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第27話 社畜

「――社長、考え直して下さいっ!」

「いや、社長じゃなくってビルメンなんだけど……」

 私が社長と呼んでいた人は、たまたまここで作業していたビルメンテナンスの従業員だった。

「あ、あれ……」

 辺りを見渡すと、見覚えのある広いオフィスに戻っていた。

 今のは……夢?

 まだ意識がはっきりとしない。私はOLなのか、執行者なのか、二つの立場が私の中でせめぎ合っている。

「ごめん、もういいかな?」

「あ、はい。すみません……」

 社長と呼んでいた人の足を離すと、忙しそうに去って行った――。

 その光景を見て、執行者の方に天秤が傾いた。突然現実へ戻され、頭の中がもうろうとしつつも、徐々に記憶を取り戻していき、夢を見る前の出来事を振り返る。

 そうだ……お母さんが来てたんだ。

 背後を振り向くと、そこには母の前で膝をつく部長の姿が――。

「それがあなたの能力?」

「くっ……まさかたった三日で攻略されてしまうとは。こんなことは初めてだ」

 さっきの夢みたいなのは部長の能力だったのか……。

「だが……君が三日で攻略したおかげで、私への負担も最小限で済んだよ。僅か三日間不眠不休で働くことなど、ブラック企業にいた私には慣れたものなのでね」

「なるほど。私が負けたら、その負担が私に襲い掛かってくるわけか」

「いかにも」

 部長は負担をものともせず、すくっと立ち上がる。

 その振る舞いに、私は一種の憧れを抱く。

「戦いはまだ終わっていない……。課長、例の物を」

「かしこまりました」

 課長は棚から包装紙に包まれた四角い箱を部長へと手渡した。

 まだ別の能力があるのだろうか?

「どうかこれでお引き取り願えないでしょうか? きた市名物の豆乳バウムクーヘンでございます」

 90度の最敬礼で菓子折りを差し出す。

 まさかの敗北宣言である。

 母はそれを笑顔で受け取り――。

「ありがと。これ好きなの」

 受け取るのか。

 まさか本当にこれで引き取る気なの……?

「貴方の能力、周囲の人間も操ってたの?」

「いえ、彼らには役職を与えてるだけで、根本の性格は変わりません。あの場であの役職だとこうなっていた……というシミュレーションだと思っていただければ」

「なるほど……」

 なぜかこちらを見る母。その眼光は、決して娘に向けるような優しい目ではなかった。

 ……ヤバいっ!

 ここから逃げろと第六感が告げている。

「少し娘と話したいの。応接室借りていい?」

「勿論ですとも!」

 やめて!

 声のトーンが変わっている。それは私だけが知る母の一面。間違いなく怒ってる。

「では、こちらでございま~す」

 職務を忘れた裏切り者は嬉々として案内を始めた。

 この場に私の味方はいない。

 リリカとすいは未だに現状を掴めず混乱しているようだ。

 私は渋々応接室へ連れて行かれ、母の説教を受けることに――。


 それは小一時間続いた。狭い空間の中で四角いソファに座り、対面の小さなテーブルの向こうには母が矢継ぎ早に語りかけてくる。

 説教内容は私が夢で母をこき使ったことではなく、あの状況を受け入れ、苦も無く長時間労働をしていたことだ。

 もっと自分の身体を労れと言うが、そんなことを言われてもどうしようもない。私は父に似て働くことが大好きなのだ――。


 研究員の父は家に帰らないことが多かった。休日に二日居るのは稀な方で、そんな父に仕事は辛くないかと聞いたら、こう答えた。

『辛いこともある。やりたくない事だってやらされるし、マキナの顔が浮かぶと帰りたくなる。……けどね、同じ仕事仲間と頑張ったり、誰かの為になるって思えると頑張れるんだよ。それにたくさん稼いでいれば、マキナが将来不安にならないだろ?』

 実際、父のおかげで私も母もお金に困ることなく生活できた。その使い道が仇討ちのためだと知ったら何て思うだろうか。そんなことを考えたら、自分の決心が揺らぎそうになったので心の内にしまった。

『マキナは将来何になりたい?』

 続いて返された父の問いに、私は父と同じ研究員と答えた。表に見せられない職業柄、働いている姿を見たことは無かったが、何をしているか判らないからこそ興味を持っていた。父をここまで熱中させているものが何なのかと――。

 しかし、遠くからそれを聞いていたのか、母は私のそんな無垢な夢を否定し、父と私を叱責した。

『マキナに変な道を勧めないで』

『そんなこと言われても……』

 理不尽に叱られる父は萎縮していた。子育てに関しては母の方が圧倒的に立場が上だったのだ。

 母は私の将来については好きに決めていいと言うが、身体を壊すのだけは駄目だと言う。だけど、どんな職業も大変なはず。幼い私が最もよく知る職業は教師だが、それも決して楽ではないことを子供ながらに知っていた。

 だから私は母に訊ねた。何の職業ならなっていいのかと。

 そしたら母は、満面の笑みでこう答えた。

『専業主婦』

 それを聞いた私と父は、大きく口を開けて岩のように固まった。

 子供の私から言わせるとそれはお嫁さん。将来お嫁さんになりたいと願うクラスメイトはちらほらいたが、私は違っていた。恋愛には興味なかったし、自分で稼いで好きな物を買いたい。そして何より、知らない世界を見たかった――。


「マキナ、聞いてる?」

「はへっ?」

 説教に飽きた私の意識は何処かへ飛んでいたようだ。

 思い返せば、私は私が生まれる前の母の過去を知らない。

 専業主婦になる前――つまり、年齢から言えば学生だろうか?

 しかし、家には卒業アルバムどころか過去の写真すらない。母の両親の存在すらも分からないのだ。だから、私は何となく察していた。母は――外から来た人間なのだと。

 記憶を消されているのなら過去など判るはずもない。その事実に気づいてから私は、母の過去を詮索するのをやめたんだ。

「お母さん」

「ん?」

「私……役に立ってる?」

 ここに盗聴器されていたら終わりだと解っていながらも、不意に押し込ませていた弱音を吐いてしまった。

 ずっと逢いたかった。逢って話したかった。ずっと我慢し続けていたのに、まだ大人になりきれなかった私は、遂に堰を切ってしまった。

 そんな私に幻滅することなく、母は私に「おいで」と手を広げた。

 誘われるままに向かいのソファに腰掛け、母の腕に抱かれると、再び懐かしい香りに包まれる。

「大丈夫、マキナは何もしなくていいから」

 違う。そんな言葉が欲しかったんじゃない。私は……。

「もう貴女は……こっちに来ちゃ駄目なの」

 優しく語りかけられているのに、言葉が胸に突き刺さる。締め付けられるように痛い。

「周りを見て。貴女は……独りじゃないでしょ?」

 母と別れて私が得たもの……それは、手から滑り落ちるほど多くのものがあった。

 そうか……私は……もう……。

 母は私をもう一度強く抱きしめると、背中を優しくポンポンと叩き、また私の元から去って行く。部屋を出ですぐ部長に言ったのか、扉の向こうから「あの子をよろしくお願いします」との言葉が聞こえた。母の目的は、恐らく部長の人柄を見えていたのだろう。茅間や紅露さんにしたように――。


 予期せぬ指名手配犯との接触。会話を聞かれ、また審問でもされるかと思いきや、扉を開けた先の光景は何とも緊張感の無いものだった。

 みんな部長の能力で体験した夢の話で盛り上がっている。「何やってんッスか部長」と小長谷が揶揄い、「何でいっつもこんな役目なの?」と吉永課長が文句を言い、「真奈さん凄いっすね」と三浦係長が敵を称賛している。

 一方、自己嫌悪に陥っているのか、翠は「私……性格悪すぎ……最悪」と呟きながら机に突っ伏しており、リリカに「そんなことないよ」と励まされながら介護されていた。

「お疲れ。いや~、みんな無事で良かったね」

 出迎えてくれた部長は意気消沈している私を、説教で憔悴しているように見えたのか、明るい笑顔で励ましてくれる。

 いけない、このままでは……。

 切り替えないと。疑いをかけられるどころか気を遣わせてしまう。

 特に敏感なリリカに気づかれまいと、気疲れしているように肩を落とした。

「部長……。あんなことしたのがバレたら怒られるのでは?」

 指名手配犯を招き入れ、みすみす見逃す。傍から見たらとんでもない失態だ。

「大丈夫、社員を守るための行動だから。現に、誰も傷ついていないだろう?」

 そう言いながら誇らしげに胸を張る部長。

 ふと戦闘になったらと想像したら、きっと多くの血が流れていた。そう考えれば、部長の判断は正しかったと思える。

 そっか……これでいいんだ。これで……。

 私は漸く気が緩み、ふっと笑みを浮かべた。


「――それより御代君。君は……ブラック企業への適性が高すぎるようだね」

「え?」

 ブラック企業とは何かと問うと、部長はやれやれといった感じで溜息をつく。

 更にあの夢で見た私が特別酷かったと、翠や小長谷に指摘された。

「君が見てた夢で働いてた会社みたいな所だよ。あれは完全に違法労働だ」

「あれが違法労働なんですか?」

「君ねえ、執行者なら解るでしょ。残業代未払い、パワハラ、サブロク協定違反と挙げればキリが無い」

「しかし、ああでもしないと会社が潰れてしまうのでは?」

「おいおい……これは重傷だな」

 部長は頭を抱えて呆れきっているようだ……なぜ?

 私が困惑していると、「こいつ、いつもこうなんッスよ」と小長谷が割って入る。

「文化祭の準備係に選ばれてた時なんか、試験勉強と両立しながら張り切って三徹してぶっ倒れたんッス」

「うっ……」

 私の人生の過ち。倒れるまで頑張ったことで、母に執行者を目指すことを認めてもらったのは良かったが、文化祭当日に寝込んだせいで多くの人に迷惑をかけた。

「あれ以来、生徒会とかの役職に立候補してもだ~れも投票しないんッスよ」

 リリカは入れてくれたもん……。

「そういえば、ここへ来る前にエナドリ三本も買ってたよ」

 今度は翠に指摘され、夢でエナドリをしこたま飲んでいたことがやり玉にあがる。

「翠……。エナドリの何が悪いの?」

「飲み過ぎは身体に悪いって言ってんの。あんたの所為でリリカの身体が蝕まれてもいいの?」

 そうだった。リリカは私と同じ物を選ぶ。「私は大丈夫だよ」とリリカは言っているが、そう言われると逆に罪悪感を感じてしまう。飲み過ぎは身体に悪いことは勿論知っていた。だけど止められなかった。

 そんな私の行動がリリカの身体を蝕んでいたなんて……。

「お前もう『模範解答』というより『社畜』だな。これからは社畜と呼んでやるよ」

 またもや知らないワード。「社畜?」と小長谷に問うと、翠が答えた。

「会社に飼い慣らされた奴隷のこと。いいじゃん、ぴったりのあだ名ね」

 なぜだろう……罵倒されているはずなのに、不思議と……嫌じゃない。

「お好きにどうぞ」

「重症通り越して致命傷だぜ……」

 皆して呆れかえっている。リリカに助けを求めるも目を逸らされた。よもやリリカにまで見捨てられるとは――。


「水嶋君。先ほど君達に資料付きのメールを送っておいた。ここ一週間分のスケジュールだ。これに沿って、君に二人を管理してもらいたい」

「はぁ……何で私が」

 リーダーは私のはずだが、何故か部長は翠を指定した。

 彼女は渋々胸元から端末を取り出し、メール資料を確認すると……途端に目を輝かせる。

「あはっ。お任せ下さい部長!」

 人が堕ちる瞬間を垣間見た。

 念のため私もスケジュールを確認してみると、そこには悍ましいスケジュールが組み込まれていた――。

「週休三日!? 朝五時起床!? 勤務時間六時間!? フレックスタイム制!? 就寝二十二時!?」

 見たことない言葉の羅列に脳の処理が追いつかず、その場に倒れこんだ。

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