第28話 カラフルデイズ
――翌朝。
寝室のカーテンの隙間から光が差し込む頃、「五時だよ、起きな」と聞きなれぬ声が私の頭の中を響かせる。
……嫌だ、まだ寝てたい。
修行を終えてからの久しぶりのふかふかベッドなのだ。もっと堪能していたいと布団を頭まで被り拒絶の意を示すと、そんなの知ったことかと勢いよく布団を引き剝がされた。
誰だ、こんな乱暴な起こし方をする奴はと、瞼を少し開けると――そこには髪を下した黒いキャミソールを着た女が天井に向かって手を掲げていた。
過去の嫌な記憶が脳裏に浮かび、「ふぇっ」と奇声を発しながら己の意思とは無関係に身体を起こした。
『S-Pad』を使おうとするなんて何を考えているのか、多分冗談でやっているんだろうけど、この女なら本当にやりかねないので恐ろしい。
なぜ翠に叩き起こされているのかというと、社宅の一室を三人でルームシェアしていたのだ。寝室には二段ベッドとシングルベッドがあり、反対側の二段ベッドは既にもぬけの殻。
リリカは昨夜にセットした目覚ましで難なく起きていて、今は顔を洗っている。今まで彼女が寝過ごしたことは一度も無い。羨ましい限りだ。
翠はまさかの四時に起きているらしく、身だしなみを整えるため早めに準備しているらしい。
私もそろそろ化粧を始めた方がいいのだろうか。
本来なら校則で縛られる高校生。面倒だと先送りにしていたが、社会人となってしまった以上このままではいけない。その内お母さんに聞くつもりだったが、その機会がいつ訪れるかは分からない。今度時間がある時にでも翠に聞いてみよう――。
支度を終え、動きやすい服装で外へ出ると、朝日を浴びながら指定の散歩コースを歩く。
繁華街とはいえ早朝は閑散としており、人も車も僅かしか通らない静寂な光景は、早起きしなければ見られないだろう。
多くの店のシャッターが閉まっている中、早朝から営業中のカフェに入る。
「――カフェイン摂取するならコーヒーか紅茶ね。コーヒーはブラックを推奨してるみたい」
翠のスマホ画面には部長からの指示が映し出されているのだろう。
私にエナドリを飲ませないように代替品を提示しているのだ。
勿論、上司からの指示であれば、それに従うことへの不平は無い。お酒だろうが青汁だろうが飲む。
いや、お酒は駄目だった……。
「では、コーヒーのホットで」
「私も」
当たり前のように同じ注文するリリカに次いで、翠もホットコーヒーを注文すると、間を置いてモーニングセットが運び込まれる。
半分に切られたトーストと目玉焼きだ。
私とリリカが目玉焼きに醤油をかけると、「そこまで一緒なの?」と呆れられた。
別に普通ですけど? そもそもソースをかける貴女がおかしい。
それにしても、モーニングなんて久しぶりだ。昔、母に一度だけ連れて来てもらったことがある。
その時はコーヒーも朝食の良さも解らなかったが、こうして仕事前の一時を味わうのも悪くはない。
「こういうのいいよね。これから毎日続けようかな~」
「翠はこのスケジュールに不満とか無いの?」
「まあね。早寝早起きが健康的なのは事実だし、美容にもいいから。それを会社がサポートしてくれるなんて最高じゃん」
いつから会社員になったのか。もう自然に会社というワードが出てきてしまっている。
そんな感じでコーヒーを啜りながら談笑していた。
リリカはすっかり翠に心を許しているようで、以前のような怯えは全く無い。翠にしても、リリカのことを気遣っているのがよく判る。彼女に対しての言葉遣いが柔らかいのだ。私に対しては相変わらずキツいけど。
――カフェを出ると、次は会社へ行き併設されているジムエリアへと足を運ぶ。
何で会社にジムが……? 最早何でもありだな。
「身体は資本。ここで基礎体力をつけるの」
「基礎って要りますか?」
「えっ?」
「え?」
「あんたからそんな台詞が出るとは思わなかったわ」
どうやら師の理念が頭に叩き込まれているようだ。
早速三人でランニングマシンに乗ると、あっという間にリリカの息が切れた。
この子は頭は良いが運動能力はからっきし。中学の剣道部でもマネージャーをやっていたし、極力運動系は避けていた。
流石にこのままではマズいと思ったのか、翠が彼女に特別メニューを課すようだ。私も手伝おうかと言ったのだが、エナドリを勧めるような奴は来るなと言われたのでそのまま走り続けた。
横目でどんなキツいメニューをやらせているのかと確認すると、軽いストレッチを始めていた。その後もリリカに合わせて無理のないような軽い筋トレを行っているようで、彼女が苦しそうな表情をする度、「大丈夫?」と翠が声を掛けている。そんな光景を見て口元が緩んでいたのか、翠から「何が可笑しいの?」と顔を赤らめていたのが何とも微笑ましく、ふふっと声を出してしまった。
彼女と組まされて最初はどうなるかと思ったけど、もう心配は要らないようだ――。
運動後、軽くシャワーで汗を流した後、私とリリカは制服に着替える。翠はというと、もう私服で臨むらしい。私服と言っても派手なものではなく、ビジネスに適した軽装で、腕には青色の腕章を誇らしげに装着している。
こうして身も心もスッキリした状態で臨んだ午前中の事務仕事は、これまでにないほど捗り……頭が冴えていたのがはっきりと判った。
食堂でランチを済ませた後、午後の業務は小長谷の案内付きで巡回だ。高速ではなく一般道をバイクで走行しつつ、デパートや駅前商店街、アミューズメント施設を回った。
途中、ポイ捨て現場を見かけた翠が路上で衆人環視の中、処罰をしていた。
処している時の翠は恍惚としており、やはり根本は変わってないようで……。
小長谷が羨ましそうに眺めていたのは見なかったことにする。
――巡回を終え会社に戻ると、部長が何故かフロア内で忙しなく飾りつけを行っていた。
「今日は君達の歓迎会を行おうと思ってね。色々と準備してたんだ」
「い、今は勤務中では……!?」
「勤務時間外の飲み会だと、プライベートを優先したい人がいたり、外食は会社的にも金銭面で負担がかかるからね。親睦を深めるために、我が社ではこの勤務時間内……社内で軽食をしながら雑談することになってるんだよ」
何とも合理的な手法。確かにそれなら参加率100%も難しくはないが。
「私は皆の手を止めてまで、歓迎されたくは……ふぐっ」
断りを入れようとしたら、翠に口を塞がれる。
「素晴らしいお考えです部長!」
そう言って子声で「黙ってな、そういうところが社畜なんだよ」と、釘を刺された。
どうして……私はただ会社のためを思って言っているだけなのに。
ふとリリカに助けを求めようと視線を向けると、珍しく目を輝かせていた。
そうか……間違っているのは私なのか。
「部長! 酒とツマミ買って来ましたよ~」
「おう、サンキュー」
吉永課長と三浦係長が、両手にはち切れんばかりのビニール袋を引っ提げてきた。歓迎会用にセッティングされたデスクへビニール袋の中身を広げ、酒やジュース、お菓子などが並べられる。
そこにエナドリは……当然ながら存在しない。
翠に合わせてリリカもせっせと手伝っているが、私は状況を理解できず、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「はい、あんたはこれ」
そう言った翠に手渡されたのは豆乳ミルクだった。
誰、これチョイスしたの……。
「それでは、一週間という短い期間ですが、御代君達の入社を祝して――乾杯!」
「お疲れ様でーす」との掛け声と共に散開。私は一人一人に挨拶回りをしようとするも、堅苦しいことはやめろと翠に制止されてしまい、ポツン――と立ち尽くしていると部長から話しかけられてしまった。
「やはり慣れないかね?」
「はぁ……、すみません」
どうもこういう和気藹々とした場は苦手で、仕事から切り離されてしまうと、何を話したらいいか判らなくなる。
そんな人間を何度も見てきたのか、部長はノンアルコールビールを片手に語りかけてきた。
「いいんだ。少しずつ慣らしていくといい。君は……私と似ているからね」
「部長が?」
「ああ。君達が見ていた夢のような会社で働いていてね、自ら身体を酷使してる現状を理解せず会社に尽くしていた……。ただ、壊れていくのは自分だけでなく家庭もだと気づいた時に……これではいけないと、転職を試みたんだ。君も、大切な人がいるのなら、自分の身体を大事にしなさい」
「部長……」
「仕事は二の次でいい。本当に大切なのはプライベートの中にある。プライベートが充実している人間こそ、仕事でより良い力を発揮できるのだよ。まずは騙されたと思ってやってみてくれ」
そう話す部長の笑顔は……何よりも輝いて見えた。
「はいっ! 解りました部長!」
私は元気よく返事をし、頭の中の偏った常識を取り除く決意をする。
翠の影響で徐々に変わりつつあるリリカ。私はそれを眺めているだけじゃ駄目なんだ。本当に変わらなければならないのは――自分もだったんだ。
◇
翌日。本日は水曜日……本来なら出社日なのだが、我が社は週休三日のため休日なのだ。そう……休日なのだ。
自らの目覚ましで起き、五分時起床。重たい瞼に逆らいながらも支度を整え、昨日と同じ散歩へと出かける。
桟橋から見える朝日は美しく、徐々に眠気が吹き飛んで行く。
散歩~カフェ~ジムのルーティーンは休日でも変わらないらしく、繁華街の店舗が営業を始める頃にはジムを出てショッピングへ出かけることに。
休日のスケジュールは自由時間だったのだが、今朝私達の私服が「ダサい」と言われ、翠に連れ回されることになったのだ。
ここの支部では私服勤務可能。私は制服を着ていたため気にはされなかったが、いざプライベートで外出するとなると話は別だ。
「ほんっと、ひっどい! よくそんな恥ずかしい格好で街を歩けるよね?」
そこまで言うか。
私達は以前、紅露さんと遊園地へ行った時と同じ服装だ。
ラフなのはいいが、着古している感がバレバレらしく、服装に無頓着なのが露呈しているとのこと。
寧ろそれでいいのだ、リリカが変な男に声を掛けられるのも困る。あえてこうしているのだ。あえて。
対して翠はオフショルにミニスカートと肌の露出が多い。背中の傷痕は気にしていないのか……。オシャレを優先する彼女の心構えには感服する。
しかし、私達と並ぶと彼女の存在は逆に浮いてしまっていた。
「隣で歩かれると本当に恥ずかしいの。今日は上から下まで徹底的に決めてあげる。リリカのだけね」
私は無いのか。
そういえば妙に私にだけ当たりが強いような……、まあいっか。
「でも、あんまり露出が高いのは……」
翠のような服を着ているのも見てみたい気もするが、内気なリリカにはまだハードルが高いだろう。
「判ってる。あんたじゃないんだから極端なことはしないから」
失礼な。極端なことをした覚えはない。多分……。
――最初に入ったのは高級ブランドが並ぶ輸入品店。
煌びやかな内装と見慣れぬデザインの商品の数々。
場違いすぎる光景に思わずたじろいでしまう。
「ここで買うんですか!?」
耳元に小声で翠に囁く。
「んなわけないでしょ。今日は見るだけ。いつか買うために目星をつけておくの」
チラリとバッグの値段を見ると衝撃的な値段が記されている。
減給されたばかりなのに、よくこんなの買う気になるなぁ……。
「リリカ、気になるのある?」
「う~ん……このバッグ可愛いなって」
ふと、そのピンクのバッグの値段を確認すると、そこには私の一ヵ月分の給料が……。確かに可愛いけど、値段は可愛くない。
「か、買ってあげる……」
「えっ!?」
リリカには迷惑をかけてるし……このくらいしてあげないと私の気が収まらない。
「馬鹿なの? 最初から衝動買いしてたら有り金尽きるよ。まだまだ店はたくさんあるんだから」
「え? 他にも行くんですか?」
「当たり前。夕方まで歩き回るよ」
そ、そんなに……。
――デパートを巡っては試着を繰り返す。リリカはロングスカートを購入したようで、それに合う服をまた巡っては試着する。
日が落ちかかる頃には二人の両手には紙袋が――対して私は手ぶらだった。
「あの……私は?」
仲良く前を歩いていた二人が同時に振り向く。
「ごめん、マキナ……」
「何で買ってないの?」
可哀想な私はずっと二人を見てるだけで終わったのだ。
きっと明日はリリカも私服勤務だろう。私という枷を逃れた彼女はもう別の色に染まっている。
喜ばしいことなのだが、疎外感と喪失感に襲われ俯いていたら、あの翠が優しい言葉をかけてきた。
「しょーがない、土曜日にまた行こっか」
「翠……ありがとうございます」
「いい加減その敬語やめてくれる? 一応、あんたがリーダーだし」
目線を逸らしながら頬を掻く翠。
今まで言おうとしていたのか。その健気な姿に、思わず心を打たれる。
「翠ぃ……」
「ちょ、何で泣きそうになってんの!? 悪かったって。次はちゃんと選んであげるから」
私達のやりとりを見てリリカがクスリと笑っている。
来てよかった。今なら部長が言っていたあの意味が解ったような気がする。
充実した日々――私たちの晴れやかな社会人生活、その一週間が過ぎるのはあっという間だった。




