第18話 相性抜群
「――何が起こった?」
私は自分の目を疑った――あの御代マキナが私の鞭を素手で捉えているなんて。
それを引っ張っても、鞭が伸びるだけで引き戻すことは出来ない。伸縮性のある鞭の特性上、引っ張り合いには弱いからだ。しかし当然、私はそんな弱点なんて熟知している。だからこそ打つ部位を変え、動きに緩急もつけていた。
なのに見切られた……? いや、上手くいきすぎて私が油断してたんだ。
――仕方ない。鞭から手を離し、再起動のため手を掲げる。
奴は鞭がその手から消えると、柚原リリカをそっと抱きしめた。ひと呼吸おき、ゆっくりと体を起こすと、それを仰向けに寝かせる。こちらが向ける殺意にも動じないその慈愛の満ちた行為に、つい魅入ってしまい動けずにいた。
やがてその視線が私に向けられると、奴は言葉を発さず目で語った。これ以上は許さない……と。
――だから何?
同じように言葉で返さず口元を緩ませて返してやると、鋭い眼光が私を襲った。
――マズい!
一瞬でぞくりと背筋が凍る。奴の手にはもう刀があった。
刀身が出ている!? いつ抜いた!?
「ウィップ・オブ・ペイン!」
得体の知れない恐怖に耐えきれず、発現を促されてしまった。振り下ろした鞭は奴の頭部へと向かい――パチンッと鞭の音がこだまする。それは空をきり地面を叩く音だった。信じられないことに、私の視界から奴が消えた。
どこにいるのかと、首を左に向けた直後――私の左肩から斜め一直線に血が吹き出した。
「えっ……?」
何が起こったの? いつ斬られた? 何も見えなかった。
衝撃のあまり膝をつき、傷を抱え込む。真っ赤な血に染まった両手を見て、最悪な状況を認識した。
「嘘……」
激痛を受け入れられず、地面に横たわる。
意識が徐々に遠のいていく――。
私は……ここで死ぬの? 間違えた? どこで……?
◇
『――ね~、聞いてる? 水嶋っち』
『……聞いてるって。ありえないよね~』
『でしょー、それでさ~――』
うっざ。
休憩時間の教室で、執行者試験の対策に取り組む私の机の前で瑣末な話を広げる女達。口を開けば他人の悪口か、興味のそそられないしょーもない話題ばかり。
つるむ相手を間違えたか――と、後悔したのはもう手遅れで、時は三年の夏に差し掛かっていた。
試験勉強に集中するためなら孤独になればいいだろと思われがちだけど、そうはいかないのが女の嫌なところ。
どこぞのグループにでも所属していなければ、陰鬱な青春が待っている。特に上昇志向が高い私は標的にされやすいため、なるべく態度の大きそうな連中に声を掛けたものの、それがそもそもの失敗だった。
外見が良いだけで中身は溝のような連中。そんなのと一緒にいたからか、私の中身も腐りかけていた。
『そういえばさー、アイツも受けるんだって、執行者試験』
『柚原でしょ? ってか水嶋っち大丈夫?』
『何が?』
『柚原リリカだって。アイツ運動音痴だけど、学力テスト全国一位じゃん』
『……誰?』
『どんだけ興味ないのよ……。ほら、弟が告ってたっしょ』
それを聞いて思い出した。確かにそんな奴がいたかと。
ただ、その前の台詞は聞き逃せなかった。
『アイツが受けるんなら枠一つ減るんじゃない? 水嶋さんヤバくない?』
『高校受験と執行者試験は別でしょ。いくらテストの成績がいいからって――』
『いやいや、記憶力がおかしいんだって、アイツ。執行者試験って言っても結局暗記じゃん。だからヤバいって』
結局何がヤバいのかその時は解らなかった。「ふ~ん」と応える程度で流していたが、後の進路相談でその脅威を思い知らされる。
『――悪いことは言わん。高校受験にしとけ』
教師から告げられるのはいつもの言葉。中学から執行者を目指す人間はそれなりにいるが、その合格率は最難関高校に比べて桁違いに低い。それも当然。ライバルは同じ中学生だけじゃない。高校生や大学生、大人までいる上に、その中から十人しか選ばれないのだから。
だけど、そんなことは百も承知。私はいつものように聞き流そうとしていたら、聞き覚えのある名前が出て目を見開いた。
『せめて柚原レベルだったら背中を押せるんだけどな……』
……教師が認めるほどなの!?
ソイツは天才少女――紅露ひな子の再来とまで言わしめていた。そこで漸く、私は同期に存在するバケモノを認識した。
『――水嶋ってさー、受かると思う?』
『無理に決まってるっしょ。夢見すぎ』
教室から漏れ出る陰口。こんなのいつものことだ。あの三人は誰か一人でも欠けていればソイツの陰口を言い合う。いずれも自分が言われてないと思っているところが滑稽だ。
私が教室に入ると、何事もなかったかのように話題を変えた。
こういう奴らだし、今更何とも思わない。私はそう、自分に言い聞かせていた――。
『ねえ、柚原のことを教えて』
『おっ、興味あり?』
『いいから』
他人の噂話が何より好物のコイツ等だ。案の定、楽しそうに話し始めた。
『やっぱ柚原と言えば御代でしょ。有り得ないくらいベタついてるし』
『ってか付き合ってんじゃね?』
『いや、付き合っててもアレはキショいわ』
相変わらず聞いているだけじゃ要領を得ない。
『何で執行者目指すのか知ってる?』
『そんなの御代が受けるからに決まってんじゃん』
『御代……?』
『御代マキナ。あっちは気にしなくても落ちるっしょ。そんなに頭良くないし』
正直、御代なんてどうでもよかった。理由だって、私も大それたものを持っているわけじゃない。ただ他者へマウントを取りたいがために目指しているという不純な動機だ。
だけど気になったのは、バケモノがもう一人に肩入れしていること。つまり、二枠削られる可能性が出て来てしまった。
『――ねえ、柚原と話せないかな?』
御代の話題に花を咲かせているところへ強引に割り込むと、嫌な顔するどころか、全員笑みを浮かべた。
『水嶋っち……悪い顔してる』
お互い様だ。
正直、最初はかなり手こずった。御代は面倒だから関わりたくないと取り巻き連中に言われたから、ソイツがいない間を狙おうと思ったが、そんな機会は滅多に訪れない。
しかし、奴が何故ああも御代に執着しているのか、その時はまだ解らなかった――。
漸くその機会がトイレで訪れると、四人と一人しかいないその密室で、私は単刀直入に弟の一件を引き出した。
『ごめんなさい……』
本人もかなり気にしていたようだったのか、予想以上の反応に、これは使えるな……と、私の中で悪意が芽生える。
『悪いと思ってるなら、執行者試験辞退して』
どうせ大した動機でもないし、直ぐ受け入れられるだろうと思ってた――。
『それは……できないの。ごめんなさい……』
『はあ!?』
それが始まり――。
徐々にエスカレートしていく嫌がらせは、誰かに見つかることなく卒業まで続いた。
弟への罪悪感からなのか、柚原は毎日指定した時間にトイレへやって来る。それを誰にも告げずに受け入れているのが、何とも腹立たしかった。
取り巻き連中は、そんな私のストレス解消を見て楽しんでいる。一つ変わったことは、私への陰口を聞かなくなったということ。それが更に、私の性格を歪めていった。
『あんたさ、何でそんなに御代と一緒がいいの? 御代って、あんたのなんなの?』
コイツは自分への嫌がらせは受けるくせに、御代が関係すると途端に拒否りだす。絶対に御代には迷惑を掛けたくないという強い意思。それが特別な関係なのだと勝手に思い込んでいた私に返ってきた答えは、呆気ないものだった。
『……友達』
『は?』
――パチンッ!
狭く陰鬱な空間の中、頬に放たれた平手打ちの音が響く。
『ちょ、顔はマズいって……!』
つい手が出てしまった。私にとって受け入れがたい言葉が、私の業を煮やしたんだ。
友達ってそんなに大切なモノなの?
クラス替えする度に変わるモノでしょ?
巻き込めよ、迷惑かけろよ、捨ててしまえよ。
何で……何で……何で■■■じゃないの?
◇
「……」
一瞬意識を失っていたのか、廃工場の天井を見つめながら目を覚ます。金属が打ち合う音が喧しく鳴り響いている中で、私は暖かい何かに包まれていた。
胸の傷口に目を向けると、密着するよう銃口を向けられている。しかし、それはただの銃ではなかった。『ヘクス・ガン』による治療行為。これは再生能力を促進させる応急処置機能がある。
優しい光が痛みを和らげていく中、私は自分の身体を支えている誰かの方に顔を向けた。
震える手。荒く漏れる吐息。今にも倒れそうなくらい気力で持たせている女の表情は、慈愛に満ちていた。
「何してるの……? 馬鹿じゃない?」
なぜ自分ではなく私を治療しているのか。御代に命令されてやっているのか。何にせよ、理解できない行動に困惑する。
「斬り跡が綺麗だから、すぐ治るよ。血は流れちゃったけど。……動けるようになったら逃げて」
……逃げる? 何から?
ふと音のする方に目を向けると、御代マキナはあの筋肉男と戦っていた。どちらも満身創痍。見た感じ押しているのは御代だが、鉄の筋肉に対して攻撃が通っていない。一方、筋肉男の攻撃は外れ続けているが、一撃でも当たれば御代は負ける。
この持久戦、どちらが勝つかは明白だった。
「水嶋さん……ごめんね。あたしのせいで……」
……何であんたが謝るの? 私に何をされたか解っているのか?
結局コイツの考えは、何一つ理解できなかった。
「弟のことなんてもういいから……ほっといてよ……」
コイツに情けをかけられるくらいなら、死んだ方がマシだ。
どの道この状況では、もう誰も助からないだろう。
私が諦めたように目を瞑ると、柚原は意を決したように言葉を紡いだ。
「あたしにも……弟がいたの」
……いた?
嫌な予感が脳裏を過ぎり、目を見開いた。
「八年前、あたしが選択を間違えたせいで……あの子は殺されちゃったんだ。それ以来――」
短い言葉の中で、この女の強さを見てきた私には全てが理解できた。
選択による責任。大切な者を失う悲しみ。それらを恐れていたからこそ、他人には理解できないような生き方をしていたんだ。
「ごめんね……あたし……怖くて……。自分で決めるのが……。情けないってわかってるけど……」
彼女の涙が頬を伝い、私の胸元に溢れ落ちる。
――くだらない。
弟のことなんてきっかけに使ってただけ。私自身、何とも思っていないどころか笑い話にしていた。それなのに――。
上辺だけの友達しかいなかった私には、損得考えず支え合っているアンタ達が疎ましかった。引き裂いてやりたかった。執行者試験のライバルを減らしたかった。……そんなくだらない理由。
そんな軽すぎる理由に対し、この子の涙はあまりにも重く、私の矮小な心を押しつぶした。
「どいて」
柚原を押し除け、ふらつきながらも立ち上がり、天へと手をかざす。
「水嶋さん……」
否定してやりたかった。コイツらの絆を。
「御代マキナ!」
戦っている二人の目線が私に集まる。筋肉男はこちらを警戒し、御代は背を向けたまま一瞥した。
「また仲間割れか? やれよ」
本当に……最悪。
「ウィップ・オブ・ペイン!」
バチン!――と、大きな音が響いた。
背中に当てられた御代の体が跳ね、筋肉男はその隙を突くように渾身の一撃を叩き込んだ――が、それが相手に当たることは無かった――。
『ウィップ・オブ・ペイン』の最後の能力。打ちつけた対象を鼓舞する。
「悔しいけど……アンタとも相性抜群だね……」
筋肉男の背から縦一文字に血が吹き出す。私の鼓舞で力を増幅させることで、鉄と化した筋肉を斬れるようになり、更にそれに比例するよう自身の能力でスピードを上げたのだ。
そうして勝利を確信した時だった――。
御代の背後に人の気配。御代は一早くそれを察知したようで、間を置かずに斬りかかる。
「ほう。俺の気配に気付いたか」
「薬師寺狂命!」
……薬師寺!? この男が手紙の主だったの!?
その男は刀を抜き、御代の刃を受け止める。
「読みは良いが甘いな。圧倒的経験不足」
男が刀を横に流すと共に御代が転倒する。私の目には何が起きたのか分からず、ただ呆然と見つめるしかなかった。
「やめてっ!」
地に伏せた御代が叫ぶと同時に、膝をついていた筋肉男の首が飛んだ。
「ご苦労さん。――っとついでに」
地へつく前に頭部へ追い打ち。脳へ刀を突き刺した。
「チップはここか? 分かんねえから火ぃつけるか」
串に刺さった団子の様に、頭部を足で押出し地に落とすと、酒のような液体をまぶし、マッチで火をつける。証拠の隠滅だろうか。余りにも早すぎる行動と圧倒的な力に愕然とし、私は死を覚悟した。
敵わない……この男には。例え私が万全であっても。御代は起き上がれなかった。彼女ももう、立ち上がる力すら残されていなかった。
「そんな怯えなくても殺しはしねえよ。ほれ、スマホ出しな」
柚原の前に座り込んていた私は震えながら、胸ポケットの端末を差し出す。反抗する気力は、もうどこにも無い。
「俺は薬師寺だ。発信元を特定して来てくれや」
まさか執行者の応援を呼んだの? 何を考えて……。
「コイツ借りてくわ。暫くしたら返す。悪い様にはしねえから安心しろよ」
そう言い残し端末を返すと、御代を米俵のように肩に乗せて抱えたままどこかへ消えて行った。
◇
「気がついたか?」
ここは――?
川のせせらぎが聞こえる。岩の上に寝かされているのか、背中が痛む。固まっていた上半身を痛みを避けながら起こすと、パチパチと音を立てる焚火が目に入る。その向かい側には、あの男――薬師寺が岩の上に座っている。
ノースリーブで露になっている両腕は、目にしたことのない洗練された筋肉質。決して太くはないが、量より質と言わんばかりに整えられた腕に掴まれれば鋼すら軽く砕きそうだ。私が戦った筋肉男とは格が違うと、一目で判断できる。
獲物をとらえて離さぬ眼光。無造作に伸び切った体毛。私はこの野獣のような男に食われてしまうのだろうか。
そんな心配をする私に対して、男がとった行動は真逆だった。
「俺が煎じた薬だ、飲め。痛みに効く」
私は痛みに耐えながらも立ち上がり、緑色の液体が入った歪な石の茶碗受け取る。それが毒かどうかも疑わず、そのまま一気に飲み干した。殺すつもりならとっくに殺されている。何より早くこの軋むような痛みから解放されたかった。
口の中に強い苦みという不快感を残しながらも、横になっていた石の上に戻り腰を掛ける。なぜ自分を連れ去ったのか、普通はそれを真っ先に聞くのだが、私の口から出た言葉は別のものだった。
「……どうして殺したんですか?」
この男はあの筋肉男を躊躇いなく殺した。仲間だったのか利用していたのかはわからないが、あまりにもその行為に慣れ過ぎている。見た目からしてとてもこの国の人間とは思えない。
「あいつか? 気にすることはない。殺しなんざ外じゃ日常茶飯事だ」
「え?」
「まあ、そういう国もある」
そうか、この男は外の人間だった。私たちとは生きている世界が違うから、物差しも違うのだろう。この国に住む人間は外の世界は危険だと教え込まれているが、この男がそう言うのなら外は本当に危険なのだろうか。
「あなたは母と、どういう関係なんですか?」
次に出てきた言葉は、私が一番気にしていたことだ。会見で言っていたことが本当ならば、この男は母と繋がりを持っているはず。だけども、目にしたことは無かったと断言できる。こんな濃い人間、印象が強すぎて忘れるはずがない。
「今はパートナーだ。一時的な」
「一時的?」
「敵の敵は味方って言うだろ? だから組んでる」
「敵って……上の?」
「上って呼んでんのか。まあそうか……そう。とりあえず今は、渦悪棲くんをぶっ殺してえ」
渦悪棲くん? ああ……才神のことか。CHAOSの幹部が渦悪棲を殺すのか……カオス。……駄目だ。私、まだ寝起きで頭がどうにかしてるみたい。
「母もあの人を殺そうと?」
「ああ。お前のパパを殺させたのは多分あいつだ」
「えっ!?」
思わぬ情報に朦朧としてた意識が吹き飛び、完全に目が冴えた。
「こ、根拠は?」
「時期。奴が管理者となって間もない出来事だった。今は憶測だが、どちらにせよ本人へ直接聞けばいい。まあ、お前が何をしなくても奴は死ぬ。お前はママにとって保険でしかないからな」
保険……。
この男に手も足も出ない程度じゃ、そもそも保険にすらなれるのか疑わしい。これまでの戦いで、私は自分の無力さに打ちひしがれていた。
「……その保険を攫って、どうするんですか?」
男は酒を飲み、「お前も飲むか?」と聞かれるが、私は未成年だと断る。だが、そんなこと法の外にいるこの男には関係ないか。
「俺は弟子をとらない主義だが、お前のママの頼みだ。鍛えてやる」
「は?」
鍛える? 私を? お母さんが頼んだ?
「一応、見込みはあるからな。お前にくれてやったあの技も教えてやる」
あれは技だったのか――けど。この殺しを生活に溶け込ませているような人間に教えを請わなければならないのか。もしそれが執行者にバレてしまえば、私は確実に死罪になるだろう。
「お前のママも俺が鍛えてやったんだ」
「え?」
「どうだ? やる気になったか?」
娘の私から見ても不自然過ぎた母の強さ。あれは特殊な能力だけじゃ説明がつかない。そんな母の強さの秘密がこんなにも近くにあったのだ。
母も命を懸けている。私もそれに応えなければ、執行者になった意味がない。ずっと歯痒い思いをしていた。
これで少しでもお母さんに近づけるなら――。
「お願いします」
「俺はかなりスパルタだが、ついてこれるか?」
「はい」
「良い返事だ。さっきのは嘘だからな。割と優しいぞ」
よく分からない人だな。
母がそうしたように、私も利用しなければいけない。相手が誰であろうと。お父さんの仇討ち。お母さんだけの負担にはさせたくない――。




