第7話 あなた、絵の具が混じってる…
よくわからないが猶予はまったくないのは分かる。
急いで扉をあけようとするハネツグに向かって骸骨が一直線に飛んできた。
ハネツグが強く目を閉じて衝撃に備えた直後、巨大な爆発が、なぜかハネツグの背後にある扉の方から生じた。
舞い散るガレキや粉じんとともにハネツグは前に吹き飛ばされ、床にたたきつけられたあとも丸太みたいにしばらくゴロゴロ転がってようやく止まった。
むせ返りながらゆっくり目を開けると、埃の漂う室内は明るくなっていて、通りに面した壁が跡形もなく粉砕されていた。
「大丈夫?」
セネカがよろよろと歩み寄って彼の肩に腕を回して立ち上がる。
「骸骨は?」
「どこだろう見当たらない」
「この爆発、あいつがやったのか? 」
「違うと思う。あの骸骨も爆発に巻き込まれたから」
「やっと見つけた」
声は外から聞こえた。
室内にそそぐ日の光を背に浴びて女性の立ち姿があった。短髪の金髪で、身体に張り付くようなパンツとジャケットで身を包んでいる。奇麗というより凛々《りり》しい女性だった。
女性は「ここの壁、けっこう硬いわね」と右手の拳をさすりながら部屋に入ってきて、ガレキに埋もれているマレーネの前で足を止めると、髪をガシッとつかみ引っ張り上げた。
気絶中だった彼女は瞬時に覚醒して、
「いたたたたッ!」
両足をばたつかせて悶絶するマレーネを、ハネツグは不思議な気持ちで見つめる。
片手でマレーネを持ち上げている……なんだあのひと?
「ようやく見つけたわよピクトリカの泥棒さん。観念しなさい」
リザは釣った魚を眺めるみたいにマレーネに顔を近づける。
「は、はなして、今はそれどころじゃありません!やつがまだ近くにいます!」
「奴って?」
「骸骨です!動く骸骨!」
「どうせつくなら、もっとまともな嘘をつきなさいな」
セネカに支えられてどうにか立ち上がったハネツグを、リザは一瞬だけ目の端にとらえて、「あらあら、ヒストリカの住人まで巻き込んで」と言ったあたりでピタリと止まった。
そして今度はぎこちない動作で首を巡らし、信じられないものを目撃したという表情をハネツグに向けながら、リザはほとんどささやくような小声で言った。
「あなた……、絵具が混じってる」
リザはマレーネをぞんざいに放り投げ、ハネツグの前へ大股で近づいてから勢いよく肩をつかんだ。
衝撃でセネカがキャッと後ろによろけて尻もちをつく。
「な、なにすんだ!」
ハネツグの抗議にリザは答えず、彼の身体を食い入るように見つめていた。
怖くてたまらないハネツグだったが、やがて不思議なことに気づく。肩に置かれた彼女の手が小刻みに震え始めた。それだけじゃない。表情も感極まったように崩れてゆく。
叫ぶのも忘れて、ハネツグはそんなリザを茫然と眺めた。
いつものリザなら、このあとハネツグを襲った敵の存在を容易に察知できたはずだ。彼を守りつつ反撃することも可能だっただろう。
しかしそのときの彼女は内からあふれる感情にどっぷりつかり、外部の情報に鈍感になっていた。
壁が破壊され、ほとんど野外と化した部屋の天井の隅に、動く骸骨ガイセリクは身を潜めていた。
やっとヒストリカに出られたのに、受肉するまでのかっこうの憑依先であるハネツグまでいたのに、晴天の霹靂、よりによってダ・ヴィンチの眷族が現れるとは。
今の彼では正面からぶつかっても負けるだけ。だから息を潜めて待った。わずかに残された室内の隅に影のように溶け込んだ。爆発で半壊した身体が役に立った。
そしてチャンスが訪れた。リザの注意がハネツグだけに注がれている。いまだ、とガイセリクは渾身の力でハネツグのもとへ飛んだ。
ハネツグだけを見ていたリザに隙が生まれたのと同様に、リザにだけ集中していたガイセリクにも見えていないものがあった。闇から突如として現れ、ハネツグへと飛来する何かにセネカが気づき、ハネツグの前に身を投じた。
彼女の悲鳴でハネツグとリザは我に返り、同時に糸が切れたみたいに崩れ落ちるセネカを見た。
「そいつ骸骨ですわ!」
頭を痛そうに揉みながらマレーネがセネカを指す。
「あなたまだ言うの? この娘、肉も皮もあるじゃない」
「表じゃなくて中にいるんです!」
リザが再びセネカに目を落としたとき、そこに彼女の姿はなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
セネカに憑依したガイセリクは、まず部屋の外へ跳んだ。
石畳の床に着地したあと、足に顎がつくほど身体を丸める。今度は一気に跳躍して、この場からなるだけ遠くへ逃げる算段だった。
予定外の人間に憑依してしまったが、剥き出しの骸骨よりはマシだった。
どっちへ跳ぶかと顔を上げたとき、彼に狙いを定めて何かを振りかぶっている人物に気づく。ただちに背後へ跳びすさった刹那、巨大な十字架が足元の石畳をかち割って地面に食い込んだ。
「お待ちなさい罪人よ 」
そう叫んで十字架を肩に乗せた男性は整った顔と長い髪、深紅の長衣の上に群青の袈裟をかけている。
十分な距離をとって向かい合ったガイセリクは心の中で舌打ちする。
モナリザを出し抜いたと思ったら、今度は晩餐のイエスか!
「わたしのところへ来なさい、私があなたを休ませてあげます」
ガイセリクは身体を反転させて逃げの一歩を踏み込んだが、慣れない少女の足が目算を誤り派手に転倒した。身を起こした時点で、すでにイエスは背後にいた。
終わった。500年以上も絵画に幽閉されていた我が、ようやく手に入れた自由だったが、ものの数分で終わった。
そう思った彼の耳にセネカッ!という叫びが聞こえたかと思うと、次の瞬間、十字架を掲げているイエスの脇腹にハネツグが猛烈なタックルをかました。
不意の衝撃でイエスはハネツグもろとも地面に倒れ、手から離れた十字架がしばし虚空にとどまったあと、イエスの頭に落下した。
晩餐のイエスはもんどりうって悲鳴をあげる。
「贖罪ぃーーーっ!!」
ほとんど間をおかずに追いついたリザがガイセリクに迫った時点で、すでに彼の足は跳躍に十分な力を蓄えていた。
残像が残るほどの速度で上空高く舞い上がり、一瞬でリザでも観測できないほど遠くへ逃げおうせた。




