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10.死者の女王は憂い悩ましげに美しく

 チアノ達一行が案内されたのは、ザウロニア大使館の貴賓室であった。チアノは右拳で軽く、四、五回ほど戸叩ノックし、廊下に響かぬよう、やや声を抑えて来訪を告げた。

「チアノ・ヴァレンチノ神官長、お召しにより、手勢を引き連れ参上致しました」

 来訪を告げると同時に、一行の脳裏に「他の者の目に付かない内に、どうぞ、お入りなさい」と俗世の穢れを知らぬような澄んだ声が響く。

「こちらへ、どうぞ」

 アルクェイドが扉を開け、一行を部屋の中へ招き入れた。


 ザウロニア大使館貴賓室に通された一行は眼を見張った。豪華な調度品に見とれたわけではない。部屋の奥で、神面都市グラード・ヤー産であろう籐椅子に、陽の光に煌めく白銀色の髪と、触れば溶け失せてしまいそうな透きとおるような白い肌の女性が、優雅に腰を掛けていた。

 女性は、この真夏日に、白い長袖の長麗衣ロングドレスを身につけていた。その姿は、まるで雪の化身であった。その人外のごとき、雪の化身を、唯一、彩るのが、紅く生命が燃え滾る双眸だった。

「ほう・・・」

 美しいと続けたいところだが、ディアモントは言葉が続かなかった。氷細工のような玲瓏たる美貌に、ただ、ただ呆然とするしかなかった。

 貴賓室には、藤椅子に座る麗衣ドレスを身に纏った美しい女の他に、もう一人いた。その人物は麗衣ドレスの美女と向かいあって立っており、こちらに背を向けている。

 服装からして司法神ヴェルナ高司祭らしい。少しウェーブがかった黒髪を肩まで垂らしており、身体のラインからいって、この人物も女性だろう。

 チアノは、その後姿に心当たりがあるらしく、部屋に入るなり声をかけた。

「失礼します。ビゼィ高司祭?」

 ビゼィと呼ばれた女性は振り向き、チアノの顔を確認すると、挨拶する間も惜しいとばかりに正面へ向き直り、チアノを右掌で指し示しながら

「イリス女王、こちらがかの有名なチアノでございます」と、ザウロニアの女王イリスに紹介した。

「あなたが、かの有名なチアノですか」

 女王は嬉しそうに目を細めながらチアノに声をかけた。

「はい」

 女王の気取らない御下問に、チアノは戸惑いつつも何とか答える。そんなチアノの様子を察してか、女王は微笑みながら、更に御言葉をかけてくる。

「あなたの勇名は、我が領土にも届いております」

「たいしたもんですなぁ」

 ディアモントが顎髭に手をやりながら賞賛を口にする。チアノはディアモントへと振り向き、自慢げにニヤリと微笑む。

 が、気を取り直し、片膝をつき胸に手を当てた姿勢で頭を下げて「お褒めに預かり、恐悦至極でございます」と礼を申し上げると、女王は面を食らったように焦った口調で「そのような心遣いは無用ですよ。面を上げてください。その様な姿勢ではお召しの物が汚れてしまいますよ」と、チアノを、お気遣いになら

れた。

 女王の心遣いが無駄にならぬよう、チアノは速やかに立ち上がる。ビセィも、チアノの迅速な反応に、よしとばかりに頷いた。

 チアノとしては、自分は同室の高司祭達より一段低い、神官位なので作法どおりにしただけなのだが、相手にいらぬ気苦労をかけてしまったようだ。

「して、此度はどのような御用向きで」とチアノは改めて女王に真意を問うた。

 ビゼィの隣まで来たアルクェイドが女王の代わりにチアノの疑問に答える。

「実はザウロニアの親衛隊長であるセムトさんの姿が、前日から見えなくてね」

 ビゼィが後を続ける。

「女王陛下が魔力を使い居場所を探ったのですが反応がなく」

 イリスが柳眉を曇らすかのように心底困ったという表情で「冥府から魂も呼べないので殺されたわけでもないようです・・・」と、苦衷を吐露した。

「女王陛下も困ってしまって、私達に、ご相談なされたのよ」

 ビゼィも何時になく弱気の発言をする。ビゼィは十五人いる司法神高司祭の一人で、十五人しかいない神面都市グラード・ヤー評議員の一人でもあり、神面都市グラード・ヤー指折りの資産家でもある。神面都市グラード・ヤーで、彼女に楯突ける人間は十人もいない。

 大抵の事件なら、彼女が片手を振るだけで、瞬く間に解決してしまうだろう。そんな権力者様が、お困りなるということは、これは一筋縄ではいかない事件ねとチアノは心中で呟く。

「内部の犯行を疑っておいでで」

 一国の要人が行方不明になったとはいえ、秘密裏に外部の者へ依頼するということは内部の犯行を疑ってるのか?その点だけは事前に確認しておきたいとチアノは思った。

「あるいは」

 女王は、あっさりと肯定したが、その口ぶりから、まだ、確証はないようだ。

「そこで私が?しかし、人探しでしたら他に有能な」

「私が来るべき未来に生きる者の魂を、現世うつしよに呼び寄せ、事の顛末を問い質そうとしたら」

 女王は黙って右手を上げて一点を指差す。その先にはファオがいた。


 女王が語るところによれば、昼頃、我々の世界が、この先辿るであろう未来に生きる者の魂を召し寄せる儀式を行なったところ、呼び寄せられたのが、まったく面識のない東方蛮族コ・パーダの女性だったという。

「・・・ちあのサンノ・・・オカゲデ、ブジニカイケツ・・・」

 未来から召喚された生霊は、その一言を告げると消え失せた。


「わたし・・・ですか?」

 まさか、自分が出てくるとは思わなかったのだろう。ファオは己を指さしながら、釣り上げられた魚の様に口を動かした。予想外の出来事に言葉が続かないようだ。

 驚くファオを意に介さず、女王は状況を説明する。

「そうです。何故か私の眷属でもない貴方の、未来の魂が呼び出されたのです」

「まさかナウレイアの信徒だったなんて」

 チアノは驚き、腰の儀礼用の長剣サーベルに手をかける。確かにチアノがいうとおり、この状況から導き出される答えはそれしかない。

 ザウロニアに住む者以外の死の女神ナウレイアを信仰する者は、呪殺を試みる者であったり、不死者を操って世を乱さんとする者が大半なので、もし、仮にファオが隠れ死の女神ナウレイア信徒であれば、この場で斬り殺されても致し方なかろう。

「ちっ、違いますよ!信じて!信じてください!」

「冗談よ。では運命は、私が解決する流れだと」

 目に涙を溜めて真面目に抗議するファオをみて満足したのだろう。チアノはファオの抗議を、あっさりと流し話を進める。

「そのとおりです」女王は、当然だとばかりに肯定した。まるで決定された未来は変わらないとばかりに。

「これはやるしかないわね」

 チアノは、後ろを振り返り一行を見る。アルシア、ファオ、ミチェット、ディアモント全員が心得たと言わんばかりの視線をチアノに返す。みんなの気持ちも同じだ。チアノは女王へ向き直ると高らかに誓った。

「からなずや、このチアノめが、お探しの方を救い出してまいります」

「引き受けてくださいますか、頼みましたよ」

 女王は小首を傾げて微笑む。まるで、チアノが引き受ければ、解決は時間の問題とばかりの態度だ。未来からの生霊が告げた予言。そのたった一言が根拠となり、女王がチアノに、これだけの信頼感を寄せる。その光景にビゼィは少し不安を感じた。

 何故なら、もし、行方不明者の捜索が失敗して、なにも見つからなかったら、落胆した女王は、神面都市グラード・ヤーに何を持たらすのだろうかと?

「ハッ!一命にかえても!」すかさずチアノは女王に目礼で返答する。当のチアノは気負うことなく、何時もどおりにやっていくしかないと思っていた。身内の人間が捜して見つからなかった行方不明者を捜すのだ。

 これは立て篭もってる強盗や、殺人事件の容疑者を締め上げるのとは違う。冷静な観察力と分析力が必要だ。過ぎた意気込みは必要ない。

「両国の友好の為に、私からもお願い致します」

 アルクエィドがチアノに向って深々と頭を下げる。手駒の少ない彼にとって、チアノだけが頼りであった。

 もし、事件が未解決となれば、神面都市グラード・ヤーの治安に対する各国首脳からの信用は軒並み下がるだろうし、また、どの国にもいる不心得者からは舐められ、再び神面都市グラード・ヤーは各種国家間犯罪と陰謀の温床となるだろう。彼としても女王とは別の事情で、なんとしてでもチアノに事件を解決してもらわねばならない。


 女王が拍手を打つと、貴賓室に、一人の大男が入ってきた。北方の辺境ザウロニア出身らしい色白の肌に、短く刈り込んだ黒髪、やや腹の出た、がっしりとした体型の大男だ。

 大男は部屋の中央までくると、まず女王に一礼した後、チアノへ向き直り「親衛隊副長キワサカです。不肖ながら、自分が館内を案内します」と、深々とお辞儀をした。

 豪快な体型に似合わず、親衛隊副長に相応しい礼節を重んじた男らしい。

「信用できる男です。館内での雑用は全て彼に申し付けてください。キワサカ、頼みましたよ」

「ハッ、必ずやセムト隊長を救い出してみせます!」

 この女王への忠誠心が厚い大男は女王へ敬礼して答えると、一気に部屋の外へと駆け出していく。

「行くぞ!我らが女王の為に!皆、俺について濃い!」

「「ええっ!?」」

 突然の出来事に、あっけにとられている暇はなかった。チアノ達一行は、慌ててキワサカの後を追い、部屋から駆け出してゆく。

 余りにもの光景に思わずビゼィが力なく呟いた。

「・・・本当に、あれで大丈夫なの?」

「なるようにしかならないです。もし、駄目だったら・・・」

 もし、駄目だったら、世界に数人いるという時を戻せる魔導師に、全てを投げうってでも時間を事件当日まで巻き戻させ、全てをやりなおしてやる。と、冷静な面持ちとは裏腹にアルクェイドの心中は悲壮感に満ちていた。

 女王が、やけっぱちなアルクェイドの思考を読み取ったかのように、誰となく呟く。

「心配はいりませんよ。全ては御心のままに・・・時の潮流は流路が変われども水先は不変です。如何なる事象であれ、何れ時が至れば、狩り入れ時を迎えるのです」

「「はぁ・・・」」

 全てを悟っているかの様な女王の言葉に、二人は、ただ頷くことしかできなかった。



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