裁き屋
【裁きたい相手の名前】
【何故、その人物を裁きたいのですか】
主人と不倫しているから。絶対に許さない。
【裁きの後、どのように処刑したいか具体的にお書きください】
絶対に安楽死はさせないでほしい。じわじわと嬲り殺してください。生きている状態で爪を一枚ずつ剥いで、耳を削いで目を針で潰して、それから――――
※上記の欄は必須事項ですので、記入漏れの無いようお願い致します。
「ふうん。なかなかありがちな話だね?」
私の記入した用紙を読んでいた少年が、ふっと顔をあげた。年齢は分からないが、身長はかなり低い。小学生にしか見えないけれど、実は成人だったりするのだろうか。更に目立っているのは左目。右目は茶色がかった黒い瞳だけれど、左目は金色なのだ。つまり彼はオッドアイというやつらしい。猫のそれは見たことあったけれど、人間のは初めて見た。ちなみに髪の色は黒、顔だって日本人にしか見えない。
「ありがちですか」
「ありがちありがち、この業界ではね? ……少なくとも、僕にとってはありがちだね」
そう言いながら彼は事務所をさっと見渡した。地下にあるここは狭く、窓もないので息苦しい。おまけに何故か壁も床も天井も白色で、ところどころに血のような茶色のシミがある。錆びたような色のドアも、血を連想させた。そんな部屋の真ん中に事務用のデスクがぽつんと置かれていて、私はそこに彼と向かい合った状態で座っている。
「……もしかしたらこの部屋の前の持ち主にとっても、ありがちな話だったかもね? その手の話で、彼は何回殺されたんだか」
「え?」
「なんでもない。ただの独り言だよ?」
彼は首を傾げて笑うと、再び用紙に目を落とした。
「あなたは確か、ネット依頼してきたんだよね? 注意事項は全部読んでくれた?」
白いタートルネックの首元をいじりながら、彼は口を開く。白い部屋にいるのに、白のタートルネックと白のジーンズを着ているせいで彼の存在感は薄く、けれども何故か強調されていた。
私は思い返す。この店の、――裁き屋の、注意事項。
「読みましたけど」
「じゃあ、ここのルールはある程度知ってると思うけど、もう一度説明するね?」
彼はそういうと、先ほどまで読んでいた用紙を裏返して机の上に置いた。
主人が不倫していると気付いたのは半年前。帰りの遅い日が続く、出張が多くなったなど些細な疑惑でしかなかったそれが決定的になったのは、女からのメールだった。まあ、これもありがちな話なんだろう、彼にとっては。
探偵を雇い、女の情報を得たのは三か月前。主人と別れるよう彼女を説得しようと思った矢先、勘付いた主人に釘を刺された。「別れるとしたら彼女とではなく、お前と別れる」と。
冗談じゃない。私は今だって主人のことを愛しているし、別れる理由なんてない。私自身、家事でも何でもこなす良い妻だったはずだ。こちらに非はない。別れる理由はないのに、何故別れなければならないのか。
探偵に雇っても裁判をしても、きっと何も変わらないのだろう。けれど私達夫婦の関係が狂ってしまったのはあの女のせいであって、つまりはあの女が消えれば問題ないのだ。そう、あの女さえ死ねば。殺せば。何の問題も、ない。
裁き屋という存在を知ったのは今から一週間ほど前で、最初はただの都市伝説だと思っていた。自分が言った通りの処刑法で、相手を裁いてくれる店。ただし、それにはいくつかの条件があった。ようやくの思いで見つけたホームページには、それらがすべて記載されていた。
まず一つ目、仕事を頼むときは裁きたい相手と同伴、もしくは相手の顔写真を持ってくること。
二つ目。処刑法は依頼人が自ら考え、裁き屋に伝えること。裁き屋は「嫌がらせをしたい」という小さな依頼から「殺人」まですべてを請け負い、手を下す。
三つめ。どのような処刑法であっても、依頼料は一律五十万円。増額減額は一切なし。現金での一括払い厳守。
四つ目。依頼料が支払われた段階で、依頼人と裁き屋の契約は成立したとみなす。契約成立後のキャンセルは一切不可。
そして五つ目。これは現金を支払った後、……すなわち、契約成立後に発生する。
「はい、契約成立だね? 相手の写真、貸して?」
私の持ってきた五十万円を、一から数えていた彼はゆっくりと微笑んだ。これでもう、後戻りはできない。差し伸ばされた彼の手に、私はゆっくりと女の写真を渡した。探偵に尾行させた成果でもある盗撮写真には、彼女の顔がばっちりと写っている。
「へえ。不倫相手ってこの人なんだ?」
「いいから早くしてください」
急かす私を見て、彼は目を細める。金の瞳は少しだけ茶色に近づき、黒の瞳は光を宿していなかった。
「――あなたはさ。自分の正義は正しいと思ってる?」
彼の言葉遊びに、私は黙る。正義、という単語自体に正しいという文字が入っているんだ。間違っているはずがない。
彼は自分の顔の横で、写真をぴらぴらと振ってみせる。どこまでも楽しそうに。
「あなたと彼女、どちらの方が悪いのか。判決の時間だね?」
「……ホームページに書いていた条件その五。あれは本当なんですか?」
眉根を寄せる私に、自信たっぷりの顔で彼は言い放った。
「もちろん。僕は、嘘なんて一つも書いてないよ?」
「……どうやって『それ』を決めるんですか。裁き屋であるあなたの見解? あなたは、その女のことはもちろん、私のことだって知らないじゃないですか」
私の突っ込みに、彼は少しだけ挑戦的な表情を見せた。
「――僕の左目はね。その人が今までどれだけの悪事を働いてきたのか、はっきりと視えるんだよ?」
五つ目。契約成立後、『依頼人』と『裁きたい相手』、どちらが悪なのかを判定する。厳密には両者がこの世に生まれてから今まで、『どれ程の』悪事を『何回』行ってきたか詳しく計測することで、どちらが悪なのかを決定する。殺人を含む無意味な殺生(レベル5)はもちろん、犯罪をはじめとした社会反抗的態度(レベル4)、他人への思いやりの欠如(レベル2~3)なども『悪事』に該当する。
判定・判決後、悪事をより多く働いていた者に罰が下される。ここでの罰とはすなわち、依頼人が記した処刑法を指す。依頼人の方が悪だと判定された場合、依頼人は自らが記した処刑法で罰せられることになる。つまり、最悪の場合は死に至る。
よって、自らの正義に自信がある者にだけ、当店の利用をお勧めする。
「……左目に、悪事が視える? どうして」
「僕が裁き屋だから、としか言えない」
彼はそういうと、金色の瞳で私を直視した。
「さっきから、あなたの悪事はもうすべて視えてるんだ。子供のころから優等生だったみたいだね? 親への反抗は一切なし、ゴミのポイ捨てすらもほとんどない。随分と真面目だったんだね?」
言い当てられ、私は反論する術を失ってしまった。けれどそうなのだ、私は昔から真面目だった。だからこんな、主人を奪おうとしている女よりも『悪』だなんてこと、絶対にあり得ない。絶対に。
「さあ、相手の方はどうかな?」
写真に目をやり、彼は微笑む。
「あなたは正しいのか、彼女は本当に悪なのか。――判決の時間だよ?」
彼と再会したのは、それから二年後の春だった。相変わらずのタートルネック、相変わらずの白ジーンズ。ただし、出会った場所は白い部屋ではなくて閑静な住宅街だった。
「……あなた、裁き屋の」
「覚えてくれてたんだ?」
そう言って、彼は嬉しそうに近づいてきた。
二年前、悪だと見なされたのは不倫相手の方だった。
彼女は私が書いたとおりの方法で裁かれた後、無残な死体となって発見され、――けれども『犯人』は見つからなかった。その事件はいまだに、猟奇的殺人としてニュースに取り上げられることもある。主人は日に日にやつれていき、それを介抱するのが今の私の楽しみでもあった。
ほらね、やっぱり私は正しかった。
「久しぶりだね? 元気そうで何より」
私のそばまでやってきた彼は、嬉しそうに笑った。金色の左目は眼帯で隠してあるので、普通の小学生にしか見えない。私は微笑むと、あなたもね、と返そうとした。――彼からとっておきのプレゼントを受け取るまでは。
左脇腹にナイフが突き刺さっていることに気付いたのは、刺された直後ではなかったように思う。激痛で道端に倒れ込み、そこでようやく気付いたような、妙な間隔があった。
「人を呪わば穴二つ。……言うよね?」
彼の笑みは春の陽気を冷たい空気に変え、ゆっくりと眼帯を外す所作は、時間すらも止めてしまったようだった。
「な……んで……」
「さあ? でも、人間って怖いよねえ。あなたにとって一番大切な男のはずなのに、その人が復讐を依頼してくるなんてね?」
彼の言葉に、私は耳を疑う。あの人が? あの人が、私を?
「彼とあなたじゃ、あなたの方が圧倒的に悪なんだよね。なにせ二年前、あなたは人を殺してる。――…………あはは、よく知ってるよその顔。私はやってないって顔だよね? 馬鹿だなあ。僕に『あれ』を依頼しておいて、自分は綺麗だっていうの?」
徐々に聞こえにくくなっている彼の声は、二年前のあの日には無かった色を持っていた。
「痛みで聞こえないかもしれないけれど、教えてあげるよ。僕は……いや、僕の母はね? 妻子持ちの男と不倫していたんだ。そして僕を身ごもった。――けれどさ、不倫相手の奥さんに殺されちゃったんだ。歩道橋の階段からドーン! って突き落とされてね?」
冷たい。空気が。身体が。彼の、ことばが。
「――母は死んじゃったけど、僕は助かった。父は僕の存在を否認したよ。他の男との子供に決まってるとか何とか? 結局あの男は、僕の顔を見に来たことすらない。だから僕は、家族というものを知らないんだ。…………考えたよ。不倫してた母は、本当に悪いのかなあって。殺された僕の母と、不倫された奥さん。どちらの方が悪いのかって、ずっと思ってた。分からなかった。だから、その人の悪事がすべて目に視えるようなチカラを貰ったんだ」
「だ、れに」
「悪魔に」
――アクマ。非現実的な単語を、彼ははっきりと口にした。
私にはもう、彼が人間なのかどうかも、分からない。彼も、あの人も、私、すらも。
「……ねえ、僕はね。ちゃんと知ってるんだよ?」
赤くて生温い水たまりの中で、私はその言葉を聞いた。最後に見えたのは、世界を見下すかのような、金色。
「僕の正義はいつだって、正しくない」