第20話 『スイズ公爵家の女』らしさ
それでも尚ルティード様の反応が薄いように思うのは、彼女のあの姿を自分の目で見た者と、そうでない者。
その温度差なのだろうか。
たしかに口下手で美的センスも乏しい俺では、あの時の彼女を適切に表現できる自信などない。
立ち居振る舞いだけではない。
あの場のあの人は、美しかった。
妊婦特有の大きな腹と、それによる「コルセットを付けられない」という制約。
それら社交場における美とは反目する条件下で尚、それを物ともせずに、むしろそれを武器にするかのようなドレスの着こなしだった。
そう素直に思えてしまう程に、彼女は母性溢れる『慈愛の天女』のようだった。
今日初めてそんな彼女を見た、あの迎えに行った後宮前。
流石に自分が見惚れてしまった自覚があった。
おそらくそれは、夜会会場で彼女を見た貴族たち全員が、少なからず感じたものだったのではないだろうか。
でなければ、あそこまで周りの視線を独り占めはできなかった。
その後に起きたトラブルでも、あれがなければやり過ごせなかったかもしれない。
「その後、会場内に陛下が側妃様を伴って入場してきました。どうやら『エリス様は事前に陛下に今日の夜会に参加したいと言っていたにも関わらず断られ、私を同伴に付けて参加したところ、側妃様と同伴されているところに居合わせた』らしく」
「そう言っていたのか、妹が」
「え、はい。皆の前で事前に」
何故そんな事をわざわざ聞くのだろう。
そう思いながら答えると、ルティード様の執務の手が、ピタリと止まった。
目で続きを促される。
「そ、それで、幾らか陛下や側妃様と会話をされたエリス様は、最終的に衆人環視の元、――陛下を謝らせる事なくエスコートをしてもらう事に成功し、予定通りの途中退場の後、後宮のお部屋に戻るまで、陛下に連れ立っていただいております」
「なるほど。有言実行以上の働きをしたわけか」
「有言実行以上、と申しますと?」
「俺は、今回の事を妹から『公の場で側妃のみをエスコートするつもりの陛下の愚行を止めたい』と聞いていた。てっきり二人を公衆の面前で糾弾し、晒し者にするつもりかと思ったが、『謝らせることなく』とは、考えたものだ」
そう言って、ルティード様には珍しく、ほんのりと微笑がフッと垣間見えた。
おそらく彼の結果主義という名の、琴線に触れたのだと思う。
そもそも珍しい表情だけど、それが妹君に向けられるところを、少なくとも俺は初めて見た。
彼が大事にしているのは、予定や仮定ではなく結果だ。
どのような結果になったのか。
どのような結果を出したのか。
それだけを、その人間の能力と思考の底を測る物差しにしている。
その物差しで測った時、たしかにエリス様が手繰り寄せた結果は、大きな意味を持つものだろう。
国王の非常識だというレッテルからも謝罪からも、「夜会に一緒に参加したい」という自分の可愛い我儘で救った。
エリス様がしたのは、そういう事だ。
少なくともあれで国王は、かなり助けられたのではないかと思う。
そう思ったからこそ、俺もわざわざ「謝らせる事もなく」という言葉を報告に使ったのだ。
「『陛下は側妃と共に、馬車で妹より先に出た』という報告を受けたが、会場に入ったのは妹が先か」
「はい。理由は不明ですが……たまたま寄り道をしたか、主催者が気を使ったのでしょうか」
「前者の可能性はまだあるが、後者はほぼ間違いなくないだろう。お前の予想は『王妃より陛下の方を目上と見て、陛下の入場を最後にした』という意味なのだろうが、陛下が遅れて来た妹と合流して会場入りする可能性もあった。妹を陛下と同じ部屋に通したり、そうするか尋ねられなかった時点で、十中八九妹からの指示があっての事だろう」
そこまで言うと、彼はフンと鼻を鳴らす。
「少しはスイズ公爵家の令嬢に相応しくなった、と褒めてやらない事もない」
鼻を鳴らすのは、満足がいく結果を得た時の彼の癖だ。
余程機嫌がいいらしい。
少なくとも今回エリス様は、ルティード様の想像の上をいく成果を出したという証だ。
「それで、陛下が夜会に連れてきた側妃はどうなった」
「途中から陛下がエリス様のエスコート役を行った事で、従来の慣習通り側妃様はお二人の後ろを一人で付いて回る形での夜会の参加になりました」
「一般的な側妃の扱いだな。しかし側妃にとっては今までで一番の屈辱的な夜会だっただろう」
初めて自分が、陛下にファーストレディよろしくエスコートされる夜になる筈だったのに。
実際、側妃様はエリス様に対して終始そういう目を向けていた。
そうやって側妃をやり込めたのもそうだが、それ以上にエスコートが陛下に代わって以降、彼女に一切の嫌味や口撃をしなかった。
むしろ終始、まるで側妃様の存在を認知していないかの如く、一切の会話に参加させなかった。
お陰で最初こそ不機嫌が体中から溢れ出ている側妃様を気にしていた周囲も、最後の方にはまるで気にせず、夜会を楽しんでいたように思う。
「そこまでの思いを味わわされた側妃が、このまま大人しく引き下がるような事はないだろうが――まぁそれを退けてこそ、スイズ公爵家の女というものだろう」
そう言うと、彼は「さてと」と再び机上の書類に向かう。
どうやら今の情報で、おおよそ満足したらしい。
自分の役割は完遂できたと考えて、俺もまたいつものように定位置に立ち、主人の護衛に立ち返る。
ルティード様は今回、もしかしたら人生で初めてエリス様を少なからず認めたのかもしれない。
最後の言葉を聞くにまだ様子見といった気配だが、それでも目が向いた事には変わりないだろう。
家族の愛を欲していた人が、兄から家族の愛を与えてもらえる可能性。
それは彼女がこの人生で、一心に願っていたものだろう。
可能性の欠片でも生まれた事は、彼女の心の支えになる筈だ。
この事を直接伝えるのは、ルティード様の本意ではない。
だから、伝えはしない。
しかし密かに応援の気持ちを持つことくらいは、きっと許されるだろう。




