではない、自分こそが蘇った本物のリン・マオラだと。それを証明するためにも、あの女に挑み勝利せねばならないのだと。
M1564号は監視映像を睨みつつ、そう心の中で幾度も幾度も執拗に繰り返し休みなく呟いた。
勿論、そこまで集中できるのは彼女が人間では無いからだ。
チアノが集中し瞑想に入ろうするとウィルは聞こえるように「大体、無料で色々と聞き込んだり、人の店先で儀式を・・・」とぼやきだした。
「ごっ、ごめん」
「すぐに失礼するわ。これで勘弁ね」
今は時間がない。チアノは懐から貨幣の入った皮袋を阿吽台に放り投げた。皮袋が落ちた時の重い音が、袋に詰まった物の価値を語った。
早速、ウィルが皮袋から金を取り出して数えると、金貨が二十枚以上はある。暫くは遊んでても暮せるだろう。
皮袋の中身を数え終わった途端、ウィルは揉み手をしつつ恭しく腰を曲げ「へへへ、こらぁどうも。こんだけ貰えるんなら手伝わんとね」と気持ち悪いくらい和やかに告げ、文字通りの低姿勢になる。
その変わり身の早さにチアノとセスはやっとれんわとばかりに肩をすくめた。
気を取り直し深呼吸をし、両目を閉じて意識を集中させるまでもなく、両目閉ざし外界とのつながりを遮断した時点で、瞑想に入る間もなく即座に意識を入神状態にまで意識を高めることがチアノにはできた。
否、神託通信に参加する他の者達も、これぐらいできて当然なのだ。神託通信を行なう者達は、無条件に他者の全てを迎え受け入れるのだから強固な確固たる意志と自我の確立が必要だ。
それが確立できなければ、神託通信を開く者は複数の他者を受け入れるのだ。たちまち精神は錯乱し、自我の崩壊や他者との精神的同化などを招く。
また、悪意のある強力な第三者が紛れた場合、洗脳されたり、精神を破壊され痴呆の様な状態にされてしまうことになるだろう。
最近でも北方の遺跡に眠る悪魔を呼び覚ました教養神の調査隊が、悪魔に乗っ取られている隊員がいることに気がつかずに神託通信を行い、調査隊全員が肉体を悪魔に乗っ取られて全滅したことがあった。
このような危険性があるからこそ、神託通信は揺らぐことのない信念と信仰を保っている高位の者だけが、緊急時に行える儀式的且つ、盟約的通信手段である。
既にチアノの面前には淡い青光りに照らされた殺風景な円形の大地が広がっていた。
己の精神世界に模られた魂の領域に一糸纏わぬ姿のチアノが降り立つ。その誇張も虚飾もない美しい裸身は、チアノの内部で無意識に形成された己自身を投影させたものだ。
全ての虚飾を取り払った真の姿がチアノの場合、これなのだろう。
「この忙しい時に神託通信とはな!」
巨大な鉄仮面が浮かび上がる夜勤班のヤン隊長だ。この無慈悲な鉄仮面の御使いは神官長だが、神託通信を行ない参加できる資格と能力を有していた。高司祭以外で、この秘儀を行える者はチアノを除けば彼しかいない。
強い口調とは裏腹にヤンが状況的に困窮しているのが伝わってくる。この精神が直接つながっている空間では、本心を偽ることは不可能だ。
「誰じゃ!せっかく夢路に至り至福の時を迎えんとしていたところを邪魔しおったのは」
天をも覆う枯れた大樹から、その姿に相応しい老いさらばえた声で突然の召集に対して抗議するのはロアン司祭だ。
「あらあら、それは問題発言ではなくて?」
片方の天秤皿に財物を載せた天秤が現われ枯れた大樹を嗜める。この天秤はビゼィ高司祭だ。片方の天秤皿に載っている品物は時々によって変化し、その時点で彼女が欲している、または興味がある品物に変わると、もっぱらの噂だ。
続いて、神々を象った石像の姿でタレイラン司祭が現われ、片羽の荒鷲を象ったエドヴァルト・ドライゼ司祭がロアン司祭の枝にとまったところで、輝ける法典の姿をとっているトロンシェ司祭が現われた。
チアノの精神に作られた小部屋に、巨大な鉄仮面の姿をとったヤンと、様々な形をとった高司祭の精神体が九人が揃った。
「三人ほど姿が見えないようだが?」
「先ほどから呼びかけてますが応答がありません・・・」
片羽の荒鷲の問いかけにチアノが申し訳なさそうに答えた。
「三人とも年だから仕方があるまい。熟睡しておるのじゃろう」
ロアン司祭が、さもありなんとばかりにいうと巨体を揺らしながら一笑する。釘の刺さった棍棒、ドブスン司祭が「けどよぉ爺さんよりは若いし呆けちゃいないぜ」とロアン司祭を揶揄するかのように全身を揺らす。
「なんのなんの、まだ若い者には負けんぞ」
ロアン司祭が負けん気をアピールするが、枯れた大樹の姿と精神が直接つながっている空間では笑うに笑えず微妙な空気が漂ってしまった。
軽く弾けるような音がチアノの精神に響き渡る。召集された一同の視線が拍手を打ったかのように両掌を合わせたチアノへと集束される。
「では、皆様に、お集まりいただいたところで神律審判を行います!」
この微妙な空気を断ち切るかのようにチアノは神律審判の開始を高らかに告げた。
「今日の案件は・・・ほう、これは、ちと厄介じゃのう」
「これは私が追跡中の?無謀だぞ!チアノ・ヴァレンチノ!」
ロアン司祭の発言を遮るかのようにヤン隊長が抗議の声をあげるが、それは見た目だけで実際は、直接、伝わっているので遮られることは無い。
「なるほど、一応、魔導師達の見解では僅かながら助かる可能性があるのね」
「しかし、僅かということは失敗する危険が大きいという事じゃないか」
チアノの提案にビゼィが僅かな理解を示したところで、タレイランが提案を強く否定し、ロアンが続ける。
「確かに志は立派じゃが、その娘の為に他神殿の神官達を犠牲にして良いのかね?」
「でも、我々が見捨てたら誰も彼女のような存在を救えません。法は全て者達に平等だと私は教わりました」チアノの言葉に皆が沈黙する。
「うん、そうだねぇ。では諸君!決をとろうかねぇ」
頃合だと思ったか、ロアンが纏めに入る。
まず片羽の荒鷲が己の意見を述べた。
「救出に一票だ。少しでも望みがあるのなら、それに賭けたい気持ちは理解できる。ましてや弱者を見捨てることは出来ん」
「右に同じ。俺は少しリスクが高いと思うが、やはり中途半端は嫌いだからな」と釘が刺さった棍棒が続く。
神々を象った石像が一つ咳払いをしたあと
「誅殺に一票だ。あれは既に痛覚触覚などの神経が一体化しているのが散見されるから分離することは不可能だと思う。被害者はなるべく苦しませずに葬りたいと思う」穏やかに語りチアノの熱病を醒まさせようと諭す。
輝く法典が、しかりとばかり続き
「確かに戦う術のない他神殿に悪魔が解き放たれたら一大事だ。君一人の我侭の為に、他神殿の多くの優秀な治癒士達の命を危険に晒さなければいけないのかね?討伐に一票だ」チアノに冷や水を浴びせた。
他の司祭が意見を述べる中、トロンシェ司祭の意見にチアノは胸から熱いものがこみ上げてくるのを感じ、心の奥底から意思が、喉から声が出るように洩れようとするのを抑えようとした。
多くの優秀なといっても肉体を再生したり、死者を蘇生できる実力があるのは一握りで、大半の者達は傷を塞ぐ程度の術しか使えない。その程度なら自分でも扱えるとチアノの傲慢さが、卑小な名誉心から反論しようとするが抑えた。
その程度の術とはいえ、司祭位にある者以外が公には使ってはいけないからだ。過ぎたる力を持って奢る者は道を誤るとは神の教えの一つであり、司法神を筆頭にする法理原則を重んじる原理の五神では、力に溺れることなく己を律することが肝要だ。
「ほう、立派なもんじゃな」
チアノの葛藤に感づいたかロアン司祭が感心したような一言を漏らす。
「昔とは違うようだな。昔のおまえなら力づくで事をなした後、良き結果であれ、悪しき結果であれ事後報告で済ませてたもんじゃが・・・今回はチアノ、お前さんの成長に免じて支持しよう」
「ありがとうございます」
チアノは心から、いや、精神の中で深々と頭をさげるた。これによって賛成が四、反対が四と同並になった、残すはビゼィ司祭のみ。
いつしか片方の天秤皿に乗っていた黒血真珠は消え失せ、ビゼィの天秤皿が硬質音を響かせながら水平になり均衡を保つ・・・
はたしてビセィが投じる先や如何に?




