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昭和転生~異世界帰りの勇者、昭和の球児に転生する~  作者: 熊族騎士団長


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16/25

第16話:昭和の企業買収と、大賀ホールディングス

 1972年(昭和47年)。

 日本列島改造論が叫ばれ、狂乱物価とオイルショックの足音がヒタヒタと近づいていたこの年。俺、大神将太は11歳になり、小学校の最高学年である六年生に進級していた。

 世間を席巻した謎の天才覆面歌手『S』の活動は、現在完全に停止している。俺の目的はあくまで「メジャーの舞台に立つ事であり、音楽活動はそのための初期ブーストに過ぎなかったからだ。レコードの印税と著作権収入という「自動で金を生み出す金の卵」を手に入れた以上、これ以上目立つ必要はない。


 そして稼ぎ出した数十億円という莫大な資金と、底値で買った優良株の配当金を元手に、俺の計画は次なるフェーズ――「野球インフラの整備」へと移行していた。


 * * *


 side 黒川 彰 四十六歳 大賀ホールディングス代表取締役 (元税理士)


「……黒川社長。これで、傘下四社の登記手続きと、今期の事業計画書の決裁がすべて完了しました」


 神田にある自社ビルの最上階、広々とした社長室。

 秘書の報告を受け、私は革張りの椅子に深く腰掛けながら、分厚いファイルの束を見つめてため息をついた。


「ご苦労様。下がっていいよ」


 秘書が退室した後、私はデスクの上のネームプレートを苦々しい思いで撫でた。

 『大賀ホールディングス 代表取締役社長 黒川彰』。


 大賀おおが。それは、真の支配者である「大神おおがみ」から一文字を取って名付けられた、巨大な持ち株会社の名前である。

 会社の株式の八割は大神将(実質的には将太君)が所有し、残りの二割を私がストックオプションとして所有している。だが、大神社長は「俺は一生ニッカポッカの大工でいい」と表に出ることを頑なに拒否したため、身バレを防ぐために私が表向きの社長として登記されることになったのだ。


 元税務署の一介の税理士だった私が、今や数十億円の資本を動かすコングロマリットのトップである。人生とは何が起こるかわからない。

 そして、この巨大な企業群のすべての事業計画を、たった一人の「小学六年生」が立案しているなどと、世間の誰が信じるだろうか。


 コンコン、と控えめなノックの音が響いた。


「黒川さん、お疲れ様です。入ってもいいですか?」


 ドアを開けて入ってきたのは、長身の美少年だった。

 大神将太、11歳。

 底知れぬ少年。誰に対しても礼儀正しく、爽やかで、まるで名家の御曹司のような完璧な「好青年」......に見えるがその実、大人顔負けの知性と知略を隠し持っている老獪な子供。


「将太君。学校帰りですか、ご苦労様です」

「黒川さんこそ、社長業の激務、本当にありがとうございます。僕のわがままに付き合わせてしまって、申し訳ありません」


 将太君は、深々と、大人のような洗練された所作で頭を下げた。

 私は慌てて立ち上がり、彼をソファへと促した。この少年の「中身」が普通の小学生ではないことは、もう嫌というほど思い知らされている。


「とんでもない。私の報酬も破格の額(株の配当含め)をいただいていますし、何より、将太君の描くビジネスモデルは、経営者として震えが来るほど面白いですからね」


 私は、四つの事業ファイルを開いた。


「将太君の指示通り、既存の企業を買収・再編し、大賀ホールディングスの傘下に四つの会社を設立しました。……しかし、改めて聞きたいのですが、なぜこの四事業なのですか?」


 一つ目は、『大賀ビバレッジ(飲料会社)』。

 将太君が独自に配合を指示した「体液に近い浸透圧の塩分と糖分を含んだ水」――いわゆるスポーツドリンクを製造し、『バテない飲料水』として販売を開始している。


「黒川さん。今の日本のスポーツ界は『練習中は水を飲むな』という狂った根性論が支配しています。でも、それは医学的に完全に間違いです。水分とミネラルを補給しなければ、選手の体は壊れます。今はまだ売れなくても、必ず数年後にスポーツ科学の時代が来ます。その時、この市場は我々が独占します」


 二つ目は、『大賀スポーツ(野球用具会社)』。

 製造しているのは、分厚いクッション材を入れたキャッチャーの防具、打者用のスネ当て(エルボーガード)、フットガード、さらには耳の横まで保護するフェイスガード付きのヘルメット、盗塁時の指の骨折を防ぐスライディング用手袋などだ。


「これも同じです。今のペラペラの防具では、デッドボール一つで選手生命が終わります。安全第一。特に、将来僕の弟(直継君)や僕自身がプロの舞台で戦う時、怪我で人生を棒に振るリスクを、自社の最高品質の防具でゼロにしたいんです」


 将太君は、淀みなく、恐ろしいほどの説得力で語る。


「三つ目の『大賀マテリアル(貴金属会社)』は?」

「タングステンの掌握です。タングステンは金とほぼ同じ比重を持ちながら、非常に硬いレアメタルです。これを野球の防具のジョイント部分や、バットのウェイトバランス調整に使います。……それに、いずれ電子産業や軍需産業の要として、タングステンの価値は跳ね上がります。今のうちに鉱山や輸入ルートの利権を押さえておくべきです」


 ただの野球道具のためだけでなく、数十年先の世界情勢(半導体需要など)まで見据えた投資。私は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


「最後、四つ目の『大賀モータース(自動車製造会社)』。マイクロバスや大型バスを専門に製造していますが、将太君の指示した『超高機能バス』の開発には、技術者たちが頭を抱えていますよ」

「トイレ完備、フルフラットになる独立シートの大型移動バスですね」


 将太君は、ニコッと無邪気に笑った。


「野球の遠征は、移動が一番体力を削られます。将来、僕が日本のプロ野球を足掛かりにするか、あるいは弟が遠征する時、バスの中で完全に熟睡して疲労を回復できる環境が必要なんです。これも、僕の『野球環境の整備』の一環です」


 スポーツドリンク、安全防具、素材の独占、そして究極の移動手段。

 すべてが、「大神将太が最高のコンディションで野球をするため」という、極めて個人的な目的のために設立された企業群だった。

 だが、その個人的な目的が、結果的に時代を先取りし、巨大なビジネスチャンスを生み出そうとしているのだ。


「……将太君。あなたは本当に、ただの小学生なのですか?」

「ええ。野球と、家族と、黒川さんのことを心から信頼している、ただの野球少年ですよ」


 将太君は、底知れぬ深さを持った瞳で私を見つめ、静かに微笑んだ。


 * * *


「……石油、ですか、次は」


 神田の自社ビル最上階。社長室の重厚なデスク越しに、私は思わず呆れたような声を漏らしてしまった。

 目の前のソファには、学校帰りに立ち寄ったという、美少年――大賀ホールディングスの実質のオーナーである将太君(11歳)が、行儀良く座っている。


「はい、黒川さん。いつも本当に社長業の激務、ありがとうございます。お疲れではありませんか?」

「え、ええ。お気遣いありがとうございます、将太君。……ですが、石油開発というのは、今までの事業とは桁が違います。文字通りのギャンブルですよ。大手資本が何百億と注ぎ込んでも、一滴も出ずに終わることなどザラにある世界です」


 将太君は、子供らしい爽やかな笑顔のまま、スッと一枚の地図を机の上に置いた。

 それは、新潟県の沖合、日本海側の海図だった。一箇所に、赤いペンで丸印がつけられている。


「大賀ホールディングスの傘下に、新たに『大賀重工・エネルギー』を設立してください。そして、この海域の採掘権を買うんです。……ここは昔、大手の石油会社が試掘して『枯渇している』と判断し、手放した放棄鉱区です。だから、格安で買えるはずですよ」


「放棄された鉱区……? なぜそんな無駄なところを。......また、将太君の父親譲りの『勘』ですか?」


「ふふっ。僕、最近よく夢を見るんです。あの海のずーっと深いところに、真っ黒なドロドロの液体が、いっぱい眠ってる夢を。……それに、これから先、日本は必ずエネルギーの壁にぶつかります。自前の石油を持っておいて、損はないはずですよ」


 将太君は、誰に対しても腰が低く、礼儀正しい好青年だ。

 だが、その瞳の奥には、すべてを見通しているような恐ろしいほどの深淵が広がっている。私は、この少年の「夢」や「勘」が、ただの思いつきで終わった例を一つも知らない。


「……一箇所だけ、ですね。あまり手広くやって国や大手に目をつけられても面倒ですから、あくまで『細々と試掘事業を始める』という名目で、ダミー会社を通じて権利を押さえましょう」

「ありがとうございます、黒川さん! 頼りにしています!」


 将太君は、パッと顔を輝かせて深々と頭を下げた。

 中身が90歳の老練な魂だとは知る由もない私は、その純真な笑顔に少しだけ毒気を抜かれながら、すぐに新会社の設立と採掘の手配に取り掛かったのだった。


 * * *


(よし。これでエネルギー問題はクリアだ)


 黒川先生の社長室を後にした俺は、心の中でガッツポーズをした。

 適当に「夢を見た」と誤魔化したが、当然そんな不確かなものではない。俺は先週末、新潟の海まで遊びに行き(父に頼み込んでドライブに連れて行ってもらった)、勇者の魔法である『超広域透視クレヤボヤンス』を使って、地下数千メートルの地層を物理的に「覗き見」してきたのだ。

 かつて大手が試掘した層のさらに奥深く、強固な岩盤の下に、莫大な量の超高品質な原油が眠っているのを、俺の眼は確かに捉えていた。一箇所に絞ったのは、世界中の油田を掘り当てて悪目立ちし、国の管理下に置かれるのを防ぐためだ。


 なぜ、今になって石油なのか。

 それは、数ヶ月後に勃発する第四次中東戦争と、それに伴う『オイルショック(石油危機)』に備えるためだ。

 原油価格は高騰し、日本中がトイレットペーパーの買い占めに走り、企業は倒産し、狂乱物価が襲い来る。その地獄の状況下で、自前で石油を産出できる企業の価値は、天文学的な数字に跳ね上がる。

 大賀ホールディングス傘下の大神モーターズでも大型バスを走らせるためにガソリンが必須なので、石油の高騰は死活問題なのだ。


 * * *


 side 村田 採掘現場責任者


 昭和47年、夏。

 新潟沖合の海上プラットフォーム。

 俺たち大賀エネルギーの採掘チームは、半ば呆れながらボーリングのドリルを回し続けていた。


「おい、本当にこんなとこから油なんて出るのかよ。大手が何十億もかけて諦めた場所だぞ」

「新興の会社の社長が、占い師にでも騙されたんじゃねぇのか? まあ、給料さえ出りゃいいけどよ」


 職人たちが愚痴をこぼす中、指定された深度の岩盤をドリルが貫いた、その瞬間だった。


 ゴゴゴゴゴゴゴッ……!!


 プラットフォーム全体が、激しい地震のように揺れた。

 パイプの圧力計の針が、異常な速度で振り切れる。


「な、なんだ!? 圧力が……!」

「退避しろ!! 噴き出すぞ!!」


 ドバァァァァァァァッッッ!!!


 パイプのバルブから、空高く、真っ黒な液体が轟音と共に噴き上がった。

 海上プラットフォームに降り注ぐ、黒い雨。

 それは、強烈な硫黄と炭化水素の匂いを放つ、紛れもない「黒い黄金」だった。しかも、不純物の極めて少ない、最高品質の軽質原油だ。


「……出た。本当に出やがった……!」


 俺は、顔を黒く染めながら、天高く噴き上がる石油の柱を、ただ呆然と見上げていた。

 後に『大賀・新潟第一油田』と名付けられるこの油井は、日本のエネルギー史において、信じられないほどの奇跡の採掘量(しかもたった一箇所で)を叩き出すことになる。


 * * *


 side 長谷川 通商産業省(現・経産省) 資源エネルギー庁官僚


「……なんだと? 大賀ホールディングスという名も知らぬ新興企業が、新潟沖で自噴するレベルの巨大油田を掘り当てただと?」


 霞が関の執務室で、俺は部下からの報告書を読み、耳を疑った。

 昭和47年秋。中東情勢が悪化し、いよいよ日本にオイルショックの危機が現実味を帯びてきた矢先のことである。


「はい。しかも、産出される原油は中東産を凌駕する超高品質。現在の日本の原油輸入量の一部を代替できるほどのポテンシャルを秘めています」

「馬鹿な……。なぜ、そんな巨大な権益を、大手の石油元売りでもなく、財閥系商社でもなく、昨日今日できたような企業が独占しているんだ!」


 俺は苛立ち紛れにデスクを叩いた。

 大賀ホールディングス。社長は元税理士の黒川彰。調べれば調べるほど不気味な企業だった。

 奇妙なスポーツドリンクを作り、異常に頑丈な野球防具を作り、さらにはタングステンの利権を漁り、トイレ付きの豪華バスを作っている。事業に全く一貫性がない。

 だが、その裏には常に「底知れぬ莫大な資金力」と「時代を完全に見透かした先見性」が存在していた。


「……すぐに黒川という社長を呼び出せ。これは一企業の利益に留めておくべき問題ではない。国策として、その油田の権益を国主導の公団、あるいは大手資本に接収……いや、共同開発という名目で管理下に置くんだ」


 国を動かす官僚としての、当然の判断だった。

 だが、この後、我々は思い知ることになる。大賀ホールディングスの社長・黒川彰という男の、そしてその背後にいる「本物の化け物」の恐ろしさを。


 * * *


 side 西園寺 大手財閥系重工メーカー役員


「……大賀重工・エネルギー。忌々しい名前だ」


 丸の内の高級クラブで、俺は葉巻を燻らせながら舌打ちをした。

 オイルショックの嵐が日本を吹き荒れていた。トイレットペーパーは店頭から消え、ネオンサインは消灯し、テレビの深夜放送も休止に追い込まれた。狂乱物価によって、我が財閥の工場も稼働を縮小せざるを得ない状況に陥っていた。

 だが、あの『大賀ホールディングス』だけは違った。


 彼らは自前の油田から産出される原油を背景に、全くダメージを受けていなかった。それどころか、独自に精製ルートを確保し、自社のバス工場(大賀モータース)や物流網に独自の燃料を供給し、完全な独立経済圏を築き上げていたのだ。


「西園寺常務。大賀の黒川社長に、我がグループへの吸収合併、あるいは油田の権利の過半数譲渡を持ちかけましたが……鼻で笑われました」

「小賢しい成り上がり者が……。政治家を使って圧力をかけろ! あんな得体の知れない企業に、日本のエネルギーの喉元を握らせておくわけにはいかん!」


 俺たち日本の既得権益の頂点に君臨する財閥にとって、大賀のような制御不能な異物イレギュラーは、決して許してはならない存在だった。


 * * *


 side 黒川 彰 大賀ホールディングス代表取締役


「……ふふっ。官僚も、財閥の重役連中も、必死ですね」


 神田の社長室。

 私は、国や大手企業から毎日のように届く「買収」「業務提携(という名の乗っ取り)」「行政指導」の書類の束を、ゴミ箱へと放り投げた。

 彼らはオイルショックのパニックに乗じて、我々の油田を奪おうと躍起になっている。


「黒川さん、大丈夫ですか? なんだか怖い人たちがいっぱい来てるみたいですけど……」


 ソファでお茶を飲んでいた将太君が、少しだけ心配そうに――しかし、完全に余裕のある好青年の笑顔で尋ねてきた。


「ご心配なく、将太君。私は税理士であり、法律と契約のプロです。彼らがどれだけ圧力をかけてこようが、法的に我々の権益を奪うことは不可能です」


 私は眼鏡を押し上げ、冷酷な笑みを浮かべた。


「それに、ただ突っぱねるだけではありません。私は、産出された原油の一部を『適正価格』で国に融通する契約を、裏で内閣府と直接結びました。パニックを起こしている国民生活の安定に寄与する『愛国企業』としてのポーズをとったのです。これで、通産省や財閥が我々を強引に潰そうとすれば、国民の反発と政治的スキャンダルを招くことになります。大賀ホールディングスは、すでに『不可侵の聖域』です」


「すごい……! さすが黒川さん! 僕、黒川さんに社長をお願いして本当に良かったです」


 将太君は、パチパチと拍手をして、尊敬の眼差しを向けてくれた。

 私は、この少年の期待に応えられたことに、経営者として最高の充足感を感じていた。

 ……だが、私は一つだけ、将太君に聞いてみたかったことがあった。


「将太君。一つだけ、質問してもいいですか」

「はい、何でしょう?」

「なぜ、あなたはこれほどまでに巨大な企業を作り、莫大な富を築いているのですか? 十万人に一人の天才歌手としての才能も持ちながら、音楽業界もあっさりと捨てた。……あなたの本当の目的は、一体何なのですか?」


 私が問うと、将太君はキョトンとした顔をした後、恥ずかしそうに頭を掻いた。


「えっと……それは」

「それは?」


「僕が将来、メジャーリーグの球団を買うためのお小遣い稼ぎと、後は思い切り野球の練習をして、疲れた時に広いバスで寝るため……ですかね?」


「…………は?」


 私は、自分の耳を疑った。

 石油を掘り当て、国や財閥と渡り合い、日本経済に風穴を開けた理由が。

 「自分が野球をやるための環境整備」だと?


「あ、あと、父さんと力也兄ちゃんと直継に、美味しいお肉をいっぱい食べさせてあげるためです!」

「…………」


 私は、絶句した。

 誤魔化しではない。おそらく本気で主な目的がそれなのだ。

 この少年のスケールは、狂っている。狂っているがゆえに、既存の大人たちのちっぽけな権力闘争など、彼にとっては文字通り「お遊戯」に過ぎないのだろう。


 * * *


 side 大神 将


「おい力也! そっちの梁、もうちょっと右にずらせ!」

「はいっ、社長!」


 炎天下の建設現場。

 俺と力也(二十六歳)は、汗と埃に塗れながら、相変わらずボロボロのニッカポッカで木材を担いでいた。

 世間から見れば、俺たちは「腕はいいがちっとも儲かっていない、下町の貧乏大工の親方と、その養子の若い衆」である。

 だが、俺の銀行口座には、大賀ホールディングスの筆頭株主としての莫大な配当金が毎月雪崩れ込み、資産はすでに何十億という途方もない額に達していた。


「しゃ、社長……。今日、黒川先生から送られてきた事業報告書、見ましたか?」


 休憩時間。日陰で麦茶を飲みながら、力也が小声で話しかけてきた。

 力也は俺の養子(戸籍上の息子)であり、夜の四畳半では俺の最愛のパートナーでもある。俺の秘密はすべて共有している。


「ああ。将太の奴、また新しい会社を作ったらしいな。スポーツドリンクだの、便所付きのバスだの、石油だの……」

「将太、本当にどうなっちまうんでしょうか。俺たち、いつまで貧乏大工のフリを続けてればいいんです?」


 力也の不安そうな顔に、俺は苦笑してその角刈りの頭を撫でてやった。


「いいじゃねぇか。俺たちは、釘を打って汗水垂らしてる時が一番生き生きてる。金なんて、あいつらがでっけぇ夢を掴むための道具に過ぎねぇんだ」


 幸子の霊(実は将太の魔法だが)の教えに従い、俺たちは極端なまでに嫉妬を恐れ、質素な生活を貫いていた。

 大神家が裏でどれだけ巨万の富を築き上げようと、俺の役目は変わらない。子供達が帰ってくる「普通の家」を守り、時折銀座で変装して極上の肉を買い出しに行き、腹いっぱい食わせてやることだ。


「俺にはお前さえいれば......(ぼそっ)。だが、お前は働きすぎだ。今夜は俺が肩揉んでやるよ」

「えっ……あ、はい。……お、お願いします」


 力也が顔を真っ赤にして俯く。

 俺たちの絆は、この昭和の激動の中でも、誰にも知られることなく熱く強固に結ばれていた。


 * * *


「今日もよろしくお願いします」


 黒川社長との打ち合わせを終え、神田のビルを出た俺は、迎えに来ていた黒塗りのハイヤーの運転手に丁寧にお辞儀をした。

 誰に対しても腰が低く、礼儀正しい好青年。それが、俺の表の顔だ。

 傲慢な天才は足をすくわれる。俺は11歳にして、前前世の社畜生活で学んだ「愛嬌と謙虚さ」全開で完全武装していた。


 ハイヤーを降り、江東区の下町に入る手前で、俺はいつものように高級な服を脱ぎ捨て、着古したTシャツと短パンに着替えた。

 大賀ホールディングスの実質的オーナーから、ただの野球少年・大神将太への帰還だ。


「兄ちゃん! おかえり!」


 空き地で、江東ジュニアのユニフォームを真っ黒にした直継が、素振りをしながら待っていた。


「おう直継。スイングの軌道、またダウンスイングに戻ってないか?」

「えへへ、監督に怒られちゃうから、チームでは上から叩いてるよ。でも、しょーちゃんの前では下からカチ上げる!」


 直継の笑顔に、俺は満足げに頷いた。


 高度経済成長の総仕上げと、来たるべき不況の波が交差するこの時代に。

 俺はグローブをはめ、直継に向かって「来い!」と大声を上げた。栄光の未来の為の基礎工事は着々と進んでいる。

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