ぶれっぶれの我が歌謡曲道
これ書いてると懐かしい記憶が呼び起こされます、が、だからどうしたと自分でも思います。記憶違いは修正するつもりもありません。もし検証したい場合はググってね。
とうとう道とまで副題につけてしまった、歌謡曲雑感です。記載時深夜なのでテンションはいつも以上に変です。このまま行きしょう。何も変わりません。
自分としてはあれ、これどうしてと言う歌手に嵌ることがあります。そこのところ語らせてもらいますます。
まずは中学の時、近藤真彦。たのきんの「きん」じゃん。当時結構男性にも人気あったんですが、最初は「ヨコハマ・チーク」でした。「スニーカーぶるーす」で衝撃的なデビューを飾った当時、2曲目も当然の1位を期待されていました(於オリコン)ところがそこに立ちふさがったのが西部警察にてリキを演じていた寺尾聰の「ルビーの指輪」。まあ、勝ち目はありませんでしたね。人気凄かったし、寺尾さん。曲も超強力、作詞松本隆、作曲ご本人。ザ・サページでかつて「いつまでもいつまでも」をヒットさせていて、石原裕次郎の部下をやってたわけですから普通のアイドルでは分が悪い。結局オリコン2位に甘んじたわけですが、でもそうなるとムラムラと悪い虫が出てくるのですよ。寺尾聰は良い、『リフレクションズ』は最高だ、では近藤真彦はダメか?いや、そんなことは無い。軽快なリズムで疾走感もあるセカンドシングル、これもまた良し、という論理が働いてつい手が伸びてしまったのです。そこから「ブルージーンズメモリー」や「ギンギラギンにさりげなく」はおろか、結局「ミッドナイトステーション」までファンやってました。地方故コンサート行ったりとかテレビ局で追っかけとかは当然なかったですが、「真夏の一秒」がCBSソニーからでるまでですから、我ながらしつこかったものです。田原俊彦は「グッドラックLOVE」だけでしたから、自分でも何でか良くわかりません。でもその後の「ロイヤルストレートフラッシュ」も良かったですけどね。「一番野郎」から路線変わったのかな?などと良くわからない考察いれたりして。いや、やっぱり「けじめなさい」だな。あれはあれで衝撃的だったし。
それからジョニー。正式なスペルは出てきませんが、横浜銀蝿のリードギタリストだった人で、これはもう、ソロシングルの「ジェームスディーンのように」が大好きだったからです。セカンドシングルの「$百万BABY」は横浜銀蝿メンバーでは唯一のオリコン1位でしたし、まあ、準メンバーの嶋大輔も「暗闇をぶっとばせ」でオリコン1位取ってますけど、私横浜銀蝿は好きじゃなかったので(同級生は凄かったよ、当時)意外ではありました。1stソロアルバムの『ハイウェイダンサー』も良かったし、セカンドの『横浜からアイラブユー』も良かったですね。ちなみに1stの購入特典は薄めのバンダナ、セカンドはジグソーパズルだったはず。他にミニアルバムも出てました。しばらく前に岩井小百合さんと同様にBOXCDが出たのは有難かったです。当時買ってなかったけど(中古では入手)「みにくいアヒルの子」も良い歌でしたよ。その後も「ジュリエットの幻影」や「色褪せて蜃気楼」と出たんだけど、その後裏方に回られたみたいで残念でした。あ、「太陽のツイスト」はデュエットなので省いています。って何のことだい。
もひとつ、崎谷健次郎。この方は丁度就職当時、「もう一度夜を止めて」(名曲ですよ)をヒットさせた方で、斉藤由貴さんとかにも曲を作っていましたが、実はその前に稲垣潤一さんのアルバム曲を作ってたんです。ご自分のアルバムにも収録されていた「KISSの花束」を、稲垣さんが「ルールオブラブ」の題名で英語詞でカバーされてました。英語詞なのでよく判らなかったので存在を知った時は驚きでした。いや、知っとけよとツッコミを入れたくなります。なお崎谷健次郎さんは仙台(とその近郊)にいる間に2回電力ホールにでコンサート行ったので、珍しく2回コンサートに行った歌手でもあります。でも近い時期でのコンサートだったのであまり変わり映えしなかった記憶があります。いや~非常に失礼なもの言いですね。
気になるところではそんな感じです。後日気がついたらまた書いてみたいと思います。というか本当に備忘録じゃん。
他にも書きたいことが多すぎる上に曖昧すぎる記憶も多すぎる。一種の苦行やね。




