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14.絶望の視線と希望の眼差し

 ファオとアルシアが逢引宿へ向う道すがら、微妙な愛の駆け引きをしていた頃。時を同じくしてチアノ一行は、セスが懇意にしていたという店を目指して同じ口教区貧民スラム街を彷徨っていた。

「おっかしいなぁ」

「何が?まさか道にでも迷った?」

 突然、細い路地の真ん中で立ち止まって首を傾げるセスに、チアノは不機嫌な顔を隠そうともしない。

「さっきファオらしい姿を見かけて追ってたんだけど見失ったみたいで・・・」

 セスは背後に殺気を感じたので、振り返らず十字に分かれる細い路地を見据えたまま答えた。

「なにいってんのよ。あの娘が、そんな迂闊な真似をするわけないじゃない」

「そう?」

 セスが同意しかねるのも無理はない。セスは一度見たものを写真のように記憶できるのだから。だが、チアノにも妹の目を信じかねる確たるものがあった。

 確かに一昔前のファオなら、賭博や賞金首捜し、違法な届け物などで貧民スラム街に紛れ込むことがあったかもしれないが、今のファオにはアルシアを護衛するという任務があるのだ。こんなところを一人で出歩ける自由はない。なにより

「今は私の奉仕人だから、そういう自由はないのよ」

「そりゃそうだ」

 チアノの言葉にセスもあっさり納得する。チアノに身近なセスにとって、もっとも納得のいく答えだったようだ。

 再び、店を目指してセスが歩き出す。

「多分、イルコ人あたりと身間違えたんでしょ?」

「それはないかなぁ。ヒゲがなかったし、腰つきや胸も」

セスがファオと見誤ったのは、貧民スラム街を根城とする不法移民のイ・ルコ人だろう。同じ様な背丈に長い黒髪をもつ男はイ・ルコ人ならばごまんといる。しかし、セスが見間違うことなどがあろうか?もし――

「もし、他の女性だとしたら、それは大胆なこと」心中で鎌首をもたげてきた疑念を払拭するかのようにチアノは一人心地に呟きながら先を急ぐ。

 曲がり角に差し掛かったところでセスが右手でチアノを止めた。セスは右手の人差し指を口元に当てた後、チアノに向って手招きをする。


 要求どおりチアノは音を立てぬよう、ゆっくりと曲がり角まで向かいセスが指差す方向を覗き込む。

 曲がり角を少し行った先は開けており、荒れ果てた広場の中央には石膏像を飾り立てた噴水があり、今も昔と変わらず渾々と水をくみ上げている。

 石膏像は大地に突き立てた大剣に両手を預けた司法神ヴェルナを象ったもので、嘗て、この場所も治安が行き届き、市民の憩いの場所として機能していたことを窺わせる痕跡が見てとれた。

 その石膏像も、ここが今は法の眼が届かない無法の地であることを象徴するかのように破壊され、何者かに首を持ち去られてしまっている。

 チアノがセスの指差す方向へ視線を凝らせば、今も休むことなく注がれる噴水の向う側に、ゆったりと縁石に腰掛ける白い影が見えた。

 白い影は、秩序とは無縁な荒れ果てた広場に不釣合いな美しい顔立ちの長衣ローブを着込んだ女性だった。

 いや、不釣合いというのは言い過ぎかもしれない。確かに顔の作りだけであれば五本指に入るくらいの美しさだが、残念なことに美女の口元は緩く、強いていえば幼げな白痴的美と淫靡さがそこはかとなく漂よう笑顔だった。

 多分、ここいらを根城にしている犯罪組織の私窟から逃げ出した娼婦か、客がとれなくなった個人営業の私娼だろうとチアノはみた。

 娼婦で愛の女神イオリンラに仕える者以外は私娼となるが、神面都市グラード・ヤーでは個人の売春行為は許されておらず取り締まり対象である。

 にも関わらず違法売春が減らないのは何らかの犯罪組織が関わっているからである。個人でそこいらで自由に商売をすれば、すぐに組織の手の者から公的機関に通報されるか、組織自身に始末されてしまうだろう。

 表立った通りは愛の女神イオリンラ神殿の信徒達が巡回してるので、必然と組織連中が縄張りとする場所は少なくなる。勿論、法の目が行き届かない口教区貧民スラム街を除いてだが。

 口教区貧民スラム街は何者も権力を確立し得ない無法地帯であるが故に縄張り争いは成立しない。ただし、明日の命すら補償できないところだ。

「こん――」な娼婦一人に、何故、警戒しなければいけないのかとチアノがセスを問い質そうとすると、セスは慌ててチアノの口をふさぎつつ、良く聞いてとチアノの耳元に囁く。

 チアノが耳を澄ますと確かに女のほうから低くくぐもった複数の小声が聞こえる。思わず女の方を見るが、噴水周辺には女以外の姿は確認できなかった。一体、誰がどこに隠れているのか?それとも、この地で殺された者達の怨霊であろうか?

 そこへ、広場の奥にある通路から無精髭を生やし薄汚れた革鎧レザーアーマーを着込んだ男が女に近づいて行くのが見えた。

 既に何をすべきか決めているのだろう。下半身だけ剥き出しにした男は、こちらにも臭ってきそうな何本か欠けた黄色い歯を見せつけるように微笑みながら女に下卑た声をかける。

「おい姉ちゃん、いいことしようじゃねぇかっ!銭ならたんまりあるぜ」

 奪ってきたばかりなのだろうか?男が懐から掴み出した数枚の金貨には赤い斑点が彩られていた。男を見つめる美女の表情は伺えないが、多分、脅えているのだろう。美女は微動だにしない。

 この無法をどこかで見ているであろう者達の囁き声が激しさを増す。それは、まるで彼女を救ってくれるように誰かが神に祈りを捧げているようにも思えた。

「おい、なに無視してんだよ。さっさと脱げよ!」

 激高した男が、手にした金貨を石畳にばら撒きながら、先程、日銭を稼ぐ為にやった行為を此処で再現しようと、抜き放った右手に握った匕首をちらつかせつつ、左手を女の長衣ローブへ手をかけた瞬間!

「んがっ!?があああああ」

 男はなにかをみて驚いたのか、全身に電流が流れたかのように身体を硬直させた後、呆けた様に涎を垂れ流しながら手にかけた長衣を掴んだまま、石畳にゆっくりと倒れこんだ。


 広場から響く囁き声は何時の間にか静まり返っていた。身に纏っていた長衣ローブが剥ぎ取られ、女は均整のとれた美しい白い裸身を露にした。

 だが、その姿には違和感があった。豊かな乳房にあるべき突起物―乳首があるあたりには赤く爛れた大きな火傷跡があるだけであった。はっきりとは見えないが股間にも同じ様な処理がされていることは予想できた。

 大方、縄張りを無視して客を取っていた私娼あたりが犯罪組織に二度と商売ができぬように制裁を加えられ、始末ついでに口教区貧民スラム街でも追放されたのだろう。ここは先程の男の様な商売相手にならないような男ばかりだからだ。

 しかし、男を難なく撃退したところをみると、この美女は組織の手から逃れる為に口教区貧民スラム街へ逃げてきた節もある。

 一体、どんな手を使ったのかしら?とチアノが訝しんでいる間に、美女は倒れこんだ男の熱り立ったもの目掛けて、ゆっくりと腰をおろす。

(憐れなものね・・・)狂っても尚、肉欲には抗えぬのか?それとも自分が唯一人生で経験した職業を忘れられないのか?涎をたらしながら声にならない低い呻き声を上げつつ女が腰をおろす姿をチアノは哀れみもって見つめていた。が、チアノは自身の推測がどれも外れていたことを直ぐに知ることになる。

 女が男にまたがった瞬間!獣が肉を喰らうかのような咀嚼音が響き、女が両手で頭を悩ましげに抱えながら、堪らないとばかりに激しく泣き叫ぶ!

「きもちぃぃぃっつ!おいっし!きもちいいわああああ」咀嚼音が鳴り響くたびに人を食することへの嫌悪感であろうか、顔が一瞬だけ苦痛に歪むも直ぐにだらしない愉悦笑みを浮かべながら勢い良く失禁する。

 湯気が立ち上るのを眼で確認できるほど暖かな液体が微動だにしない男の肉体を洗い流し、紅く染まり石畳を穢す。

 快楽けらくに抗えない無力なさへのささやかな抵抗か、女の潤んだ瞳からは涙が留めなく流れていた。

 美女は何らかの肉体改造を施されたのであろうか?下半身の火傷跡に見える経口から食物を採取することで快楽を得るように改造されたのか?

 組織の制裁は思ったより厳しかったようだ。まあ明らかに組織が稼げる上玉を手放すことは稀だろう。大抵なら薬漬けの人形にしてでも取って置くところだ。

 この美女は組織によって見せしめにされるような事を仕出かしたのだろう。もしかしたら組織が危惧するほどの犯罪を犯した大悪党かもしれない。


 かといって組織犯罪によって苦しむ哀れな犠牲者を黙って見てられるチアノではなかった。彼女は司法神ヴェルナの使徒として、躊躇せず美女へ救いの手を差し伸べようと近づこうとするが「待って」背後からセスが肩をつかみ、チアノの無謀を制し留める。

 チアノが後ろを振り向き、セスに文句を告げるべく口を開こうとした、その時!

「姉ちゃん、あれ・・・」

 驚愕の表情でセスが指差す方向へ視線を向ければ、美女の両胸を占める爛れた火傷跡に横一文字に亀裂が奔り、大小様々の醜くも不揃いな鋭い乱杭歯が見えるや否や、チアノ達にも理解できる言葉で何事か語り始めた。

「兄じゃばかりずるいぞ!俺にも喰わせろ!早く肉くれ!肉!」

「そうじゃ!そうじゃ!にぃにばかりずるいよ!皆で仕留めたんじゃないか!」

 どうやら胸の部分は男女の兄妹?らしい。更に美女の股間からも「うるせぇ!こっちは毎度々ション便臭くてかなわねぇんだ!・・・大体、同じ体なんだ!・・・これ、ぐっ・・・らい・・・いいだろうが!」と、物を食みながら会話してるかのような低い男の声が聞こえてきた。

 先程の諍いで聞こえた囁き声は、この美女の身に巣食う化け物達、多分、犯罪組織に雇われた魔導師によって植え付けられた火傷跡に見える悪魔達の詠唱だろう。

 

 魔法などで正気を失わされたり昏倒した場合、肉体を食い荒らされるなど激痛が走る行為をされれば眼が覚めるのだが、男は一向に正気に返らなかった。男は先ほどの怒りに満ちた表情が嘘のように穏やかな面持ちで、己が身を啄ばむ咀嚼音を子守唄にしている。

 まるで肉体を啄ばまれることが、大きな赤子である彼をあやせる唯一の手段であるかのように。

「兄じゃ早くしてくれ、昨日アイツにやられたせいか、まだ力が戻りきっとらんのじゃ・・・」

「そうじゃ、せっかく食事にありつけたと思ったら、あの鉄仮面の奴ら」

 未だ両手で頭を掻き毟りながら悶える美女の腰が少し浮き、股間から満足したかのような低い轟くような噯気を響かせると股間に巣食う悪魔が答える。

「そう弱気になるな。どれ、今、姿勢を変えてやる」

 未だに泣き叫ぶ女を無視して下半身が不器用に両膝立ちに姿勢を変えると、美女の胸が頭を残し勢いをつけて男の胸に倒れこむ。少なくとも両腕から上は女に主導権があるらしい。胸から少し遅れて美女は額を男の顎に向って、勢いのある接吻をし沈黙した。


 美女の両胸に巣食う悪魔達が少し遅い晩餐を楽しんでる中、股間の悪魔が憎々しげに呟く。

「しっかし、あの鉄仮面野郎、集団で襲ってきやがって卑怯な奴だぜ。今度あったら絶対に痛い目に合わしてやるぜ」

 その呟きを聞いてチアノの脳裏にヤンの姿が思い浮かぶ。一度目の勝負で手負いにされたのだ。冷静沈着なヤンのこと二度目はない。また戦えば、この悪魔達が滅ぼされるのは必定だ。そんなことも知らずに、既に息のない男の遺体へむしゃぶりつきながら意気込む悪魔達の人間臭さに、思わず鼻から嘲りの笑いが漏れてしまう。そのチアノの高慢さが命取りとなった。

「おいっ!そこで見ている奴らッ!」

 一人?食事が終わっていた股間の悪魔が感づいたのか声を上げる。両胸の悪魔達も食事を一旦止めて口々に喋る。

 左胸が鼻で匂いを嗅ぐかのような短い呼吸音を幾度かさせた後「この匂い・・・こいつは雌の肉だ!」と久方ぶりのご馳走にありついたように叫ぶ。

「食べたい!久しぶりに柔らかい牝肉食べたい!」

もう片方の乳房に陣取る妹悪魔も興奮した口調で続く。

 女の上半身が不器用に下半身の力だけで起き上がり、チアノ達がいる方角へ向く。事態の異常さに美女も目を覚まし両手で頭を抱えながら泣き叫ぶ。

「アあっ!いや!食べたくない!食べたくないノー!!」

 同時に三つも魔術を行使することができる悪魔が相手という危険且つ、絶望的な状況でチアノは一人希望に満ちた眼差しを美女に向けた。

 美女がぎこちなく立ち上がる様を見てチノアは確信する。この子は、自ら魂を売った訳じゃないから、まだ完全に肉体を支配されていない。もしかしたら悪魔を取り除いて助けることができるかもしれないと。

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