第35話 セネカとマレーネの自己犠牲
剣が目前に迫ったところでセネカは思いっきり跳躍した。
着地と同時に柄を握り、コールタールのような粘着質の水に浸かった剣を重々しく持ち上げた。
「ハネツグ、取ったよ!」
いくぶん息を切らせて言うとすぐ、何もない虚空を見て「見えたっ!」と笑みをこぼす。セネカの心が彼女の身体とリンクした。
「ヒストリカ!」
が、次の瞬間、困惑の表情へと転じた。
「え、何これ、だめだよ」と怯えるようにつぶやく。
「セネカ、どうした?」
不穏な変化に気づいたハネツグの問いかけなど耳に入らない様子で、セネカは彼女にしか見えない誰かに向かい「解放しろですって?」と言ったあと、表情がみるみる鬼気迫るものとなった。
そのあとセネカのとった行動にハネツグは戦慄する。
セネカが剣を逆手に持ちかえると、勢いをつけて自分自身の身体に突き刺したのだ。
まったく予期しない光景に動きを止めた瞬間をガイセリクは見逃さず、ハネツグの喉元をがっしり掴み、一度自分の元に引き寄せてから前へ突飛ばした。そして素早く身を起す。
ほぼ同時に、セネカの背中を突き抜けた切っ先と皮膚の間から光の柱がいくつも伸びたと思うと、彼女を中心に光の大爆発が発生した。
ガイセリクは光の噴出に背中をおされる形で前のめりに吹き飛んだ。
真昼のように明るくなった周囲を見ながら、ハネツグが立ち上がる。
そして衝撃波が止んだあとも光を放ちつづけるセネカを手で庇をつくって見つめる。突然、ぎゃっという野太い叫びが聞こえた。
見ると砂浜に横たわるガイセリクのあちこちから青い炎が上がっていて、懸命に消そうともがいている。
「なるほど、浄化の炎だったのか。あのときは何がなんだか分からなかったが、こうやって俯瞰して見ると一目瞭然だ」
ガイセリクの努力も虚しく、炎は瞬く間に全身を包んでゆく。
「溢れでる神明の光と、不浄を清める群青の炎。間違いない、これは自己犠牲」
もはや光の塊と化したセネカに向かって、ハネツグは眩しそうに目を細めながら近づいた。
アダマンチンの剣の力を借りてヒストリカの身体と繋がったセネカは、誰かを救うため自身の身体に剣を突き刺した。
その誰かとは、おそらくヒストリカのハネツグ。
セネカはくの字に折れ曲がったまま、それでも倒れず、さらに深く剣を刺しこんでゆく。そして空中の一点を見つめて口を開く。
「げ……て、はや、く、逃げて……」
ハネツグは眩く輝くセネカの前までやってきて「なんて無茶な娘なんだ」と呟くように言い、炎に塗れたガイセリクを一瞥してから、
「あいつと一緒に消えることを望んだ私だけれど、どうしよう、今はそれ以上に君の救済を望んでしまっている」
徐々に傾きはじめたセネカの肩を支えるように抱きしめた。
「君が不本意なのは重々承知している。でも死なせたくない」
ハネツグの手がセネカの身体に沈んでゆき、続いて残りの部分も溶け込むようにセネカの身体へと吸収される。
「逃げるつもりかっ!」
火だるまのガイセリクが叫ぶ。立ち上がろうとするが、灼熱の苦悶でそれすらできず、怒りをたたえた目でハネツグを睨み上げる。
「ハネツグといったな!その名前、忘れぬぞ!」
ハネツグは完全にセネカと一体になり、支えを失った彼女が崩折れる寸前、パチンと爆ぜて消え去った。
アダマンチンの剣だけが砂浜に落ち、あたりは闇に包まれた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ルーブル要塞ドゥノワ翼の屋上にマレーネが姿を現した。
足元に落ちているアダマンチンの剣に目を落としたあと、その向こうに倒れているセネカに視線を移す。
小さく頷いてから歩き出し、剣をまたぎセネカのそばで膝をついた。
そして傷口を丹念に観察した。臓器の損傷と出血の量から考えるとすでに絶命しているはずなのに、セネカの身体はなぜか神がかり的に動いている。
とはいえ持ってあと数分といったところか。生命の灯が徐々に消えつつあるのを感じる。さっそく右手から金色に輝く蛇を出す。
まどろんでいた意識が少し浮かんできて、セネカは虚ろな瞳で空を見る。
わたし死ねなかったんだ。
死ねばガイセリクは動けなくなってハネツグを守れたのに。ここぞって時にドジ踏んじゃうから本当に嫌になる。
これでいま死んじゃったら完全な無駄死にじゃない。
もしそうなったら、ハネツグは少しくらい悲しんでくれるかな。
そういえばハネツグは?
ガイセリクはどうなった?
そんな事を考えていた彼女の視界にマレーネがひょっこり顔を出し、紙みたいに白くなったセネカの頬に優しく触れる。
「わたくしが傷を治して差し上げます」
マレーネの手から光り輝くヘビが伸びてセネカの傷口を舐めてゆく。
「マレーネ!いるのであろう、我を助けろっ!」
「闇の奥」から聞こえる呼びかけを無視してマレーネは治療に専念する。
「わたし……知ってる。ガイセリクに反抗すると……あなた死ぬ」
「ガイセリク?そんなひと知りませんわよ」
血管がつながり、肉がくっつき、血が戻ってゆく。
「何をしている、早く我をヒストリカに戻すのだ!」
「……聞こえる」
「ああ、どこかで野良犬が吠えてますわね!」
マレーネは苛立たし気に立ち上がり、そばに転がっていたアダマンチンの剣を思い切り蹴り飛ばした。
そしてすかさずセネカのそばで膝を折って治療を再開した。
「おまえ反逆したな!死の報いを受けるぞ!」
心拍数も脈箔も問題ない。出血のショックもなくなった。この子は助かる。
はあ、と背伸びをして、マレーネは久しく味わったことのない達成感に酔いしれた。
「最後の最後でわたくし、自分を取り戻せた気がします」
そう言って清々しい笑みを見せる。何のために生きるかは、何のために死ぬのかと同じ意味である。そうマレーネは悟ったのだ。
彼女はセネカの手に自分の手をそっと重ねた。
黄金色のヘビがマレーネに別れの一瞥を向けたあと、セネカの腕にスルスルと巻きつく。
「ハネツグなら大丈夫。私たちピクトリカの住人は死を目前にすると、少し未来が見えるのです。まあ迷信ですけど」
一瞬の笑みのあと、マレーネは真顔に戻ってセネカに顔を近づけた。その瞳はこわいほどに澄んでいる。
「もうすぐ彼に会える。抱きしめられたら、ちゃんと抱きしめ返すのよ」
言い終えると同時に乾いた破裂音が響いて、周囲に大量の絵具が飛び散った。全身に絵具を浴びたセネカは声にならない悲鳴を上げる。
マレーネが弾けた。死んだ。消失した。
私を…
私なんかを助けたせいで…
今から約百年前、オーストリア・ハンガリー帝国の国父フランツ・ヨーゼフ1世はウィーン大学医学部の講堂を飾る装飾画を象徴派の画家グスタフ・クリムトに依頼した。
彼は7年もの歳月を費やして名画「医学」を完成させるが、内容が死を強烈に印象づけるものであり、死に抗う医学とは相いれないとして契約は破棄、絵画はウィーン郊外にある古城へ移された。
一度は否定された「医学」だったが、その後の象徴派や耽美派といった新しい画風の隆盛にともない人気を博し、古城には多くのファンが訪れた。
ところが40年後の第二次世界大戦末期、ウィーンから退却するドイツ軍が古城に火をはなち、「医学」は古城もろとも灰燼に帰した。
そして「医学」の存在も徐々に人々の記憶から消えていった。
「医学」には生と死を繰り返す輪廻の柱を背景に、医学の女神が描かれており、彼女は手に再生をつかさどる金色の蛇をまきつけていたという。
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