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第37話 別れ

 私は全てを話した。彼女達に黙って作戦を遂行していたことを、『楽園』のことも、『起爆装置』のことも。そして――起爆装置を無効化できる力の存在を。

 そんな遠ざけたくなるような話なのに、皆は表情を変えることなく真剣に聞いてくれた。部長の能力による制限が無くても、私の話を遮ることはしなかっただろう。私の行動に異を唱える紅露さんだけを除いて――。

 

「いいよ。マキナが一生懸命悩み抜いて出した答えだって感じられたから。だからあたしは、どんな願いだろうと受け入れられるよ」

 リリカは何事もなかったのように、落ち着いたまま私が想定していた答えを並べる。

 誰よりも辛い選択を強いられているのに、その声と佇まいは波の音が聞こえる海岸の如く穏やかだった。

 解っていた。だからこそ言いたくはなかった。

 だけど、紅露さんも茅間も失いたくない。二人とも、私にとって大切な人になってしまった。

「駄目だ、よく考えろ! 今ここにいるリリカは、二度と戻らないんだぞ! そんなの……死んでいるのと変わらないじゃないかっ!」

 能力の制限が終わり、その見た目を活用するように紅露さんは取り乱す。

 解ってる。単純な記憶喪失とは違うんだ。人為的に消された記憶を取り戻せる保証なんてどこにもない。

「大丈夫だよ。死ぬわけじゃないんだから。あたし、やっと皆の役に立てることができて嬉しいんだよ」

 このリリカがもう戻らないと思うと、また涙が込み上げてくる。

 私は逃げるように俯いた。

「マキナ」

 優しい彼女がいつものように私の名前を呼ぶ。

 顔を上げられない。目を見るのが怖い。

「ありがとう。頼ってくれて」

 やめて……自分の選択を……後悔したくなる。

「手術はいつですか?」

 何でそんなに冷静なの……? 何で受け入れられるの……?

 私を卑怯者だと罵ってよ……。

「作戦開始は明後日です。なので、明日にはもう……。術後の安静期間も省かねばなりません」

 部長の返答も残酷なものだ。今のリリカでいられるのもあと僅かで、記憶を消されてからも大きな負担を強いられる。

「解りました。それなら……最期に思い出作りがしたいな。忘れちゃうけど」

 きっとリリカは笑っている。どうして笑えるのか……。

 その発言も変だ。どうして自分で決めてるの……?

 いつも私に決めさせてたのに……どうして……。


「もうウチからは何も言えん。……我儘があるなら言ってみな」

 遂に紅露さんまで観念してしまった。

 自分で決めたくせに、私だけが事実を受け入れられないでいる。

「じゃあ約束通り、飲み会で」

 机が消え、足元の景色が歪んでいく。部長が能力を解いたんだ。

 発動中は現実の時間は止まるが、会議室で過ごした時間の分だけ、現実に戻ったら過労となって消費されるらしい。今回は二時間分の労力であったため、戻ってもそれほど違和感は感じられなかった。

 私は地面に膝をついたまま、現実へと帰ってきた。

「それでは、名残惜しいでしょうが……送別会と行きましょうか。場所は取ってあります」

「……行くぞ。テメェが決めたことだ。しょげてる時間が勿体無え。だから……最後まで笑顔で付き合ってやれ……」

 紅露さんに手を引かれ、顔を俯かせたまま立ち上がる。

 私が言ったんだ……私が……応えてあげなくちゃ……。


 ――送別会は三次会まで行われた。ボーリングをしたりカラオケに行ったり。

 笑顔のまま別れたい――。

 それがリリカの願いだったので、私はその願い通りに作り笑顔で対応した。

 必死に盛り上げようとするながに、得意の宴会芸を披露する部長。

 皆笑っていたが、心のどこかで陰りがあるように……無理をしているかように見える。

 だけど一番無理をしているのは……リリカ本人なのだろう。

 一番辛いはずなのに、一番私の笑顔を求めているはずなのに、私は……。

 最後まで彼女に何もしてあげられなかった――。

 

      ◇


 日付が変わり、目が覚める頃には日は登りきっていた。

 寝つけずにベッドの上で自問自答を繰り返していたのに、いつの間にか深く眠ってしまっていた。

 ここはビジネスホテルの一室。ベッドにシャワー室とトイレだけの最低限の狭い間取りに、リリカとすいの姿はない。

 最後に三人で一緒に寝たかった。だけど……明日に備えるからと、リリカに断られた。

 その理由はきっと嘘だ。私のように決心が鈍るのを恐れたんだろう。それか、泣き顔を見せたくなかったのか――。

 

 寝坊した私は慌てて支度をし、ホテルのチェックアウトを済ます。

 メールを確認すると、彼女達は既に研究所へ向かったとのこと。

 ホテルの自動扉を出て直ぐ、日光の下で制服を着た小長谷が待っていた。

「よお、お前が寝坊とは珍しいな」

 口調はいつも通りなのに、表情や声に優しさが見え隠れする。いつもの彼ではなかった。

「起こしてくれてもよかったのに……」

 大事な時間を無駄にしてしまった。悪いのは私なのに……。

「柚原が寝かせてやれとさ……。心配しなくても、お前が来るまでアイツは待ってるってよ」

「何で……」

 こんなこと今までに無かった。どうして……。

 もう彼女は、私の知っているリリカじゃない。いや、戻ったんだ。これが本来の彼女の精神。無理矢理自分の枷を抉じ開けて――。

「柚原の目……腫れていたよ」

 やっぱり泣いていたんだ……。

 平気でいられるわけがない。罪悪感に締め付けられる私の胸の痛みなど比べ物にならないほど辛いはず。

「俺はあんまりあいつのこと知らないけどさ、あいつはお前に……認められたいんじゃないかな?」

 違う……本当に認めてほしいのは……。

 両の拳を握りしめる。

 自分の無力さが嫌になる。

「行こう。高柳さん達が待ってる――」


 車が忙しなく行きかう隣の歩道で、小長谷は一方的に意気消沈状態の私に話し続けた。

 一級の人は纏めて茅間さんの車で本部へ行ったらしい。リリカと翠は三浦係長が運転する部長の車で一足先に研究所へと移動している。残りのメンバーは、私達と高柳さんとクミミン。

 少し歩いた先の有料駐車場に、ポツンと一台だけ残るピンクの軽自動車が見えた。助手席から控えめな笑顔で手を振るクミミンに誘導され、後部座席に乗車した。

「――私たちは、貴女たちに感謝してもしきれません。二人が決断しなければ、ひな子様は……」

「お姉さん達に出来ることがあるなら何でも言ってね。記憶を取り戻すために……力になるから」

 私は感謝される立場じゃない。優しい言葉を投げかけられるたび罪悪感が膨らみ、「はい」とか細い声で返すことしかできなかった。

「もう私たちは運命共同体です。私への報告が遅れたのは解せませんけどね」

「まだ根に持ってるの?」

「貴女より後なのが気に入らないんですよ。私の方が先にひな子様に逢ったのに」

「たかが一年でしょ」

 重苦しい空気を変えようとしているのか、二人がいつものように口喧嘩を始める。

 私と小長谷は研究棟まで、ただ黙ってそれを聞き続けていた。

 

 ――研究棟の前で、私だけ降車した。もう来るとは思わなかったこの場所に、再び足を踏み入れた。

 大人数で押しかけるわけにはいかない。見送りは最小限……私と翠だけ。

 静かに開く自動扉を抜けると、受付では部長が手続きを済ませていたらしく、何もしないまま警備員と地下行きのエレベーターに乗った。

 揺れる箱の中で、最後に何を伝えればいいか考えた。

 しかし、出てくるのは謝罪の言葉ばかり。彼女の求める言葉は今の私には紡げそうにない。

 いま私はどんな顔をしている?

 何も準備ができていないまま、無情にも扉が開いた。

 突き当りの研究室。いつも博士が待っていた場所には、リリカと翠だけが私を待っていた。

 普段と変わらない笑顔を向けるリリカと、別の場所に視線を向ける覇気を失った翠。

 最初に言葉を発したのは、やはりリリカだった。

「ごめんね、先に行っちゃって」

「ううん。いいよ……」

 リリカの目は……少し赤い。

 何でこの子はこんなにも強いのか。完全に立場が逆転してしまった。

「マキナを見ていたら……決心が揺らいじゃいそうで。ごめん、もう行くね」

 リリカは踵を返すと――全てを失いそうな気がして、不意に出してはいけない言葉を発してしまった。

「待って!」

 リリカの背中にしがみつく。

 私は……駄目だと解っているのに……、自分を止められなかった。

「行かないで!」

 それは彼女の勇気を壊す言葉。研究室へ向かうリリカの身体はピタリと止まる。

「あんた何言ってるの!? そんなこと言ったら――」

 ごめん翠……。ごめんリリカ……私は……。

「お願いだから……行かないでよ」

 言ってしまった。

 心の奥底に……しまっていた言葉を。

「ごめん……」

 リリカは振り返らず答えた。

 小長谷の言う通り、認めてあげなきゃ……。褒めてあげなきゃ……。

 だけどできない……私には。

「どうして! いつも私に委ねるくせにっ! どうして言うことを聞いてくれないの!?」

 まるで駄々をこねる子供だ。なんてみっともなく、卑しく、醜いのか。

 彼女が辛くなる言葉を容赦なくぶつけてしまう。

「マキナ……」

「嫌だよ……行かないで……お願い」

 涙が頬を伝い、震える声で懇願する。そこにはリリカが憧れていた、私の姿は微塵もなかった。

「……ありがとう」

 その言葉で一歩踏み出したリリカの背から、私の手は離れていった。

 滑り落ちた手は、そのまま膝と共に地に着いた。

「皆に出逢えたから、今のあたしはここにいる」

 リリカはくるりと振り向き――。

「翠。短かったけど、あなたといられてよかった」

「嫌な記憶の方が多いんだからさ、忘れた方がいいでしょ」

「そんなことない。あの記憶があったからこそ、今の翠に出逢えたんだ。今は感謝してるよ」

「バッカじゃないの!」

 翠は後ろを振り向き、そう叫んだ。

 ずっと我慢していたのだろうか、床には涙が零れ落ちている。

「マキナ。あなたにはいつも迷惑をかけちゃったね」

 迷惑なんかじゃない。

 私は……私が……。

「今のあたし……どうかな?」

 言わなきゃ……言ってあげなきゃ……。

「……うん。凄いよ……リリカ」

 精一杯振り絞って出た言葉は、味気ない言葉だった。これが私が彼女へ向けた最後の言葉。

 リリカははにかみながら最後に――。

「今までありがとう……二人とも大好きだよ。新しいあたしを……よろしくね」

 私はこの時の笑顔を一生忘れないだろう。それは何よりも輝いていて、美しく、女神のようだった。

 踵を返しポニーテールが揺れる。遠のいていく親友。自動で開いた扉の奥へと去って行く。

 行かないで……。

 リリカは振り向かないまま、ゆっくりと扉は閉まっていった――。

 

      ◇


 大切な友達との別れを終えた。

「博士……この部屋って……防音ですか?」

 震えた声で、椅子に座って待っていた博士へ尋ねる。

「ええ。大丈夫ですよ」

 両手で目を覆いながらペタンと膝を床につける。

 振り向いて手を振りながら別れたかった。でも、出来なかった。

 だって、もう涙が溢れていたから。顔はぐしゃぐしゃだった。見せられなかった。

 マキナに引き留められたことで、着丈に振舞っていた心が一瞬にして崩れてしまったんだ。

 だけど、嬉しかった。行かないでって、言ってくれて安心した。

 あたしは強くない。本当は――。

「マキナっ、翠っ、うっ……ああっ!」

 堰き止めていた感情が決壊したダムの様に流れ出す。

 あたしは目を覆ったまま、大声で泣き叫んだ。

 失いたくない、大切な記憶。

 せっかく皆と仲良くなったのに……。これから沢山思い出を紡いでいきたかったのに……。

 皆の為だと自分に言い聞かせて、逃げ出したい気持ちを押し殺していた。

 本当は――あたしは弱いんだよ……。

 弟が殺されてから、あたしの中の時は止まっていた。いや、止まっていたことにしていた。

 選択することから逃げ、何もかもマキナや両親に委ねた。

 甘えていたんだ。優しい人達に。ただ可哀想なあたしを演出していただけ。

 

 そんな面倒な女と、ずっと友達でいてくれたマキナ――。

 あたしが塞ぎ込んでから、気が弱かった彼女は変わった。あたしを励ますために、気を強く持ち、あたしを危機から遠ざけ、あたしの手を引っ張ってくれた。

 ずっとずっと文句の一つも言わず、あたしに合わせてくれた彼女。親と違って友達は変えられるのに、嫌な顔せず接してくれた彼女にあたしは甘えていたんだ。

 翠の弟さんに告白された時、あたしの中での答えは決まっていたのに、あたしはマキナに最低な選択を突き付けた。マキナに断って欲しかったから……。そこからはより一層、マキナに甘えた。

 ベタベタくっついている面倒臭い女がいることで、マキナは孤立していく。マキナに近づく男には、マキナの腕にくっつきながら睨み返した。

 剣道部の後輩からは特に嫌われてたっけ。マネージャーなのにマキナばかり贔屓してたから。

 カッコいい先輩の隣にはいつも嫌な先輩がいる。そんな状況だったから、皆マキナに声を掛けづらかったはず。あたしだけがマキナを独占していた。そう……あたしがマキナの青春を奪ったんだ。

 

 翠に狙われた時は怖かった――。

 それは彼女に対してではなく、あたしが彼女に迫られて行った行動が自己選択の連続だったから。

 マキナにバレたくない。ずっとこのままの関係を続けたいと、何をされても黙って耐え抜いた。表向きには弟さんへの罪悪感に耐えるように……。

 だけど、あたしが予想外に耐えてしまったせいで、翠は引き際を失っていた。嫌がらせを続けていくうちに、その表情は余裕が無くなり苦しそうに見えた。周りが楽しんでいる中、彼女だけは笑っていなかったからだ。

 素直に先生に話せばいいものを、あたしは自分の立場を守るために、状況をどんどん悪化させていたんだ――。

 再び翠と出会った時は、全てが崩れ去りそうな気分に襲われた。そして彼女に過去を明かされ、マキナにまで鞭で傷つけられてしまう。藻掻き苦しむマキナを見て、あたしは自分の愚かさを悟った。全てはあたしが招いてしまったことだと。

 マキナが苦しんでいるのも、翠が狂ってしまったのも、全てあたしが原因。翠に鞭で直接傷つけた時は、本当に辛かった。本来打たれるべきは……あたしなのに。

 

 そんな醜いあたしを……彼女達は知らない。結局心の内を曝け出すことのないまま別れてしまった。時間はあったのに、きっと受け入れてくれるはずなのに……どうしてだろう……。

 このまま都合よく消そうとしている。

 それが本当のあたし。弱くて惨めで卑怯で……それで――。

 

「柚原さん、貴女は……強い人です」

 博士があたしの肩に優しく手で触れる。

「違う……あたしは……あたしは……」

「記憶というものは……流れた涙の数だけ価値があるのです。貴女自身が流した涙も、彼女達が流した涙も……。そんな、ある意味命よりも重いものを……対価として支払う。他人のために。これを立派と言わず何と言いますか。なんて……ははっ。友の受け売りなんですがね」

 励まそうとしているのか、博士は照れ臭そうに頭を搔く。

 立派なんかじゃない。あたし以外に出来なかったから、あたしがやるしかなかっただけで……。

 本当にそう……?

 ううん、マキナに頼られて嬉しかった。辛い選択だったはず。

 今のあたしなんか消えた方がいい……そう思いかけていた。

 だけど……あんなにも泣いて……取り乱して。


 そっか……あたしって……価値があったんだね。


 袖で涙を拭い、立ち上がる。

 もう未来は変えられない。やることはやったんだ。

 鞄からノートを取り出し、博士に手渡す。

 寝ずに書いたあたしの人生の全てを、この先の自分へ託すために。

 更に一枚の写真を取り出す。飲み会の集合写真を、部長が用意してくれたんだ。

 皆が笑顔を作る中、マキナだけが眉尻を下げている。

 その写真を見ると、自分が幸せであることを実感した――。

 

 手術室のベッドに座り、博士の指示を受けて仰向けになる。

「『S-()Pad(パッド)』手術の前に記憶の消去を行います。準備はよろしいでしょうか?」

「はい」

「それでは、映し出される映像を見つめて下さい」

 四角い箱に包まれるカーテンに顔が覆われる。外からの光が遮断されると、箱の中に入っていたモニターから海の映像が映し出された。雲一つない青空と、穏やかな波が目の前に向かって流れている。水平線を見つめていると、波の音が聞こえてくるみたい。

「友が生きていれば……記憶のバックアップや修復が可能だったのでしょうが。いや、それ以前に私の力不足ですね……」

 友? 博士は友達を失っているの……?

「この機械によって記憶が戻った前例はありません。ですが……一度デリートしたデータを復元させられるように、貴女の記憶ももしかしたら……取り戻せるかもしれません」

 その言葉はもう今のあたしには届かない。すぐに忘れてしまうのだから。

 それは気休め。だけど新しいリリカにも、きっとこの人なら同じ言葉を伝えてくれる。

「それでは、記憶の消去を開始します」

 カチッと、何かのスイッチを押す音が聞こえた。

 あたしの中に眠る沢山の記憶が消されているのか、何も実感が沸かない。

 なんだか波を見つめてたら眠くなってきちゃった。

 

 さよなら……あたしの大切な――。


 ――。


 ――。


 ――。

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