第4話 遺産を求めて田舎町
「ホテルに戻れって言ってるだろ!」
そう怒鳴りつけたハネツグなど意に介さず、むしろセネカはそんな彼を怒りの籠った形相で睨み返して「ぜっったいっ!」そこで一呼吸置き、腹に力をためたあと、
「戻らないんだからーーーーっ!!」
段違いの迫力をまともに喰らって、ハネツグの髪は風を受けたみたいに波をうち、足が自然と後ずさる。
イタリア南部カンパニラ州の田舎街モンテッラ。
中世の香りを色濃く残す街の大通りで、若いふたりが睨み合っている。行き交う人々は痴話げんかの類と大して気にもとめていないが、本人たちはいたって真面目だ。
セネカは自分を落ち着かせるように大きく息を吐いた。
「今回の件は私たちふたりで成し遂げるようにって財団から指示が出てるんだから、無視すんじゃないわよ」
いたずらに生真面目で少し凶暴な性格、あとは利発そうな目が隠れるほど長い癖毛のくしゃくしゃ具合を除けば、セネカ・シュリはとことん可憐な17歳の女子である。
そんなセネカをどうにか撒きたいハネツグもまた、セネカと同じ17歳。世界でも指折りの大富豪ハイネッケ財閥の直系にして唯一の男子。
にもかかわらず所持金は現在ゼロ。
というか財布すら持ってない。
「ここは外国だ。財団の命令なんか無視したって誰も分からない」
完全に迫力負けしたハネツグがセネカから視線を外して小さく反論する。
「それに私、ハネツグを護衛するよう指示も受けてるし」
セネカは少し俯き加減で声を落とす。
「クロガネ先生からも言われてるから……」
弱った語気を好機と捉えてハネツグはすかさず口を開く。
「お前の後見人だったクロガネはとっくの昔に死んだ。お前は戦災孤児で親もいないから、財団がお情けで僕の警護役にしてるだけだ」
その言葉はセネカの急所を的確に突いたようで、さっきまでの気迫はあっという間に消え去り、「……なんで」と潤んだ瞳でハネツグを見る。
「そんなひどいこと、言うの?」
自分が口にした言葉の残酷さはハネツグも重々承知していた。しかし彼はなおも言う。
「ほんとの事だろ。じゃあお前はクロガネみたいに僕を守れるのか?」
それは、とセネカは口籠る。
日ごろの鍛錬を怠らず、目標とするクロガネに近づこうとしているけれど到達点は遥か彼方、ハイネッケ財閥の警護隊の中ですら半人前であることはセネカも認めている。
「ほら、やっぱり役に立たないじゃないか」
唇を噛んでじっと自分の靴に目を落とすセネカを見て、ハネツグは罪悪感で胸がズキリと痛むのを感じた。良心の呵責から逃れるためセネカに背を向けて速足で歩き出す。
貴殿の遺産がイタリアで発見された。
それは絵画であり計り知れない価値を持つ。イタリアの公証人からハイネッケ財閥にそんな連絡があったのが今からひと月前。
当主不在のため臨時に設置された意思決定機関「ハイネッケ財団」はその連絡にまったく興味を示さなかったが、放蕩が祟って財団から財布を取り上げられているハネツグにとっては小遣い稼ぎの好機に思えた。
絵画を手に入れたらさっさと売って、いつもみたいに豪遊しよう。財団にはその辺の画廊で買った絵でも渡しておけばいい。そんな魂胆を巧みに隠し、財団からイタリア行きの資金を引き出した。
セネカの同伴と彼女が旅費の管理をするという条件は不本意だったが背に腹は代えられない。
いくつかの歩道が交わる公園でハネツグは立ち止まった。
午後の眩しい日差しのなか、子連れの親子が思い思いの場所で控えめな賑わいを見せている。
さて、ここが公証人との待ち合わせ場所のはずだが、早く着きすぎたかな。空いた時間をどうするか、とハネツグはぐるりと視線をめぐらして、背後にセネカを見つける。
殺意ともとれるセネカの視線にさらされて、ハネツグはたじろいだ。そんな自分を隠すため、首のあたりを掻きながら明後日の方向に視線を逃がして「腹が減ったなあ」と仕切り直しを試みる。
「……だから?」
セネカのひと言にハネツグは口を数回ぱくつかせたあと、
「だからって、旅費はセネカが持ってるんだからさあ」
「分かってるそんなこと!」とハネツグの抗議を大声でかき消した。
「ちゃんとやるわよ。あんたと違って私はちゃんとやる」
近くのレストランを検索してみる、と言ってセネカは携帯を取り出す。ハネツグはハエを払うような仕草でそんなセネカを制した。
そしてまっすぐ彼女を指さした。正確には首から下げてるガマ口を指で示した。中には詰められるだけ詰めたユーロ札とブラックカード数枚が入っている。
「それ、僕に渡せ」
「駄目に決まってるでしょ」
セネカはガマ口を両手で握ってハネツグの視界から隠すように身体をひねった。
「財布は絶対にハネツグに渡すなって、財団にきつく言われてるんだから」
ハネツグは聞く耳を持たず、セネカの眼前まで歩み寄ってガマ口を強引につかんだ。
「早くよこせ」
「駄目って言ってるの聞こえないの?」
「お前の金じゃないだろ」
「駄目ったら駄目」
「四の五の言わずによこせ」
「いい加減にしなさいっ!」
ガマ口にのびたハネツグの手首をセネカが素早くつかみ、彼の背後に回って腕を捻りあげた。
あまりの激痛にハネツグは身体を反らして悲鳴を上げる。捻り方に容赦がない。
そんな彼の耳元にセネカが口を近づける。
「大人しくするなら解放してあげる」
「お、おまえ、それでも僕の使用人か?」
「左様でございます。ハネツグさま」とセネカは芝居がかった口調で言った。
「かつては百人を優に越していましたが、今ではあなたさまに仕えるたったひとりの使用人でございます。わたくしセネカ・シュリはハネツグ・ハイネッケさまの使用人であり、警護役であり、運転手であり、教育係……」
「教育係は撤回しろ!僕らは同じ17歳だ。おまえに教育された覚えはない」
「あら、いま教育して差し上げてますが?」
「こんなの教育じゃっっ!」直後、腕に更なる捻りが加わり、
「されてます教育されてます!」
調教ではあるまいか? 痛みで限界に達したハネツグの心にもっともな疑問が浮かぶ。
そんな風に、ハネツグもセネカも互いに集中していたものだから、近くでふたりを呼ぶ声に気づかず、何度目かの声掛けをようやくセネカの耳が拾って、彼女は反射的に声のした方に顔を向けた。
そこには赤いスーツを着た黒髪の女性が戸惑い気味に立っていた。
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