第9話 電波ジャック
食堂に戻ると、プリンを頬張り満面の笑みを浮かべている小学生――ではなく女性の姿があった。何故かツインテールにされていてより幼さを際立たせている。これは絶対にクミミンの仕業だな。
「ただいま戻りました」
「おう」
確かにこうしてみると……可愛いかも。
「……ヒナぴよ」
つい無意識にぼそっと――出してはいけないワードを漏らしてしまった。
「おい! 戻って来いっ! お前はそっちに行くなよぉっ!」
机を叩く音と悲痛な叫びで我に返り、正気を取り戻す。危なかった……新しい扉を開いてしまうところだった。
「マッキー素質あるね~」
やめて、私はそっちに行かないから。両の頬を叩きながら、拒絶の意思を伝える。
「ねえ、マッキーとリリポンの歓迎会しようよ」
「このクソ忙しい時にやってやれっか」
「もうっ、そんなんだから狂犬チワワとか言われてるんだよ」
「は? えっ、ウチ……陰でそんな風に言われてんのか!?」
誰が言ったのだろうか、上手いことをいう。涙目で愕然とする彼女にクミミンは優しく頭を撫でる。
「大丈夫。お姉さんだけはヒナぴよの味方だからね」
「クミミン……」
「だから二人にも優しくしてね」
「うん」
この人、外見だけじゃ飽き足らず精神年齢も堕とそうとしてるのか。こうして年上妹という矛盾な存在が形作られていくことに恐怖を覚える。
「じゃあっ、今から遊びに行こっ!」
「今は業務中ですよ」
油断も隙もないクミミンに対し、高柳さんが溜息混じりに割って入る。
「クミミンさんに騙されないでください。この人、何かと理由をつけてサボりたがるので」
やはり常習犯なのか。真面目でないことは服装だけで察しがついていた。
「いいじゃ~ん。リリポンも遊びたいよね〜?」
「は、はいっ」
断れないリリカを狙い撃ちされる。分かってて言ってるな、この人。
「私は高柳さんに賛成です。私たちは給料を頂いている身なので、働くべきです!」
「マッキー硬いなぁ。でも、2対2だから……ヒナぴよ決めて」
「え?」
二人の鋭い視線が呆けた顔の少女に集まる。
「ひな子様、後輩には毅然とした態度で接するべきです」
「硬った。今の子はそんな古臭い人について来まっせ~ん」
この二人は犬猿の仲なのか。紅露さんは即断できず戸惑っていると、彼女たちが罵り合いを始めてしまったので、間に挟まれた少女は妥協案を出し、その場を収めた。
定時後、歓迎会。
急ぎの仕事を片付けると言い残し、ツインテールを解いた少女は逃げるように去って行った。
「今回は私の勝ちですね」
「くっ……」
どんだけサボりたいんだ、この人は。
「じゃあ、お姉さんはリリポンと動くから」
クミミンはリリカの手を取り早々に去って行った。戸惑いながらもついていくリリカを見てホッとする。あれくらい強引な人なら、リリカも心を開いてくれるかもしれない。
「私たちも行きますか。まずはこの庁舎を案内します」
高柳さんは執行者らしい真面目な人だ。
あんな性癖さえ無ければ尊敬できたのに……。
――。
定時後、集合場所のエントランスに着くと、中心地から怒号が飛び交っていた。少女と言い争っているのは、ソファで寛いでいる見知った顔の男。
「何でここにいんだよテメェ! 謹慎中だろうが!」
「あ? 暇だから後輩の様子を見に来たんだよ」
紅露さんと茅間、二人は想像通りに仲が悪かった。
「テメェの後輩じゃねぇ、もうウチらのだ!」
「勝手にてめーの変態パーティに入れてんじゃねーぞ! 変態が感染るだろ!」
「黙れや謹慎野郎! 大人しくぼっち貫けや!」
汚い言葉と唾が飛び交っている。二人とも本当に第1級執行者なのかと疑ってしまう。
「んだと、もういっぺん言ってみろやコラァ! この違法幼児が!」
――パァン!
背後から、大きく手を叩く音が鳴り響いた。高柳さんだ。二人を止める気なのだろうか。険しい表情で茅間に向かって歩いていく。
「今の、訂正して下さい」
「あ?」
「違法ではなく、合法です!」
期待して損した。
――パァン!
今度は強烈なビンタが入る音だった。
「出てくんなテメェ! 話がこじれるだろ!」
更に追い打ちで蹴りを入れる。先ほどと同じ光景なのに、もう何とも思わない。あの時のギャラリーたちは正常な反応だったのだ。彼女はやはり恍惚な笑みを浮かべており、茅間はそれを見て若干引いているようだ。
「茅間く~ん、久しぶり~」
「ひぇっ!」
クミミンが茅間の腕を掴み、胸を押し当てようとすると、奇声を発しながら飛び退く。もしかして、あの手の女性が苦手なのか。
「近づくんじゃねえ、アバズレ!」
「はっ! たじってんじゃねーよ童貞ぼっち! いいぞクミミン、そのまま攻め続けろ!」
これはもう収集がつかないのでは……?
私とリリカはソファに腰掛け、眼前のテレビを見て時間を潰すことにした。
「おめーら助けろや!」
「申し訳ありませんが、ついてはいけないです」
そもそも謹慎中なのに、ここへ来るのが悪い。
「この時間は教育番組だぞ! んなもん見てどうすんだ!」
「このやり取りを見るより有益では?」
子供の頃、よく見ていた教育番組。うたのお姉さんを中心に、子供たちが輪になり囲っている。
『――今日は特別ゲストが来ています。真奈おねえさーん』
『は~い』
『今日は指名手配中の真奈おねえさんに来ていただきました』
『みんな~。元気にしてたかなぁ?』
『はーい!』
うたのお姉さんの掛け声に無邪気な子どもたちが一斉に声を上げる。
『真奈おねえさんもー、元気げんき~!』
見知った人物がテレビの中で元気よく挨拶している。
お母さんらしいや……。
「は?」
テレビの中にお母さんがいる――?
余りの突拍子の無い出来事に頭の回転が停止する。
何で……?
「んだこりゃあ!」
目玉が飛び出そうになるくらい、テレビへと釘付けにされる茅間。
「あんのババア、舐めやがってぇえええッ!」
血管が切れそうなくらい怒りを露わにしている。
『それじゃあみんなー、そくばく体操はっじめっるよ~』
「何だよ、そくばく体操って!? ふざけやがって!」
「なに教育番組に興奮してんだお前。ママが恋しいんか?」
「黙れや! こいつがあの御代真奈なんだよ!」
「……そいつか」
先ほどまでの空気が一瞬にして凍り付く。高柳さんとクミミンも真剣な表情に変わっていた。
「誘ってんな……上等。ウチらが仕留めてやるよ」
「知ってんのか? こいつの能力は――」
「死角の一撃だろ? 関係ねぇ、ウチらなら殺れる。テメェらはそこで見てな」
紅露さんにすらコピーのことを伝えられていないのか。私は立ち上がり、同行の意思を示す。
「私たちも……」
「テメェらは足手まといだ」
振り向きざまの鋭い視線が突き刺さる。小さな少女から発せられているとは思えない威圧感。私は何も言い返せず、立ち尽くしてしまった。
「車を出すぞ!」
紅露さんは二人を連れ、駐車場へと駆けて行った。
「俺らも行くぞ」
「いいんですか? 謹慎中では?」
「社会見学に行くだけだ」
相変わらずの無茶ぶり。偶然だけど、この人が来てくれてよかった。じっと待っているだけなんて、息が詰まりそうだから。
「お母さんは何故こんな危険なことを……」
「誘ってんだろ。何か狙いがあるはずだ」
リリカと共に茅間の車の後部座席に乗り、カーナビに映る番組を注視する。
「どうやって番組を占拠しやがった? 奴は一人じゃないのか?」
私たちが戦った『ナイフ・オブ・ジャック』の能力だ。洗脳をこんなことに使うなんて。コピーのことを茅間に伝えるべきだろうか。しかし、どうやって説明をすればいいか思い浮かばない。
「子供たち、楽しそうですねー」
「ガキは呑気でいいよな」
指名手配なんて言葉、小さな子たちは分からないのだろう。そもそも殺人を犯した犯罪者が、こんなにも明るく立ち振る舞っているのだから疑いようがない。
「テレビ局は本部の近くだ。ひょっとしたら、先を越されるかもな」
「紅露さんにですか?」
「いや……」
突如画面に、番組に似つかわしくない男が映った――。
「あの後ろ姿は……」
第1級執行者の制服を纏うその男は、私たちもよく知る人物だった。
――魚路銀平。最年期最年長の第1級執行者。




