第29話 時戻り前、“名も知らなかったメイド”に関する記憶
当時の私の周りには、陛下に情報を流しているメイドと、怠惰な腰掛メイドたち、側妃に味方するメイドたちか、王族との敵対派閥の長であるダンドール公爵家のお手付きが蔓延っていた。
後で調べてみたところ、後宮内の全員が余すことなく、多かれ少なかれどこかしらの息がかかっていた。
その事を知った時の絶望感はどれほどか。
世の中に戦慄したものだ。
後宮はまごう事なき、私たちを閉じ込めいたぶり放置するための鳥かごだった。
そんな場所で、私は自分の味方になる――最悪でも積極的・消極的に限らず、正しく『敵にならない』人を探さねばならない。
ロディスとリリアを守るための、二人に親身になってくれるメイド。
危害を加えず、情報を流さず、二人の幸せを真に祈って行動してくれる人。
そんな人を探さねばならない。
そう考えた時、何千何万と働いている王城内にほんの数人だけ、かき集めて掬い上げて、濾して辛うじて、心当たりと言っていいような相手を見つける事ができた。
その内の一人が、アンという名のメイド。
私が覚えている時戻り前の記憶の中で、早期にこの後宮から消えたメイドだ。
《《その子》》に関する直接的な記憶は、それ程ない。
もしかしたら接点を持った事があったのかもしれないけど、それさえ覚えていないような相手。
それでも時戻り前に側妃の子飼いのメイドによって、どうやらいびられ、死に追いやられたらしい可哀想なその子は、私の希望の光になり得る。
書類でしか知らない相手であり、簡単な素性しか知らない相手。
それでも彼女の身に何が起きて、彼女がいつ死に至るのかは、文字の上で知っている。
私が持つ手掛かりは、それだけだ。
彼女にとっての『審判の日』がズレれば、私がその死に干渉できなくなる。
それを恐れて、彼女に対しては、これまで敢えて殆ど行動していない。
おそらく日常的に虐めを受けているのだろう事を知りながら、私は何もしてこなかった。
そこに心が痛まなかった訳ではない。
見殺しがどれ程ひどい罪なのか、実際にされた私が、知らない筈もない。
そんな人間が母だと知ったなら、ロディスは私に幻滅するだろうか。
そうも思った。
それでも私は、『確実さ』を選んだ。
この選択による犠牲への罰は、彼女のこれからを最大限よりよくする事によって、償いたい。
大事にするから。
慈しむから。
だから子どもたちのために、力を貸して。
子どもたちに、よくしてほしい。
そんな祈りと共に、朝日が昇る。
いつものように、一日が始まる。
私ではないその子の、審判の日が。
私たちの未来への分岐が、きっと始まる。




