第8話 天才少女
同至川市――。本部からバイクで2時間、茅間家とは本部を挟んで反対側に位置する。そこは若者に人気の街で、遊園地やショッピングモール、水族館など、レジャー施設が満載だ。中心地に執行庁の支部があり、第1級執行者の紅露さんはそこを拠点としている。ちなみに、あの男と違って家ではないことは予め確認済みである。
支部に辿り着くと、当然路駐することはなく専用の駐車場にバイクを停めた。イタズラされることは滅多に無いが、駐車場があるとやっぱり安心できる。
「広いね〜、学校より大きいよ」
本部ほどではないが、宿舎や病棟も揃っており不自由はしない。更に周辺施設が充実してるため女性執行者には大人気の支部だという。
中央の四階建ての建物へ入り、エントランスの受付で手続きを済ませる。現在、紅露さんは食堂で昼休憩しているようだ。休憩中で申し訳ないが挨拶だけでも済ませておこう。
――エレベーターを使って食堂に入り、辺りを見渡すが……そもそも私は彼女の顔を知らなかった。ただ彼女の経歴は、執行者の中で知らない人はいないほど有名だ。
12歳という最年少で執行者試験に合格した逸材。執行者試験には年齢制限が無いため、例え未成年でも合格すれば執行者として勤めることが出来るのだ。彼女が合格したのは9年前。今でもその記録は塗り替えられていない。現在の年齢は21歳だから、きっと聡明な女性なのだろう。
ちょうど通りがかった第2級の女性に声をかけて、彼女の居場所を聞いてみることにした。
「お疲れ様です、今日から配属されました第3級の御代マキナです。よろしくお願いします」
「ああ、あなたが例の……。マキナかぁ……じゃあマッキーだねっ!」
初対面なのにいきなりあだ名を付けられる。模範回答よりマシだが、距離の詰め方がエグい。よく見るとピアスにネイル、制服は改造されている。人選を誤ってしまったか。
「そっちの子は?」
「第5級の柚原リリカです。よろしくお願いします」
「えっと……、リリポンでいい? よろしくっ」
「は、はい」
リリポンはまんざらでもないご様子。
「お姉さんは第2級の『南園来美』。ククミンって呼んでね。……あ、スマホ持ってる? 私用のヤツ」
「あっ、はい」
如何にもなギャル系のクミミンはポケットから私用スマホを取り出し、慣れた手つきであっという間に連絡先を交換されてしまった。
す、すごい……拒否する暇を与えない。
「あ、あの……紅露ひな子さんはどちらにいますか?」
クミミンは向かいを指差し――。
「あの背の高いのが紅露ひな子だよ」
その先には、制服の上着を腰に巻いた高身長の女性と、パーカーを着た子供が座っていた。
親戚だろうか。庁舎の食堂は一般人でも利用可能なので、子供がいても不思議ではない。
「……すみません、第1級執行者の紅露さんでしょうか」
先ほどの女性とは対称的に、ボーイッシュでカッコいい系の同性に人気が高そうな女性だ。表情が柔らかく、とても気難しそうには思えない。
「あ、えっと――」
「紅露はこっちだバカ野郎!」
隣のチビっ子が机を叩き、叫ぶ。
「人を見た目で判断するんじゃねぇ!」
「も、申し訳ありませんでした!」
少女の目線の下まで深々と頭を下げる。直前に会った第1級執行者が魚路さんだったので忘れていた。第1級は私服での業務を許可されていることに。
というかあの人が……。
後ろでクミミンが腹を抱えて笑い転げている。完全に図られた。これが噂に聞く新人いびりなのか。しかし、まさか紅露さんがこんなに小さいなんて思わなかった。
これが21歳? どう見ても小学生にしか見えない……。
しかも、ピンクのパーカーがより幼さを際立たせている。
「ひな子様、あれを――」
高身長の女性がクミミンを指差す。
「ああ、アイツのせいか」
どうやら誤解は解けたみたいだ。まあ、騙されてしまった私も悪いのだけど。
「先ほどは申し訳ありませんでした。私は第3級の御代マキナで、こちらは第5級の柚原リリカです」
「よろしくお願いします」
二人で深々と頭を下げる。
「お前が例の模範回答か。いきなり間違えてんじゃねぇよ」
非常に口が悪い。口調だけ聞くと茅間から離れた気がしない。
「まあまあ、彼女は騙されてたわけですし。初見で判別するのは困難ですよ」
「ああ?」
――突然、紅露さんが高身長女性の顔面を強打する。倒れ込んだ後、追い討ちの蹴りまで……。
「ウチがガキにしか見えねぇってか!? 処すぞコラ!」
余りにも酷すぎる光景に絶句する。これは気難しいなんてレベルではない。更に妙なことに周りはいつもの事かと知らんぷり。私たちはとんでもない人に付いてしまったのか。殴られた女性の鼻からは血が出ている。それを見て私は止めなければと抗う。
「こ、これは明らかにパワハラですよ! 第1級執行者といえども見過ごせません!」
「あ? コイツはいいんだよ。ウチのサンドバッグだからな」
言い訳にもなってない、酷すぎる。あの茅間ですらこんな理不尽な暴力はしなかったのに。
「大丈夫だよ、いつものことだから。さっきは騙してごめんね」
クミミンは全く申し訳なさそうに手を合わせて謝罪している。誰のせいでこうなったと思っているのか。
「そもそもテメェが元凶だろうが!」
それは激しく同感だ。
「まあまあ」
ククミンは軽々と口悪い少女を持ち上げ、自分の膝に座らせ頭を撫でる。
「ごめんねヒナぴよ。後でプリン買ってあげるから許して」
ヒナぴよ!? そんな物で許されるわけが……。
「しょうがねぇな」
許すのか……。何なんだろう……この人たちは。どういう関係なのかまるで分からない。
「おい、クソ雑魚。コイツらに部屋を案内してやれ。ウチは今からデザートだ」
クソ雑魚って……。
「承知しました。申し遅れましたが私はクソ雑魚こと第2級の『高柳杏』です。どちらでもお好きな方でお呼び下さい」
そんな自分を卑下しなくても……。
高柳さんはハンカチで鼻血を拭き取り、私たちのエスコートを始めた。
――高柳さんの後につき、事務棟を出て宿舎へ向かう。
「大丈夫ですか? あんなの理不尽ですよ」
「構いません。私は好きでひな子様といるのですから」
「なぜ……?」
「私は……自慢ではないのですが、一度も叱られることなく育ってきたのです」
そんなことがあるのだろうか。私は父には叱られたことはないが、母には何度も叱られているのだ。酷い時には長時間の説教。
「容姿、頭脳、運動能力。すべてが秀でていたので誰からも愛されて、何不自由なく育ってきました。これでもファンは沢山いたのですよ」
自慢ではないと言ったけど思いっきり自慢だ。ちょっと嫉妬。しかし、『いた』とは……なぜに過去形?
今ですら男女問わずモテそうなのに。
「執行者試験も難なくクリアし、首席で第3級執行者となりこの支部に赴任しました。そこで、ひな子様と出逢ったのです」
――。
「第3級執行者の『高柳杏』です。よろしくお願いします」
「おう……。よろしく」
執務室にちょこんと座る少女は不機嫌そうに答える。
「紅露さんがこんなに小さくて可愛らしいなんて思いませんでした。しかし……どうしてボッチを貫いているのでしょうか?」
プチッと、何かが切れる音。椅子を降り、私に近寄るとすぐさま溝落ちにボディーブローを見舞う。
「がはっ!」
「なんて失礼なヤツだテメェ! 処すぞコラ!」
「うっ……」
あまりの衝撃にその場に蹲った。
「おい、そんな強く殴ってねぇぞ……」
少女の言う通り、ほとんど痛みは無い。しかし、それ以上の衝撃を受けたのだ。
「殴られた……親にすら殴られたこと無かったのに」
「はぁ? テメェ、甘ちゃんかよ。情けねぇヤツ。3級程度でいい気になってんじゃねぇよ。ウチは12歳でその域に至ってんだぞ、クソ雑魚が」
「クソ雑魚……?」
「そうだ、お前はクソ雑魚だ」
「すみません、一つだけ言わせて下さい」
「んだよ……」
「もう一回殴って貰ってもよろしいでしょうか?」
――。
「あの時のひな子様は、鳩が豆鉄砲を喰らったように驚いていました」
「私もたった今そうなりましたよ」
「誰かに叱られた経験がない私は、初めてひな子様に叱られた時、私の中で何かが満たされ、言葉に表せられないような快感を得られました。あのような無垢で華奢な体による暴力。最高だと思いませんか?」
「思いません」
真顔でなんてこと話すんだこの人は。
真に処されるべきはこの人だったなんて。
「さっきの鼻血はまさか……」
「あれは興奮してただけです」
全ての納得がいった。ファンが離れるのも当然である。
「翌年には、ククミンさんが赴任されてきたのですが、彼女は特殊な性癖を持っていましてね」
『も』ね。もうやめてほしい……これ以上何があるの?
「ククミンさんは年上妹フェチなのだそうです」
「と、とし――いも?」
矛盾を孕んだそのワードに脳内がパンクしそう。
「あの変態、ひな子様を邪な目で見ているのです。処されるべきだと思いませんか?」
その言葉、そっくりそのまま返したい。しかし、あれは新人いびりではなく、紅露さんを揶揄ってただけだったのか。それにあのベタつき様……。
私は頭を抱え込む。リリカを任せるどころか、私自身が彼女たちと上手くやっていけるか自信が無い。
これからどうなってしまうのか……前途多難である。




