第44話 新しいリリカ
「手術は成功です。お疲れ様です」
――。
「この指は何本に見えますか?」
「……二本」
――。
「貴女のお名前は?」
「……」
――。
「分からない」
――。
「貴女のお名前は、『柚原リリカ』です」
「……リリカ?」
「はい。ちなみに私は『坂間』ですが、ご存じ……ないですよね? とりあえず、博士と呼んで下さい」
――。
「ではリリカさん。これから幾つか簡単な質問をします。目覚めたばかりで申し訳ありませんが、お付き合い下さい」
――記憶喪失。
何も思い出せない。
自分の名前を伝えられても、それが本当に自分のものなのかも判らない。何も知らないから、ただ黙ってこの人の言うことを聞くしかなかった。
「――日常生活をするのに支障は無いようですね。では、次の段階へ移りましょう」
棚に置いてあった一冊のノートを手渡される。
「それは記憶を失う前の貴女が、今の貴女へ向けて書いたメッセージです」
表紙のタイトルには『新しいリリカへ』と書いてある。
「リリカは……記憶を失うと分かってたの?」
「ええ。貴女に施した手術は……予め記憶を消さなければなりませんでした」
……病気だったのかな?
目の前にいる男の人から悪意は感じられない。まるで自分を責めているように、申し訳なさそうに語っていた。
今の自分は真っ新なキャンバス。相手が誰でも、ノートの内容が嘘でも、全てを受け入れるしかないんだ。
恐れながらもノートを1ページずつ丁寧に読んでいく――。
最初はリリカの生い立ちが書き綴られていた。
家族構成は父、母、亡くなった弟。物心ついてからの思い出が事細かく書かれていた。楽しかったこと、辛かったこと、出逢いと別れ――。
何より目を引いたのは、家族以上に多く書かれている名前だった。
「マキナ……?」
「そのお名前をご存じで!?」
博士は食いつくように反応した。きっと記憶が戻ったことを期待したのだろう。
「いえ……」
残念だけど心当たりは無い。だけど、その名前を見ると妙に安心する。
更に読み進めていくと、リリカは彼女をどれだけ慕っていたかがよく解った。
彼女に甘えていたことも、打ち明けられなかった気持ちも、何もかも包み隠さず伝えてくれている。
……良かった。リリカが優しい子で……。
何も思い出せないけど、これが自分であることに拒否感は無い。寧ろ誇らしかった――。
「このマキナって子は、今どこに?」
「……続きを」
博士は答えてくれない。
このまま読み進めていけば解るのだろうか。
生い立ちを読み終わっても何一つ引っかからない。まるで別人の日記を見ているような感覚だった。
その次は、今の自分へ向けたメッセージが書かれている。
――新しいリリカへ。
何も思い出せなくても大丈夫。あなたには沢山の仲間がいます。
きっと、彼らが今のあなたを支えてくれるでしょう。
だから信じてほしい、みんなを。
次に、これからあなたがしなければならないことを書きます。
それは皆を助けるために、あなたにしかできないことです。
そのために、この手術を受けました。
どうかあなたの力で、大切なみんなを救って下さい。
泣いていたのだろうか。所々に濡らした跡がある。
次のページには、これからやるべきことが書かれている。
どうやらかなり緊迫した状況にあるみたいで、落ち着いて記憶を探る余裕も無いようだ――。
全て読み終えても、記憶に引っかかるものは何もない。
ただ、ここに書かれている『みんな』という人達を失えば、リリカの存在意義を失うということは解った。
「……何か思い出せましたか?」
首を横に振る。感情は揺さぶられても、記憶に繋がることは無かった。
「では、こちらの写真をご覧下さい」
一枚の写真を手渡される……そこには――。
「それは貴女が最後に残した写真です。この中央にいるのが貴女」
写真の中の自分は……とても幸せそうに笑っている。
自分を中心に撮られた集合写真。
ここに写っているのが、リリカの言っている大切な『みんな』なんだろう。だけど一人一人の顔を見ても記憶は戻らない。何も感じない――。
「……おや? どうやら心当たりがあるようですね」
「え? いや……何も」
「涙が頬をつたってますよ」
頬に触れると、汗のようなものが指につく。
言われるまで気づかなかった……。泣いていたんだ。
まるで胸に大きく穴を空けられたみたいな喪失感……。
何も思い出せないのに……なぜか悲しい、寂しい……。
「大丈夫です。きっと、取り戻せますよ」
博士は優しく、リリカの肩を叩いた。
「涙が出るということは、貴女の心の奥底に記憶が眠っている証拠なのです」
「逢いたい……この人達は今どこに?」
「戦っています。本来なら安静にするべきなのですが、時間がありません。急ぎ、『S-Pad』の起動テストをします。よろしいですか?」
「はい。よろしくお願いします」
◇
ここは研究室前。私、水嶋翠は待合用のベンチに腰を掛けて『柚原リリカ』が出てくるのを待っている。
記憶を失った彼女を連れ出しマキナに会わせる使命を背負って――。
正直、私はもう彼女に関わるべきじゃない。辛い記憶を植え付けた私にそんな資格はあるのか。このまま忘れていた方が本人のためだって、最後まで口にすることは出来なかった。
マキナは私に全てを託すように信頼を寄せた眼差しで言ったんだ。「翠にしかできない役目だから」と。
これはきっと私への罰。彼女に近づけば近づくほど、私は過去に苦しめられ続けるだろう。
逃げるのは簡単なんだ。だからこそ逃げずに向き合うと決めた。
私を許してくれた彼女に、まだ償いができていないのだから――。
時刻は十七時に差し掛かろうとしている。スマホには高柳さんからの通知が数分刻みに送られて来ていた。届くのは悪い情報ばかりで、不安と焦りが私の心を締め付けていた。
……リリカ、まだなの?
視線が画面と研究室の扉を何度も往復する。
どんなに緊迫とした状況でも急かしてはいけないんだ。相手は記憶喪失。私はただ待つことしかできなかった。
――御代真奈到達。
その最後の通知で、このもどかしい時間は終わりを告げた。
研究室の扉が開いたのだ。
扉が開く音に反応し、画面から目を離し顔を上げると、中から出てきた少女は私のよく知る『柚原リリカ』だった。
入った時と同じ格好で外見は何も変わらない――が、表情に違和感。
物怖じしたような自信の無い表情はなく、憑き物が落ちたようなスッキリとした表情になっていた。
それを見て私は、彼女は完全に別人になってしまったのだと察する。
「こっち。私がアンタを送っていくの。私のこと……覚えてる?」
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうに頭を下げている。
まあ、解ってたけどね……。
何故かがっかりしている自分。この複雑な感情は何だろうか。
「あなたは、もしかして……水嶋翠さん?」
「そ、そうだけど……」
これまでと違う彼女の話し方と明るさにたじろいでしまう。本当に別人になってしまったらしい。
「良かった……こんなに早く友達に逢えて」
リリカはほっと胸を撫で下ろした。
友達……?
「私は別に友達ってわけじゃ……」
「違うの?」
「う、うん……」
目線を逸らしながら否定する。
未練を残しているのか、何故だか胸が痛くなった。
「でも、ここに書いてあるよ。ほらっ、絵も描いてある」
眼前に見せられたノートには……リリカが私とマキナと笑顔で手を繋いでいる絵が描いてあった。
絵の下には……大きな文字で『大切な友達』と……。
それを目にした瞬間、今まで堰き止めていたものが溢れだした。
後ろを向き、目を抑え、涙が零れる。
なに描いてんのバカっ。
私のことなんか……忘れちゃえばいいのに。
ずっと後悔していた――。
彼女が去ってからもずっと。彼女が最後に残した言葉にも、返すことができず。
私は――最後まで謝らなかったんだ。
ごめん……リリカ……ごめんなさい。
心の中で何度も謝った。だけど怖くて……いつまでも話せなかった。
愚かな自分が憎くて堪らない。
「水嶋さん……?」
「……翠でいい」
私は手の甲で涙を拭い、後ろ向いたまま答える。
泣いている場合じゃない。私は自分の使命を果たすんだ――。
「みんな戦ってる……。急ぐよ」
「うん」
――リリカの手を引きながら小走りで研究棟を出ると、予め停めてあったバイクに跨る。
「乗って!」
リリカは躊躇いなく私の腰にしがみついた。
本来二人乗りは厳禁だが、無許可で第五級を手術させたことに比べればどうってことはない。
今日で決着をつけなければ、博士の立場も危うくなるどころかリリカも処罰されてしまう。
無論私もだけど、そんなことはどうだっていい。
「ちゃんと掴まっててよ」
「うんっ」
夕日は沈みかかっているが、最悪の通知はまだ飛んでいない。
――まだ間に合う、早く!
思いっきり飛ばそうと思った矢先、さっそく赤信号に捕まってしまった。
「クッソ!」
ここから処刑場までの距離は遠くないが、信号は多い。
本部周辺は外出禁止令範囲外で、交差点をあらゆる車が忙しなく飛び交っている。
少し待てば良いのだけなのに焦りが生じている今、イライラが抑えられず指を小刻みに叩く。
「ああっ、もうっ!」
――いっそ無視してしまおうか。
だけどリリカを乗せて危険なことは出来ない。サイレンを鳴らそうにも私達は今、隠密行動中。他の執行者に発見されるのだけは絶対に避けたい。
――急がば回れ……か。
処刑場までの最短ルートを頭の中で整理――。
「翠ちゃん、手を貸して」
後ろから伸びてきた手が、私の右手を包む。
「な、何を……」
「ニューロン・オブ・ジャマー」
すぐさま振り返ると、リリカの瞳が透き通るような美しい空色へと変化した。
「ちょっ、勝手に能力を使わないで!」
「ごめん。でもほらっ、前を見て」
言われたとおりに前へ目をやると、進行方向の信号が全て青へと変わっていた。
反対車線は全て赤となり、その車線の車は全て停まっている。
「こ、これ……アンタが?」
「うん。これがリリカの能力『ニューロン・オブ・ジャマー』。あらゆる電子機器をハッキングして書き換えることが出来るの」
とんでもない力だ……代償が重いだけのことはある。
この処理を脳内だけで完結させてしまうのか……。
「手はずっと握らなきゃいけないの?」
「うん……離したら能力が解かれちゃうみたい。誰かの手を握る――それが発現条件だったの」
ふと、笑みが零れる。
あの子が考えそうな条件に。
常に誰かと一緒に居たいという、真っ直ぐな心――。
「飛ばすけど、通り過ぎたら戻しといてね」
「うんっ」
元気よく返事をする彼女に、前の面影はない。
自分の呼び方、私への呼び方。
何もかも違う彼女に一抹の不安を抱きながらも疾走する。
必ず届ける――マキナの元へ。




