第36話 名画紹介「民衆を導く自由の女神」
19世紀フランス、革命と反動政治に揺れるただ中にあってもなお、画壇は錨を降ろしたように旧態依然の古典主義に固執していた。
そんな保守的なお歴々に若手の画家たちは新たなテーマや手法を駆使して揺さぶりをかける。口火を切ったのはロマン主義の旗手、ウジェーヌ・ドラクロワだった。
ドラクロワの代表作「民衆を導く自由の女神」は、彼自身が経験した1830年の七月革命を題材としている。
舞台は黒煙と硝煙うずまく戦場のど真ん中、画面中央の光が濃い場所に、左手に剣付きマスケット銃を持ち、右手にはたなびくフランス革命旗を掲げた女神が立っている。
彼女は敵のバリケードを突破し、累々《るいるい》と横たわる死体の上に裸足で一歩踏み出すと、背後に従う民衆に首を巡らし勝利に向けた最後の攻撃を呼びかける。
そんな彼女に答えるように、ベレー帽の少年はピストルを手に鬨の声をあげ、シルク帽の紳士はラッパ銃を構えて敵を見据え、吊りズボンの工員はサーベルを抜いて走り出す。
自由とは自らの意志で未来を選ぶことであり、本来誰もが持っている権利であるにもかかわらず、現実には周囲の抑圧で縛られ、自分の生を生きられない。
口から出るのは他人の言葉で、行動は誰かに操られている。
それを運命と呼ぶ者がいる。彼らは観念して受け入れることを学ぼうとする。
だが良しとせず、ひとたび自分の生を取り戻そうとする者は血生臭い修羅の道を歩くこととなる。
フランス国民は王政復古を覆し、祖国に自由をもたらすべく血の道を選んだ。彼らの強い意志と胸にたぎる情熱は女神となって具現化し、民衆を自由へと導くのだ。
いつしか「民衆を導く自由の女神」は七月革命というひとつの事件の枠を越え、権力に屈せず自由を勝ち取る人々のイコンとなった。
情動を伴った表現手法も元来の理性や普遍性を重んじるラファエロ的古典主義とは一線を画すものであり、以後ロマン主義として新たな文化を生み出してゆく。
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マレーネに蹴り上げられたアダマンチンの剣は羽音に似た音を立てて回転しながらルーブル上空を舞う。
直下のルーブル中庭では名画と魔物の戦いが終局に達しかけていた。
正教会の名画集団が合流したことで、再び盛り返したカトリック・プロテスタント勢が魔物たちを押して、両翼から包囲しようとしている。
何とか持ちこたえようと奮闘するルシファーも体力が底を尽き、巨大な化物からかわいらしい美青年に戻っている。
気配でわかる。ガイセリクがヒストリカから消えた。
もしかして俺たちは負けるのか?
あんた死んだのか?
どうなんだ、ガイセリク?
ヘルマウスが常に魔物を補充しているはずなのに、目に見えて少なくなっている。
あいつに何かあったか確認したいが、名画たちの攻撃をしのぐのに忙しくてルーブルピラミッドに向かう隙がつくれない。
弁髪のイエスの攻撃が特に激しくて、偃月刀の十字架に気をとられていると、少林拳の蹴りが飛んでくる。このままでは背後に回られて退路がなくなる。
そんな防戦一方のルシファーの視界の端、弁髪のイエスの後部上空に微かな一閃があらわれた。
それがこちらに向かって飛来する剣だと分かった直後、回転するアダマンチンの刃が弁髪のイエスの頭頂部にスッと入り、そのまま股下まで切り抜けて地面に刺さった。
あれだけ激しかった弁髪のイエスの動きがピタリと止まったので、周囲は何が起こったのかと思わず立ち止まる。
少しして弁髪のイエスの身体が真ん中から縦に割れ初め、焦った彼は急いで自分自身を抱きしめるが、それでどうにかなるわけもなく、しまいにはバケツをひっくり返したみたいに大量の絵具をまき散らして消失した。
その様子を遠巻きに見守っていた群衆からルターが一歩踏み出した。
彼はおずおずと剣を地面から引きぬき、丹念に眺めたあと、これは……と剣を空にかざす。
「スペイン・カトリックの聖遺物、アダマンチンの剣です!
その刃はピクトリカのすべてを破壊することができ、柄の筆は名画を描き換えることができる。これさえあればピクトリカも、その影響を受けるヒストリカも意のままです。ようやくプロテスタントが唯一無二の存在に……」と言ったあたりで隣にいたコック隊長にいきなり殴られた。
予想外の攻撃を喰らって、ルターはばたんと仰向けに倒れた。
「痛ったあ」
頬をおさえながら身を起すルターに向かって、コック隊長が勢いよく手をのばす。
「その剣よこせ!」
「……なんで?」
「ほしいからだよ!」
「プロテスタント同士で奪い合うことないでしょう」
「俺はルター派じゃない、カルヴァン派だ!」




