第18話 名画紹介「快楽の園」
ひと言に絵画といっても様々なジャンルがある。
風景画、肖像画、宗教画、歴史画、戦争画、等々、描かれる対象によっていくつかに分類することができる。
今回紹介するヒエロニムス・ボスの名画「快楽の園」は聖書を題材にしているので宗教画に属するが、その表現は聖書の記述を凌駕し、画家ボスの脳内が創りだした蠱惑的な幻想世界へと見る者をいざなう。
「快楽の園」は3つのパネルに分割された祭壇画である。3つそれぞれに違う世界が描かれており左から右へと変化してゆく。
左のパネルはアダムとイヴの出会いをテーマにしている。場所はエデンの園で、中心に生命の泉が湧き、その向こう側では神の創造した動物たちが佇む無原罪の風景が広がる。
中央パネルに目を移すと、夥しい数の男女が裸体で戯れる快楽の園が描かれている。
直接の性描写はないものの、至るところに配置された苺や魚、ムール貝といったモチーフが快楽の園に集う人々の肉欲を表現している。
肉欲に溺れた者たちが流れつく先が右のパネルに描かれた地獄であり、この地獄の描写こそ元祖シュールレアリスト、ヒエロニムス・ボスの面目躍如である。
人体と動物、鎧、虫、などが融合した不気味でどこかユーモラスな魔物たちが罪人を拷問にかけている。
なかでも圧倒的なのは卵の殻に木の腕と人間の頭を生やした巨人「樹幹人間」の存在だ。このキャラクターこそボスの独創性が存分に発揮されている。
近年、樹幹人間について触れた不思議な文書が発見された。
「封印文書」と呼ばれるその文書は15世紀末に書かれたもので、差出人は書類王と呼ばれたスペイン王フェリペ2世、宛先はネーデルラント州(現在のオランダ)に住むヒエロニムス・ボス。
その内容についてだが、マドリード近郊で殻の身体に樹木の腕、人間の顔を持つ巨大な魔物の目撃情報が寄せられた。ガイセリクの残党と思われる。至急こちらに赴き絵画で封印してほしい、というものだった。
この信書は複数の大学で調査され、紙の素材や王の筆跡から本物と断定された。
問題の内容についてだが、すったもんだの議論の結果、ある種の精神的エクソシズムであるとの結論に至った。
すなわち、存在するはずのない魔物が見えるという共同幻覚に苦しむ患者たちから魔物の特徴を聞き、実際に描きだすことで絵画に封印して彼らの頭から消し去るという、いわば信仰と精神治療の融合を実践していたものと推測される。
これはボスが高名な画家であると同時に敬虔なカトリック信者であることが論拠となった。
とすると、ボスがカンバスに描いた魔物たちは彼の創造物ではなく、15世紀を生きた人々のパラノイアを今に伝える貴重な資料と言える。
また、だからといってボスの功績に傷がつくものでもない。患者の妄想を的確に描写し絵画という形あるものとしたのは、ほかならぬボスなのだから。
ただ信書の中にある「ガイセリクの残党」という記述については統一した解釈が得られていない。
一般にガイセリクといえば、5世紀にヨーロッパを荒らしまわったヴァンダル族の王ガイセリックを想像するが、信書は15世紀のものだから時代が離れすぎている。
一部の学者たちはここで「ガイセリク信仰説」なる新たな学説を立てた。ヴァンダル族の王は僭称ガイセリクであり、真のガイセリクは中世全般にわたり、厄災や不和を司る邪神として信仰されていた。
終わらない戦争と繰り返される魔女裁判、加えてペストの流行。ヨーロッパの人口を半分以下にした中世時代1000年間の支配者は、我々の知らない邪神ガイセリクだったのかもしれない。
当時流行った「メメント・モリ」なる文句も直訳「死を意識せよ」ではなく「死」は「ガイセリク」を暗示しており、「意識」は「信仰」の意味と超訳すれば、「ガイセリクを信仰せよ」と読み替えることが可能であると言って言えなくもない。
やがて時は下り、ルネサンスから絶対王政へと時代が進むにつれて、比較的平和な日々がやってくると、暗黒礼賛のガイセリク信仰は廃れていった。
だからフェリペ2世は「ガイセリクの残党」という言葉を選んだのだと「ガイセリク信仰説」の学者たちは力説した。
これには大抵の学者たちが異議を唱えた。ヴァンダル族がヨーロッパに侵入する以前から中世の終わりにかけて、ガイセリクなる邪神の信仰が存在していたなら、文献や偶像が発見されてしかるべきである。
そういった裏付けがひとつもない以上、ガイセリク信仰説は説得力を欠くと言わざるを得ない。
もっとも、歴史それ自体が相対的なものであり、我々の知らぬ間にこの世界が「ガイセリク信仰のあった世界」から「ガイセリク信仰のなかった世界」に変化していたなら理屈がとおるかもしれないが、さすがにそんなオカルトはありえない。




