第5話 鍵はハネツグ
「わたくしナポリで公証人をしているマレーネと申します」
セネカはバツが悪くなってハネツグを解放しつつ居住まいを正す。マレーネは恐る恐るといった表情でハネツグに近づいて、
「ハネツグさん、で、よろしいかしら?」
肩を押さえて苦悶するハネツグに握手を求めてきた。ハネツグは「はい」と答えて痛みに堪えながら握手に応じる。
「よかったですわ。もし違っていたら、どうやってこの場からお暇しようか悩みながら声をかけていましたから。そしてこれっていう正解がないままでしたから」
マレーネは彫の深い顔全体をつかって映える笑みを見せた。公証人というから初老の男性を予想していたから、ハネツグには少し意外だった。
「お取込み中だったようですが、大丈夫でしたか?」
ハネツグはセネカに非難の目を向けるが、初対面の人に話す内容でないのは明らかで、「ええ、問題ありません」と平静を装う。
その点はセネカも同じらしく、背筋を伸ばしてマレーネに余所行きの笑顔を披露する。
「ちょっと警護の者に護身術を教わっていて」
マレーネは得心いったという顔で、
「教育されてるってそういう事だったのですね」
それは、まあ、あはははっと苦笑いの一本槍で切り抜けた。
「ではさっそく仕事の話をしましょう、ハネツグさんには遺産の確認をしていただきます」
マレーネが歩き出して、ハネツグとセネカはあとに従った。
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「イタリア政府は永年に渡り、所有者の明らかでない美術品について所有者特定の調査を行ってきました。具体的には美術品の作成された当時の所有者から、その親族関係を下ってゆき、相続人を捜し当てることができたら証明書を発行のうえ引き渡し、所有者の不存在が確定するか、相続人が相続を放棄したら国庫に帰属させます」
「絵画のある場所まで足を運ばず、書類にサインするだけじゃダメなのですか」
「法律上、相続人に直接財産を見てもらい、受け取るかどうか確認する必要があるのです」
「それなら仕方ないけど、こんな田舎町に呼ばれた理由がわからない。歴史的名画と聞かされてたから、てっきり美術館にあるものと思ってた」
「発見された当時の状態で保存しているのです」
「で、絵画のある場所はどこですか?」
「資料では確かこのあたりのはずですが」
マレーネは大きなショルダーバッグから書類を取り出すと、しきりに捲りはじめた。
見るからに分厚いその書類を横目で見たセネカは、表紙に「持出厳禁・典礼秘跡省」なる文字を見つけ、持ち出していいのかなという思いをぼんやり抱く。
「このあたりの民家にあると思います」
「思いますってことは、マレーネさんは来たことがない?」
「手続きはすべて書類で行われるので。ハネツグさん、それらしい家はありまして?」
「僕に訊かれても、初めて来た場所で見たことない家を探すなんで無理な相談でしょ」
狭い路地がひしめき合う街中を3人は長いことウロウロ捜しつづけた。
「セネカ、携帯で調べてみろ」
「さっきからやってるけど、区画が変わったみたいでヒットしないのよ」
「使えないなあ」
棘のある言葉にイラっとしたが、第三者がいる手前もあってセネカは冷静に答える。
「近づいているのは間違いない、あとひとつくらいヒントがあれば」
気づくと3人は背の高い壁に挟まれた小道に迷い込んでいた。
直線で遠くまで見渡せる代わりに、両側に戸口がないのも明らかであり、来た道を戻ったところで散々歩き回った区画に出るだけだから、とりあえず広い通りに抜けるまで進み続けるしかなかった。
「もう見えるくらいの距離にあるはず」
呟きながらセネカが前を見ると、先行していたはずのハネツグがいない。
「おい」と背後から声がしてセネカは振り返る。
ハネツグはだいぶ遅れた位置に立っていて、あれじゃないか?と脇道の奥を指した。セネカは首をかしげる。
「あんなところに道あったかしら。ねえ、マレーネさん」
同意を込めた声に彼女は答えず、ただニタリと笑っていた。さっきまでとは雰囲気の違う犯罪者の悪相で、なんだかそれ以上声をかけるのが躊躇われた。
「たぶん、その先に目的の家がありますわ」
マレーネはハネツグと並んで脇道に入り、歩いてすぐの突きあたりに小ぶりな建物を見つけた。造形はこの街の民家と変わらないから14~5世紀に建てられたものだろう。ただ他の家々と比べて風化の様子が見られない。
マレーネがドアを押し開けようとして錠前に気づく、それを持ち上げていくらか眺めたあとハネツグを呼んだ。
「ちょっとこれ、見てくださる?」
「鍵はないの?」ドアに近づきながらハネツグが錠前に目を落とす。
「鍵はあなたかもしれません」
「それ、どういう意味?」と言いながらハネツグが錠前に手を触れたとたん、カチャリと音を立てて錠前が地面に落ちた。
残骸と化した錠前をしばし眺めたあと、ハネツグはマレーネに視線を戻した。
「勝手に外れた。壊れてたみたい」
「さあ入りましょう。絵はこの中にあります」




