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絵画大戦  作者: 式守伊之助
第1章 レオナルド・ダ・ヴィンチ作「いつもの晩餐」
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第8話 マレーネの誤算

 イエスはやおら身を起し、十字架を立てかけて横棒にひじをのせた。


「逃がしてしまいました」


 ため息を吐いたあと、倒れたままのハネツグをにらみおろす。


「この子を責めないで。たぶん彼、ガイセリクに憑依ひょういされた女の子の知り合いだと思うの。だから助けようとしてあなたに飛びかかった」

「わたしは誰も責めません。愛は寛容かんようです。愛はすべてを許します」


 言いつつもイエスはハネツグから目を離すことなく十字架を少し持ち上げてズンッと床に落としてみせた。責めてる責めてる。リザの目がなければ余裕でハネツグの頭をつぶす勢いだ。


「今度、晩餐ばんさんに一品もってくから」

「わずかにく者は、わずかな収穫しか得られませんよ」


「……三品ほどでいいかしら」

「彼の罪は清められました」


「そ、そう。良かった」


 リザは倒れたハネツグに近づき、「大丈夫?」と身体に手をやった。

 微動びどうだにしない彼に困惑したけれど、仔細しさいに観察すると気絶しているだけと分かり安堵あんどのため息を吐く。


「で、一体わたしたちは何と戦ったの?」

「神人ガイセリクです」


「そいつ知ってる。中世暗黒時代のフィクサーでしょう。ドミニコ僧団の言ってた邪神ってガイセリクのことだったのね」


「ヒストリカに放たれたガイセリクは世界を混沌におとしいれるでしょう。彼が欲しているのは人々の信仰。とりわけ畏怖いふを伴う信仰を好みます。それを身体に取り込んで己の力とし、ヒストリカの神になることを目論もくろんでいます」


 リザはハネツグを大事そうに抱きかかえた。

「でもガイセリクって死んだじゃなかったっけ? ルネサンス人が力を合わせて倒したって聞いた気がする」


「死の意味によります。不死のガイセリクにとって死とは、誰にも知られない場所で永遠に閉じ込められることを意味します」


 そこまで言ってから、イエスはハネツグを見る。


「ところで彼はどなたかな?」

「事故に巻き込まれた哀れな青年」


「それだけではないはず。彼の中にわずかだがピクトリカを感じる。しかも私たちと同じくらい高貴な世界。ガイセリクの封印を解いたのも恐らく彼の仕業です」


「あの泥棒女に騙されたのよ」と口に出してマレーネを思い出し、リザは周囲を見渡すが、やはりというか、すでに逃げたあとだった。


「まあいいでしょう。今はガイセリクの増長ぞうちょうをとめるため、早めの行動が肝心です」


 イエスは十字架を肩に担いで身をひるがえした。


「わたしは兄弟たちに召集をかけます」

「兄弟ってヒエロニムスや三博士のこと?」


 ピクトリカで兄弟といえば同じ画家が描いた絵画同士を指す。晩餐ばんさんのイエスとリザも兄妹の関係である。


「いいえ、ちがいます。仲たがいしている者もいくらかいますが、ガイセリクはヒストリカを脅かす共通の存在。みんな集まってくれるはず」


 お父さまの絵画でないとすると信徒のことだろうか?そんな事を考えていると、イエスが立ち去ろうしたので急いで声をかける。


「私にも手伝わせて」


 立ち止まってしばし思案したイエスは、ぽんと手をたたいてリザに向き直った。


「では、剣を拝借はいしゃくしてきてください。名前はアダマンチンの剣」

「それってガイセリクを殺せる剣?」


「彼は不死です。しかし封印が可能になるほど弱らせることはできるはず。アダマンチンの剣はピクトリカにあります。名画に入って持ち主から剣を借り、ヒストリカに持ってきてください。持ち主は神に愛された偉大な方なので失礼のないように」

「わかった、その名画はどこにあるの?」


「じゃじゃ馬姫がべる芸術大国」

「うわあ」とリザが低い声でうなった。


「スペインかあ、だから私に頼むのね」


「カトリック同士だから上手く付き合えるはずなのですが、スペイン最高の名画が、あの跳ねっかえりでは交渉もままなりません」

「とにかくやってみる。で、アダマンチンの剣ってやつを借りる事ができたら、あなたに渡せばいいのね」


「そう、私が使えば最大の力を発揮することができます」

「あなたは既に十分強いと思うけど」


「次にガイセリクと対峙したとき、どれほど力が増しているかわかりません。あの剣を携えておけば保険になります」

「いま持ってる十字架は使わないの?」


「もちろん使います。わたしは二刀流もできますし、それに十字架には武器以外にも様々な利用法があるのです」


 イエスは担いでいた十字架をリザが見やすいよう身体の前に置いた。


「わたしはこれで空を飛ぶこともできます」


 リザが目を凝らすと、十字架には人名と生没の年月日が刻まれており、ようやく彼女はそれが墓石であることに気づく。


         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 夕日で染まる空の下、ガイセリクは地中海を一望する教会のてっぺんに立っていた。


 人が多いな。かつてより繁栄している。


 腕を組み、背筋をピンと伸ばした姿勢で遠くを眺めながら、解決すべきいくつかの問題について考える。


 まず、この憑代よりしろを交換すべきか。力を得てヒストリカで受肉するまでかなり時間がかかるから、もっと力のある身体に憑依ひょういしておくべきだろう。


 最も理想的なのはハネツグだ。いま憑依ひょういしている娘とハネツグは特別な関係があるのは間違いない。しばらくこの身体に留まっていれば向こうからやってくるだろう。


 それと……、


 ガイセリクは足元の屋根にピタリとはりついているマレーネに視線を落とす。


「おい、そこの」


マレーネが「あは、バレてました?」とひょっこり顔を上げる。

「何が目的だ?どうして我についてくる」


「あなたの強さに魅力を感じました。わたくしと手を組みませんこと?」


 意図いとを組みかねてガイセリクは沈黙した。


「わたくしの絵画はたいぶ昔に燃えてしまって、今では自分が何者だったかも思い出せません。それからはピクトリカの宝飾品をヒストリカで売って糊口ここうをしのいでいましたが、近ごろはドミニコ僧団に目をつけられ生活が立ち行かなくなってきました。貴方と組むことができれば現状を打開だかいできそうな気がします」


 ガイセリクはあごに手を当てマレーネを値踏ねぶみするように眺めた。ヒーラー(治癒)の絵画か。逃走した我を追尾するほどの俊敏しゅんびんさを備え、気配の消し方もうまい。

 こやつを使えば、あれを奪還することができるかもしれない。


「永いこと幽閉ゆうへいされていたあなたには、わたくしのようなヒストリカの情報通がきっと役に立ちましてよ。これは両者にとって利益となる契約だと思いますわ」

「よかろう、我の下僕げぼくにしてやる」


下僕げぼくって……ま、まあいいでしょう」

「だがしかし、貴様には忠誠心の欠如けつじょが見られる」


 ガイセリクはマレーネを手招きした。嫌な予感しかしなかったが、拒否するわけにもいかず、恐る恐るガイセリクの前に立った。


「我の目を見よ」


 ガイセリクの瞳は渦を巻いていた。

 不思議な瞳だなと思ったとき、すでにマレーネは催眠に掛かっていた。


 ガイセリクの背後から巨大な昆虫のあしが何本も生えてきて、のたくったりガチガチ音を立てながら扇状おうぎじょうに広がってゆく。


 危険を感じ距離を取ろうとした瞬間、複数の脚すべてが目にも留まらぬ速さで彼女に迫り、あっという間に身体をからめとった。


「は、放してください!」


ガイセリクは右手の人差し指をピンと立てた。内側から熱を帯びて真っ赤になってゆく指先をマレーネに近づける。


「やめてください、何を……」


恐怖のあまり目を閉じようとしても、なぜかできない。ガイセリクの瞳から目を逸らすことができない。


「下僕には所有者の刻印が必要だ」


 指が彼女の胸元に触れた途端、皮膚が焼けて細い煙があがる。

 激痛に耐えかねたマレーネは裏返った悲鳴をあげながら必死に逃げようとするが、からみつく脚がそれを許さない。ガイセリクは指先をサラサラ動かし、マレーネの胸元に複雑な紋様もんようを焼き付けた。

 

 ガイセリクが目を閉じると、あれほど強固にマレーネを縛っていた大量の脚が一瞬で消え去り、拘束を解かれたマレーネはその場に崩れ落ちた。

 荒い息で起き上がろうとする彼女をガイセリクが見下ろす。


「いま刻んだのは隷属れいぞくの刻印である。刻印は我の発した命令と貴様の行動に矛盾がないか常に思考し、不服従であると判断したら貴様を消失させる」


 マレーネはただれた紋様に手を触れる。わたくしを拘束した脚は恐らく幻覚。でも、この火傷は紛れもない現実。


 下僕の忠誠を担保できたところで、ガイセリクは次の行動に移ることにした。まず西の方角を指さした。


「この先にある国を教えよ」

「スペイン、かしら」


「まずはそこへ行く」

「……何をしに? 」


「奪われた物を取り返すのだ」


 胸を押さえながら緩々《ゆるゆる》と立ち上がったマレーネは、目に痛いほど赤いよいの空に向かってたたずむガイセリクの背中をじっと見つめた。


 そして、自分は取り返しのつかない間違いを犯してしまったのではないかという不安に駆られた。


読んでいただいてありがとうございます。

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