第40話 御代真奈 VS 薬師寺狂命
「――これを躱すか! やっぱ俺の見込んだ女だな!」
不意打ちの凶刃が外れたことで、男が歓喜に震えた。
――御代真奈、薬師寺狂命。
同じ目的を果たさんと処刑場に向かう二人が並び立ち、共に人気の失せたスクランブル交差点を闊歩している時だった。
突如放たれた決別の刃。女の首に向かった剣閃は空を切った。
心を許した味方への抜刀。間合いを詰める必要は無く、顔も体も正面へ向けたまま、ただ横に振り払うだけ。予測していなければ確実に首と胴体が離れていただろう。
御代マキナも紅露ひな子も才神渦悪棲も、この展開を予測できなかったが、御代真奈だけは予測していた。長い付き合いで、男の本性を読み取っていたのだ。
「殺気が隠せてないから」
涼しげな表情で裏切り者を見据える女。黒いドレスをヒラリと舞わせ、間合いを空ける。
真奈は常にこの瞬間を警戒していたのだ。
外出禁止令が発令され、人も車も存在しなくなったスクランブル交差点という闘技場に邪魔者はいない。最も闘志が高まる今こそが最高のコンディション。薬師寺という戦闘狂がこの機を逃すはずはないと、既に臨戦態勢に入っていたのだ。
「予測してたか?」
「貴方の考えそうなことでしょ」
「ハッ!」
薬師寺は楽しそうに笑う。
自分の思い通りにいかないことこそが、最強の称号を与えられた男にとって最大の悦びなのだ。
確実に殺すつもりで斬った。それで殺されるようなら戦うに値しないと。
しかし、躱された。己の本性を見透かされた嬉しさ、想像以上の成長を魅せる弟子への感動が混ざり、男は期待感に胸を膨らませる。
「おめえが万全な状態で殺っときてえからよぉ。悪ぃな、ここで死んでくれ」
「お断り。デスサイズ・オブ・リベリオン」
拒絶の言葉と共に女は唇に人差し指を添えて唱えると、その艶やかな姿に似つかわしくない禍々しい大鎌を出現させた。右手にそれを携え、優雅にクルリと一回転させる。黒いドレスで軽々しく振るうその姿は、まさに死神のよう。
されども男は怯むことなく、新作のゲームを楽しみにする子供の如くはしゃぎだす。
「それと闘りたかった! この三年間っ、どれほど待ち望んだか!」
「貴方も使えばいいのに」
「ドーピングは主義じゃねえ! それに、挑戦者側の方が燃えるんだよお!」
それこそが薬師寺が『S-Pad』を扱わない理由だった。最強の男が更なる力を手にすれば、誰も彼に敵わなくなってしまう。もっとも、それ以上に彼は己自身の肉体を愛している。そもそも楽に力を手に入れることなどは、彼のポリシーに反するのだ。
最強の力を手にした女、御代真奈。世界最強と呼ばれる男、薬師寺狂命。
宿敵を前にする前哨戦。今、頂上決戦の幕が開ける――。
◇
同時刻、処刑エリアにて――。
「御代真奈と薬師寺が戦闘を開始しました」
「何だとぉおおお!?」
モニターを凝視する北上の報告に対し、机に拳をぶつけながら才神が怒りを露わにする。
その様子にマキナはビクッと身体を震わせるが、瞬時に状況を整理した。
先に手を出したのは師。彼の性格を考え、有り得ない話じゃないと受け入れる。
ただ、このタイミングは予想外だった。自分の居ない所では説得もできない。どうしようもない状況にマキナは目を閉じ、唇を噛みしめた。
「あの……これで潰しあってくれれば良いんじゃ――」
「良くはないっ!」
才神が再び机を叩き出し、「ひっ」と北上は驚きふためく。
両者を殺すだけならここまで回りくどいことはしていない。幸か不幸か、マキナも才神も真奈を呼び出すという目的は一致しているのだ。ここで真奈が殺されてしまえば、二人の目的は崩れ去り、舞台は混沌へと向かうだろう。
「クソっ……よくよく考えれば奴の考えそうなことだった。安藤に繋げ!」
体を震わせながら北上はマウスを操作する。
『はい。こちら安藤です』
気怠そうな声がスピーカーから響く。
「今すぐ薬師寺を止めろ! 可能ならば殺せっ!」
『いや、モニターで見てますけど無理ですって。どっちもバケモンですわ。俺の『S-Pad』知ってるでしょ? 割り込みは苦手なんすよ』
それぞれのゲートは天井から吊るされている特大モニターにて北上が操作しているPCの映像が送信されている。安藤はそこで高速の刃をぶつけ合う二人を観ていたのだ。
「くっ……!」
ここへ来て初めて焦燥を見せる才神。
薬師寺にとって真奈を殺すのはいつだってできたはずなのに、わざわざ才神に見せつけるようにこの局面で仕掛けられたのだ。それも監視カメラで観戦しやすいスクランブル交差点。してやられたことで、『CHAOS』への更なる憎悪を募らせる。
「見守るしかないのかっ……!」
マキナも才神も、ただ祈るしかなかった。
誰の邪魔も入らないその死闘を――。
◇
刃と刃がぶつかり合う音が、間を置かずに何度も響き合う。
空が夕日に染まる帰宅時間。外出禁止令が出されていなければ多くの人々が行き交っていただろう。
今このスクランブル交差点に、歩行者も自転車も自動車も無い。
閑散とする道路に、ただ二人だけが圧倒的な存在感を醸し出していた。
大鎌の先端――貫通能力を得たその部分だけを避けるように、片手で振り払われる刀が大鎌を弾く。二度、三度、弾かれる度に伝う衝撃が女の手を震わせる。
無能力というハンデを背負いながらも、圧倒的な技術と経験で補えるのがこの男、薬師寺狂命――。
国際テロリスト組織『CHAOS』開設当初のメンバーにして、世界最強と呼ばれる男。不死身を思わせる肉体と常人離れした怪力に洗練された武術は、八百人の武装部隊を一夜にして壊滅させるほどだ。
対するは体格と経験が劣りながらも、異能力を最大限に駆使しながら反撃の暇を与えない怒涛の攻撃を展開する女、御代真奈。
三年前に夫を殺され、復讐を決意した彼女は薬師寺に弟子入り。その異様なセンスと才覚で短期間ながらも数々の強敵を圧倒してきた女は、疲れを見せず更なる攻勢を強めていく――。
「うおっとお!」
剣劇中に首元へ見えない刃が男を襲う。常人ならば反応すらできないだろうが、男は殺気と空気の僅かな揺れを察知し、目で確認することなくしゃがみ込むことで躱した。
常識で考えてはいけないと、女は追撃の手を緩めず見える刃と見えない刃を二撃、三撃と畳み込む。
しかし、それも決定打にはならず、硬直状態が続く中――男が仕掛ける。
見える刃が刀に触れた瞬間、女の手に衝撃が伝わることなく刀をすり抜けた――が、女は即座に大鎌から手を離す。弟子である女の頭には師の戦い方が刻まれている。故に、即断即決で対処できるのだ。
反撃の隙は与えまいと逆の手で小鎌を取り出し、縦一閃に振り下ろす――も、男はそれを紙一重で躱す。
「危ねえ。俺を洗脳する気か?」
「さあ?」
コピーした『ナイフ・オブ・ジャック』の能力。『S-Pad』を持たない薬師寺にとって最大限に警戒しなければならない能力だ。当たれば即座に洗脳完了。この戦いの幕引きだ。
女はもう片方の手で腰から手品師のように小鎌を取り出す。よろめいている男にすかさず不可避の二撃目を入れる。
男は躱さなかった――けれども当たらない。横一閃の刃は人差し指と中指の間で掴み取られてしまう。
女は怯まずにもう一方の小鎌を振るうが、それも同じ様に受け止められてしまった。
カランと、足元には男の刀が転がり落ちる――。
「さあ、どうする!?」
女は意にも返さず足を突き出し、男の鳩尾にヒットさせた。
「うおっ!」
漸く与えた初撃。のけぞった男の隙を見逃さず、女は落ちていた刀を男の遠くへ蹴り飛ばした。
「てっきり金的かと身構えたぞ。良い読みだ」
女は不敵に笑いながら小鎌を背に戻し、人差し指を唇に当て名を唱えると、再び大鎌を呼び出す。
――私の追撃はまだ終わらない。
大鎌が戻ってきたことで、再び男の首元に死角の刃が襲った。
『デスサイズ・オブ・リベリオン』の能力、死角の刃は大鎌を手にしていなければ発動できない。それは本人と製作者にしか知らない条件だが、男にとってそんなものは隙でも弱点でもない。
今度は躱すことなく見ることもなく、素手で受け止めてしまったのだ。
「段々慣れてきたぜ」
指先で水面に張られた氷のように砕かれる死角の刃。その光景に怯むことなく、女は更に連続で死角の刃を放った。
しかし、それら全てが男に触れることなく、刃の腹を拳で砕かれてしまう。
死角の刃は完全に攻略されてしまったのだ――。
「刀が無ければいけると思ったか? 悪ぃが、俺の武器はこの肉体だ」
右足を後ろに、上げた左手は掌を相手に向け、右手を腰の位置に置き掌を天へ向ける。多くの難敵を屠り長年培ってきたその構えは欠片も隙は無い。
「来い。とっておきを見せてやる」
「お断り」
強烈なプレッシャーにも動じず、女は大鎌を振りかぶり、男目掛けて投げつけた。
「そう来るかよ!」
一瞬、躱すかいなすか迷った男は、構えを解きしゃがみ込んだ。すると回転する大鎌がフッ――と消え、同時に前方より二本の小鎌が襲いかかる。
地を蹴り、側面へ逃げ込むと更に大鎌が向かってきた。
「しつけぇ!」
今度は大鎌の刃を素手でキャッチ――その瞬間、間合いを詰めていた女が大鎌を蹴り飛ばす。
「げっ!?」
大鎌に引っ張られ、半分背を向けた男へ回し蹴りを見舞う――が、男は肩でそれを受け止める。
蹴撃による勢いは殺され、男の身体はビクともしない。反動で下がった女は追撃を止め、態勢を整えた。
「流石に堅い……」
右足の甲が赤く腫れあがる。電柱でも蹴ったかのように衝撃が跳ね返った。
「その程度の打撃は通じねえぞ!」
「打撃は……ね」
攻撃を当てた女の方がダメージを受けている。
それ程までに男の身体は強固かつ、受け方が洗練されているのだ。
「攻撃は最大の防御と言うが、俺は防御こそ最大の攻撃だと思っている」
まるでハリネズミ。触れれば手痛いしっぺ返しが待っている。
「しかし、良いセンスだ。俺が今まで殺ってきた連中の中でもトップクラスだぞ」
「それはどうも」
「にしても、そのヒラヒラとしたドレスは何だ? うっとおしくねえのか?」
真奈が纏うは漆黒のドレス。決して戦闘に適した服装ではないのにも拘らず、戦いに赴くときは常にそれを着ていた。
「必要なの。私が私を演じるために」
女は人差し指を唇に当てて答える。
それは真奈の衣装であり死に装束。戦いに身を置く時は必ず着ると決めているのだ。
特に思い入れがあったわけではない。闇夜に紛れるためでもない。
大鎌を携えるその姿を、ある男に死神と揶揄された。ある時は死を呼び寄せ、ある時は命を刈り取る。そんな存在に己を重ねた彼女は、果たすべき復讐への覚悟として死神を演じていた――。
「デスサイズ・オブ・リベリオン」
再び出現する大鎌を右手で携えると、半身になり前へ突き出した。刃は下向きに、地面と平行線を描く。
その行動は決別と決着の意思。ここで終わりにするという言葉の表れを男は感じ取ると、先程と同じ構えをとった。攻防一体の構えだ。
「残念だけど、貴方に構ってる時間は無いの。終わりにしましょう」
「ハッ! そうかい。楽しい時間はいつも一瞬だ。仕方ねえ……俺が勝っても渦悪棲君はブッ殺しといてやるから安心しとけ」
「そう? ありがとう。……でも、勝つのは私」
暫しの静寂の後、大きく息を吐き出し、呼吸を整えた男が動く。
腰を落とし、地表を強く蹴り出した。
――その大鎌はフェイク。俺との距離を測るためだろう。
男はそう確信し大鎌を横切ると、大鎌は女の手から離れた。
男の予想は的中していたのだ。しかし、大鎌を捨てた女が何をするのか。まだ見ぬ奥の手を引き出すため、男は罠だと知りながら躊躇いなく飛び込んだ。
そして、射程圏内に入れると足元のコンクリートが砕け散る――踏み抜いた衝撃で舞い上がったのだ。
そこから繰り出される一撃は人の反応速度を凌駕する瞬速の拳。
――拳を突き出す瞬間を見てからじゃ遅い、来る前に躱す!
真奈は知っていた。師である薬師寺が己の手の内を全て明かしていたからだ。
それは特別な技でも何でもない、ただの正拳突きだ。しかし、その威力と速度は人の領域を逸脱している。当たれば確実な死――。
ふわり――女の身体は鳥の羽の様に軽やかに動き、拳は左脇腹を掠めた。
大鎌を離すと同時に全身の力を抜き、男が踏み抜く瞬間に身体を逸らしていたのだ。
「やはりカウンター狙いか。しかし……こいつは予想出来なかったな……」
男の心臓部に……女の左人差し指が突き刺さっていた。
「貫通能力は鎌だけじゃないの」
男は己の防御力を過信し、飛んでくるのが小鎌でも無かったため受けてしまったのだ。そこには興味本意もあったのだろうが。
「がっ……!?」
口から赤い鮮血が吹き出す。
吹き出したのは――女の口からだった。
「ぐっ……掠っただけなのに……流石っ」
女は脇腹を抑え、片膝を地に着ける。激痛に耐えながらも眼前の敵を見据えた。
「お前こそ。アレを躱されるとは思わなかったぞ」
指が抜かれるも、男は立ったまま硬直する。
「弟子をとるのも……悪かねえな」
半信半疑で始めた弟子の育成。目まぐるしい成長を魅せる弟子に対して、男は育成方針を変えた。協力者から好敵手へと――。いつかは己を殺す者として、全てを見せ、全てを与えたのだった。
男の両膝が崩れていく――。
「……見事。この勝負、お前の勝ちだ……」
念願を叶えた男は、正面から地面へと倒れ込んだ――。
夕日が静寂を取り戻した交差点を赤く染めていく。
黒ドレスの女は大鎌を拾い上げ、倒れた男を一瞥すると前へと歩み出す。
内臓の損傷による痛みに耐えながらも、ゆっくりと――愛する娘の元へ向かって行った。
◇
「くっ、ははは……ハッハッハッハッハッ! ザマァないな薬師寺ぃっ!」
つい先程まで固唾を飲んでモニターを凝視していた男が感情を爆発させた。
「お前の敗因は『S-Pad』を使わなかったことだ、間抜けめ! だが良い置き土産を残してくれた。真奈は負傷、能力も変わりないことが証明された! 全くもって馬鹿な男よ!」
才神にとって最も都合の良い展開になってしまったのだ。本人にとってみればもはや消化試合。不足気味だったセキュリティもこうなってしまえば過剰でしかない。
「北上君。全員に御代真奈を素通りさせろと伝えたまえ。電光案内板での誘導も忘れずに。正面にいる本部の執行者には念のため薬師寺の死亡確認。それから……安藤に繋いでくれ」
要求の多い注文に嫌気が差しながらも了承し、彼女は必死に手を動かす。まずは安藤へ通信を繋ぐと、迷路の答えを表示する電光掲示板を遠隔操作で起動させた。
『――はい、安藤です』
「判っているとは思うが、真奈には手を出すな。もし手を出せば……」
『判っていますよ。ちゃんと貴方にお譲りしますって』
「よろしい」
安藤のみ直接釘を刺す。それは彼の性質を見抜いてのことだった。
「ようやくだ。ようやく君に逢えるよ……真奈」
忙しなくキーボードを叩く北上の横で、男は悪魔の様な笑みを浮かべていた――。
「さてと……」
画面に映った真奈の姿を堪能した男はモニターから目を離し、処刑台の前へと足を進めた。
俯いたまま微動だにしないマキナへ密着しそうになるまで近づくと、見下しながら口を開いた。
「マキナ君。念のため言っておくが、君らの頭の中にある『S-Pad』には起爆装置があってね。この端末から操作できるのだよ」
これ見よがしにマキナの眼下へスマホを翳す。それは紅露ひな子が求めていた目的そのものだった。
「恨まないでくれよ。これは私が管理者になる前からあったんだ。万が一裏切り者が出た場合、簡単に処分できるようにってね。ただ……これだけじゃ不十分だと思わないかい?」
マキナの脳内に不安が広がる。
なぜ端末の所在を明かしたのか。なぜ反抗的な安藤が記憶を残したまま従っているのか。
その答えが明かされる――。
「登録されている管理者に攻撃するとね。起爆装置が自動的に発動するのさ。これは博士でさえも知らない管理者が極秘に仕込んだ機能だ」
「……!」
「おや……、流石は親子といったところか。いい表情をするじゃないか」
顔が青ざめていたのか、マキナは口に出さなくても返答してしまう。
才神は疑っていたのだ。マキナの謀反を。だが男によってはどちらでもよかった。『S-Pad』を付けてしまった時点で、もう彼女にはどうすることもできないのだ。
柚原リリカが間に合わなければ、文字通り執行者は何もできないだろう。
「死にたくなければ黙って見ていたまえ。……どの道、君の処刑は予定通り行うがね」
マキナの唇が震える。それは脅しに屈したからではない。狙われることは想定していた。覚悟もしていた。
なぜそんな重量な情報を漏らすのか――。
余程自分の能力に自信があるのか、まだ隠された手段があるのか、男は無防備にも背を向ける。
得体のしれないプレッシャーが、彼女を恐れさせた。




