第36話 残酷な願い
部長と白川を本部に残し、コツコツと足音を響かせながらウチと茅間は地下へと向かっていた。
中央のエレベーターから南へ進み、駐車場に停まっているであろう自分の愛車を探す。見慣れたピンクのフォルムを見つけると、軽自動車の運転席の窓を覗き込む。中ではクミミンがいつもの調子で楽しそうに助手席に向かって口を動かしているのが見えた。
窓をコンコンとノックすると、振り返りざまの笑顔と共に運転席のドアが開かれる。
「待たせたな。しばらくは本部に入り浸りだ。あっちには戻れねぇ」
ちょっと話があるからと言って、車中にいる二人を茅間の私用車へ誘導。
業務用端末を含めた私物はウチの私用車へと放り込んだ。
――この車に乗るのも三度目か。
慣れた手つきで助手席のシートベルトを締める。後ろにはクミミンとマキナ、それぞれ三人の美女がぼっち野郎の車に乗り込んだ。思えばコイツ、最近女ばかり乗せてんな。
「良いご身分だな」
「何がだよ」
そんなこと気にも留めずに野郎はさっさとエンジンをかけた。
「そんじゃ、回すぞ」
何処へ向かうのか。答えは何処にも行かない。情報共有のために本部周辺地域をドライブするだけだ。確実に盗聴されない車内で、互いに得てきた情報の報告をし合う。
地上に出ると、外はもう日が落ちていた。暗闇の中で街灯に照らされる道路を見つめながら、本部での出来事を語った。
「――作戦は通った。ただ、誤算があって……第零級、諸田と安藤が作戦に加わっちまった」
クミミンは心当たりあるみたいだが、マキナは知らないだろう。諸田は三年前、安藤に至っては八年前に消えた人間だ。
「諸田は俺の先輩だ。『御代透』の処罰を俺に譲った元第一級執行者。あの人なら真相を知ってるかもしれねえ。俺がどうにかして聞き出してやるよ」
諸田に関しては茅間に任せることにした。本人がやる気になっている以上、止める理由は無い。問題は――。
「安藤は一言で言えばクソ野郎だ。分かり易く言うと執行権を持った快楽殺人鬼。敵と認識されれば嬉々として襲ってくるだろう。なるべく関わらねぇようにしとけよ」
アイツに対してこれ以上言うことは無い。何故なら、ウチがブチ殺すからだ。救いようのない執行者の汚点。ヤツだけは生かしておけねぇ。
そんな話をマキナの前でするわけにはいかず、ウチの心の中に留めた。
死罰しなければならない。そんなどうしようもない相手がいるという現実を、新人はまだ知らない。才神がこれに該当しないか、それだけが気がかりだ。
「そんで作戦決行時、この邪魔な二人をどうにかしなきゃなんねぇ。茅間には諸田の説得。安藤はウチがなんとかしよう。で、本来ウチが負うはずだった役目は部長に任せるつもりだ」
部長にはまだ何も話していない。上と繋がっていない確証は得ていないが、今は猫の手も借りたい状況。ここは賭けになるが、仕方がない。
「この後、ウチが一人で部長に話をつけに行く。異論は無いな?」
「は~い」
「はい、問題ないです……」
軽い返事のクミミンに対し、マキナの声が弱い。気になって後ろ振り向くと、普段通りの冷静な表情で佇んでいた。気のせいか……。何も追求しないまま、ウチはここで顔を正面に戻してしまった。
「そんで、標的である才神だが……、ヤツについてはまだ何も解っちゃいない」
才神本人の実力は未知数。
堂々と待ち構えてはいるが、決して自分から行こうとはしない。ヤツの目的は十中八九御代真奈だろう。その証拠に、あの人にだけは殺しの命令を下していない。あれほど薬師寺を殺したがっているのに、だ。
その理由にはウチらの知らない何かがある。
「だが、ヤツは必ず自白する。御代真奈を引き合わせれば、きっと……」
「それだけで口を割るか?」
「じゃなきゃわざわざ自分から降りて来ねぇよ」
前例の無かった管理者の出現。更にこれまでのやりとりでヤツが自信家だということはよく判った。雑にウチら一級を薬師寺にぶつけた反面、御代真奈への対抗手段は充分に講じているだろう。
「恐らく『デスサイズ・オブ・リベリオン』に匹敵する何かを持っているはずだ。一筋縄じゃいかねぇぞ。……この作戦の要はマキナ、テメェだ。復讐に取りつかれたママを説得させる覚悟はあるか?」
「はい。私は大丈夫です」
微妙に心細くなる返事だ。
そうなるのも無理はない。まだ経験の浅いマキナに重大な役目を負わせるのは酷だが、他に適任がいないからな。この騒動の核である御代真奈を止められるのもマキナだけだ。
果たして敵を目の前にした母を止められるのか。こっちとしては才神に自白させさえすればいいんだ。マキナにさえ伝えていない裏の目的を果たす前に、才神を始末されては困る。
「で、万が一御代透が本当に反逆者だった場合だが……」
「あり得ねーよ。それはもう俺が散々調べ尽くした」
有罪だったら野郎が自責の念に駆られることは無い。十分過ぎるほど探ったのだろう。
「内容は研究データの流出だろ。なぜ断言できる?」
「動機が無え。御代透の研究は『S-Pad』とは無関係だ。記憶関連を担当してたらしいが、んなもんどこに流すんだよ。金の流れに不自然な点は無かったし、データの持ち出しに関しては徹底されたセキュリティが敷かれていた。決定的な証拠を見つけるために、半ば強制的に研究所に入ったんだ。あれ以上探しようがねえよ。それどころか探せば探す程不自然な点が浮かんできやがる。どこに誰に、どうやって流したのか、何一つ見えて来ねえ」
求めれば求めるほど、真実が遠ざかってしまう。茅間はそうハンドルを片手に左手でジェスチャーした。
「信じるぞ」
「ああ、命だって賭けていい。なんせ……。いや、何でもない……」
何やら複雑そうな表情で言葉を止めた。ただ、言葉の意味から察するに不安要素では無く、ここでは言いにくい内容なのだろう。
確証があるのならそれでいいと、ウチは話を次へ進めた。
「マキナ、起爆装置はどうにかできそうだったか?」
マキナは間を開け――。
「……いえ」
「ま、しゃーねぇか」
対して期待はしていなかった。あればラッキー程度だったし、それを前提に作戦を組んではいなかったからだ。
「作戦の配置は?」
ここで聴きに徹していたクミミンが発言した。何気ない質問だったから、その言葉の意味を深く考えずに普通に返してしまう。
「具体的にはまだ。ただ、情報の漏洩を恐れて日程は二日後になった。明日からは忙しくなるぞ」
ウチはここで話を終えた気になっていた。自分だけ言いたいことを言って、満足げにフロントガラスから夜景を眺めていると、背後から避けようのない言葉の槍が突き刺さる。
「私と杏ちゃんは……一緒に戦えるんだよね?」
その言葉に秘められた想いを理解するのに、時間はかからなかった。
普段より重たい声色。一人称がお姉さんではなく私。後ろを振り向かなくても表情が透けて見えるようだ。
クミミンにはこの作戦の役目を与えていない。何も言わなくてもウチと共に行動すると考えるだろうと、高を括っていた。当然、当日は引き離すつもりだったからだ。
所々に言葉を濁し過ぎたか、一人で戦うことを感づかれてしまったことに焦り、小さな手が震えだす。
普段のウチならここで、パワハラ上司のように強い言葉を投げていただろう。上司の命令に従えとか、足手纏いとか、言うことを聞かせるために立場を利用して黙らせていた。
けどそんな子供の反抗期のような態度は逆効果だと、もう理解している。だから……。
「ごめんな……。我が儘だって解ってる。だけど、今回ばかりは……ウチを立たせてくれないか?」
「嫌、ヒナぴよ死ぬ気でしょ? そんなの絶対許さないから!」
今度はクミミンが声を荒げる。あの時とは逆になってしまったな……。
この作戦、ウチの死亡率が圧倒的に高い。いや、死ぬつもりなんだ。
才神が最終手段として起爆装置を作動させるなら、陣頭指揮を執るウチが真っ先に標的となる。だけど、それでいい。
この作戦の裏の意図は起爆スイッチの所在を明かすこと。マキナには悪いが、才神の処罰は二の次だ。これまで起爆装置が使用された前例は無い。だが、それは必ず存在する。ヤツに従う諸田も安藤も秘書の北上も起爆装置の存在は明かされているはずだ。特にあの安藤が素直に従っているのが不自然すぎる。
ヤツが端末か何かで起爆装置を起動すれば、茅間と部長にそれを奪わせる。ウチが安藤との戦いに敗れれば、ヘイト役は茅間に代わる。その場合は最悪、御代真奈を頼らざることになっても致しかたない。
ウチはどうにかして後輩達の頭の起爆装置を取り除いてやりたいんだ。
そのためなら……この命を捨てることだって厭わない。
「大丈夫だって、ウチは高柳が来る前から一級なんだぞ。そう簡単に死なねぇよ」
結局ウチは本当のことを言えない。彼女達を大事に想うからこそ、真実から遠ざけたかった。
「二人にはちゃんと役目はあるから、心配すんなって……」
作り笑顔で後ろを振り向くと、そこには大粒の涙を流しているクミミンがいた。
初めて見る泣き顔。常に明るく、時には真剣に。ポジティブ方向に多彩な表情を魅せる彼女は支部の人気者だ。そんな彼女の意外な顔を見て、罪悪感でキリキリと胸が痛みだす。こんな顔をさせたくはなかった……。
どこで感づかれてしまったのか。裏の目的を。
いや、そこまでは解っていない。内に秘められた覚悟を読み取られてしまったんだ。
ウチはまた選択を間違えた。いつものように強い口調で否定するべきだった。
両手で顔を覆い、嗚咽を漏らすクミミン。そんな彼女に声をかけることができず、「ごめん……ごめん……」と何度も届かぬ謝罪の言葉を繰り返す。
すすり泣きと車の走行音が空気を重くする中、運転席の男の溜息が漏れた。
「もう言ってやったらどうだ。最後だろ……?」
そんなこと言うんじゃねぇよ、馬鹿野郎。
「隠し通せてねえじゃねえか」
解ってんだよ、んなことは。クソッ、頭の中がグチャグチャだ。こういう時に限って冷静になれない。
俯きながら両手を見つめていると、遂に茅間が裏の目的を話してしまう。
「俺達が犠牲になって起爆スイッチの所在を突き止めるから、てめーらがそいつを奪え。それがてめーらの役目だ」
ここが車の中でよかった。今二人の顔を見たら、決心が揺らいでしまう。
ウチは観念したように、小さく深呼吸して心の内を晒した。
「このまま才神に従い続けても、先が見えている。ウチは皆に同じ道を歩んでほしくないんだ」
一級になっても零級になっても奴らの呪縛からは逃れられない。
「ここは実験施設『楽園』。ウチらは奴らにとって実験動物でしかないんだ……」
そこから逃げるためには、起爆装置という枷を剝がすことが最低条件。自由を手にするためには、誰かが犠牲になるしかない――。
「あ、あの……」
微かに声を震わしたのは、マキナだった。
「博士が……『CHAOS』に依頼したらしいです……。起爆装置を取り除くために……。彼らに全てを任せれば……起爆装置も無くなるって……だから……」
「マキナ。それじゃあ駄目なんだよ。自分でも解ってて言わなかったんだろ……?」
マキナは賢い子だ。それでも泣きながらウチらを救うため、無駄だと知りながら希望を口にする。
『CHAOS』は信用できない。これが最も大きな要素だからだ。
「ウチがヤツらと手を組んだのは、利用するためだ。ヤツらの行いを許しちゃいないし、肯定してはいけない」
放っておけば犠牲者は増える一方だ。マキナと母を巻き込んだように……。
「ありがとな。ウチらなんかのために泣いてくれて……。でも、いいんだ。みんなのためなら……命なんて惜しくはない」
後ろを振り向くと、俯きながら目をこするマキナと、ハンカチで顔覆うクミミンが見えた。
ウチは幸せ者だな。
満足気に視線を正面の景色に戻す。
チラリと見えた茅間の表情は少し和らいでいた。
これでいい。これで良かったんだ――。
「違うんです……」
安堵の空気を否定したのは――マキナだった。
「あるんです……他に方法が」
――しまった!
その一言で察してしまった。マキナの考えを変えてしまったことに。
それは絶対に引き出してはならないパンドラの箱。リスクが無ければとっくに話していたはず。それはウチらの命と天秤に懸けられたリスクなんだ。聞いたら確実に後悔する。
「話さなくてもいい。碌でもないんだろ」
しかし、ウチの制止に構わず、マキナは泣きながら事情を話し続けた。
――起爆装置を無効化する『S-Pad』、『ニューロン・オブ・ジャマー』。
手術前に記憶のリセット。適合者は記憶力の優れた第四級以下の執行者。マキナがなぜ黙っていたのかが理解できた。これを聞けば彼女の性格上、確実に承諾してしまうだろう。
ウチらの命か彼女が刻んできた記憶か。そんなの、比べるまでもない。
「手術しなくていい」
茅間に目線を向けると、彼は視線を変えずに頷く。
「今のは聞かなかったことにする」
高柳とクミミンに出逢わなければ、今頃酷い人生を歩んでいた。皆のために死ねるんなら、命なんか惜しくはない。後輩の記憶を犠牲にするほど高尚な命じゃないんだよ。
「その話は心の中にしまっとけ。本人には言うなよ」
一応、「これは命令だ」と付け加えとく。
「ドライブは終わりだ。茅間」
「あいよ」
だけど、話してくれたことは嬉しかった。それだけウチらのことを想ってくれていた証拠だったのだ。
ウチも茅間も、清々しい気分に満ち溢れていた。これで、迷いなく進むことができる。今なら何でもできる――そんな気分だった。
しかし、満足しているのはウチらだけで、後部座席は重たい空気に押しつぶされ、二人はこれ以上言葉を発しなかった。
クミミンとは長い付き合いだ。ウチの意思を変えられないと解っているからこそ、ただ黙って泣いている。
ごめんな……。
――再び本部の駐車場に戻り、助手席から降りると、後部座席の動きが無いことに気づく。
気持ちは察しているつもりだが、このままでは先へ進めない。
ウチは扉を勢いよく開け、活を入れる。
「おい、いつまでしょげてんだ! さっさと降りろ!」
二人ともウチの声に全く反応せず、微動だにしない。
泣き止んではいるが俯いたままで、その表情は虚だ。
「――どうしたんですか、ひな子様」
不意に背後から思いもよらぬ聞きなれた声が届く。ハッと反応し振り向くとそこには――。
「高柳……何で?」
「ちょうどこちらに用があって、ひな子様の車を偶然見つけたんです。ほら、彼女達も一緒ですよ」
高柳の後ろを見ると、少し離れて柚原と水嶋の姿が……。
「リリカ……」
いつの間にかマキナが車を降りていた。
その目は赤く腫れ、涙が頬を伝っている。
最悪なタイミングでの邂逅。ウチは浮かれすぎて連絡を怠っていたのだ。
「おい、柚原との接触は禁止だ。近づくな」
マキナがその後にとる行動は容易に想像できた。引き合わせてはいけない。絶対に――。
「ごめんなさい……」
どっちに謝っているのか、その言葉の意味を考える間もなくマキナは歩き出した。
ウチは力強く、振り切ろうとしていたマキナの袖を引っ張り制止させる。
「命令違反する気かテメェ!」
地下全体に響くほどの声を張り上げる。そんな声に、マキナはピクリとも動じない。
「リリカっ!」
「やめろっつってんだろッ!」
それでも止まらないマキナを力づくで押し倒す。弱り切っているのか、その身体はあまりにも軽かった。
ウチはマキナの身体に乗っかると、胸ぐらを掴んで更に恫喝する。
「いい度胸だなテメェっ! その口焼いて塞いでやろうか!?」
「――ワーク・オブ・ジ・エンドレス。会議室モード」
突如、周囲の光景が歪みだす。
ウチの手は虚空を掴んでおり、風景の揺らぎに耐え切れず、目を閉じた。
「穏やかではありませんねぇ。緊急事態とみなし、『S-Pad』を使用させて頂きました」
聞き覚えのある男の声。その出所へ目を開けると、そこには机に手をつき椅子に座る部長の姿があった。
「部長……何で」
「ちょうど高柳さんらと会いましてね、紅露先輩が帰ってきたら飲み会に誘おうと思ってたんですよ」
部長の両隣には、部下と思しき男が三人座っていた。確か吉永と三浦と――この五級は新人か?
――いや、そんなことはどうでもいい。座っているってなんだ!?
「なっ、こ、ここは?」
周囲を見渡すと、まるで会議室のような空間――というか会議室そのものだ。
例に漏れずウチも気づけば座っており、駐車場にいたメンバー全員が向かい合わせで着座している。
「それでは会議を始めます。なお、発言に対する横槍は出来ませんのでご了承下さい」
「ふざけんじゃねぇぞ! 早く能力を解除しろ!」
長机を拳で叩くがビクともしない。自分の手が痛いだけだ。
「認められません。マキナさん、何があったか話して頂けますか?」
未だ泣きじゃくるマキナの様子に、事情を知らない者たちは固唾を呑んで見守っている。
部長の能力のせいなのか、声が出せない。
駄目だ――言うな!
「リリカ……ごめん……。私、リリカに残酷なお願いをしなきゃいけない……」




