第25話 私が欲しいもの
「突然来るのは迷惑だ、と言いたいのか」
「いいえ。私としては、ちょうど陛下に用事ができたところですし」
「用事?」
我ながら、トゲついた言葉を吐いている自覚はある。
それでも尚陛下に遠慮しなかったのは、安易に近づいてほしくないからだ。
私に、というよりは、子どもたちに。
子どもたちには、自分を見殺しにする人間に、変な希望や期待を持たないでほしいのだ。
だから、近づいてほしくない。
近づいてくる人間には、嫌でも期待してしまう。
私は時戻り前に、嫌という程それを実感しているから。
そもそも陛下は時戻り前、まるでこちらには寄り付かなかった。
ならいいじゃない、そのままで。
今更どんな思惑があって、私たちに近づいてくるのか。
……いや、私は子どもたちのためになら、何でもすると決めたのだ。
まだ何も持っていない私が子どもたちを守るためには、『王妃』という立場が必要だ。
私がいつか自分の力で子どもたちを守れる時が来るまで、この男は盾として、財布として必要なのだ。
この男が子どもたちに近づきすぎないように、私が守ればいい話である。
そのためにも。
「ロディスが先日で三歳になりました。お腹の子もそろそろ生まれますし、兄としても王子としても、自覚の形勢が必要な歳だとは思いませんか?」
私たちの周りを固める人間に、少しでも信頼できる人間を増やすための口実が必要だ。
私の言葉に、陛下が「何が言いたい」と言いたげな顔をする。
「帝王学教育は七歳からと決まっている」
「分かっていますわ。しかし、王子に物事を教えるのに、何事も『早すぎる』という事はないでしょう? それに、教えるのは『物事の良し悪し』です。為政者とは何たるかを学ばせるのは、七歳になってからで十分だと思っていますわ」
もっと、人としての初歩的な在り方を学ばせる。
これは周りに味方を増やしたい云々を考える以前から、ロディスのためにしたいと思っていた事だ。
時戻り前、ロディスは愛の乏しい環境下でも尚、とてもいい子に育ってくれた。
しかしだからこそ、もっと色々な事を学び知っていれば、この子の優しさや利発さが発揮できたのではないかと、今更ながらに思うのだ。
だから。
「考えてみてください。社交場で、他の家の子女より飛び抜けて行儀がよく、他者を思いやれる王子の姿を」
ロディスのために陛下にも、ロディスの早期教育の利点があると語る。
本当は、ロディスの事で一ミリたりとも、こんな男の利を示したくはない。
それでも尚そうするのは、それが結果的にロディスのためになるからだ。
「これは、利点はあれど欠点はない話です。だって早めに教育を始めたとして、うまく行けば周りから『流石は陛下の息子』と言われ、もし失敗したとしても『まだ教育には早い年齢だから』で言い訳がつくのですから」
欠点がない。
それは利己主義の彼にとって、大きな判断基準の一つだ。
その証拠に陛下は考え込む様子の端に、少し肯定的な色を示し始めている。
おそらく、あと一押し。
「本当ならば、王子の教育を施す人間は陛下の正式な命により適任を探すのがいいとされるのでしょう。しかし、施すのはあくまでも初歩的な教育。陛下に探していただく手間をおかけする程の事でもないでしょう。それに、大々的な募集となれば、おのずと注目度が上がります。失敗した時の言い訳にも、無理が出てくると思います。ですので」
そこまで言うと、私はニコリと微笑んでみせた。
「この私、スイズ公爵家長女・エリスに、後宮内における人選を含めた人事権をお認めくださいませ」
人事は、対外的に後宮内で済んでいると見えるように留める。
人選は、スイズ公爵家で行う。
つまり、手間と責任はこちらで負う。
私は暗にそう告げた。
実際に人選を公爵家に頼るつもりはない。
これはあくまでも、私が自由に人選するための方便と、いざとなれば血縁に責任を背負ってもらおうという、一種の責任転嫁である。
どうせ拭いようのない血縁なら、うまく使うのが一番賢い。
万が一何かが起きて実際に血縁が迷惑を被ったとしても、そもそも薄い絆なのだ。
関係が完全に切れたところで、特に支障が出る訳ではない。
だって私はもう、彼らの愛を必要とはしていないのだから。
陛下は顎に軽く手を当てて、少しの間考え込んだ。
そして、答えは。
「そもそも後宮内のやりくりは、正妃の仕事の一つだからな。その一環という事ならば、誰の文句も出ないだろう」
「ありがとうございます」
思わず素で笑顔が漏れ出した。
満足のいく結果に、無遠慮な来訪への不機嫌も持ち直す。
そんな私を見て、陛下は何故か目を見張った。
そして何を言うのかと思えば。
「お前は、そういう女だったか」
「は?」
唐突な言葉。
その上、何を指してどういう女だと思われたか分からない状況への怪訝に、私は思わず片眉を上げた。
「兄のルティードと、先日執務について話をした。率直だが無口な宰相とは違い、会話の先回りをして提言するようなやり方が、少し兄妹で似ていると思ってな」
「……そうですか」
もし本当に似ているのなら、それは他者との話し方について、影響を受けている相手が同一人物だからなのだろう。
が、もし褒めるつもりで言ったのならば、勘違いも甚だしい。
「では陛下の御用事がないようでしたら、そろそろお暇させていただきたいのですが」
「え」
「先程私、『誰しも予定というものがある』と申しましたでしょう? この後来客があるのです」
この後来客があるのは事実だけど、それは一時間後。
次の相手には少なからず体裁を整える準備が要るとはいえ、まだ三十分ほど時間に余裕はある。
それでも尚素っ気なく突き放したのは、そんな的外れな――時戻り前なら少しは喜んでいたかもしれない薄っぺらい――言葉如きで、今の私の機嫌が取れる思ったら大間違いだと示すためだ。
実際に、せっかく少しは直ってきた機嫌が、あの一言で急降下だ。
「来客?」
「えぇ。私の身重を押しても、どうしても会いたいという人がいるので」
純粋に驚いた様子の彼に、「あぁこの人は、私に陛下以外の来客がほぼなかった事を、情報として知っていたのだ」と気付いた。
その上で、陛下はこの部屋から足を遠退かせていた。
それが一体どういう事か、利己主義で傲慢なこの人には、きっと分からないのだろう。
いや、分かっていて尚「気を配る必要はない」と切り捨てたのか。
……今更、どちらでもいいか。
「それは誰だ」
「エインフィリア公爵夫人です」
「エインフィリア……?」
陛下の瞳の中で、『何故』という驚きと『何のために』という疑問。
二つの感情が揺らいでいるように、私には見えた。
しかしそれもすぐに溶けて消える。
「そうか。それならば、仕方がない。俺もそろそろ執務に戻ろう」
案外素直にそう言って、陛下は部屋を後にした。
エインフィリア公爵家は、国内を二分する派閥のどちらにも属していない、中立の立場を貫く大貴族だ。
もしかしたら「もし我が和平派に引き入れる事ができたら、国内の勢力図が一気に変わる」などと、考えたのかもしれない。
「私は私たちのために、かの公爵家と対峙するのですよ」
決して貴方のためではない。
すべてが自分のために存在しているかのような思考回路の持ち主に、私は冷めた怒りを抱いた。
しかしすぐに、トンッという腹の内壁からのノックで、フッと感情を温かなところまで引き戻される。
「そうね、リリア。私が貴方たち以外のために心を揺らす必要はない」
優しく撫でながらそう呟くと、ちょうどその手の向こう側で今度はムニッと、少し優しい衝撃が与えられた。
まるで返事でもしたかのようなその反応に、心が更にほんわりと温まる。
「そのまま元気に育って、生まれて来てね」
お腹の中の娘に、呼びかける。
この時もまた、私にとってはかけがえのない至福の時間だった。




