第29話 帰還
「遅い……」
第一級とその補佐が占有する執務室。入り口の対面に小さい身体には不釣り合いな木製の広々としたデスクで、ウチは頬をつきながら呟いた。
今日はマリスチームが部長のいる支部から戻ってくる日だ。
しかし、勤務開始時間はもう二時間も過ぎている。あの真面目なマキナが遅刻するとは考えにくい。アイツなら土曜日に帰って来ていても不思議ではないというのに。
「スイスイもいるし、マッキーの思い通りにいかないんじゃない?」
勝手に他人の爪でネイルを試し塗りしながらそう話すのはクミミン。
人の爪で試すなよ……ってか仕事しろ。
『スイスイ』とは水嶋のことを言っているのだろう。確かに気難しいアイツに手を焼いているのかもしれない。
……組ませたのは失敗だったか?
「一応連絡しとく?」
「おう」
「杏ちゃん、お姉さん今手が離せないからお願い」
「はぁ……、次は代わって下さいよ」
代わるって何を……?
真面目に書類整理をしていた高柳は渋々端末を持ち出し、執行者専用アプリのチャットで連絡をかける。
何かトラブルに見舞われてなければいいが……。
「ああ、もうそこまで来てるみたいですね」
最悪の事態が一瞬頭を過ったが、杞憂だったようで安堵する。
――コン、コン、コンッとノックが三回――叩かれることはなく、扉が勢いよく開かれた。
「おはようございまーす!」と、元気溌剌な三人娘が同時に挨拶。
その異様な光景にウチは開いた口が塞がらなかった。「あっ」と、クミミンは手元を狂わせたようだが、今はそれどころではない。
「ヒナぴよ先輩お疲れ様で~す! これ、名物の豆乳バウムクーヘンです。皆さんで召し上がって下さい」
「お、おう……」
天真爛漫なマキナの変貌っぷりにたじろぐ。何で遅れたのか聞く間もなく土産を受け取ってしまった。
「皆さん、遅刻ですよ。遅れるなら連絡くらい――」
高柳は冷静みたいだ。よく順応できるなお前……そういうところは尊敬する。
「いいじゃないですか。移動も勤務時間の範囲内ですから」
そう答えたのは、あの水嶋だ。まるで完全に牙を抜かれた子犬。その屈託のない笑顔に度肝を抜かれる。
「それより凄かったですよ、部長の支部。もっとあそこで働きたかったよね~」
「ね~」とマキナと柚原が同時に発する。その表情は満面の笑み。
お前らこの一週間でそこまで仲良くなれんのか!?
もう駄目だ。ツッコミきれねぇ。
「――クミミン、やれ」
「いいの? 『S-Pad』の私的利用は……」
「治療行為だからいい」
――プスリ……とクミミンは三人の臀部に軽くレイピアを突き刺した。
すると、三人は空気が抜けた風船のように、しなしなとその場に座り込み正座する。
クミミンの『レイピア・オブ・クワイエット』は、刺した相手の熱くなった心を沈ませる効果があるのだ。
「頭冷えたか?」
「はい……」
「制服はどうした?」
ビジネスカジュアルというやつだろうか。誰も制服を着ていない。あのマキナすらも。
「働き方改革です」
「意味解んねぇよ……」
「あちらは働き方を変えるという特殊な施策を行っているみたいですね。話には聞いていましたが、まさかあの彼女達をここまで変えるとは……」
困惑するウチに高柳が補足する。
まるで洗脳レベルの変貌ぶり。何か変な薬でも飲んだのではないのかと疑ってしまう。
働き方改革……噂には聞いていたが、そんなにいいものなのか?
「なぁ……、下につくなら……ウチと部長どっちがいい?」
聞いてはいけないと思いながらも、恐る恐る口に出したら三人は間を置かず一斉に「部長です!」と答えた。更にその目は……一切の曇りなく輝いている。
「あんのクソオヤジが! ウチの可愛い妹分たちを寝取りやがって! 絶対にブッ殺してや――」
プスリと、お尻に小さな痛みと共に沸騰していた頭が急に冷め、三人と同じように萎みながらその場に正座する。
「頭冷えた?」
「はい、失言でした。すみません……」
ウチは項垂れ、クミミンに謝罪の意を述べると高柳も隣で正座した。もうツッコむ気力はない。
「はい。ではマキナさん、業務連絡からお願いします」
クミミンがウチの代わりに仕切り始める。
なんかごめん……。
この意気消沈状態は、昼飯時まで続いた――。
◇
静かなエンジン音と微細な振動……ここは、車の中?
前を見ると、限界までシートを前に出している紅露さんが運転している。その隣にはポリポリと棒状のお菓子を食べているクミミンがいた。
自分の隣には誰も乗っておらず、いつの間にか制服に着替えさせられている。
いったい誰に着替えさせられたのかと記憶を辿ると、クミミンの指示で自分から着替えたことを微かに思い出した。
「頭冴えてきた? ごめんね、荒療治で」
「全くだ。ウチにも刺しやがって」
「あれはヒナぴよが悪いんでしょ。めっ」
クミミンが不満げな紅露さんの頭を軽く叩く。状況がイマイチ飲み込めない。
「なぜ私は車の中に? リリカや翠は?」
「いつの間にか名前呼び? あんなことがあったのに凄いよね~。それって部長さんのおかげだったり?」
「ええ、まぁ……充実した日々を過ごしてましたので」
もう翠とは友達と呼べるほど親密な関係になったのだ。二週間前の出来事が、もう嘘のように遠い記憶。
「クソが……腑抜けやがって」
「ヒナぴよ嫉妬しない」
「るっせー!」
話を逸らされたので話を戻す。なぜこのメンバーで、今はどこに向かっているのかを。
しかし、「降りてから」話すと言われ、それ以上の回答は得られなかった。
――車を降りた先は『楽園』の端にある展望デッキ。緩やかな階段を昇っていくと、目の前には見渡す限りに水平線が広がっている。
柵を越えればそこは断崖絶壁、落ちれば死へと一直線だ。
この国の人間は義務教育で泳ぎを教わることがないため、泳いで国外へ逃亡することはほぼ不可能。そもそもこの『楽園』が地図上でどこに位置するのかも定かではない。
潮風が吹きすさび、波の音が喧しい。そんな状況で何となく察した。これが密談だということを――。
「悪い。クミミンには話した」
水平線を見つめながら、長い髪をなびかせ物憂げに話す少女。
「ええ、構いませんよ」
一人では抱えきれなかったのだろう。その気持ちは痛いほど解る。
「二人とも飲み物は何がいい? そこの自販機で買ってくるよ」
クミミンが無人休憩所に設置されている自販機を指差す。
その年季の入った白い建物には休憩所と書かれており、屋根の下にはベンチと二台の自販機が並んでいた。
「ウチはオレンジ」
「マッキーはエナドリ?」
「いえ、私はアイスコーヒーのブラックで」
二人は同時に「えっ?」と驚いたが、無理もない。私は変わったのだ。
というか、結構見られてたんだなと反省する。付き合いは短いのに悪目立ちしていたようだ。
「マッキー成長したんだね。お姉さん嬉しい」
姉に褒められるとはこういう感覚なのか。照れくさくてつい頭を掻いた。
ただ、こういった役目は後輩の仕事なので私が買うと伝えたら、「いいよ。ここはお姉さんに奢らせて」と優しい言葉を投げられてしまったので、申し訳なく思いながらもその言葉に甘えた――。
お礼を言いつつ、クミミンから缶コーヒーを受け取ると、蓋を開けて一口飲み干した。相変わらず苦いが、まだハッキリとしない意識を覚ますには丁度良い。
私から本題を切り出す前に、紅露さんが口を開いた。
「高柳には話していないが、そのうち話すつもりだ。後回しにされて駄々を捏ねそうだけどな」
確かにクミミンに対抗意識を燃やしているあの人なら、いじけるのも想像がつく。
「柚原たちは今、高柳と別任務に行かせてる。通常業務だから心配するな」
「はい。リリカも翠に懐いているようなので、私がいなくても大丈夫でしょう」
「ホントに変わったな、テメェら」
「色々ありましたので」と返しながら缶コーヒーを口につける。
続いて、今度は私が観覧車で伝えきれなかったことを語った――。
「母の目的は復讐。相手は……たぶん会見に出てた人です」
水平線に向いていた二人の視線が私に集まる。
師匠の話が本当なら間違いない。母は予めそれを知っていた。恐らく相手も……。だから互いに挑発し合っているんだ。二人が顔を会わせるのは――そう遠い未来じゃない。
「マキナも同じか?」
その問いに私は――首を横に振った。
私が執行者を目指したのは復讐のためだった。だけど、それは自分に言い聞かせるための建前で、元から復讐心なんか無い。突然訪れた父の死――幼過ぎた私は、母の様に復讐に取り憑かれることは無く、ただ悲しみに暮れていた。
そんな私が本当に願っていたのは……。
「……お母さんを止めたかった。でも、もう手遅れで……」
――変わりの無い日常。それが私の求めていたもの。
私と違って、もう母には帰る場所が無い。例え復讐を遂げても、私の日常には帰って来ない。だから……。
「……助けたい。だけど、どうすればいいか判らなくて……」
何もしなくていいと、母に告げられてしまった。
私は最初から当てになんかされていなかった。だけど、それは決して私を見下していたからじゃない。私を護るために遠ざけたかったんだ。
師匠に鍛えさせたのも、私が独りでも生き抜く力を与えるためだったと、今になって解った。あれは母が私に課した最終試練。私が執行者として、人として生きていくための最後のサポート。
そして、意図せずとも居場所を与えられてしまった……いや、作ってしまった私は、もう母の後を追いかけることは出来ない。
執行者になってから日を重ねるごとに、私の覚悟は薄れていった。
また失うのが怖い……。もっと皆といたい……。
そんな気持ちが膨らんで、立ち止まってしまった私の心と、情けなく俯いていた私の頬を、小さな手がそっと触れた。
「ありがとな、話してくれて……。辛かっただろ」
いつも不機嫌な彼女の表情は柔らかく、冷たく優しい手が、涙を拭った。
「……止める方法ならある」
真剣な表情へと変わり、私に希望の言葉を突き刺す。しかし、それが私に安堵をもたらすものではないと、真っ直ぐな瞳が物語っていた。
「執行者としての使命を全うするんだ。ただそれは……マキナにとって辛く、険しい道になる。それでも……進む覚悟はあるか?」
進む覚悟――それはきっと、私が今まで抱いていた中途半端なものではない。執行者になっただけで満足していた私。いつだって流されるまま……ここまで辿り着いてしまった。そんな私に、この人は道を選ばせてくれる。
断れば――全てを母と彼女に任せて、黙って結果を待つことになる。例え二人が失敗しようとも、私は日常を続けることができるだろう。
それでいいのか……なんて、自問自答を繰り返すまでもない。
母を止める。皆を傷つけさせない、そんな方法があるのなら――。
「はい」
手の甲で涙を拭い、彼女に負けないように真剣な眼差しを向けて答えると、紅露さんは静かに頷き微笑み返し、その様子を見ていたクミミンも口元を緩ませた。
その後は暫く沈黙が続き、三人で水平線を見つめていると、懐かしい空気に誘われる。
いつだったか……両親とここに来た微かな記憶。
もうほとんど思い出せないけど、この情景だけは残っている。
お父さん、お母さん……私は、私の道を行くよ――。
私が心の中で決意した後、紅露さんは両手でオレンジジュースを一気に飲み干し、水平線を見つめながら淡々と言い放った。
「まずは……」
――『茅間我煉』を処す。




