第35話 出産
何をそんなにも不安そうな顔をしているかと思えば、そんな事を考えていたのか。
そう思わせてしまった事の一端は、お腹を抱えて痛がった私の姿なのだろうけど。
「そんなひどい事、貴方の妹がすると思う?」
「……ううん。俺の妹なら俺みたいに、お母さまの事大好きな筈だもん」
陣痛の感覚はすぐに戻ってきたけど、可愛い事を言う息子をあまり不安にさせてはいけない。
幸いにも、痛みはまだ耐えられる程度の物だ。
だから笑顔で頭を撫でて、少しでも彼の不安を取り除くべく努めて話をする。
彼はやっと幾らか落ち着いたようで、小さく「よかった」と息を吐いた。
その後に続いた呟きに、「お腹を食い破って出てきたりしない」という言葉が続き、いささか違和感というか、疑問に思う。
「誰かにそういう事でも言われたの?」
「花瓶の水を変えに来た人が、前に言ってたの。『お腹の子は悪者だから、やっつけないと』って。でも俺は『リリアはそんな事しない』って言ったんだ」
でも、やはりこうして実際に私が苦しんでいるのを見て、やっぱり不安になった……という事なのだろう。
その人間の言葉からは、私やお腹の中の子に対する明確な悪意を感じずにはいられない。
物事をよく知らない子どもに嘘を吹き込み過ちを犯させようとする辺りからも、卑怯さが露呈している。
「それ、いつ頃、誰が言っていたか覚えている?」
「アンが来るちょっと前。この前お母さまとお散歩した時に、アンに意地悪を言っていたあの人だよ」
「そう」
なるほど、あの女か。
という事は、この悪意の源泉は十中八九側妃だ。
もしかしたらあのメイドが勝手にした事かもしれないけど、だとしたら彼女はもう後宮にはいない。
そうでなければ側妃の悪意ある工作だという事になるけど、今はその可能性については横に置いておこう。
「もうすぐリリアが生まれるわ。これでロディスも正式にお兄様ね。リリアを応援してあげて?」
「リリアを?」
「そうよ。リリアを無事に生むためには、お母様とリリア、両方が頑張らないといけないの」
「そっか……」
やっと混乱からいくらか回復したアンが、ロッキングチェアに座る私に手を貸してくれた。
ゆっくりとベッドに体を移し横たわれば、ロディスもすぐにその隣に来てくれる。
「リリアもお母さまも、頑張って!」
お腹に優しく手を添えて、懸命な声援を私たちにくれた。
「ありがとう、ロディス。お母様もリリアも、頑張るわ」
言い終えたのとほぼ同時に、後宮に駐在していた医師とその助手を連れたルリゼが戻ってきた。
医師たちが準備をする中で、助手がロディスたちに退出をやんわりと促す。
ロディスはまだ居たそうだったけど、アンに目配せをして一緒に外に出ていてもらう事にした。
ルリゼが残ろうとしていたので、彼女にも同様に退出を促す。
「私は陛下より、王妃様のご様子を見ているようにと仰せつかっていますので」
「それは、陛下が選んだ医師たちの事を信用できないという事?」
先程は少し彼女がいてよかったと思ったけど、それとこれとは話が別だ。
私が苦しみ奮闘する姿をいつもの無表情でずっと監視されるかと思ったら、気が滅入る事この上ない。
そもそもこの医師たちは、時戻り前にもリリアの出産を助けてくれた人たちであり、その後ロディスの服毒の可能性に気が付いた時には、すぐに対処してくれた人たちでもある。
それで何度か危機を脱したけど、彼が陛下に毒物の混入先の調査を進言して、この後宮を追われる事になってしまった。
ロディスが亡くなったのは、その後だ。
確証こそ何もなかったけれど、私はあの死を、後任の医師の悪意か怠慢にも一因あったと私は思っている。
ただ見ているだけで何もしない彼女より、医師として適切な治療を行ってくれる人たちの方が、余程信用できるのだ。
彼だって、すぐ傍に監視の目があるよりは、ない方が仕事もしやすいだろう。
「『立ち会う必要性を感じるのなら、陛下御自身でいらしてください』。そう、陛下には伝えなさい」
来る筈がないと分かっていて、敢えてそんな物言いをした。
これは予想などではない。
実際に来なかったのだ、時戻り前は。
若干歯噛みしたような間の後で、ルリゼも一礼をして部屋から出た。
そしてそれから、約六時間後。
疲れ切り、朦朧とする意識の中で、おそらく部屋の外まで聞こえる程の元気な赤子の産声が耳を撫でたのだった。
「お母さま」
「ロディス、いらっしゃい」
無事にリリアを生んだ後、医者たちが帰るとロディスが入り口からひょっこりと顔を出した。
控えめで遠慮したその様子に「もう大丈夫だから」と促せば、テテテッと小走りでやってきた彼を、上半身だけ起こしたベッドの上で受け止める。
「ロディス、貴方の妹よ」
腕の中に抱いている赤ちゃんを見せると、妹の顔を覗き込んだ彼は「ちっちゃい。まっか。しわしわ」という感想を順番に漏らす。
「生まれたばかりですからね。ロディスも生まれたばかりの時は、同じような感じだったのよ?」
「そうなの?」
「えぇ」
ロディスは「へぇ?」と言いながら、リリアの頬っぺたを恐る恐る一指し指でツンと突いた。
するとロディスの手より小さなリリアの手が、その指を見つけてギュッと握る。
「わっ!」
「ロディスがお兄様だと、分かるのね。お腹の中にいる時に、たくさん声をかけてあげていたお陰かも」
私の言葉に、ロディスは覗き込むように、妹の顔をジッと見る。
目はまだあまり開いていない。
それでもフニャリと笑ったのは、偶然か、兄が分かっての事か。
どうやらロディスは後者だと思ったらしく、感動したようにキラキラと目を輝かせる。
「リリア。お兄様だよ。よろしくね」
言いながら、指を軽く上下に動かし、握手を交わす。
嬉しそうなロディスの向こう側では、アンが同じようにリリアの姿を覗き込んで「可愛いですねぇ」と頬を綻ばせた。
コンコンコン。
扉のノック音が聞こえてきた。
外からメイドの「来客です」という声が聞こえてくるけど……こんな時に、来客?




