第46話 墓穴
なるほど。
そういう論法で私を追い詰めたくて、今日彼女はここに来た訳か。
言い負ければ――すなわちこちらに非がある形に話を押し切られれば、彼女は私の優位に立てる。
勢いと気迫で押し切って一度上下関係を作ってしまえば、彼女はおそらく強いだろう。
それを自分で分かっていて、そうできるという自信があるのだ。
実際、彼女はそういう雰囲気作りが以前から上手で、時戻り前も《《これまで》》も、私はそれに屈してきた。
しかし。
「まさか。そんな事考えもしませんでした。が、たしかにそれなら経費を増やす元手は作れそうですね」
「なっ?!」
今の私なら、切り返せる。
切り返す事に恐れはない。
それに、本当に私はそんな事、欠片も思いつかなかった。
普通はそんな事、思いつかない。
――そう。それこそ自分が使える国費の額に不満を持ち、どこからか充当しようと考えた事でもなければ。
時戻り前から、一つ疑問に思っていた事がある。
国費から割り当てられる身の回りを整えたり、慈善活動に使うための毎年の予算は、正妃と側妃で変わらない。
それなのに、何故彼女は私よりも、身に着ける物が豪奢だったのか。
私に会う度にそれをエサにして、取り巻き共々私の事を下げる事ができていたのか。
あの時は「重用している商会がお得意様料金で安くしてくれているのかも」とか「国費とは別に御実家からのお金の援助があるのかも」と思っていた。
私には、そういう商会の伝手も、私のためにお金を用立ててくれる家族もいなかったから、あの時は「そういう虐げられ方をするのもある種仕方がない」と思っていたのだ。
けれど今思えば、あれだけ自分を着飾ってそれを誇っているミーナさんが、品物を商会から安くしてもらうだろうか。
彼女ならむしろ、大金を使って商人に持ち上げられ優越感に浸っている姿の方がしっくりとくる。
御実家からの援助だって、彼女の生家である伯爵家は、金遣いが荒いので有名だ。
自分のために大盤振る舞いしたいような人たちが、その分のお金を娘に分けるような事をするだろうか。
その答えが、おそらく先程彼女が言った言葉の中にある。
経理部長は、侵略派閥の人間。
そしてミーナさんもまた、同じ派閥だ。
べトナー卿は、「部長は横領した金を妻のために使っていた」と言っていたけど、もしそこからミーナさんにお金が流れていたとしたら。
部長が方々に手を回しべトナー卿に取り合わないように言えたのも、ミーナさんの後ろ盾をチラつかせていたのだとすれば、容易にできるだろう。
少なくとも時戻り前は、今の時点ですでにミーナさんはそれなりの影響力を持っていたのだから、猶の事。
……はぁ、少し考えれば、あの時の私の「かもしれない」にはかなり無理があると分かるのに。
内心で、時戻り前の自分に呆れる。
流石にここまでの真相を推理する事こそ難しくても、きちんと疑問を持つ事くらいはできた筈だ。
自分がどれだけ思考を放棄して諦めていたのか、気が付かされて恥ずかしい。
――既にやっているのかしら。
そう勘ぐってみたものの、それにしては今彼女が身に着けている物と私の物とでは、それ程差がないように思う。
それに、もし既に自分がしているのなら、こんなふうに指摘してくるだろうか。
もし自分が既にしているのなら、「私もしようとしているのかも」と疑い指摘するよりも、今は泳がせておいて実際にしているところを押さえた方が、確実に私を追い詰められる。
それに「今そこを突いて変に調査されて、自分の行いが露呈してしまったら」と思えば、墓穴を掘りたくない彼女は今ここで言わないのではないだろうか。
――あぁ、ルリゼにこの場にいてほしくなかったのは、彼女伝手に陛下にこの企みがバレる事を嫌ったからなのかもしれない。
たとえば、そういう事に手を染めるのだろう私なら、指摘したところでそれを他の人に漏らす事はないと。
自分がこの計画で贅沢ができる可能性が繋がると考えた。
そこまで考えておきながら、指摘せずに泳がせるのではなく、こうして私にまずは贅沢をさせない方を選ぶあたり、彼女の行動原理は随分と感情的らしい。
どちらにしろ、私は今回計らずとも彼女の資金源を断った事になるのだろうか。
それならあの煩わしい絡みに付き合う必要がなくなっただけ、後で楽ができそうだけど、何が役に立つかは分からない。
この話は、一応今調査をしている兄にも共有しておこう。
「お話はこれで終わりでしょうか。であればそろそろ失礼させていただきますね。そろそろリリアのミルクの時間ですから」
そんな言葉で、私はこの場を切り上げる。
結局終始彼女に対して、会話の主導権を渡す事はなかった。
これまで子どもたちのために散々賭けをしてきたけれど、今回に至っては何かを賭けるまでもなく済んだ。
しかしきっと、ここで気を抜いてはならないのだろう。
今のところ、あの頃のように権力を握られる可能性は低いけど、彼女の行動に変化があった以上、今後の彼女がいつ過去や私の思考を逸脱した行動を起こすかは、分からない。
もしそういうのがなかったとしても、追い詰められた彼女が強硬的に私の大切な子どもたちに、直接的に手を出す可能性がある事には変わりない。
ならばここで一つ、釘を刺しておいた方がいいだろう。
「あぁ、ミーナ様。お体、大切になさってくださいね」
振り返り告げれば、彼女は頭上にクエスチョンマークが浮かべた。
私は微笑み、サラリと告げる。
「貴女の体はもう、貴女だけのものではないのでしょう?」
リリアの出産から数えて、約九か月。
それが、側妃が第一子を生む時だ。
それを機に、側妃の子どもたちに対する攻勢は少しずつ激化していき、陛下はそれを見て見ぬふりをする。
忘れもしないそのある種の分岐点から逆算すれば、今はちょうど妊娠三か月を超えた頃だろうか。
今はまだ目立たない彼女のお腹も、じきに目立つようになっていくだろう。
私の言葉に、後ろのルリゼが驚いたような気配がした。
ミーナさんに至っては驚きと恐れがない交ぜになったような表情で、小さく「何故……」と呟いている。
もしかしたら、この後彼女は「自分の周りの誰かが私に漏らしたのかも」と疑心暗鬼になるのかもしれない。
実際には、ただ知っていたというだけの話だけど、自分が私の傍に情報網を張り巡らせているからこそ、そういう疑念を拭えないだろう。
人を信じられなくなる事が、どれほどしんどい事なのか。
彼女も身を以って知る時なのかもしれない。
こんな時期に、少し可哀想だとは思うけど、これも自業自得である。
同情をする気持ちは湧かなかった。




