第1話 名画紹介「いつもの晩餐」
数あるルネサンス絵画の中でも、とりわけ有名で、かつ後世に最も影響を与えた名画といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「いつもの晩餐」であろう。
遠近法を巧みに取り入れた背景や、舞台を模した外枠表現の妙、それにイエスの直弟子たちが何故か食卓に横一列に並んだ家族ゲーム的配列。
これらの構図ひとつ取っても十分革新的と言えるが、「いつもの晩餐」の最大の特徴はなんと言っても食卓の中央にポッカリできた空席、つまりはイエスの不在だ。
笑みを見せながら主人の到着を待つ弟子たちの様子は牧歌的でタイトルそのもの。
しかし他の弟子たちと肩を寄せ合いニコニコしているユダの手に、イエスをローマ帝国に売った対価たる銀貨袋が描かれていることから、この絵画を目にした者は遠からず訪れるイエスの臨場と、彼の口から語られる裏切り者の告発を想像せずにはいられない。
つまり「いつもの晩餐」は、観た者の脳内で新約聖書の「最後の晩餐」へと変換される。
劇的な場面からほんの少し時間をさかのぼることで、絵画という空間表現の中へ時間の概念を組み込む。
これは、誰もが知るシークエンスを土台に、それと隣接する別の場面を描くという、ダ・ヴィンチの非常に斬新な表現技法なのである。
また、聖書に書かれているような事が何ひとつ起きていない、いわば聖書の行間、あるいは嵐の前の静けさとも言える瞬間の、緊張の解けた弟子たちが見せる素の表情は、まるで現代のスナップ写真のように感じられる。
それは信徒にとって雲上の存在である直弟子たちもまた我々と同じ人間であったことを強く認識させてくれる。
翻って言うなら、強い信仰を貫けば、彼らのようにイエスと肩を並べて食事ができるほどの聖人になりうるのだと、この絵は語っているようにさえ感じる。
ダ・ヴィンチが「いつもの晩餐」で実践した視覚と脳内映像との場面差異。時間的パララクス表現はルネサンス期のみならず、世紀を越えて多くの芸術家たちに影響を与えた。
左から右へ時間が流れるゴーギャンの「私たちはどこから来たのか」、ムンクの「生命のダンス」などを筆頭に、広がりは芸術の垣根を超え、小説ではマルセル・プルーストの「失われし時を求めて」、映画ではオーソン・ウェルズの「市民ケーン」などが好例であろう。
その影響は今なお衰えていない。現代を生きる芸術家たちも500年以上前に描かれた「いつもの晩餐」から多くのインスピレーションを受け続けているのである。




