第5話 マインドジャック
「バラード好きなんですねー」
「何か文句あっか?」
カーオーディオの音楽がバラード一色なのをリリカが揶揄う。確かに意外ではある。今は茅間の私用車で拠点から20kmほど離れた町へ向かい、一般道路を走行中だ。
「行方不明?」
「ああ」
サングラスをかけた男は事の詳細を語りだす。その町では最近、若い女性の行方不明者が増えているらしい。基本的にこの国は治安が良いので単なる家出を疑われるが、こうも頻発すると流石に怪しくなる。
豊かで犯罪の少ないこの国では年に数回、定期的に身の毛がよだつほどの凶悪犯罪が発生するらしい。因果関係は不明だが、この男はそれを疑っているというのだ。
「応援の連絡でもあったんですか?」
「ああ、どうしても1級の権限が必要なんだとよ。難事件がババアに繋がる手掛かりとなるかもしれねーし、行くっきゃねーだろ」
人の母親をババア呼ばわりするのはやめてほしい。
「チッ、煽り運転か」
ふと後ろを見ると、パッシングされながら距離を詰められている。茅間は私用車を使っているので、相手はこの車に誰が乗っているのかなんて思いもしていないだろう。
煽り運転手が私たちの車を追い越そうとし、車が並んだところでこちらを覗き込む。茅間の顔を見るや、睨みを利かせた顔が一瞬で青ざめていった。
「止まれや」
ご愁傷様。
「ひゃーっふぅううううう!」
「あびばばばばばばば!」
電撃を浴びせられ悶絶する煽り運転手。今にも目玉が飛び出そうな勢いだ。
「やり過ぎでは?」
「ショート寸前で止めたんだ。ありがたく思えよ」
「じゃなきゃまた繰り返す」と、トラウマを産み付けた男は吐き捨てた。気絶した男を歩道に放置し、再度車を走らせる。
「いつもこうなんですか?」
「馬鹿はすぐ繰り返すからな。これでも緩いくらいだぜ」
やり過ぎだとは思うが、処罰する執行者によっては再犯率が違うので一概に反論できない。
――多少トラブルはあったが、無事目的地の執行者支部の庁舎へと辿り着く。
支部に入り行方不明者の件を追っている担当者の話を聞くと、国が管理している監視カメラは街中に設置されているが、確認には本部への申請と許可が必要であり、この件は重要性が低いと判断され許可が下りなかったのだという。そもそも滅多に許可は下りないらしい。何のためにあるのやら。
そこで、第1級執行者の茅間に声がかかったのだ。彼はすぐさま本部へ連絡を取り、第1級権限で許可を取った。
その後は地道なPC作業。許可を得たアカウントで複数のモニターに映された監視カメラの映像から、行方不明者たちの足取りを追っていく――。
「全員、同じ男と会ってる……」
待ち合わせ場所はバラバラ。誰もが屋内で小太りの男に連れられ、その後はどこにも寄り道せず自宅と思われる場所へと入っている。無理やり連れ去るような様子は見られない。
やはり家出なのか……?
「おかしい、誰も……出て来てないよ」
リリカが男の自宅付近の監視カメラを確認しているが、彼女たちの外出が確認できないらしい。
「これ本当に家出? 1ヶ月も出て来ないなんて有り得るのかな?」
「どっちでもいい。直接確認すればいいだけだろ、行くぞ」
雑務を押し付け仮眠を取っていた男に引っ張られると、再び彼の車へと乗り込む。
――深夜2時、静まり返った道路を独走する。
「今の赤信号……」
「律儀に守ってる場合か」
「だったら何で専用車を使わないんですか? サイレンもあるのに」
「ダセーからだよ」
コイツは仕事を何だと思っているのか。他の1級はこんな人ばかりでないと祈りたい。
――茅間の暴走に振り回されつつ、目標付近のコンビニへと辿り着いた。
「ここからは徒歩だ。今のうちに腹ごしらえしとけよ」
最悪の場合、『S-Pad』を使うことになると言う。
私たちはコンビニへ入り、ツナマヨのおにぎりとエナドリを購入。リリカも同じのを選ぶので、私はいつも二つ以上残っている商品を選ぶことを心掛けているのだ。その一方、茅間はコーヒーだけで済ますみたい。
――軽めの夜食を終えると、容疑者の自宅へと向かった。
道中、容疑者の情報を調べさせていた支部の担当者から報告を受ける。男の素性は不明。自宅と思われた場所は別人の家だとのこと。
「キナ臭くなってきたな」
家出の線が薄れる。彼の勘が的中したのだ。
――細い子道を抜け、塀で取り囲まれた二階建ての家の門の前に立つ。一階の窓からは光が漏れていた。
私がインターホンを鳴らそうとした矢先、後ろで指をパチンとする音が聞こえた。
「ちょっ――」
次の瞬間、茅間がギターを叩きつけて門を破壊した。深夜でもお構いなし。ガシャンという傍迷惑な音が周囲に響き渡る。
「もし白だったらどうするんですか!?」
「この方が手っ取り早い」
「あの……玄関も」
男はニヤリと笑い、当然のように玄関を破壊した。何故こうも極端なのか。
「邪魔するぜ」
「せめて正式な手順を……」
「第1級権限な」
何て都合のいい。せめて損害を減らすためと、私は先行しリビングへの扉を開ける。
「大変失礼します。あ……」
目の前に映った光景は、あまりにも日常からかけ離れた光景だった。
壁際にただ黙って横並びで立っている行方不明者の女性たち。目には生気が宿っておらず、まるで人形の様だ。突然の来訪者の私に対して見向きもしない。その瞳はただ遠くを見つめている。
「おい、てめーがここの主人か?」
目の前の後ろ向きのソファから見えている男の後頭部に今更気がついた。茅間の声に反応し、こちらを振り向いたその男の目には暗視ゴーグルが掛けられている。
「気をつけろッ!」
茅間が何かに気づいたようだが、私は何が何だか分からないまま立ち竦んでいると、突然部屋の明かりがフッと消える。視界が真っ暗になり漸く私は身の危険を察知すると、音と共に閃光が放たれた。
茅間の能力だ。一瞬だが男が何かを投げつけようとしていたので、私は頭を押さえて床に伏せると、何かが壁に当たる音がした。
何か明かりをと、携帯ライトを手にした瞬間――それを点ける前に部屋が明かりを取り戻す。真っ先に音の正体に目を向けると、壁にはナイフが刺さっていた。
何故明かりをつけた? 茅間の閃光に目がやられたのだろうか。
「無事か!?」
「はい!」
私はすぐに返事をしたが、リリカの返事が聞こえない。
まさか……。
嫌な予感は的中し、リリカの胸にはナイフが突き刺さっていた。
「リリカっ!」
「安心しろ。そのナイフに殺傷能力は無い」
小太りの男は暗視ゴーグルを外し、投げ捨てた。
「『ナイフ・オブ・ジャック』。刺した人間を洗脳する能力さ」
リリカの胸のナイフは消えると同時に、壁際の女たちの様に目が生気を失っていく。
「『S-Pad』だと? ネタバレとはいい度胸だな」
「バラさなくても見れば分かるだろ」
「そいつをどこで手に入れた?」
「大人しく刺されたら教えてやるよ」
男は手品師のように両手に複数のナイフを出現させる。
「気をつけろ、俺に向けられたナイフは消えてねえ! 野郎、本物も混ぜてやがる」
私に向けられたナイフは消えている一方、茅間に向けられたナイフは壁に刺さったままだ。
なぜ本物を? 洗脳させれば簡単に終わるのに。
いや、そんなことよりリリカをこの場から離れさせなければと、思考を巡らせていた時だった。
――しまった!
突然リリカに羽交い絞めにされ、己の過ちに気づく。口に出さなくても命令できるのか。そもそも『S-Pad』は脳波でコントロールするもの。
何を悠長に構えていたんだ私はっ!
「リリカ! やめてっ!」
振りほどこうと身体を左右に振るが、ピクリともしない。
なんて力……これがあのひ弱なリリカの力なの!?
「あっ……」
ふと前を見ると、男がナイフを投げるモーションに入っていたのに気づく。
駄目だ、私も洗脳されてしまう……。
万事休すと諦めかけた瞬間、身体に衝撃が走る。ナイフが当たる直前、ある物体が私たちの体を突き飛ばした。
この衝撃……やっぱりギターだ。
茅間がそれを投げ、私をリリカごと吹き飛ばしたのである。
「何やってんだ馬鹿が!」
指をパチンとならし、ギターを消す。
「ギター・オブ・エレクトリック!」
更にもう一度鳴らし、手元へと戻す。
「うおっ!?」
今度は男に向かってギターを投げつけるも、間一髪で躱されるが男はバランスを崩してよろめく。
「間合いを詰めるぞッ!」
素早い判断と対応力。ギターを戻す手腕といい、第1級との実力の差に愕然としながらも、己を奮い立たせる。経験不足の私では考えるだけ無駄だ。今は素直に上司の指示に従おう。
茅間は指を鳴らし続け、手元にギターを戻しながら距離を詰め寄る。
その時だった――。
壁際に立っていた女性たちが一斉に動き出す。
「複数人同時に動かせるの!?」
「しゃらくせえ!」
ギターが唸りを上げ、先頭の女性の頭を容赦なく打ち据えた。
「ちょ、ちょっと!? やりすぎです!」
相手の男ですら口を大きく開けて驚いている。この男に躊躇というものがないのか。弦を鳴らし硬直させ、次の女性にも容赦無く殴打する。
このままでは皆殺されてしまう……!
私は胸ポケットから『へクス・ガン』を取り出し、銃口を女性達へ向ける。
「拘束します! 犯罪幇助の罪により、あの者たちを拘束せよ!」
カチッ――と引き金を引くが、何も起こらない。
どうして……。
「こいつらは『S-Pad』の影響を受けている! そんなもん使えねーよ!」
『ナイフ・オブ・ジャック』の支配下では、通用しないのか。私が悩んでいる間も、茅間はまだ殴打を続けている。これではどう見てもアイツの方が犯罪者だ。
「まずは洗脳を解かないと!」
「んなもん、アイツをブッ殺すしかねーだろ!」
殺す……それしか方法は無いの?
「奴が逃げ出すぞ、追え!」
頭部を殴打されてもなお立ち上がる女性たちに、アイツは道を塞がれ続けている。このまま逃がして洗脳者を増やされたら手の打ちようが無くなってしまう。今動けるのは私しかいない、私が行かなければならないのだ。
開けられた窓から夜風が入り込む。男は既にこの窓から飛び出したのだ。後ろを振り返るとリリカの姿も無い。玄関から出て行かせたのだろう。
合流させまいと、急ぎ塀を越え小道へと出る。街灯の下まで僅かに走っただけで、私は走りを止めた。その先には、男に向かって走るリリカと……それを追いかける茅間の姿があったのだ。
「あの人たちはどうやって!?」
「足を折った!」
信じられない……。
「てめえ、それでも執行者か!?」
小太りの男が叫ぶ。同意見である。
男はナイフをリリカに手渡すと、彼女は自分の首元にそれを突きつけた。
「――っ」
「言いたいことは分かるよな?」
「意味ねーだろ。そいつが死んだら次はお前だ。お前のナイフは『ヘクス・ガン』と同じで『S-Pad』持ちには通用しねえ。だから本物も混ぜたんだろ? わざわざそいつに当たらないように洗脳ナイフを投げやがって」
図星であったのか、男は舌打ちで答える。あの壁に刺さったナイフは軌道がずらされてたのか。それは洗脳されたら終わりだと思わせるためのカモフラージュ。茅間はそこまで把握していたのだ。
「そいつを殺したら、お前はもう唯のナイフ男だ。ネタが解っちまえば呆気ないもんだな、おい。残りのナイフは幾つだ?」
「いいから動くんじゃねえっ!」
声を荒げた男に反応し、私は静止する――が、茅間は意にも返さず演奏を始めた。
「最大出力で、諸共ブチ殺す!」
「茅間さん!」
「てめーがやんなきゃ、俺が殺る!」
男はこちら側にいる。リリカが殺される前に私がやるしかないんだ……。
時間が無いっ、判断しなければ……!
抜刀の構えに入り、覚悟を決める。
「活が必要か!? だったらくれてやるよ! とっておきの演奏でな!」
曲調が変わった!? 私に……合わせてくれるのか。
やらなくちゃ……リリカのためにも。
私はこれまでにないほど力強く足を踏み込み――。
「ソード・オブ……!」
それを発現させる間も無く、ゆっくりと――ナイフ男の首が地面に転げ落ちた。
「えっ……?」
男の首元から血が噴き出し、身体が崩れ落ちていく。
何が起きたの……?
状況が掴めず愕然としていると、懐かしい香りが混乱する私に真実を告げた。
背後から……ゆっくりと優しく抱きしめられる。この感覚を私は知っていた。
「お母さん……」




