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絵画大戦  作者: 式守伊之助
第4章 ヒエロニムス・ボス作「快楽の園」
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第19話 ハネツグの心の中

 気づくとセネカは教会の墓地にいて、クロガネの棺桶かんおけが地中に降りてゆく様をじっと見ていた。


 闇に飲まれる寸前、ここに移動できたのはクロガネを思い出したからだろう。別の記憶へ移動するってこういうことか。


 でも彼を思い出したのは助けてほしいからで、だったら生前の姿を思い出せばいいものを、そのへんを考慮する余裕がなくて、もっとも強烈だった死の記憶に移動してしまった。


 どうやら今回もセネカは17歳。じゃあハネツグは、と視線を泳がせると、当時10歳のハネツグが彼女のとなりに立っていた。


 仕立ての良い正装で姿勢をただし、じっと墓穴に降りるクロガネの棺を見ている。


「先生が死んで、悲しい?」


 セネカの問いにハネツグは棺をみたままこくりとうなずく。それから彼女を見上げ、


「セネカは?」

「もちろん悲しかった。でも心の中でお別れはすましていた。先生は病気で、さきが長くないと知らされてたんだ。ハネツグは知らなかったから、私よりもっと悲しいよね」


 そこでふとセネカは、ここの記憶に来る前に、ほんの一瞬頭を過った奇妙な映像を思い出す。彼女がマレーネの胸元に指をつけて奇妙な刻印を施すといった不気味な光景だった。

 あれは何だったのか?


「あれは君の身体がヒストリカで経験したことだ」


 口に出してない疑問にハネツグが答えた。


「あ、ヒストリカっていうのは君らの住んでる世界のことだ。そこで君の身体は別の者に使われている。しかし支配は完全じゃない。まだ繋がっているから身体の情報が送られてくる」


「あなた、ハネツグじゃないでしょ。誰なの? 」

「私は君と同じくガイセリクに身体を奪われた者だ。だいぶ昔にね。こうやってハネツグの身体を借りているのは、そうしなければ君と話すこともできないからだ」


「ちょっと待って」と、セネカはこめかみに指を当てながらまゆを寄せて、

「よく、というか、まったく理解できないんだけれど」


「君はハネツグを守ろうとして、後先考えずガイセリクの前に身を投じた」

「それ覚えてる。カウンター決めようとしてスカッとなって、目の前が真っ暗になって」


「結果、身体を奪われた」

「奪われたってどういうこと?」


「ヒストリカでは、あの骸骨、つまりガイセリクが君の身体を使っている」

「じゃあ、今のわたしは?この私」と自分の胸に手をやる。


「頭の中に閉じ込められていて記憶と共に忘却の闇に飲まれるのを待っている。飲まれたら終わり、本当の死だ」


 真剣な面持ちで語る10歳のハネツグとは対照的に、セネカは動揺も見せず「へえ、そう」とだけ答えた。


「淡泊な感想だね。結構あぶない状況なのだけれど」

「ハネツグは、彼は大丈夫なの?」


「ああ、君が身代わりになったから」

「そっかあ」と小さく言って「じゃあ、いいや」とほほ笑む。そんなセネカをハネツグは不思議そうに見上げた。


「いいや、とは?」

「無駄死じゃなかった。私の死には意味があった」


「いや、まだ死んでないから」

「でももうすぐ死ぬんでしょ?」


 これにはハネツグも困ったようで、腕を組んでしばらく難しい顔をしたあと、ぽんと手を叩き「これならどうかな」とセネカを指さした。


「ハネツグはセネカをヒストリカに戻すため、必死に君の身体を追っている」

「それは嘘、先生が亡くなってから、ハネツグは私から距離を置くようになった。彼にとって私とはクロガネ先生の生徒ってだけで、それ以上の意味はなかったんだ」


「人は開かれた本ではない。こうやってハネツグの身体にいると、君の想像とは全く違う感情が湧いてくる。彼はクロガネの死を君と分かち合い、できれば支えになりたいとさえ思ってる」

「だったらなぜ私を遠ざけようとするの?」


 ハネツグは「それはだねえ」と秘密めかした笑みを見せ、


「直接、本人に訊けばいい」

「それ無理でしょ。もう会えないし」


 項垂うなだれたセネカだったが、じきに、ん?と喉の奥で呟いた。そして前に向き直り、それからハネツグに再び目を落とす。


「わたし、戻れるの?」

「方法はある。失敗する可能性の方が断然高いけれど」


「失敗したら?」

「途端に消失するだろうね。それでもやるかい?」


「このままいてもジリ貧なんだし、もともと座して死を待つタイプじゃないから、可能性が少しでもあるなら賭けてみたい」

「ならば私も協力しよう」


「ありがたいけど、あなたは大丈夫なの?」

「私の事は気にしなくていい」


「じゃあ上手くいったら、今度はあなたの身体を取り戻しましょう」


 ハネツグはどう答えていいか分からないといった様子だった。


「あるんでしょ?身体」

「まあ、あるにはあるけれど」


 と、そこでハネツグは言葉を止めた。身体を動かさず、目だけ忙しなく動かして周囲を窺う。


「闇が、来る」


 セネカもあたりに目を凝らすが変化は見られない。どこまでもしめやかな葬儀の風景だ。


「どこも暗くなってないわよ」


 また記憶を消されちゃうのかな。

 そう思ったあと、なんで闇が記憶を消すという知識を知っているのかセネカは疑問する。おそらく消されたことがあるのだろうけれど、それがどんな記憶だったのか思い出せない。


 そういえば記憶を移動するという手段もいつ覚えたのだろう。


猶予ゆうよはない。君の身体を取り戻しに行くよ」


 ハネツグがセネカの手を握る。


「行くって」どこへ、と言う前に墓穴から黒い液体が間欠泉みたいに噴き出した。


 あっけにとられるセネカの眼前で、それは巨大な水柱を形づくり上空の高みに達してすぐ、急速旋回すると彼女を睨み下ろした。


 何か思い出さなくちゃ、別の記憶に行かないと闇に飲まれる。そう思った矢先、闇が斧のように一気に降ってきた。

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