第42話 手負いの獣
「――っとに人使いが荒いっ!」
私、北上美都は出世街道を爆進中。
第二級執行者として中野部長の元で実績を積んでいたら、なんと――執行庁よりも上の存在、管理者と名乗る人から秘書に任命されたのだ。
それは第零級への近道。まだ見ぬ新たな世界の扉が開く――はずだった。
現実は頭に爆弾付けられてたことを暴露された上に、才神の手足として一生働く羽目になっている。逆らえば勿論――死。秘密を知った私が生かされるわけもなく……。
ま、そんな美味い話は無いですよね……ってことでパシられてる現状だ。
いま私は処刑エリアを抜けて東ゲートへ向けて奔走中。
諸田と茅間が何故か戦闘を始め、どちらも通信に応答せず――とのことで役目を終えた私が遣わされたのだ。
チーフ曰く、どちらが発端か見極めてこいとのこと。
そんなの例の起爆装置でどっちも処せばいいのに。こっちは三日も不眠不休で働いてんだよ。ああ……早くベッドで横になりたい。
疲れは疾うにピークを過ぎ、足取りが重い。
せめてもう一人秘書雇えよ。人件費ケチってんじゃねーよ腐れ渦悪棲野郎。
そんなことを考えながら、持ち場を移動して来た安藤とすれ違うと鼻で笑われた。
腹が立つけど、もう振り向く気力も無い。
いっそサボってしまおうと考えたが、道中に御代真奈と遭遇するのは非常にまずいので、せめて正門ルートだけは駆け抜けてしまおう。東ゲートからの合流地点さえ過ぎればあとはどうにでもなる。
にしても、酷い迷路……。
走っても走ってもトンネルのような無機質な景色が続く。天井に吊るされた電光掲示板が丁寧に案内しているが、あれが無ければ確実に迷ってるだろう。
ホントに誰が設計したんだよこれ……。
――息を荒げながら最後の分岐路を抜けると、ベンチに腰掛けながら所持していたエナドリの蓋を開ける。
こんな激務、もう縁は無いと思ってたのに……。
「随分とお疲れのようだね」
瓶に口をつけようとする前に「きゃっ!」と情けない声を上げ、身体がビクッとなる。
疲れのせいか、柱の横にいた人影に全く気付かなかったのだ。
その声の主は――中野部長!?
制服を着ているのを見るのは何年ぶりだろうか、恐ろしく似合ってない。
ただ、一つだけ違和感があった。それは――何故か五級の制服を着ていることだ。
「無理はいけない。君は今すぐ身体を休めるべきだ」
「ぶ、部長……なんでここに!?」
おかしい……部長は北ゲートにいたはず。さっき監視カメラで確認したばかりなのに。
「北ゲートにいたのは小長谷君だよ。私に変装してるからカメラの画像では気づかなかったのだろう」
「な、何で……」
なぜ替え玉を……? そんなことをする必要がこの男にあるのか……まさか。
「う、裏切る気ですか!?」
「北上君。君を送り出したのは間違いだった。そんなに身を削ることになろうとは……」
私は元々、部長の会社に所属していたのだ。
秘書就任のお声がかかった時、皆は自分のことのように喜び、笑顔で送り出してくれた。
それは私が今までに働いた職場の中で、最高の職場だった――。
「上昇志向の強い君のことだ。あの男の甘い誘いに唆されているのだろう。今からでも遅くない……私たちの元へ戻らないか?」
戻りたいっ……そりゃ戻りたいですよ。でも――。
「ここまで来て、諦めるわけにはいかないんです。私の夢と……キャリアと……昇進のために!」
ここで諦めたらこれまでの苦労が水の泡なのだ。
リラクゼーションルームで休みたい気持ちを抑えながらも、私は一歩踏み出す。
もう後戻りできないんだ。だったら……この眼で必ず外の世界を見てやる!
「そこ、監視カメラの死角ですよね? この件は報告させて頂きます」
部長の横を通り過ぎると、男はすれ違いざまに溜息を吐き「すまない……」と呟きながら時計を見だした。
「あっ」
気づいた時にはもう遅い。
……過労んだわ。
「ワーク・オブ・ジ・エンドレス」
せめてエナドリ飲んどけばよかった……。
◇
『ワーク・オブ・ジ・エンドレス』による幻覚作用は一瞬で行われる。
発動後――瓶がゆっくりと床を転がりながら液体を撒き散らす。その持ち主の女性が倒れたのだ。
化粧で隠し切れない目のクマ、乱れた髪、重い瞼で彼女が相当無理をしているのが判った。後はこの能力で半日でも時を動かしてやれば業務終了。エナドリを飲まれたら危うかったが……。
「思わぬ獲物が釣れましたね。何日持ちました?」
一つ奥の柱に身を隠していた課長の吉永君が顔を出し、倒れた北上さんを優しくお姫様抱っこで持ち上げる。
「一日と持たなかったよ」
彼女は飲みの席でコンビニバイトを一日で辞めたことを語っていたのだ。心無いクレーマー対応に嫌気が差したのだという。
悪いけど、再現させてもらった。すまないね。
「――彼女を頼む。VIPが来た」
正面ゲート方面からコツコツと足音が近づいて来た。先ほど通った雑な音を鳴らす安藤とは違い、気品を纏いながら軽やかに奏でている。それ故に異様な不気味さを臭わせるが、音の主は恐らくあの女性――。
吉永君は監視カメラの死角を辿りながら安全な場所へと北上君を運んで行き、私はネクタイを締め直してから時計を見据える。
足音の主はこちらの存在に気付いているだろう。しかし、それでも歩みを止めようとしない。
確認のため横目で一瞬通路へ視線を向けると、コンマ1秒で視線を壁に背けた。そして鼻から大きく息を吸い、口から目一杯の溜息を漏らす。
おいおいおい……今からアレを相手にしなければならないのか……。
以前会った時とはまるで別人。優雅に歩いているが表情に余裕は無く、近づく者を全て斬り裂く危うさがある。振り子のように大鎌を揺らす様がより一層恐怖を惹き立てている。
私の妻も恐ろしい時があるが、アレは笑えないレベルの真の恐怖と言うやつだ。もはや男女の括りで考えてはいけない。アレは正に獣――。
「ワーク・オブ・ジ・エンドレス――会議室モード」
勇気を振り絞り、時計を見つめながら唱える。
この能力を選んで心底良かったと思えた。問題はあの状態で話を聞き入れてくれるかということだが……。
空間が歪み、会議室を形成。対面の席には今回のVIP客――御代真奈が座っている。変わらない表情に冷や汗が止まらない。
「お久しぶりですね、部長さん」
私を認識してくれたのか、彼女の表情が和らいだ。この摩訶不思議な空間にも動じず、涼しげに対応する様は流石と言えよう。我が社に潜入しただけのことはある。
「あの……お身体の方は……?」
「ええ、ご心配なく。私は大丈夫ですよ」
様々な人を見てきた私だが、ここまで心情を読み取れない人はいなかった。
本当に大丈夫なのだろうか……。
しかし、私の能力ではどうすることもできない。
「この能力は前回貴女に仕掛けたものとは違い、ただ情報共有するための場です。体内時計だけは互いに進みますので、簡潔に話しましょう」
私は大まかな人員配置と柚原君による起爆装置の無効化など、知るうる限りの情報を伝えた――。
「貴方のご主人の処罰を命じたのは、あの才神でほぼ確定しています。更に今、娘のマキナさんを手にかけると宣言していました。このままヤツの思い通りにさせるわけにはいきません。どうか……我々が処罰を行える時が来るまで、貴女には時間を稼いで頂きたい」
机に額を擦り付ける。
「復讐を望むお気持ちは理解できます。ですがここは堪えて、我々に奴の処罰をさせて頂けないでしょうか?」
これは我々執行者の問題、延いてはこの国の法を揺るがす問題。身内の……それも法を司る側が法を犯すようなことはあってはならないのだ。これを許してしまえば、この国は本当にただの実験施設に成り下がってしまう。
「解りました」
「えっ……?」
あまりにあっさりと素直な答えが返ってきたことで、つい呆けた声が出てしまう。
「私はマキナが無事ならそれでいい。その後のことは……お任せします」
顔を上げると、亡き母を思わせるような穏やかに微笑む女性の姿があった。
「何と……」
私達は彼女が復讐心に呑まれているかと思っていた。しかし、この人は既に覚悟を決めているのだ。全ての行動が我が子の為だと言いたげに眼で語る。彼女は獣でも、狩りを行う獣ではなかった。子を護る母として、周囲に殺意を蒔いていたのだ。
「貴女の犯した罪は重い……。我々の落ち度を考えても拭い去れるものではないでしょう。しかし、お二人の間を引き裂くことは絶対にしないと約束します」
これは執行法取引だ。協力を得るために減刑する。ここまで複雑な取引は前例が無いが、無いからこそマキナ君を悲しませないような刑を望めるかもしれない。
そんな希望を与えたのだが、彼女は黙って首を横に振った。
「私の手は汚れてしまった。あの子を抱くことはもう……」
自責の念があるのか、弱弱しく顔を少し下に傾ける。
恐ろしい力を持っていても、人の子、子の母。人の心を捨てていなかったのだ。
「それを聞いて安心しましたよ。貴女が嫌がるならば、充分な刑になりますからね」
紅露先輩、茅間先輩、私。皆がマキナ君の家庭復興を望んでいる。
「もう一度支えてあげて下さい。まだ彼女には……貴女が必要なのですから」
言葉は返らなかった。俯いたまま微動だにしない。
やはり後の事を考えていないのか、仮に作戦が成功しても彼女を娘の元に返すのは容易ではないだろう。それでもいい。彼女が敵ではないと認識できただけでも収穫。
私はこれ以上言葉を発することが出来ず、空間が戻りゆく中――ありがとうございますと、微かな声が聞こえた。
◇
処刑エリアの扉。鉄でできたこの重苦しい扉を開けば才神が出迎える。
俺は舌打ちをしながら「面白くねえ……」と吐き捨てた。
奴の命令で終点前に来たものの、結局殺ることは何も無い。これじゃあ暇を持て余した警備員だ。何の刺激も有りやしねえ。
俺は才神の命令でここを動くことが出来ず、更にお預けの命令も食らってしまった。御代真奈っつー獲物を前にしても素通りさせろ……と。
反抗してやりたいが、頭の爆弾がそうはさせてくれない。
零級になったはいいが、結局ソレの所為で『楽園』にいた頃より能力を使う機会がめっきり減ってしまっていたのだ。
どうにか監視の目を避けて遊べないかと思案していると、カツカツと分岐路の奥から一人の足音が響き渡った――。
その音だけで、ただ者ではないと思わせる何かがあった。
音の主は勿論、黒ドレスの女――御代真奈。
大鎌を先に見せながら、右の通路からやって来た。
本当に負傷しているのか。その所作から苦痛や疲れは微塵も感じられない。
驚くべくは奴が纏う異様な空気。ただこちらに向かって歩いているだけなのに、死がやって来るかのような威圧感。これはまさしく――。
「まるで獣だな。御代真奈」
決して弱みを見せない野生動物そのものだ。
しかし俺には解る。奴にはもう余裕は無い。我が子を守る獣の如く、殺意がビンビン伝わってくるぞ。
「次は貴方?」
「手負いの獣ほど恐ろしいものはない……。どうぞ、お通り下さいませ」
両手を上げ、扉から遠ざかり壁に背をつける。
無論、本当に引き下がるつもりはない。
あの男の命令など知ったことか。背中を見せた瞬間、傷口を更に抉ってやろう。
気高く振舞うこの女はどのような苦悶の表情を見せるのか……想像しただけでゾクゾクする。
そんな考えを見透かされたのか、すれ違いざまに心臓を抉られるような鋭い眼光が突き刺さる。
「おお……怖い、怖い。そんなに睨まなくても手出ししないよ」
冷や汗が止まらなかった。自分の考えが如何に浅はかだったか思い知る。
手負いの獣ほど恐ろしいものはない――自分で口にしておきながらそれを体験してしまうとは。
どうやら俺の認識は間違っていたようだ。コイツは獣ではない――死神。
その見た目通り、死を振り撒く存在。世の中には触れちゃいけねえ奴がいるって話があるが、コイツが正にそれだろう。
視線を外されて安堵した。ここまで死を間近で感じたのは久しぶりだな……。
女が扉に手を触れようとしたら、扉は軋む音を立てながらひとりでに開いた――。
先を見据える女の後ろ姿に、隙は欠片も無い。俺はただ黙って扉が閉まるまで女の後ろ姿を見続けるしかなかった――。
まあいい。
これで才神も、あの女に夢中になるはずだ。
と、いうことは――。




