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昭和転生~異世界帰りの勇者、昭和の球児に転生する~  作者: 熊族騎士団長


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第13話:「S」狂騒曲編その2 昭和の秘密録音と、天才覆面歌手の誕生

 1971年(昭和46年)。

 フォークソングが若者の心を捉え、ラジオから流れる四畳半の哀愁や反戦のメッセージが、学生運動の熱から覚めつつある日本に静かに浸透していた時代。

 神田にある黒川税理士事務所の応接室で、所長の黒川は、机の上に置かれたボストンバッグを険しい目で見つめていた。


「……大神社長。あなたの会社が好調なのも、個人的な株の資産が天文学的な数字に膨れ上がっているのも承知しています。ですが、これはいくらなんでも……」


 ボストンバッグの口からは、帯封のつかれた一万円札の束がゴロゴロと顔を覗かせていた。ざっと見積もっても五百万円はある。当時の大卒初任給が五万円程度の時代である。家が余裕で一軒建つ大金だ。


「すんません、黒川先生。でも、どうしても将太のギターの音を、レコードってやつに残してやりてぇんです」


 ボロボロのニッカポッカ姿の大神将(32歳)が、深く頭を下げた。


「あの夜、将太が歌った歌を聴いて……俺も力也も、一晩中泣き明かしました。あいつの頭の中には、俺たちみたいな教養のねぇ大工には到底理解できないような、すげぇもんが詰まってるんです。……それに」

「それに? また、例の『勘』ですか」

「......はい。どうかお願いできませんか?」


 黒川は、深々とため息をつき、眼鏡を押し上げた。

 この数年、大神将の狂気じみた直感は、ことごとく当たってきた。底値で買った株は莫大な富を生み、彼が避けた現場では必ず事故が起きる。黒川自身、合理主義者でありながら、大神の背後にいる見えない力(それが幸子の霊という名の将太魔法なのは知る由もないが)を信じざるを得なくなっていた。


「……わかりました。お引き受けしましょう」

「本当ですか! ありがとうございます、先生!」

「ただし、私が手配する以上、ただの自費出版の記念品で終わらせるつもりはありません」


 黒川の目に、元税務署員としての、いや、敏腕プロデューサーのような鋭い光が宿った。


「十歳の子供が、自作の曲を高度なギターテクニックで弾き語る。しかも顔と名前は完全非公開。……売り出し方によっては、強烈な話題性を持ちます。私が懇意にしている、口の堅いインディーズのレコード制作会社と、最高の音響設備を持つスタジオを手配しましょう。金に糸目はつけませんね?」

「はい! いくらかかっても構いません!」


 こうして、黒川の獅子奮迅の裏工作が始まった。

 スタジオの貸し切り、プレス工場との秘密保持契約の締結、そして録音当日のスタッフの厳選。一切の妥協を許さない黒川の采配により、プロジェクトは極秘裏かつ急速に進められていった。


 * * *


 side 矢島レコーディング・エンジニア


 六月某日。都内の地下にある高級レコーディング・スタジオ。

 俺はコンソール・デスクの前に座り、不機嫌にタバコを吹かしていた。


(まったく……黒川の旦那の頼みとはいえ、金持ちの道楽に付き合わされるこっちの身にもなってほしいぜ)


 聞けば、「十歳の子供の弾き語りを録音して、自費出版のレコードを作る」という。

 俺はこれまで、数々の大物歌手や流行のフォークシンガーの録音を手がけてきた、自負のあるエンジニアだ。素人の子供の学芸会もどきを録るために、こんな最新機材の揃ったスタジオを一日貸し切るなど、機材への冒涜にすら思えた。


 やがて、分厚い防音扉が開き、黒川の旦那に連れられて、「歌手」が現れた。


「……は?」


 俺はタバコを落としそうになった。

 そこに立っていたのは、確かに小学生くらいの少年だったが、その出で立ちが異常だった。

 身長はすでに160センチ近くあり、手足が長く、恐ろしく整った顔立ちをしている。だが、何よりも目を引いたのは、その少年が抱えているギターだ。


(おいおい……あれ、マーティンのD-45じゃねぇか……! プロでも滅多にお目にかかれない、超最高級品だぞ!)


 少年は、落ち着き払った足取りで録音ブースに入ると、ヘッドホンを首にかけ、マイクの前に丸椅子を引き寄せて座った。

 俺はマイクのトークバックのボタンを押した。


「えー、ボクちゃん。マイクに近すぎると音が割れちゃうから、少し離れてね。準備できたら、テキトーに弾き始めていいから」

「……はい。よろしくお願いします」


 少年が、静かに答えた。その声の低さと落ち着きに、少しだけ違和感を覚える。

 少年――大神将太は、マーティンを構え、ふぅっと短く息を吐いた。


 次の瞬間だった。


 チャッ、ドンッ! ジャカァッ……!!


「なっ……!?」


 俺は、コンソールのメーターが振り切れるのを見て、慌ててフェーダーを下げた。

 いや、音量の問題ではない。

 なんだ、今の音は。

 少年は、ギターの弦を弾きながら、同時に右手の手のひらでギターのボディを叩き、バスドラムとスネアドラムのような重低音と鋭い打撃音を正確に刻んでいた。

 スラム奏法。1971年の日本では、一部の変態的な凄腕の外国人ギタリストがこっそり使うかどうかの、未知の特殊奏法だった。

 それを、十歳の子供が、いとも軽やかに、完璧なグルーヴで叩き出しているのだ。


「♪……嘘ならばどれほど 救われたことでしょう……」


 少年の口から紡がれた歌い出しに、俺の全身の鳥肌が総毛立った。

 小学生特有の高い声変わり前の声ではない。魔法で声帯すらコントロールしているのかと錯覚するほどの、哀愁と艶を帯びた、むせび泣くようなハスキーボイス。


「♪……今だにあなたの 影を追いかけてしまう……

   二度と戻らない 平穏な日常のなか……」


 麦原 賢一『Citron』の昭和フォークアレンジ版。

 メジャーセブンスやアドナインスといった、当時の単純なスリーコード主体の日本のフォークソングにはあり得ない複雑な和音進行。それに加えて、言葉を細かく刻むR&B的なアプローチのメロディラインが、アコースティック・ギター一本と少年の声だけで、スタジオの空気を完全に支配していく。


「♪……雨が降っても 風が吹いても……

 あの日と同じ 香りがしている……」


 跳躍する独特のメロディが、圧倒的な肺活量と正確なピッチで歌い上げられる。

 俺は、タバコの火が指先まで燃え尽きていることにも気づかず、ただコンソールの前で石像のように固まっていた。

 後ろのソファに座っていた黒川の旦那も、そして少年の父親だという大柄な男も、完全に言葉を失い、目頭を押さえている。


 一曲目が終わり、D-45の豊潤な残響がブース内に溶けて消える。

 スタジオ内は、水を打ったような静寂に包まれた。


「……えっと。今の感じで、次行っていいですか?」


 トークバックから聞こえてきた少年の無邪気な声に、俺はようやく我に返った。


「あ、ああ……! い、いける! いつでもいけるぞ!!」

「じゃあ、二曲目。ちょっとテンポ落とします」


 少年が、今度は優しく、爪弾くようにアルペジオを奏で始めた。

 先ほどのパーカッシブな演奏とは打って変わって、流れるような、しかし一音一音に魂がこもったような繊細なタッチ。倍音豊かな弦の響きが、ノイマンのマイクを通して極上の温もりを持ってコンソールへ流れ込んでくる。


「♪……なぜ、巡り逢うのかを......僕らは、知らずに……」


 北条 ゆい『結』の昭和アレンジ版。

 人と人との巡り合わせ、運命の糸を紡ぐようなその歌詞、どこか日本の伝統的なヨナヌキ音階を彷彿とさせつつも洗練されたメロディは俺の心を、激しく揺さぶった。


「♪……縦の絆はあなた……横の絆はわたし……

   巡り逢う不思議を……人は、「結び」と呼ぶのでしょう……」


 言葉のひとひらが、温かい毛布のように聴く者の心を満たしていく。

 コントロールルームの後ろで、将が「うぅっ……幸子ぉ……っ」と顔を覆って泣き崩れた。

 俺自身も、視界が滲んでコンソールのVUメーターが見えなくなっていた。

 エンジニアとして何百という歌手の歌を聴いてきたが、こんなにも心が震え、魂を直接撫でられるような歌声は初めてだった。


 そして、三曲目。


「♪……風に吹かれて砂が舞い踊る……見慣れたこの街もどこか他人の顔……」


 渚のセブンスターズの『蒼い衝動』のアコギ弾き語りアレンジ。

 切なくも壮大なメジャーバラードのコードストロークに乗せて、少年は力強く、そして海の底から湧き上がるような情念を込めて歌い上げる。


「♪……寄せては返す愛の衝動に……

   飲み込まれていくこの心、ごと……」


 サビの直前、少年がギターのボディを強く叩き、一瞬のブレイクを作る。その無音のコンマ数秒が、聴く者の心臓を鷲掴みにした。


「♪……めぐり逢えた、その奇跡を......

  抱きしめていたい、震える肩を......」


 圧倒的なサビの爆発力。ギター一本だというのに、まるで背後に壮大なストリングス・オーケストラを従えて歌っているかのような、とてつもない音圧と表現のダイナミクス。ファルセット(裏声)と地声をシームレスに行き来する高度なボーカルテクニックは、1971年の日本の音楽界には存在すらしていない次元の代物だった。


 録音がすべて終わった時、俺は無意識のうちにコンソールの前で立ち上がり、ガラス越しのブースに向かって、一人で拍手を送っていた。

 手のひらが痛くなるほど、強く、何度も。


 * * *


 side 黒川


「……矢島さん。プロの耳から聴いて、どうですか」


 録音を終え、大神社長と将太君が休憩に出ている間、私は涙で曇った眼鏡をハンカチで拭きながら、エンジニアの矢島さんに尋ねた。

 矢島さんは、震える手で新しいタバコに火をつけ、深く煙を吐き出した。


「……黒川さん。あんた、とんでもないバケモノを連れてきたな」

「バケモノ、ですか」

「ああ。あのギターのテクニック、今の日本のプロのスタジオミュージシャンが束になっても敵わねぇ。それに、あの曲だ。コード進行もメロディも、既存の日本の歌謡曲やフォークのセオリーから完全に外れてるのに、なぜか日本人の心のど真ん中に突き刺さってくる。……あれ、本当にあの子が全部一人で作ったのか?」

「……ええ。本人は『遊びで作った』と言っていましたがね」


 矢島さんは、天を仰いだ。


「売れる。売れるなんてもんじゃねぇ。あの三曲のマスターテープは、時代を変えるぜ。……だが、黒川さん。本当に顔も名前も出さねぇつもりか?」

「大神社長の強い意向ですから。名前はアルファベットの一文字『S』。年齢不詳、顔写真なしの覆面シンガーとして、インディーズのルートから密かにレコードを流通させようと思います」

「もったいねぇが……いや、逆にそれが伝説になるかもしれねぇな。『この魂の歌声の主は誰だ』って、世間が放っておかねぇよ」


 私は深く頷いた。

 大神社長の莫大な資産は、これからさらに盤石なものになるだろう。将太君のレコードの印税は、黒川税理士事務所が設立するダミー会社を通じて、大神家の口座に安全に還流される仕組みをすでに構築してある。


(……将太君。君は一体、何者なんだろうね)


 防音扉が開き、「おつかれさまですー」と無邪気な笑顔で戻ってきた十歳の少年を見つめながら、私は底知れぬ畏怖を感じていた。


 * * *


(よっしゃ。完璧に録れたな)


 スタジオのソファで、父が買ってきた三ツ矢サイダーを飲みながら、俺は内心でガッツポーズをしていた。

 『身体強化』魔法による正確無比なギタープレイと、魔法による『声帯操作』の未来の大物アーティストたちの歌唱法の完全トレース。

 それに加えて、未来のメガヒット曲のメロディライン。売れないわけがない。

 父と力也が、まだ目を赤くして俺を神様でも見るような目で見つめている。


「将太……お前、本当にすげぇよ。とーちゃん、一生お前のレコード聴いて生きていけるよ」

「俺もっす……将太君、凄すぎます」


「二人とも大げさだよ。ただの遊びだってば」


 俺は照れたように笑いながら、サイダーを一気飲みした。

 レコードのプレスや流通の手配は、すべて有能な黒川先生がやってくれる。俺はただ、覆面歌手『S』として印税が振り込まれるのを待てばいいだけだ。


 昭和46年。

 俺の輝かしい未来への資金の新たなる強力な柱となる、三曲入りのEP盤レコード『追憶の欠片』は、こうしてひっそりと、しかし確実に、日本音楽史にその名を刻むための産声を上げたのだった。


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