第22話 来訪者
先日の夜会以降、それ以前と比べて何か変化があったかと言えば、ない事はなかったけどかなり緩やかなものだった。
たとえば時戻り前には一度もなかった他貴族からのお茶会への招待状が来ていたり、もうすぐ生まれるリリアのための上質な肌着が送られてきたり、である。
本音を言うなら、もうすぐ十月十日の一か月前――安静期間に入るのだから、招待状なんて貰ったところで絶対に参加などできないし、肌着などという直接子どもの肌に触れる物を貰い物で済ませるなんて、そんな不用心な事できる筈もない。
まぁ招待状は、出す事それ自体が「貴女に興味がありますよ」という意思表示であり、今回断った事により、出産後に出す次のお茶会への招待状に「ずっと断っていては申し訳ない」などという心的作用で、遠回しに断りにくくする思惑があるのだろう。
実際に無駄とまでは言えない努力だし、貴族令嬢に生まれた者なら一度はそういう可愛い策略を巡らせるものだけど、私はもう時戻り前の私ではない。
他者からの繋がりを純粋に喜べる私は、もうあの時間軸に捨ててきてしまった。
時戻り前には、見向きもしなかったくせに。
どうせ私が不利な立場になれば、皆手のひらを返す人たちだ。
そんなふうに思えてならない。
……あぁそうだ。
贈り物の中には、兄からの『便箋』という妙な贈り物も存在していたっけ。
特に手紙などはついていなかったが、これはもしかして「今回の事の顛末か後日談でも書いて送ってこい」という意味なのだろうか、と考えを巡らせる。
だとしたら、迷惑極まりない話だ。
今回兄を頼ったのだって、私の選択肢の中で色々な意味で一番無難な相手だからに過ぎない。
馴れ合う気は元より、必要以上に仲良くする気も、こちらには毛頭ない。
そもそも当日の報告なら一緒に行っていたウィルターが、後日談なら部下に調べさせれば把握できるだろう。
わざわざ手紙を書かなければならない理由がない。
……まぁ便箋自体に罪はないし、「兄から物を貰った」という事実が後に何か物事をうまく動かす結果になるかもしれない。
貰えるものは、貰っておくけど――。
「お母さま! こっちのお花は?」
「毒ですよ」
庭のテラスに座っている私は、近くの花壇を指さして振り返った無邪気なロディスに微笑み、答える。
紅茶の給仕をしてくれているメイドあたりは、すました顔をしているけど、もしかしたら内心では「子どもにどんな話をしているのか」などと思っているかもしれない。
しかしこれは、とても大切な事だ。
時戻り前のロディスの死因は、毒を盛られた事。
側妃のメイドから貰った毒入りのお菓子を、何の躊躇も疑いもなく食べてしまった事だった。
同じ轍は踏まない。
これはその一環、名付けて「毒は日常の近くにあるよ! 気をつけて!!」作戦だ。
実際にロディスに盛られた毒は、他国から持ち込まれた特殊なものだった。
しかし何もその毒だけが、ロディスの脅威になり得る訳ではない。
だから、何気ない場所にも毒があると認識する事で、少しでも毒に対する警戒心を養えたら。
そう思い、まずは私自身が身近な毒について書物で調べた。
お陰で、付け焼き刃ではあるけど少し説明してあげられるくらいには、毒物の知識を身につける事ができた。
ロディスの質問に答える事も、今のところはできている。
本当は、もっとちゃんと詳しい人に教えてもらえた方がいい。
それは分かっている。
しかし信用できない人から与えられた知識ほど、信用に値しないものもない。
と、なると。
――やはり私たちの側に、信用のおける人が必要よね。
内心でそう、独りごちる。
そもそも、だ。
私の周囲が陛下《敵》の手駒ばかりなのが、かなり具合が悪い。
先日の夜会の時だってそうだ。
陛下に情報が漏れることを嫌って、私はギリギリまでドレスについて隠す必要があった。
当日も、後宮を出る時に面倒だった。
ウィルターがすぐ外まで迎えに来てくれていなければ、もっと出発に手こずっただろう。
当然の如くあそこまで迎えに来てくれた彼の騎士精神には、きちんと感謝しなければならない。
ああいう手間や心労も、信の置ける人間を集めれば必要なくなる。
私を第一にしなくてもいい。
ロディスとリリアを一番に思ってくれる人たちがいてくれれば、同じ目標に向かって、うまくやっていけると思う。
そういう人間を集めたい。
もし私に何かあったとして、それでも二人のために尽くしてくれるような、そんな人材を――。
「正妃様。陛下がおいでです」
「陛下が?」
スッと背後に感じた気配の告げた言葉に、思わず片眉を上げて聞き返す。
予想だにしない言葉だった。
たしかに今日、来訪者がいる。
私はその人が来ることを待っている訳だけど、予定が入っているのは二時間後だ。
それに合わせて準備をしようと思っていたから、もちろん今は部屋着で、髪も人前に出れるようには整え終わっていない。
そもそも、だ。
陛下がこの時期に来訪するなんて、時戻り前にはなかった事である。
なのに、何故。
何のために。
考えてみるが、何一つとして思いつかない。
――そういえば、昔読んだことのある時の神ウールの聖書によれば、「時は連なるもの」なのだとか。
昨日の善行が今日の運命を決め、今日の悪行が明日の破滅を生む。
故に、常に自らを律しなさい。
たしかそんな内容だった。
この教えを信じるのなら、先日の夜会でのアレコレが、時戻り前と今との違いを生んだと言ってもいいのかもしれない。
要らぬ訪問は面倒臭いけど、これもロディスとリリアの未来をよりよい方向に傾ける事ができた代償だと思えば――。
「何故そのようなお顔をなさるのですか」
「え?」
「陛下がお運びくださったよき日だというのに」
慌てて頬に手を当てる。
もしかしたら、感情が表情に出ていたかもしれない。
彼女は私のお目付け役。
元は陛下の下に仕え、今は私のそばにいて、何もかもを報告する役目のメイドだ。
すなわち、『忠実なる陛下の目』と呼んで差し支えない。
彼女からすれば、敬愛なる陛下の来訪は喜んで然るべきなのだろう。
……いや、今までの私がそうだったから、何故今はそうでないのかも、もしかしたら怪しんでもいるのかもしれない。
私室だからと気が抜けていた。
不信を持たれると、自ずと監視もきつくなる。
悪手を引いた。
そう思うものの、一度抱かせた違和感を消すのは難しいだろうとも思った。
そもそもこのメイドには、先日の夜会への出発時のいざこざを、特等席で見られている。
最早何をしたところで手遅れだろう。
どちらにしても今更だ。
ならば、どうせなら。
「何の先触れもなく、こちらの都合も考えずに、気まぐれに訪れる方と一体何を喜べと言うのかしら」
誇張のない、純粋な本音。
呆れ混じりに「嬉しい筈がない。むしろ迷惑だ」と暗に示すと、メイドが「なっ?!」と反論の声を上げた。




