人の心を読めるメンタリストの僕は、彼女の気持ちだけは読み取れない
僕には、最近少しばかり困っていることがある。
どうやら、監視されているらしい。
しかも相手は、同じクラスの美少女だ。
普通なら喜ぶべき状況なのかもしれないが、残念ながら彼女は僕に好意を抱いているわけではない。
少なくとも、本人はそう主張している。
「久世。今日も一緒に帰るわよ」
放課後の教室。
帰り支度をしていた僕の前に、橘美琴が現れた。
「おや。今日もデートのお誘いかな?」
「監視よ」
「なるほど。相変わらず熱烈だね」
「……一度、その口を縫い合わせてあげましょうか?」
「怖いなあ。君は本当に高校生なのかい?」
「誰のせいだと思ってるのよ」
彼女は呆れたようにため息をついた。
橘美琴。
僕と同じ高校二年生で、現在はクラスの学級委員を務めている。
真面目で責任感が強く、曲がったことが大嫌い。教師からの信頼も厚く、男女問わずクラスメイトから慕われている。
容姿もなかなかのものだ。
艶のある栗色の髪に、凛とした目元。整った顔立ちは、黙っていれば近寄りがたいほどの美人である。
もっとも、僕に対しては滅多に黙っていてくれないのだけれど。
「それで、橘さん」
「何?」
「君はいつまで僕を監視するつもりなんだい?」
「必要なくなるまで」
「それは困った。僕は君に一生監視されても構わないんだけどね」
「……あんた、そういうこと他の女子にも言ってるの?」
「いや? 君にだけだよ」
「…………」
美琴は無言で僕を見つめた。
そして、短く息を吐く。
「……ほんと、口だけは達者ね」
「ありがとう」
「褒めてないわよ」
実につれない。
まあ、こういうところも気に入っているのだけれど。
*
僕の名前は久世理人。
人間観察を趣味とする、ごく普通の高校生だ。
もっとも、この自己紹介をすると、なぜか周囲から猛烈な抗議を受ける。
その原因は、おそらく僕の少々変わった特技にある。
僕は、人の嘘を見抜くのが得意なのだ。
もちろん、超能力ではない。
相手の言葉、行動、置かれた状況。それらを観察して、可能性の高い答えを推測しているだけである。
そして、時には相手を少し挑発して、反応を確かめることもある。
そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか「メンタリスト」などと呼ばれるようになってしまった。
実に大げさな話だ。
「なあ久世。ちょっといいか?」
帰り支度をしていると、クラスメイトの田中が声をかけてきた。
「もちろん。どうしたんだい?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってさ」
「恋愛相談かな?」
「なんでわかんだよ!?」
「おや、当たってしまったか」
僕は笑った。
実際のところ、確信があったわけではない。
ただ、彼が先ほどから隣のクラスの女子生徒を気にしていることには気づいていた。
それに、男子高校生が友人に相談する内容など、それほど種類が多いわけでもない。
「で、なんだけどさ……」
田中は周囲を確認してから、声を潜めた。
「隣のクラスの佐藤さんっているじゃん?」
「いるね」
「あの子、最近めっちゃ俺に話しかけてくるんだよ」
「へえ」
「これってさ、もしかして脈ありだったりする?」
「なるほど」
僕は少し考えた。
「ちなみに、どんな話をするんだい?」
「え? 普通に部活の話とか、テストの話とか」
「彼女から話しかけてくることが多いのかな?」
「おう!」
「そうか」
僕は頷いた。
「それなら、君に好意を抱いている可能性はあるね」
「マジ!?」
「もちろん、友人としての好意かもしれないけど」
「あ、そっか……」
「それに、単に話しやすい相手だと思われている可能性もある」
「……なるほど」
「まあ、確かめたいなら本人に聞くのが一番確実だよ」
「それができたら苦労しねえんだよ!」
「はは。違いない」
田中は頭を抱えた。
実に微笑ましい。
「……それで、久世」
「何かな?」
「お前、佐藤さんにちょっと聞いてくれたりしねえ?」
「おや。僕が?」
「だって、お前そういうの得意だろ?」
「なるほど。つまり、僕に彼女の気持ちを探ってほしいわけだ」
「そうそう!」
「ふむ……」
僕は少し考えるふりをした。
そして、口を開く。
「嫌だね」
「即答!?」
「だって、面倒くさいじゃないか」
「お前なあ!」
「それに、仮に彼女が君を好きだったとしても、それを第三者から聞かされるのは不本意だろう?」
「……まあ、そうかもしれないけど」
「君だって、自分の気持ちを勝手に他人に言いふらされたら困るんじゃないかな」
「…………」
田中はしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……お前、たまにまともなこと言うよな」
「ひどいなあ。僕はいつだってまともだよ」
「いや、それは絶対ねえわ」
「おや、残念」
そんな会話をしていると。
「……へえ」
背後から、聞き慣れた声がした。
振り返ると、美琴が腕を組んで立っていた。
「久世にしては、まともなこと言うじゃない」
「おや。聞いていたのかい?」
「聞こえたのよ」
「盗み聞きとは感心しないね」
「誰の声が大きいと思ってるの?」
「田中くんかな?」
「俺のせい!?」
田中が抗議の声を上げる。
美琴は呆れたように息を吐いた。
「……まあ、いいわ。田中くん、頑張ってね」
「お、おう。サンキュー、橘!」
田中は照れくさそうに笑いながら、教室を出ていった。
それを見送り、美琴が僕に向き直る。
「……あんた、少しは成長したのね」
「おや。それはどういう意味かな?」
「前だったら、面白がって佐藤さんのところに行ってたでしょ」
「そうかもしれないね」
「……本当に、反省したの?」
「もちろん」
「…………」
彼女は疑わしげに僕を見た。
僕は微笑み返す。
「君に散々怒られたからね」
「……覚えてたんだ」
「当然だろう?」
そう答えると、美琴は少しだけ目を見開いた。
そして、何かを誤魔化すように視線を逸らす。
「……だったら、最初からそうしてなさいよ」
「はは。耳が痛いね」
実際、彼女には感謝している。
以前の僕は、今よりもずっと無遠慮だった。
他人の隠し事を見つければ、面白半分で暴こうとしたこともある。
悪気があったわけではない。
ただ、人の反応を見るのが好きだったのだ。
しかし、彼女はそんな僕を許さなかった。
ある日、僕の行動が原因で一人のクラスメイトが傷ついたとき、美琴は本気で怒った。
今でも、あのときの言葉はよく覚えている。
『人の気持ちがわかるなら、少しは大事にしなさいよ』
……まったく。
正論というのは、実に耳が痛い。
*
「ところで、橘さん」
学校を出て、駅へと続く道を歩きながら、僕は隣の少女に声をかけた。
「何?」
「そろそろ監視は終わりにしてもいいんじゃないかな?」
「……急にどうしたの?」
「いや、僕も随分と更生したと思うんだけど」
「自分で言う?」
「君も認めてくれただろう?」
「……まあ、そうね」
美琴は少し考えたあと、頷いた。
「確かに、最近は前みたいな無茶をしなくなったと思う」
「そうだろう?」
「でも、油断するとすぐ変なことするから」
「信用がないね」
「日頃の行いよ」
「はは。違いない」
僕は笑った。
それから、少しだけ彼女を見つめる。
「……それで?」
「何?」
「君はいつまで、僕と一緒に帰ってくれるんだい?」
「…………」
美琴の足が、ほんのわずかに遅くなった。
「……だから、監視だって言ってるでしょ」
「そうだったね」
「何回言わせるのよ」
「いや、確認しただけさ」
「…………」
彼女は何か言いたげに僕を見つめた。
しかし、結局何も言わずに前を向く。
僕も、それ以上は追及しなかった。
彼女がそう言うのなら、今はそういうことにしておこう。
*
しばらく歩いていると、空からぽつぽつと雨が降り始めた。
「……あ」
美琴が小さく声を上げる。
「降ってきちゃった」
「そうだね」
「天気予報、外れたのかしら」
「午後から雨が降ると言っていたよ」
「……え?」
「今朝の予報だけど」
「そうだったの?」
「うん」
美琴は少しだけ眉を寄せた。
「……最悪。傘持ってきてないのに」
「おや」
僕は鞄から折り畳み傘を取り出した。
「僕は持っているよ」
「……準備いいのね」
「備えあれば憂いなし、というやつさ」
「普段からそれくらいしっかりしてくれればいいのに」
「手厳しいね」
僕は傘を開いた。
そして、彼女に差し出す。
「どうぞ」
「……え?」
「使うといい」
「でも、あんたは?」
「僕は少しくらい濡れても構わないよ」
「…………」
美琴は傘を見つめた。
それから、僕の顔に視線を移す。
「……あんた、馬鹿なの?」
「おや。突然ひどいね」
「なんで自分が濡れる前提なのよ」
「君が濡れるよりはいいかと思ったんだけど」
「…………」
彼女は小さく息を吐いた。
そして、僕の手から傘を受け取る。
「……いいから、入りなさいよ」
「ん?」
「一緒に入ればいいでしょ」
なるほど。
それは名案だ。
「おや。相合傘のお誘いかな?」
「……あんたが嫌なら、一人で使うけど」
「いや、喜んで」
僕は彼女の隣に並んだ。
傘はそれほど大きくない。
自然と、互いの肩が触れそうな距離になる。
「……もう少しこっち来なさいよ」
「おや。随分と積極的だね」
「肩が濡れてるでしょ!」
「なるほど。心配してくれているわけだ」
「……風邪引かれたら面倒だからよ」
「そうかい?」
「そうよ」
美琴は前を向いたまま答えた。
僕は、そんな彼女の横顔を眺める。
彼女は、決してわかりやすい人間ではない。
少なくとも、僕にとっては。
いや。
正確には、わかっていても確かめないことが多い、と言うべきだろうか。
「……何?」
美琴が僕を見上げた。
「いや、何でもないよ」
「……また変なこと考えてるでしょ」
「失礼だなあ」
「その顔、昔から変わらないんだから」
「おや。僕の顔をそんなに観察していたのかい?」
「…………」
美琴は、一瞬だけ言葉に詰まった。
しかし、すぐに平然とした顔に戻る。
「……問題児の行動を把握するのも、学級委員の仕事だから」
「なるほど。職務熱心だね」
「そうよ」
「それなら、来年クラスが別になったら寂しくなるなあ」
「…………」
雨音が、傘を叩く。
美琴は前を向いたまま、小さく呟いた。
「……別に」
「ん?」
「……クラスが違っても、帰り道は同じでしょ」
「…………」
僕は思わず、彼女の横顔を見た。
しかし、美琴はこちらを見ようとしない。
「……何よ」
「いや」
僕は小さく笑った。
「君は本当に、面白いことを言うね」
「……褒めてるの?」
「もちろん」
「……あっそ」
彼女は、それ以上何も言わなかった。
僕も、何も言わなかった。
ただ、いつもより少しだけゆっくりと歩いた。
*
駅前の交差点に差しかかったところで、雨が弱まってきた。
「……あ、もう止みそうね」
「そうだね」
「じゃあ、傘返すわ」
美琴は傘を畳み、僕に差し出した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
僕は受け取った傘を鞄にしまった。
そして、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば、橘さん」
「何?」
「一つ、聞いてもいいかな?」
「……内容による」
「手厳しいね」
「経験上、あんたの質問には警戒するべきだと思ってるから」
「はは。賢明な判断だ」
僕は笑った。
それから、彼女の目を見つめる。
「……君は、どうして僕と一緒に帰ってくれるんだい?」
「…………」
美琴の表情が、わずかに変わった。
「……またその話?」
「うん」
「監視だって言ったでしょ」
「そうだったね」
「じゃあ、何?」
「いや、少し気になってね」
僕は微笑んだ。
「君は随分と、僕に時間を使ってくれるから」
「…………」
「放課後だって、もっと他にやりたいことがあるだろう?」
「……別に」
「そうかい?」
「……そうよ」
美琴は、少しだけ視線を逸らした。
そして、ぽつりと続ける。
「……嫌だったら、とっくにやめてるわよ」
「…………」
なるほど。
これは、なかなか。
「……橘さん」
「何?」
「それは、僕と一緒にいたいという意味に受け取ってもいいのかな?」
「…………」
美琴は、じっと僕を見つめた。
そして。
「……あんたは、どう思うの?」
そう、問い返してきた。
「おや」
「人の考えてること、わかるんでしょ?」
「それは誤解だね。僕は超能力者じゃないよ」
「そうね」
美琴は頷いた。
それから、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……じゃあ、自分で考えなさい」
「…………」
「いつもみたいに、勝手に決めつけないで」
僕は、思わず笑ってしまった。
「……はは」
「……何よ」
「いや、やっぱり君には敵わないなと思ってね」
「……今さら?」
「そうだね。今さらだ」
彼女は呆れたように肩をすくめた。
そして、駅の改札に向かって歩き始める。
「……じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
僕は手を振った。
しかし、美琴は数歩進んだところで、ふと立ち止まった。
「……あ、そうだ」
「ん?」
彼女が振り返る。
「明日、放課後空いてる?」
「おや。今度こそデートのお誘いかな?」
「……違うわよ」
「残念」
「……駅前に新しいカフェができたでしょ」
「ああ、あの紅茶の店かな」
「……そう」
美琴は少しだけ言い淀んだ。
「……あんた、紅茶好きだったわよね」
「そうだね」
「……だったら」
彼女は一度言葉を止めた。
それから、僕をまっすぐ見つめる。
「……付き合ってあげてもいいわよ」
「…………」
これは、驚いた。
僕が何か言うよりも先に、美琴が続ける。
「……勘違いしないでよ。あんたが変なことしないように、監視するだけだから」
「なるほど」
僕は頷いた。
「それはありがたいね」
「……何よ、その顔」
「いや、嬉しくてね」
「…………」
「君とカフェに行けるなんて、楽しみだなあ」
美琴は、わずかに目を細めた。
「……ほんと、調子いいんだから」
「はは。よく言われるよ」
「……じゃあ、明日ね」
「うん。明日」
彼女は小さく手を振り、改札へと向かっていった。
僕はその背中を見送りながら、静かに息を吐く。
……まったく。
困ったものだ。
どうやら、明日も監視されるらしい。
それも、わざわざカフェで。
随分と熱心な監視役である。
もっとも。
彼女が本当に監視のためだけに僕と一緒にいるわけではないことくらい、とっくに気づいている。
そして、おそらく彼女も。
僕がそれに気づいていることを、理解しているのだろう。
……さて。
ここで一つ、問題がある。
彼女は、僕のことをどう思っているのだろうか。
友人。
腐れ縁。
放っておけない問題児。
それとも――。
「……いや」
僕は小さく首を振った。
答えを急ぐ必要はない。
彼女は僕のことを、まだ何とも決めていないのかもしれない。
あるいは、もう答えを持っているのかもしれない。
どちらにせよ、それを僕が勝手に決めるべきではないだろう。
何しろ、以前彼女に散々怒られたのだから。
『人の気持ちがわかるなら、少しは大事にしなさいよ』
……まったく。
本当に、耳の痛い言葉だ。
僕は苦笑しながら、改札へと足を向けた。
明日は、彼女とカフェに行く約束がある。
それだけで、十分じゃないか。
恋人なのか、友人なのか。
そんなことは、今はどうでもいい。
ただ、彼女と一緒にいる時間が好きなのだ。
……まあ。
もし、いつか彼女が僕のことを好きだと言ってくれたなら。
そのときは、素直に喜ぶことにしよう。
もちろん、少しくらいからかってしまうかもしれないけれど。
何しろ、僕はそういう人間なのだから。
*
――同じ頃。
駅のホームで、橘美琴はスマートフォンを取り出していた。
画面には、友人からのメッセージが表示されている。
『美琴、明日の放課後って暇?』
彼女は少し考えてから、返信を打ち込んだ。
『ごめん。予定があるの』
すぐに返事が届く。
『えー! 何の予定?』
『ちょっとね』
『もしかしてデート!?』
「…………」
美琴は画面を見つめた。
そして、短く息を吐く。
『違うわよ』
そう返信して、スマートフォンを鞄にしまった。
「……ほんと、馬鹿みたい」
誰に言うでもなく、そう呟く。
それから、ふと先ほどの会話を思い出した。
『君は、どうして僕と一緒に帰ってくれるんだい?』
まったく。
あの男は、本当に性格が悪い。
人の考えていることを勝手に推測しては、面白がってからかってくる。
そのくせ、肝心なことになると、いつも決まって曖昧な笑顔を浮かべるのだ。
「……あんたこそ」
美琴は小さく呟いた。
「……私のこと、どう思ってるのよ」
当然、返事はない。
彼女は再びため息をついた。
そして、ホームに滑り込んできた電車へ乗り込む。
窓の外には、雨上がりの街並みが広がっていた。
……明日は、晴れるらしい。
それなら、傘を持っていく必要もないだろう。
もっとも。
もし雨が降ったとしても。
きっと、あの男はまた傘を差し出してくるに違いない。
「……ほんと、ずるいんだから」
そう呟いた彼女の口元には。
本人すら気づかないほど、小さな笑みが浮かんでいた。




