第13話 ハプスブルクのマルガちゃん
「……姫さま」
ベラスケスが声をかける。マルガリータはこちらに気づくと大きな目になって、
「お、なんじゃぞろぞろと」
「先ほど王立植物園を散歩しておりましたら、偶然にもリザさまとナポレオンさまにお会いしまして」
「リザではないか!」
「マルガちゃん、久しぶりね」
マルガリータはカンバスから飛び降りてリザの前まで走り、彼女を笑顔で見上げた。
「まっこと久しぶりじゃあ、100年ぶりくらいかのう」と言ったあたりで、となりのハネツグに気づくと、彼の周りを回りながら少しの遠慮もなく眺めまわした。
「貴重な従者を連れておる。ヒストリカとピクトリカのハイブリッド従者じゃ」
マルガリータは右手をハネツグに向けてのばした。
「ほれ」
手の甲をせっかちに押し付けてくる。
「ほれほれ」
「……なに?」
「ほれっ!」
何かを催促しているのは分かるが、それが何か分からない。困惑したハネツグは助けを求めるようにリザを見た。
「片ひざをついて、自己紹介してから手の甲にキスするの」
言われたとおりの仕草をぎこちなくやってみた。
「僕の名前はハネツグ・ハイネッケ」
「わらわの名はマルガリータ・テレサ。誉れ高きハプスブルクの血族にして未来の神聖ローマ帝国皇妃じゃ。父君の祖先は代々スペイン王であり、母君の家系も代々神聖ローマ帝国皇帝を歴任しておる。弟はスペイン王で義兄はフランス王、またオーストリアの王家ともちょくちょく婚姻関係を結んでいてじゃな……」
自己紹介が長い。憶えられない。
「誰もが知るとおり、わらわの住む、ここ『宮廷の侍女たち』はスペインのみならず、全ピクトリカの頂点に立つ絵画である。高名並びなき『宮廷の侍女たち』の前では、どんな名画もみな等しく色あせる」と腰に手を当てながら居丈高に言ったあと、
「ハネツグにはわらわをマルガと呼ぶことを許可してやる。光栄に思え」
マルガリータは一瞬だけナポレオンを見た。すると彼が挨拶を口にするのも待たず背を向けた。
「して、ふたりともスペインに何しに来た?観光か?」
「私たち、マルガちゃんのコレクションに興味があって」
「なに!?まことか!」
すごい喰いつきだった。
……姫さまのコレクションを誉めちぎってから頼み事をすれば成功率が上がりますぞ……
ベラスケスの指摘どおりだ。
「マリア、イザベル。椅子を用意せよ」
ふたりの侍女が椅子を持ってきて、リザとハネツグに着席を促す。
「あのう、吾輩の椅子は……」
ハネツグは椅子にべったり腰かけて、ピクトリカ酔いをなんとかしようと何度か深呼吸してから顔を擦っていると、膝の上に柔らかな重みを感じた。
見下ろしたらド近くにマルガリータのつむじがあって、驚きのあまり「うおっ」と声をあげた。
「ふむ、なかなかの座り心地じゃ。わらわの椅子になる許可もくれてやる」
マルガリータは足をぷらぷらさせながら上機嫌に言った。
この感覚、経験あるぞとハネツグは思う。
以前、公園のベンチに座っていたら野良猫が勝手に膝の上でくつろぎはじめて、下手にどかそうとすれば爪が飛んでくるかもしれないし、嫌というわけでもないので、とりあえずそのままにしたあのときの感覚だ。
「ではさっそくご覧いただこう」
マルガリータが手を叩くと、侍女が絵画を運んでハネツグたちの前に置いた。
「先ずはこれ、同盟国スペインを訪れたアドルフ・ヒトラーがプラド美術館を貸し切り、恋人エヴァ・ブラウンと並んで『宮廷の侍女たち』を鑑賞する様子」
「エヴァがヒトラーの腕に自分の腕をからめてきて、躊躇いながらも受け入れるヒトラーのはにかんだ御面相がなんともキュートですなあ」
「まっことその通りじゃ。ヒストリカで殺戮の限りを尽くした男の顔ではない。チョビ髭すら可愛らしく見えてくる」
ヒトラーも自分が見ている絵画に逆に見られていて、あまつさえプライベートな瞬間を絵に描かれているなんて想像もしなかったろう。
「マルガちゃん、すごーい」
リザの作文でも読んでいるような棒読み歓声と機械的拍手。演技力は最低だが、彼女なりにマルガリータの機嫌を取ろうとする姿勢がうかがえる。
「次はこれじゃ」と侍女が運んできたのは「『宮廷の侍女たち』を模写するピカソ」。
「互いが互いを描いているという構図が絶妙ですなあ」
「でも出来上がった模写があまりに酷くて、ピカソは出禁、やつの絵画はすべてプラド美術館から追放してやった」
「普段温厚な私も、怒りのあまりピカソの頭を筆で小突いてやりました」
「同じ理由でダリも出禁な」
「あの模写も酷かったですなあ。普段温厚な私も、怒りのあまり奴の髭を引っこ抜いてやりました。こう、両方の髭を逆手で握って思いっきりブチッ! と」
その後もマルガリータは子供が自分のおもちゃを自慢するみたいに絵画を披露していった。
リザはその度に平淡ながらも絶妙な相づちを打ち、ハネツグのピクトリカ酔いはいよいよ深刻になっていった。
1時間ほど経過して痺れを切らしたリザが「マルガちゃん、そろそろ」と探るように言うと、
「おお、そろそろ一般来館者シリーズ行ってみようか」
「ええっと、そうじゃなくってね……」
マルガリータの合図でひときわ大きな絵画が運ばれてきた。
「まずはこれ、体重500キロのデブ! 」
素晴らしくどうでもいい絵が出てきた。
「これには私も度肝を抜かれました。あまりの巨大さで身体がどこから始まりどこで終わるのか分からなかったくらいです」
「ほかの来館者もわらわたちより彼をとっくり鑑賞していたからなあ。デブもここまでくると神話的な存在に見えてくる」
「あのう、マルガちゃん」
「ん、なんじゃ?フィールドワークシリーズの方がよいか」
「絵を見たいのは山々だけど、わたしたち、マルガちゃんに急ぎのお願いがあるの」
本題に入ろうとハネツグに目配せしたとき、リザはやっと彼が窮地に陥っていることを知った。
気分の悪さが頂点に達し、胃から逆流した物を口でどうにかせき止めている状態だった。
リザがなんとかせねばと立ち上がった時点で、ハネツグの口ははち切れんばかりに膨らみ、行き場を失った吐しゃ物が鼻からピッと噴出した。
「……ん?」マルガリータは手にかかった液体に気づき、どこから来たかと上を見た。
直後、耐えきれなくなったハネツグが口の中のものをぶちまけた。
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