第21話 修行
人の手が入っていない山の中。そこは休憩用のベンチどころか道すら無い。ゴツゴツした岩場と、不規則に絡まる木の根と自由に生い茂る雑草によって、私の足の裏は平衡を保つことが出来ない。
木漏れ日が差し込み、遠くからの小さな滝の音が涼しく幻想的な空間を演出し、彩度の濃い緑が人口色に慣れた私の眼を癒した。そんな本物の自然に感動を覚える中、私は不釣り合いな物を耳に当てていた。
紅露さんからの連絡が途絶えると、その光る画面に触れ、電源を落とす。
もうバッテリー残量は僅かしかない。これが最後の連絡になるだろう。
言いたい事は伝わっただろうか……。
私は端末を制服のポケットにしまった。
「――終わったか? 始めるぞ」
背後からその仕草を見ていたのか、この場に相応しそうな野生男が声を掛ける。
上司と連絡を取り合っているというのに、私を攫った男は警戒する素振りが微塵もない。自信の表れか、それとも私を信用しているのか。
「ここで?」
母の願いで私を鍛えると言うが、こんな歩くことすらままならない場所で何をするのか。
「お前は毎回戦う場所を選べるとでも思ってんのか?」
ぐうの音も出ない正論。だけどもそんな正論に対し、私は質問で返した。
「普通は基礎から始めるのでは?」
「そんなもん要らん」
「き、基礎を疎かにするなんて。基礎は全ての基盤です。基礎無くしては上達できません!」
私はこれまでそう生きてきた。剣道部での活動だってほぼ基礎練に費やし、それで成功を収めてきたのだ。
「安心しろ、俺はそう言う奴をブッ殺してきた」
なんという……。実際それは事実なのだろう。この男の実力を間近で見てしまったので、何も反論できなかった。
「いいか、生物にはディーエヌエーっちゅーモンがるらしい。野生動物が己の生きる術を知るのは、親を見て知るだけじゃない。元々それに刻まれている情報があんだよ。人とて同じ。太古から受け継がれた狩りの術、戦の記憶――それこそが真の基礎。現代社会で消えゆくそれを呼び覚ませ」
「……」
言っていることが半分も理解できず、私は首を傾げた。
「そうか……お前ら歴史を知らねえんだったな」
歴史。言葉は知っているが、この国で教わるのは『楽園』創設からの歴史のみ。世界全体の歴史は知りようが無かったのだ。
「簡単に言うと猿に戻れってこった」
とんでもなく端折っている気がする。この男は説明が苦手なんだろうな。
――どうにも理解できず黙っていると、なぜか酒瓶を投げつけられたので空中で受け取る。
「飲め」
「私は未成年ですよ。それに法を侵す事は――」
「犯罪者に指南を受けてるのはいいのか?」
そう言われると辛い……。しかし、だからといって罪を重ねるのはいかがなものか。
「まずは基礎をブッ壊す。お前は型に嵌り過ぎている。それでは相手に読まれやすいからな。俺が剣道有段者と対峙した時、何て思うか分かるか?」
首を横に振る。皆目検討つかない。
「『またか』だ。殺し合いは競技じゃない。誰かの二番煎じなんかいいカモだろ? 自分だけのオリジナルの型を作れ」
言われてみれば母もオリジナルだ。そもそも大鎌の時点で珍しい。勝ち残ってきた理由にはそういった利点があったのかと納得する。
「で、なぜ酒を?」
「酔え」
「……は?」
「酔って心のブレーキを外すんだ。例え酔い潰れて記憶を失っても、身体には動きが染みつくはず。ちと強引だが、手っ取り早くやるならこうするしかないだろう」
そんなに上手くいくのだろうか。ただ結局従うと決めてしまっているので、半信半疑になりながらも一気に飲み干す。
苦い……不味い。喉の奥が焼けそう。
「おいおい、いきなりイッキかよ……」
男は引き気味に反応している。全部飲まなくて良かったのだろうか。身体が熱くなり、目が眩んできた。
……まあいいや、さよなら私の基礎。あんなに一生懸命頑張ったのに……。
そこからの記憶は、あまり無い。無心で刀を振るっていたのかも――。
◇
翌朝、鳥の優しい声に包まれる中、葉っぱのベッドで目を覚ます。
暫くボーッと木の幹を眺めていると、自分の置かれている状況を思い起こす。
何も覚えていない……。酒を飲んだ後の記憶がすっぽり抜け落ちている。何かされたかと、恐る恐る身体に目を向けた。
――衣服は乱れていない。が、訓練の跡なのか所々に擦り傷がある。ただ、患部には薬が塗られており、痛みは無かった。
これが二日酔いというものなのか、頭の痛みと怠けさに耐えながら上半身を起こす。
筋肉痛か、身体に節々が痛い。
「――起きたか、朝飯だ。ほれ、食え」
背を向けて何かをしていた薬師寺が、何かを運んで来た。
雑に岩の上に置かれたのは、石をくり抜いた器に入ったよく判らないスープと、これまた石の皿に乗せられた焼かれた蝉とバッタと……ゴキブリっぽい何か。
普通女の子にそんなモノ食べさせる? 山菜じゃダメなの?
だけども、私はもうこの味を知っている。
その見た目のグロテスクさに最初は全力で拒否していたが、空腹に耐えきれず口へ運んでいたのだ。
それに、あの男の気遣いなのか、わざわざ調理してくれている。本人は躊躇いなく生で食べており、寄生虫や病原菌が怖く無いのかと尋ねたら、それを受け入れてこそ最強の身体が手に入るとか言っている。私は別にそこまで求めていないので、流石にそこは許容できなかった。
顔を顰めながらモグモグと昆虫を口に入れる。今の私を見たらリリカはどう思うだろうか。一緒に食べてくれるのかな。多分あの子なら食べそうだな……。
最後に薄味のスープを飲み干すと、頭の痛みが引いていった。何が入っているのかは知らないけど、自分で薬を作るような人だ。ひょっとしたら医者より優れているのではないかと感心する。
「――あれ? 足はどうするんだっけ?」
訓練を再開し、木の棒を携え構えようとするも、何だかぎこちない。『S-Pad』ではなく木の棒なのは、それでやれと言われただけで理由は解らない。
「考えるな、直感で決めろ。お前の一番楽な姿勢がお前に合った構えだ。万人に合った構えは無い……お前が習ってきたのは誰かの押し付けだ、忘れろ。所詮は妄想や金儲けの産物。そんな物に自分の命は掛けられん」
何故だか妙に納得してしまう。己の命を賭けるならば、己だけを信じろという事なのか。
「――直立不動か。悪くない」
抜刀状態で刀(今は木の棒)を下ろす。私にとってこれが一番楽な姿勢だ。
「少し半身になってみろ。そんでもって力を抜いてみ?」
言われた通りにしたら、気持ちも若干楽になった。凄いなこの人。少し見直してしまう。
「私の発現条件は居合いの構えなのですが、そこから抜刀して持ち直すのでしょうか?」
「ああ、そうだ。お前に居合いは向いてない」
「え……!?」
衝撃的な事実に愕然とする。発現条件は変えられないのに、無駄な動きを組み込んでしまった。
「お前は尻上がりタイプだ。初速は期待できん」
抜刀から最高速度を出すのは能力の特性上難しい。もっとよく考えておくべきだった。それこそ母の様に……いや、あれはやはり私には似合わない。
「……さて、始めるか」
そう言いながら薬師寺は、何処からか持ってきた手から肘辺りまでの長さしかない短めの鉄パイプを手にする。
「ちょ、私は木の棒なのに」
「そいつが壊れないように受けとめろ」
「そんな無茶苦茶な……」
「俺がお前にかけた技を覚えているか?」
一瞬で転ばされた技だ。あの時は何が起こったのか全く理解出来なかった。
「あれは前進しながら刀を受け流し、お前の重心を崩すと同時に足払いをかけた」
理屈は分かる、言うのは簡単だがとても真似できる気がしない。
「お前のスピードが乗っている時なら可能だろう。余裕がある時に試してみろ。だが、今はその受け流しの訓練だ。最小の力で相手の武器の軌道を変えろ」
だから木の棒を使うのか。力の加減を謝れば折れるという事だ。しかし、こんなので本当に受け流しが可能なのか。半信半疑だがやってみるしかない。
「ここには木の棒は沢山ある。何本でも折っていいぞ」
ここは何処かの山の中。登山道でもないので足場は非常に悪い。樹木は無限のように生えているので、棒の供給には困らない。
あの男のオーラによるものなのか。山の中なのに不思議と動物どころか蚊すら見かけない。聞こえるのは微かな鳥の鳴き声と川のせせらぎだけ。
「では、よろしくお願いします」
剣道の様に一礼する。例え犯罪者だろうと教えを乞う以上、礼節を忘れない。
「んなもん要らんわ。はよ来い」
こうして、私の本当の訓練が始まった――。
何本折られただろう。いや、私が折ったのか。木の枝の残骸が山の様に積まれている。
「気にすんな。掴むまでやればいい」
本当に優しいな。私が女だから?
そんな訳ないか。食事は専ら昆虫や蛇、更に「クソならその辺でしとけ」とか言われる始末。デリカシーのカケラもない。
自然で生きる術を教えてくれるのは有り難いが、慣れるまで時間がかかりそうだ。あの贅沢な日常生活の有り難みがひたすら身に染みる――。
母もこんな風に山で修行していたのだろうか。思い返せば、一ヵ月ほど家を空けていた時があった。あの時はリリカの両親にお世話になったっけ。帰って来た母の様子は普段と変わらなかったが、変な料理が増えたのを覚えている。あの時からもう、戦う準備をしていたんだ。
これから戦いはもっと激化するはず。この男は、私を母の保険と言った。保険でもいい。少しでも母に追いつきたい。進むと決めたんだ。もう後戻りはできない。
汗をぬぐい、一心不乱に打ち続ける。もう限界なのか、徐々に力が入らなくなる。用意されていた木の棒が底をつき始めようとした時、残りの力を精一杯振り絞り、鉄パイプを流し、男をよろけさせた。それは偶然の賜物であったが、その感覚は私の手に残っていた。
「お! 掴んだか。ママより早いな」
「本当ですか!?」
珍しく大声を上げてしまった。自分が最も尊敬している人に一歩近づけたと思ったから、自然と反応してしまった。
「ああ、お前の酔い方は中々みっともなかったが、基礎を崩した甲斐があったってもんだ」
……え? どういうこと? 私何をしてたの?
怖くて切り出せなかったが、二度とお酒は飲まないと誓う。
それから反復稽古。完全に感覚を掴むまで二日要した――。
「次はイメージ訓練だ。互いに武器を持っていると仮定しろ。ちなみに、俺の武器は千差万別。持ち方などを判断してイメージしろ」
この人は武芸百般らしい。刀が『S-Pad』ではないとは判っていたが、まさか他にも使えるなんて。
武器を手にしていなくても、動きで視える。言うだけあって、あらゆる武術の達人だ。武器によって変化する多種多様な構えは圧倒的なプレッシャーを放ち、そこから放たれる動作の一つ一つ込められた気迫は、私に畏怖を抱かせる。私はとんでもない人間に教わっているのかと改めて思い知る。母が強くなるわけだ。
「おい、今斬られたぞ」
「うぐっ……」
腹を抱えて倒れ込む。
「アホか。そんな演技は要らん」
最初に言ってよ。恥ずかしさで蹲る。
こうして一週間、私の血と汗の滲む訓練は続いた――。
◇
朝日が昇るより前に目が覚めた私は、すっかりこの生活に慣れていた。だけども、この日はとうとう日常生活に戻る日だ。名残惜しさを胸に抱きながらも、便利な社会への帰還に胸を膨らます。
「ほれ、選別だ。受け取れ」
またも酒瓶を投げつけられたので、宙で受け取るも投げ返す。
「要りません」
師は受け取ると、思い出したように腹を抱えて笑い出した。
何? そんなに変だったの?
私は一礼し――。
「ありがとうございました!」
「要らんわ」
言われると思ってたが、一応礼節は必要なのだ。意外にも充実した一週間だった。それだけに……この人とは敵対したくない思いが残ってしまう。
そんな心を見透かされたのか――。
「いつか死合おうや」
「お断りします」
そういう人なのだ。この人は戦うことしか考えていない。
私は背を向け、下山を試みるも――。
ここから徒歩か……。
更に長い訓練が待ち受けていたのだった。




