13.想うだけで浮気者
ファオは困惑した。
「ねぇ、ちょっと、待ってよ。どこいくのさ」
「どこも」
珍しく無地の外套を目深に着込んだアルシアは、ファオの問いかけに振り返りもせず、足を留めることなく歩みを進めながら冷淡に答える。
司法神神殿を出てから、ずっと、この調子なのだ。
このようなやり取りを幾度となく繰り返して、やがて二人は口教区にある貧民街へと入り込んでいく。
「ねぇ、もう帰ろうよ。やばいよっ、ここ」
ファオはアルシアの腕をとり、これ以上、危険な場所に立ち入らぬよう懇願するが、アルシアは無造作に腕を振り払うと、更に貧民街の奥へと進んでいく。
「待ってよ!今日のアルシア、なんかおかしいよ」
いくらファオが鈍いとはいえ、半日も冷たくされれば少しは気がつくというものだ。しかし、アルシアは歩みを留めない。狭く入り組んだ路地を、人気と明かりの少ない方へと向かっていく。
慌てて追いかけるファオにアルシアが冷たい一撃を浴びせる。
「どこが?それより、なんで金魚の糞みたく私の後をついて来るの?」
「え?・・・」
予想していた以上に、冷たい返答をもらいファオは凍りついたように立ち尽くす。彼女達が、毎日、寝泊りしている司法神神殿の宿舎は、名目上、神官であるアルシアが借りているのだ。彼女がいなければ守衛に扉を開けてもらうことすらできない。わかりきっていることなのに・・・とファオは思ったがアルシアに気圧されて怯んでしまい、何もいえなかった。その代わり、右目から一筋の涙が流れていった。
右手で涙を拭いつつ、アルシアの真意を知ろうと、嘔吐かない様に言葉を区切って、なんとか問いかける。
「ねぇ・・・なんでぇ・・・意地悪ばかりするの?」
「意地、悪、ねぇ・・・浮気者が言えた言葉かしら?」
アルシアがやっと立ち止まり振り向く。その表情は外套の頭巾に覆われて窺い知れないが、語気からは若干の苛立ちと怒気が感じられた。
「浮気者ぉ?」
ファオは意外な答えが返ってきたと一瞬だけ考えたが、アルシアが無地の外套という自分達の身元を特定されない格好と、人気の少なく堅気の人間もいない場所、即ち、自分達の関係を立ち聞きされても良い場所を選んだことに気がつき納得した。
「今日、見蕩れてたでしょ?」
「それは・・・」
「貴方、今日以外も見蕩れてたでしょ?」
「そ、そうなの?」
それはとぼけるというよりは、気づかれてたんだという肯定の様に聞こえた。
「ええ、何時も決まって金髪色白で、まるで森の民みたいに細い子」
「・・・」
アルシアが忌々しい言葉を口にしたとばかりに吐き捨てるような口調で告げる。それを聞いて、ファオは、とぼけることも否定することもできなかった。
ペテルキアが現われた、あの日以来、なんだか彼女が世界のどこかで生きているような気がして溜まらなかった。
悪魔崇拝者としてアザリアに命を断たれ、アザリアに浄化された彼が普通の人間として現世に帰ってきたのだ。アザリアが現世に帰って来ないわけがない。
その思いはフォルトゥナーテ大公が生きているのを見て確信に変わった。フォルトゥナーテ大公自体は身代わりの身体を用意していただけなのだが、ファオにとってフォルトゥナーテ大公のような巨悪が存在することが、それらを狩ることが種族内での生業だったアザリアが生きていることの証に思えた。
それ以来、独りになり、人目がなくなると、彼女のことを考えるだけで身も心も熱くなり、どうにかなってしまいそうだった。
冷たい水を浴びたり、アルシアが寝静まった頃に独りで燻ぶる思いを鎮めようと幾度か試みたが、他の女性を想ってしていることをアルシアに感づかれそうだと怖くなり、なんとか思いとどまった。
こういった疼きを自分で処理しようと考えたことは人生で初めての出来事だ。自分でもどうにかなってしまっていることは理解できていた。目の前に肉体関係にある女性がいるのに、昔の恋人で想い果てようとした淫らな己を恥ずかしく思った。
(やっぱり私って駄目な子なんだよね。同姓愛ってだけでも異端なのに)やることを全て終え、満足気に安らかな寝息をたてているアルシアの寝顔を見ながら、ファオは己の情欲の深さと身勝手さを痛罵した。
しかし、いくら抑えようとした所で、一度、火のついた欲望は燃え盛る一方だ。またそれに比例して妄想も膨らんでいく・・・
もしかして、アザリアの性格からして、この憐れな光景を遠くから観察してるんじゃないだろうか?自分が別の女性と付き合ってることで遠慮してるんじゃないかと、自然と周囲に視線を巡らせ捜してしまう。
それはやがて無意識に取る行動と成った。体が彼女を求めて、心を彼女で満たしたくて人の気配を感じるたびに肉体が反射的に動き出し、少しでも似たような人物がいれば、彼女の変装ではないかと疑い、それをなんとか見破れないものかと凝視してしまう。ただ、ただ、体が欲求に忠実すぎただけのことであった。
勿論、それを馬鹿正直に口だすほどファオは愚かじゃない。
「なんで黙るの?あんっ間違った。なんで私に意地悪するの?」
先程の親に付きまとう子供のような態度から、一転して沈黙したファオの態度に、小首を傾げて聞き返したアルシアの口の端が皮肉気に歪む。
「ごっ、ごめんなさい・・・」
既に涙が止まったファオは身体を小さくしながら軽く頭を下げて、搾り出すようなしゃがれ声で謝罪した。が、
「へー謝って済むことなんだ」
アルシアはファオの謝罪を鼻で笑い飛ばす。ファオは素早く地面に両膝と両手をつき、頭を深く下げて東方蛮族の作法にある謝罪と恭順の意を表す姿勢をとり、「なっ、なんでもするから!・・・なんでもするから許してください!!」と懇願した。
「なんでもねぇ・・・いいわ。今夜、奢ってくれたら許してあげる」
「ほっ、本当?でっ、でも、殆どのお店しまっちゃってるし」
アルシアの出した条件にファオは思わず、ほっと胸を撫で下ろす。これで、やっと宿舎に帰れると。だが、それは見立てが甘かった。
「でもぉ?さっきさ、ファオ、なんでもするって言ったじゃない」
「言った。言ったけどぉ・・・」
機嫌悪そうにアルシアが答えると、ファオは思わず身じろぎをし怯んでしまう。その隙をついてアルシアは路上に座るファオの脇を駆け抜け、貧民街でも一際目立つ、魔術で桃色に輝かせた如何わしげな看板を掲げる建物へ向って行く。
「あそこの宿、空いてるかなー?」
立ち上がって止めようと追いすがるファオを置きざりにしながら建物の正面にアルシアは辿り着く。その建物は恋人達の憩いの場、連れ合い宿であった。
「こっ、ここに泊まるの?」
ファオが驚くのも無理はない。アルシアが連れ合い宿に誘ったことに驚いた訳ではない。連れ合い宿なら、神の笑窪こと花売り小路にだってある。まぁ、二人の同姓愛が露見してしまうから、普通に利用することは無理だろうが。
口地区の貧民街にある施設の大半は、何かしらの犯罪組織が運営している。残る少数は何処が運営しているかといえば、物好きな個人や、数少ない昔からの地権者、そして、外貨を求める地下に住む闇の住人達だ。
そのどれもが、それなりの危険性を持っている。ファオは、迂闊ともいえるアルシアの行動に驚愕したのだ。
「いいじゃない、何時もみたく声をださないように我慢する必要もないし」
ファオの驚きも軽い返事で流してアルシアは建物に打ち付けてある看板の文字を見つめる。
宿舎には部屋と部屋の間に防音の魔術が施されており、扉を閉じれば、ほぼ隣室には声が届かなかった。ほぼというのは窓には魔法がかかっておらず、近くを通行する者が助けを求めたり、逆に出火した場合に助けを求めれるようになっていた。もし、声を出して行為に耽れば、例え帳を降ろしていても、窓から二人の寝室を覗こうとする不心得者(司法神信者の宿舎に覗きに入る者など滅多にいないが)に全てを聞かれてしまう。
確かに何時もアルシアの激しい攻めに大声を出さないように苦心し、我慢をしているファオにとっては魅力的な事柄かもしれない。
が、やはり、心に元の想い人が還りかけている彼女にとって、余り気乗りしない誘いであった。
アルシアはファオの気持ちには気がついているのだろう。故にファオの返事は待たなかった。待てば負ける。あの耳長に私のファオが奪われる。だからファオの顔は見ようともしなかった。
アルシアが見つめる看板には手の込んだ魔法が込められており、この宿の空室が確認できた。
「良かった二部屋空いてる。いこっ」
アルシアはファオの返事を待たずに宿へ入っていく。ファオも一度周りを見回したあと、深呼吸をしてから中に入った。
中に入ると外見から想像のつかない、大きな広間に通された。多分、魔法で内部を拡張しているのだろう。壁際には四角く区切られた二つの絵画がある。絵画の上に『ご利用可能部屋ご案内』と書いてある。二人が広間を横切り、壁際の案内図に近寄ろうとすると
突然、天井に巨大な男の顔が映し出された。男は頬骨が出た痩せこけた顔に色白の肌、長い銀髪と、いかにも魔術師らしい特徴を持っていた。ただ、一点だけ変わった特徴があり、両目を怪しげな紋様が描かれた頭巾で目隠しをしていた。
多分、魔法による自動映像なのだろう。男の映像が口を開き語りかけてきた。
「ようこそ偉大なる魔導師カスケードの館へ、私は如何なる犯罪組織とも取引しない地下の住人です。お客様の私的事情や、情報は一切も洩らしません。皆様、安心してご利用ください。
但し、ご利用料金として銅貨50枚から銀貨5枚頂きます。そして貴方がたが発散する愛欲の気を少々頂きます。まぁ貴方達の体外に放出されたものですから気にはならないでしょうがね」
カスケードと名乗る魔術師の顔が底意地の悪そうに歪む。彼の主目的は外貨より、恋人達が発散するものなのだろう。多分、それは彼が信奉するか盟約を結んでいる悪魔や魔神などの邪悪な存在が好むモノなのであろう。
「アルシア、これってヤバくない?」
「そうねぇ、銅貨50枚と銀貨二枚か・・・」
アルシアは映像を気にせず案内図に見入っている。案内図には大柄なベッドがある簡素な部屋と、入浴施設がある部屋の絵が掛かっている。
カスケードの説明は細かに丁寧に続いている。
「ご利用する部屋が決まったら案内図に書いてある料金を額縁の上部にある投入口へお支払いください。額縁の下から部屋の鍵が現われます。なくさない様にお気をつけください」
「決めた」アルシアは徐に振り返るとファオに向かって「ねぇ、銀貨二枚なら払えるでしょ」と微笑んだ。今日、初めてファオにむけた笑顔だった。何時ものファオなら可愛いと見とれるかもしれないが、ある事情がそれを許さなかった。
「銀貨二枚!?もう手持ちのお金がなくなっちゃうよ・・・」
ファオの全財産が、丁度、銀貨二枚しかないのだ。
「いいじゃない。浮気しないんでしょ?神殿や宿舎で私と一緒に食事をすれば無料なんだから問題ないじゃない」
「え、ん、そ、そうだけど」
本音はそうじゃない。前から、何時も一緒にいると息が詰まると思っていたのに、アザリアの一件で一緒にいることが苦痛になる時が多くなってきたのだ。やはり、独りの時間を作るためにも、少々、手持ちを残しておきたいのが本音だ。
「なるべく、お客様の安全が損なわれぬよう、我が魔力により防火防犯に努めておりますが、悪意のある組織や、司法神使徒の襲撃、窃盗、内部からの付け火などによる火災など、予期せぬ揉め事につきましては、お客様自身による適切な対処を」
カスケードの説明が続く中、アルシアはクスッとファオに笑いかけながら
「なぁに?怖いの?いつもしてることを外でするだけなのに?」と、いつにない優しい口調でファオを挑発する。が、その眼は少し物悲しげだった。
ファオは名目上チアノの奉仕人となっているが、現財産、銀貨二枚の元手となった月給(内訳金貨1枚と銀貨3枚)はチアノではなく、ファオが護衛をしているアルシアが、毎月、支払っていた。
また、毎日、ファオの行動を見ているのだ。月半ばを過ぎ、給料日まで後、二週間あるファオの懐具合くらい簡単に予測できる。
「べっ、別に怖いわけじゃないよ。ただ、ちょっと危険かなって」
「無理しなくてもいいのよ。浮気されたことは、もう気にしてないし」
潤んだ眼でアルシアは少し寂しげに答える。
「あーもう、浮気じゃないってば。もう、なんていったらいいのかな」
少し面倒くさそうに頭を掻きつつ、ファオは銀貨を額縁に投入し、部屋の鍵を受け取る。
「ファオ!?どうして?」
ファオの取った行動に眼を丸くして驚くアルシアに、ファオが、やれやれとばかりに苦笑しつつ。
「だってさ、口でいってもわかってくれないからさ。その、裸になって肌を合わせればさ、わかるんでしょ?私の気持ち」
ファオは揉める内に、事実かどうかもわからない自分の妄想じみた願望に拘ることや、つまらない意地を張ることがくだらなく思えてきた。たかが銀貨二枚じゃないか。
そう言いながら何時も後で後悔してるような気もしないではないが。
「うん、でも、そんなことしなくてもわかるから・・・」
ファオを見つめて微笑むアルシアの両目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれる。ファオはアルシアの下へ駆け寄ると、肩に手を廻しながら借りた部屋へ続く廊下をアルシアと一緒に歩んでいく。
アルシアはファオに抱きかかえてもらいながら歩きつつ、心の中で安堵の溜息を漏らしていた。
(こんなに上手く行くとは思わなかった。愛の女神よ、貴方の加護に感謝します)アルシアは心の中で、そっと祈りを捧げた。




