第49話 託された想い
「何だ……これは?」
御代マキナの頭を起爆する準備は整っていた。予め設定していた画面に触れるだけで作動するようにしていたのにも拘らず、才神の目前に駆ける少女は止まらない。不審に思った男は視線を端末に目を向けると、愉悦の表情が一変し驚きの声を漏らす。
それに呼応するように不測の事態を察したマキナは足を止めた――。
「どういうことだ?」
才神が手にする端末には本来あるべき画面がそこにはなく、思いも寄らぬ映像が映し出されていたのだ。
――リリカだよっ――。
二等身の可愛らしいちびキャラが画面の前へ向かって手を振っている。
リリカなるものは「ヨイショ」との吹き出しと共に、何やら画面外からフォルダを引っ張り出していた。そのフォルダには『渦悪棲くんの秘蔵フォルダ』と記載。
――ここをタップしてね――。
男は言われるがままにフォルダをタップすると、御代真奈であろう人物のあられもない姿の画像が出てくる。明らかに合成加工した画像。男には全く見覚えが無かったが、その画像の前に出たちびキャラが顔を赤らめながら一言投げつける。
――スケベ――。
「クソがーーーーーーーッ!!!」
重要な端末を自ら地に叩きつけて破壊、激昂の声を響かせる。余程気に障ったのか、これまで見せたことのないくらいに感情を爆発させている。
「ここまでコケにされたのは初めてだッ! 出て来いッ! 柚原リリカーッ!」
その名を聞き、マキナはハッと背後の扉を振り返ると同時に出入口の大扉は蹴り破られ、轟音を立てながら跳ね飛ばされていく。その中から出てきたのは、この場にいる者にとって意外な人物だった――。
「や、薬師寺……死んだのではないのか!?」
「生憎、ゴキブリの様なしつこさがウリなんでね。ようやく出逢えたな、渦悪棲くん」
胸に血を滲ませたタンクトップを着る男は深手を負っているのにも拘らず、何事も無かったかのように振舞っている。真奈に受けた傷は既に塞がりつつあった。
「フン……今更貴様が加わろうとも、戦況は変わらん。貴様のおかげで真奈はもう虫の息だ」
「何勘違いしてんだ? 俺が戦いに加わるつもりはねえよ」
戦好きの男は気怠そうに首に触れながら顔を傾けた。
「まだ勝負はついていない……そうだろ? 我が弟子よ」
美味しい所を持っていくつもりはないと言わんばかりに笑っている。それは今のお前なら勝てるとマキナに向けられたメッセージだった。
「師匠……」
訃報を告げられた時は耳を疑っていた。自分に技や生き方を教えた人間は、まるで創作物の世界からやって来たかのような常識外れの存在だったのだ。あの人が簡単に死ぬはずがない。母と師が戦闘を開始したと聞くと真っ先に母の心配をしたほどなのだ。それゆえ彼が生きていたという事実以上に、母が殺しをしなかったという結果がマキナにとって大きな安堵を齎していた。
次に薬師寺は膝をついている元パートナーへ目を向けた。死力を尽くし合った二人は言葉を発さず、目線だけで語り何かを察したように互いに微笑んだ。真奈はしぶと過ぎる男に呆れを通り越して笑ってしまい、薬師寺は詰めが甘えよと嘲ていた。
真奈の殺意に偽りはなかった。普通なら死んでいる。その普通が通じない男だったと真奈は最後の最後に頭から抜けてしまっていたのだ。
そして、堂々とその場で仁王立ちする薬師寺の背後から、第五級の制服を身に纏いポニーテールを揺らしながら一人の少女が前へ出る。夕焼け色に染まりながら、自分と同じ年頃の少女は何処かと傷だらけのフィールドを見渡した。
「あれは……柚原リリカか!? 私の端末に何をした!?」
最高レベルのセキュリティを敷いた端末が無様にもハッキングされたのだ。あまりに信じられぬ出来事に才神は焦燥を隠せず問いただす。
しかし少女の目線は既に一つに絞られており、聞き慣れぬ名を呼ぶ男の言葉など聞こえていない。
「リリカ……」
マキナの瞳に映ったのはかつての親友ではなかった。自信なさげに委縮する姿は無く、初めて出会ったかのように眼を合わせている。もうあの笑顔を向けてくれるあの子はいないのだと暗澹たる気持ちに陥るマキナだったが、そんな気分は一瞬で吹き飛んだ。
「マキナーっ!」
リリカは大声で親友だった者の名を叫ぶ。前の自分に与えられた使命を全うしようと、初対面の相手に無機質なエールを送る――はずだった。
「頑張ってーっ!」
特別な感情は無いはずなのに、嬉しさと切なさの混じり合った複雑な想いが込み上げていた。頬に伝う涙を拭わずに、記憶を失った少女は恒星のような輝きを放つ笑顔を振り撒きながら必死に手を振る。
――リリカだ。
失ったはずの親友が、そこにいた。記憶は無くても感じる残影が今の彼女に重なる。いつかはきっと取り戻せると、一筋の光を見出していた。
マキナは声を発しないまま頷き返すと、静かに心を燃やす。記憶を失う前のリリカから繋げられたバトンを受け取ると踵を返し、力強く刀を握る。彼女の目もまた、涙が浮かんでいたのだ。ただ、そこに悲壮感は無かった。日差しに当てられた雪が溶けゆくように、じんわりとした熱が身体の内側から湧き起こる。
更にこれで終わりではないと、二又竜が火を吹くように出入り口から二本の火柱が放たれた。蛇の如く畝りながら二つの炎は交差を続け這うように走る。やがて母子と仇敵を分断すると、火山噴火の如く天高く炎上。あっという間に灼熱の空気がフィールド全体を包んだ。
次いで雷鳴と共に一筋の蒼白い閃光が火柱の出元から駆け抜けた。光速で走った電撃は、才神ではなくマキナの背中に衝突し全身を覆うように拡散。チリチリと纏わりつく静電気は痛みや痺れを感じさせないどころか、疲労や緊張を消し去っていく。まるで大自然の中にいるかのような解放感がマキナを癒した。
炎と電撃、誰が撃ったかなど中心にいる三人は姿を見なくても理解していた。言葉は無くとも強いエールを受けたマキナは更なる闘志を燃やす――。
「なるほど、まさか裏切り者がこんなにもいたとはね……」
処刑エリアに渦巻いていた火柱が瞬く間に粉雪へと変化し、辺り一面を雪景色にする。肌を焦がすほどの熱気は冷蔵庫を開けたような涼し気な冷気となり、季節違いな情景が見る者達を魅了する。ただ一人を除いて。
焦がされた左手、『創造の手』が再生を始める。才神が炎に触れたことにより冬を演出したのだ。
「小賢しい……どうやったかは知らんが、起爆装置を無効化したからとて管理者に反抗するなど浅はかだ。裏切者は粛清せねばなるまい」
火傷がたちまち消える様は正に不死者。まるで地獄の底から這い出たような威圧感を放ち出す。
「裏切り者じゃないよ」
その声に才神はハッと振り返る。
光弾によって破壊された壁から来たのか、薄毛のスーツ男が背後に佇んでいた。眼鏡をキラリと光らせながら憐みの視線を投げるこの男は、ここへ来るまでに五級の制服は脱ぎ捨て、わざわざこの時のために新調していたスーツに袖を通していたのだ。
「中野君……君もか」
「私達はただ、あなた方が決めた法に則り職務を全うしているだけ。故にこれは裏切りではなく、単なる業務に過ぎない。なんせ管理者に逆らってはいけないなんて法律はありませんからねぇ」
「業務だと……?」
「会場の設営中に幾つかの盗聴器を仕掛けていてね。言い逃れのできない証言をどうもありがとう。そして……先程のハッキングで貴方の端末から新たな情報を入手した。まさか冷酷非道な遠隔起爆システムが承認制だなんて思いもしなかったよ」
「承認制……?」
マキナが知らない単語を口にすると、名探偵の推理の如く部長は解説を始めた。
「管理者全員の承認を済ませていなければ遠隔で起爆できないらしいね。しかも、予め安藤氏と御代君の承認を済ませていたのだと……」
「だったら何だと言うのだね? どちらも反抗する可能性があるから予め承認を取っていただけだ」
「問題はそこではないさ。注目すべきは諸田氏や私たち一級が承認されていなかったこと。この承認制度といい、倫理観のある管理者がいて安心しました」
「……」
「つまり……この騒動は貴方の独断によるものだ。ここで貴方を罰しても、我々に味方する管理者がいるはずなのだよ!」
才神は言葉を返さない。それは真実の裏付けであった。他の管理者は変化を嫌い、保身に走る。御代一家の件がバレれば救いの手が伸ばされないのは火を見るより明らかだ。
「御代君。この男の処罰権限は貴女にあります。起爆装置は既に無効化されていますので、我々の想い……貴女に託します」
「部長……」
才神の処罰。形が違えど事は作戦通りに進んだ。大きく異なるのは執行者全員がマキナ一人に運命を預けたということ。強大な力を持つ敵だと知りながらも、誰一人とてマキナの敗北を信じていない。
――みんなから託された想い。この戦い……絶対に負けられない。
「マキナ」
マキナが刀を強く握りしめた時、最後に母が優しい声をかける。肩を落としペタリと尻を地につけ膝を倒し足先を外側へ向ける状態は、もはや戦意喪失を示していた。敵から目を離せないマキナにその姿を瞳に収めることは出来なかったが、声質だけで潰えた狂気を感じ取っていた。
いつの間にか広くなった背中。然れども心なしか頼りない。そんな愛しい娘に全てを託すのは、真奈にとって初めての経験だった。ここで言葉を間違えてはいけないと、戦闘中以上に思考を巡らせる。娘の弱さを誰よりも知る自分が紡がなければならないのは、最も求められている言葉。
――大丈夫、貴女なら出来る。
違う……。
――お母さんがついてるから。
これも違う……。
こういう時は得てして最初に浮かんだものを選択するものだ。そう、真奈は初めから娘の要求を理解していた。だけど本当にそれでいいのかと、自分に疑問を投げかけていたのだ。
そんな母が送った言葉は――。
「ありがとう」
エールではなく――。
「貴女は……私の自慢の娘だよ」
賛美であった。
その震えた短い言葉の中に秘められた想いを、娘は背中で感じ取る。勝たなければならないという重圧を打ち消し、力み過ぎた力が緩んでいく。
最愛の母から認められたことでマキナの感情は最高潮に達し、刀身は透き通った海の浅瀬ような美しいエメラルドグリーンへと変化。遂に『S-Pad』の能力を限界にまで引き出したのだ。
勝たなければならないという使命感から負ける気がしないという自信へと繋がったマキナは、堂々と一歩を踏み出す。
小柄な娘から放たれる異様な空気に当てられた才神は集中力を研ぎ澄まし『神の眼』で対抗――。
しかし、一瞬にして数えきれないほどの夥しい脳波の軌跡が視界を塞いだ。全方位から赤いレーザーが発せられたかのような光景が信じられず目を大きく見開く。
――逃げ場が……どこにもないだと!?
数秒先の未来、たとえ視えても身体が反応できなければ意味がないのだ。全身膾切りされる前に、創造の手で地面から城壁を作り自身を覆う。
だが、これは完全に悪手であった。
その壁はゼリーの様に、いとも簡単に崩され瞬く間に形を失っていく。
恐れを抱いた男は害虫を退けるように破壊の剣を横に揮うも、その切っ先が届くことはなく振りきる前に腕ごと切断される。
「ば、馬鹿な……」
――動きが早すぎて全く視えん……。
残りの『神の手』である創造の手も上腕部から枝を切り落とされたように落ちていく。既に『神の眼』も無意味。残った『神の肉体』は次々と刻まれていく身体を再生させていくが、噴き出した血は戻らない。
多量の出血。才神の意識が失いかけて来た時、突然の拳が頬を抉った。その勢いに乗せられたまま大きく吹き飛び、転がり倒れる。
「な、何のつもりだ……」
死を覚悟した男に対し、マキナは刀を納めたのだ。
「才神渦悪棲。貴方は、私の大切な物を奪った。その自分勝手な動機は死罪に相当するでしょう。それでも私は……貴方に生きて罪を償ってほしい」
あまりに素っ頓狂な台詞に才神は一瞬呆けると、嘲るように笑いだす。
「何を言い出すかと思えば……本当にがっかりするほど真奈に似ていないね。腸が煮えくり返る思いだよ」
地に顔を横に着けながら男は憎悪を眼差しを突きつける。それでもマキナの慈悲の瞳に影響は無かった。
「それでいいの。マキナ……貴女は手を汚さなくていい。後は……私がやる」
真奈は大鎌を手に取り、柄を杖のように立てながら震える脚を支えて立ち上がり、最後の力を振り絞って大鎌を両手で携えた。脳を酷使し過ぎたため最後の一撃すら能力が使えず、直接その手で刈りに行くのだ。
ふらつきながらも、娘のために一歩ずつ踏み出す。
「フッ……、まあいい。君に殺されるなら本望だよ、真奈」
才神の両手は未だに完全に再生が出来ておらず、手首の修復で止まりかけている。彼もまた、能力の酷使で再生力が低下していたのだ。全ての手が断たれるも欲深き男は、己の死すらも嬉々として受け入れる――が、そんな望みすらも叶えさせまいと妨害する者が立ち塞がった――。
「マキナ……そこをどいて」
両手を広げながら敵に背を向けるのは、愚かしくも愛おしい娘だった。
「貴女が許しても……私は許せない。家族を……日常を、幸せを奪ったこの男を……」
薄れかけていた憎悪が再度激しく燃え上がり、大鎌を強く握りしめる。最後に一回。僅かながらも身体を休めていたことで、死角の刃を飛ばすほどの余力が戻りつつあった。
「お願い……お母さん、ここは引いて。もうこれ以上、お母さんに人を殺めて欲しくないの。それに……これは執行者の……この国の問題だから……」
「マキナ……貴女のその甘さは、いずれ貴女に破滅をもたらす」
私が護る。私が護らなければならない。それこそが母の使命と、機械のように心の中で繰り返す。娘の為なら全てを投げ出しても構わない。たとえ一生憎まれようとも――。
才神の眼から、自身の首筋へと向かう赤色の導線が映った。
「それでも……私はこの道を行くと決めたの。私は……私でありたいから」
――どこまでも愚直な娘。だけど……。
現実と理想は違う。それを突きつけるのも親の役目と、再び凶刃が向けられないように強行するべきだ。そう真奈の脳内では意思を決定づけられていたはずなのに、身体は真逆の行動に出る。力の抜けた両手から大鎌が滑り落ちたのだ。
娘の願いを、成長を否定することが出来なかった。頭では駄目だと解っていても、つい甘やかしてしまう親の心理とは違う。ただ真っ直ぐ母を見つめる曇りなき眼と、自分が間違っていると思わせるような自信に満ちた表情に打ち負けたのだ。
「ありがとう……お母さん」
天使のような微笑みを向けられた真奈は気が抜けたようにクスリと笑い返す。そんな暖かい光景に我慢がならない者がいた。
「下らん茶番だ……。何が道だ。そんな青さがいつまでも通じるわけがない。ここで理想を貫いても、君は何れ後悔するだろう。世界は君が思う以上に広く……残酷で――」
――ガシャン!
一瞬の地響きが全員の注意を引いた。処刑エリアの片隅で地下からの通路が出現すると共に黒塗りの車が勢いよく飛び出すと、才神とマキナ達を分断するように砂煙を撒き散らしながらブレーキをかけた。
「乗って下さい、才神さん!」
運転していたのは、第四級執行者の築地数彦。後部座席のドアが自動で開くと、才神はゆっくりと身体を起こす。
「良いタイミングだ、築地君」
まともに立つことすら叶わない才神は海に飛び込むように後部座席に転がり乗った。
「築地さん……」
「すみませんね、ここは私に預けて下さい」
助手席の開けっぱなしの窓から築地は困惑の目を向けたマキナへ軽く会釈すると、後ろへ急発進させながら切り返し、砂地に潜るモグラのように地下へと戻って行った。
あっという間の出来事にマキナは呆然と立ちつくす。もしかして自分の選択は間違っていたのかと不安が過った。
「気にするな。これでいい」
「え?」
不意に後ろからポンと薬師寺が肩を叩く。良くやったなと付け加えニヤつきながら弟子を褒め称えると、驚愕の事実をサラリと口にする。
「『築地数彦』なんて人間は――この世に存在しないのさ」
◇
長く使われなかった漆黒のトンネルを才神を乗せた車が走る。ヘッドライトのみで灯す太陽の届かない暗黒の洞窟をエンジン音を響かせながらゆったりと進んでいた。
「内通者は君だったか。私を助けるなんてどういうつもりだ?」
瞳の色が戻り未だ手の甲までしか再生が追いついていない才神が運転席の男に尋ねる。内通者だと疑問を持ちながらも誘いに乗ったのは、相手が『S-Pad』を持たない第四級であるからだ。負傷しても尚、勝てる自信があると確信しているのだろう。
「薬師寺の死を報告したのは君。担ぎ込んだのもね」
「彼は特殊なので、意図的に心臓を止めてたんじゃないですか?」
「そんな馬鹿なことが罷り通るか!? この地下トンネルだってそう、下級どころか一級ですら知り得ない情報なんだぞ!」
激昂する男は運転席を蹴るが、反動により目眩で頭を押さえた。
「まあ、そう熱くならないで下さい。血が足りてないんでしょう。確かに内通者は私ですが……」
運転手はゆっくりとブレーキを踏み、ドライブの途中でエンジンを停止させる。
「……まだ気づかないのか、息子よ」
その聞きなれぬ台詞に才神の顔が青ざめていく――。
「なっ……」
運転席の男は眼鏡を外し、被っていた顔の皮を脱ぎ捨て素顔を晒す。己と同じ目元と同年代と思わせる若く整った顔立ち、そして――世界有数の権力者である自分に対し息子と呼ぶ者は、この世で母以外に一人しか居なかった。
「……才神聖」
その男は才神の父、『才神聖』。国際テロリスト集団『CHAOS』の創設者だ。
「実際に逢うのは初めてだね。どうだ? 父さんに逢った感想は?」
息子の渦悪棲は生まれてから父を目にしたことは無かった。母の手一つで育てられるも父が与えた資金と受け継いだ才覚によって不自由のない暮らしに満足していたが、唯一許せないことがあった。名前である。学生時代は優秀で友人関係も良好であったため馬鹿にされることこそなかったが、秩序を理念とする男にとっては不名誉極まりない称号だった。それでも改名しなかったのは父に会ったとき自身の存在を認識させるためであり、犯罪者の父を裁いた後に改名すると心に決めていたのだ。
「どうやってこの国に入った!?」
感動の再開にも拘らず質問を質問で返す息子に嘲笑しながら返答する。
「私は薬師寺と違って遠泳は苦手でね、正規の手段で入ったよ。記憶を取り戻すのに三日もかかったが」
「三日だと……」
正規の手段とは記憶を消去して入国することだ。柚原リリカと同じ処置を彼も受けていた。
そんな空想レベルの理由に息子は疑念を持たなかった。現に父はそこに存在しており、嘘を言う理由も無い。更には薬師寺と並ぶ人外級の男だということはこれまでの記録が照明していたのだ。
「私の根底は混沌に有る。記憶を失おうとも混沌が私を、私が混沌を求めるのさ」
「何が混沌だ。実の息子にふざけた名前をつけやがって!」
「気に入らないのなら改名すればよかろうに。それをしないのは、お前も心の底では混沌を求めているのではないか。秩序を求めておきながら、お前がやってきたことはどうだ? 御代一家に混沌を与えたのは誰だ?」
「黙れ! 私は貴様とは違う!」
渦悪棲の瞳が、赤く染まる。
「フフ……『神の眼』か」
「何が可笑しい!?」
「実にお前らしい、愚かな能力だな」
「愚かだと……」
「神ほど臆病で、脆弱なモノはない。不老不死、未来予知、破壊と創造? 笑わせる。神など自己保身の権化だ。孤独で進化の無い存在など愚物。だから貴様は負けたのだ」
男は助手席から銃を拾うと、息子の額に向けた。
「さて、その『神の眼』とやらにはどう映る?」
息子の目には何も映らなかった。微動だにしない銃口、予測できない引き金に掛けられた指の動きのタイミング。確実に『S-Pad』を撃ち抜かれると。直感が告げていた。
「実の息子を殺すのか?」
「お前が始めたんだろう。この三年間、長かったが……良い催しだったよ」
真奈に手を出さず、正義を貫いていればこんな結末にはならなかっただろう。しかし、渦悪棲に未練も後悔も無い。自身の死を悟ると、全身の力を抜いていった。
「最期に言いたいことは?」
「ああ……、真奈……愛してるよ」
「最高の混沌をありがとう」
一回の銃声と共にリアウィンドウが割れ、血飛沫が舞った――。




