第33話 恐怖に殺される
見わたす限りよりもっと向こうまで続く漆黒の世界で、ハネツグとガイセリクはゆっくり起き上がる。
ガイセリクは自分の身体をあちこち確かめてから満足げにうなずく。
封印されていたときはぼんやり光る骸骨だったが、今の彼は「ガイセリクの戴冠」に描かれた巨大さと筋肉の張りの尋常でない、完璧ともいえる身体で、まるでギリシア彫刻のようだった。
「ピクトリカでは身体を完全に取り戻した」
さて、と落ち着き払ってガイセリクは周囲に視線を巡らす。
「これは封印絵画であろう?自らを犠牲にして我をここに追い込んだことは天晴である。とはいえ、我を封印できるような画家などそうはいない。以前はダ・ヴィンチだったからやられたのだ」
ガイセリクの言葉に耳を傾けつつ、ハネツグは恐怖の予兆を探った。「闇の奥」に一度足を踏み入れたら恐怖が具現化して追いかけてくる。
抜け出るには恐怖を消し去らなければならない。
「何なのだこの絵は、暗いだけではないか。闇の迷路か?どこかに行けば出口があるのか。それとも合言葉か?答えろハネツグ」
掴みかかったガイセリクの手をスルリとかわし、ハネツグは彼の背後にまわってそのまま逃走しようとした。
しかしガイセリクの振り向きざまの蹴りに背中を撃たれて、前へ倒れ込む。衝撃でおもちゃみたいに吹き飛んで地面に叩きつけられた。
痛みで息も出ない状態だったが、なんとか起き上がり必死に前へと走り出す。恐怖が具現化するとかはとりあえず置いておいて、とにかくガイセリクから逃げないと。
そんな思いで必死に足を前へと動かし、ようやく速度が出てきたあたりで、突然、目の前にガイセリクが現れた。
追い抜かれた?
そんな気配はまったくなかった。ガイセリクはふたりいる。一瞬、ハネツグがそこまで考えるほどの速さ、視界が捉えられないほどの俊足。
次の手立てを考える間もなく、ガイセリクはハネツグの頬を殴りつけた。口と鼻から一気に血を噴き出して崩れかけたハネツグの首をつかんで軽々と持ち上げる。
「ここから出る方法を言え。貴様だって永遠にこのままでいようとは思っていないだろう」
ハネツグは残る力を振り絞って自分の首に巻かれたガイセリクの手から逃れようとするが、力の差は歴然でまったく功を奏さない。
「どうした、創生の海で我を組み伏したときより、弱くなっているではないか」
ピクトリカの血が流れているとかいっても、こいつには適わない。
「それともこの首をへし折って終わりにしてやようか? 」
もうだめだ、お終いだ。僕はガイセリクに殺される。
そう観念した直後だった。
ハネツグの理解は真実に到達した。
そして勝利を確信した。
「教えるよ。出る方法」
「早く言え」
「この絵に入ると恐怖が具現化する。そいつを倒せば出られる」
「ほう、そういう理屈の封印絵画か。して、その恐怖とやらはいつやってくる?」
「もう来てるさ、目の前に」
怪訝な顔をしたガイセリクだったが、すぐに口をほころばす。
「確かに、貴様にとって我は恐怖そのもの。そして貴様に我は倒せない。残念だったな」
ガイセリクは声を立てて笑った。
「……倒せる」
圧迫された喉から空気を送り出し、溢れる血の隙間から、ハネツグはなんとか言葉を吐き出す。
意外な発言に一瞬黙ったガイセリクが再び口を開こうとする前にハネツグはつづけた。
「なあガイセリク……おまえの恐怖は何だ?」
「恐怖だと?」
ガイセリクは眉を寄せ「不死の我にそんなものあるわけが……」と言ったあたりで、足元から微かな振動が生じた。
「僕と一緒に『闇の奥』に入ったんだ……おまえの恐怖も現れる」
振動がみるみる強まってくる。先ほどまで自信に満ちていたガイセリクの表情が、瞬く間に恐怖で歪む。
「僕の勝ちだ。おまえは恐怖に殺される。そうすれば僕はここから出られる」
ガイセリクはハネツグを無造作に放り投げた。そして上空に向かって叫ぶ。
「マレーネ、姿を現せ! アダマンチンの剣でこの絵に穴を穿て!」
地響きにも似た声が遥か下方から湧きあがり、空気を震わした。
……ようやく見つけたぞ、我が息子ガイセリク……。
「闇の奥」が大神を呼びよせた。




