第2話 時戻り前、“侵食が加速するキッカケ”の記憶
時戻り前の中でもこの時の記憶は、あまり鮮明ではない方だ。
何故かと考えれば、気が付けばすべてが終わった後だったからなのだろうけど。
「ねぇねぇ、聞いた? あの話」
私の部屋付きのメイドの一人が、同じ部屋で掃除をしていたもう一人に、話を振っているところにたまたま出くわしたのが、私が《《それ》》を知った切っ掛けだった。
私の部屋には、私が屋敷から連れてきた側付きは一人もいない。
公爵家時代から私の身の回りの世話をしてきたメイドの中に、「何が何でもついていく」という気概の人がいなかったのも一因だ。
しかし最も大きな原因は、陛下が「王妃の身の回りの物は、すべて俺の名で揃える。人も例外ではない」と言ったから。
その話を聞いた時、私は「陛下がそこまで私の事を思ってくださっているのだ」と信じて疑わなかった。
むしろ家族からの愛に飢えていた私は、涙が出るくらい感激した。
今思えば、実態は単に「王妃という肩書を手に入れた小娘の言動を監視・制御するための要員を、その小娘の傍に置くため」だったのだが、この時の私はまだ何も気が付いていない。
元より私のためではなく、側付きを命じた陛下のために私の傍にいるようなメイドたちだ。
その上陛下に報告を上げるような有能な監視は、その内の数人。
それ以外は城内からかき集められた余剰メイドだったのだから、私に忠誠や献身の気持ちがある筈もない。
彼女たちが自分の仕事場――私が行き来する後宮の中の私室群でこうして世間話らしき噂話をしている光景に鉢合わせたのも、実は一度や二度ではない。
流石に彼女たちにも仕えている相手の目前で噂話をするような事はなかったけど、私がいる事に気付かずに話す事は多い。
その時もちょうどそういう時で、故に何の遠慮もない、あけすけすぎる言い草だった。
「先日、エインフィリア公爵家の夜会に陛下が側妃様だけを連れて出たんですって」
「えぇ? 公式な場では、陛下が王妃様以外の女性をエスコートする事は禁止なのに?」
「禁止っていうか、暗黙の了解ではあるみたいだけど、それにしたって正式な公務でもないのだから出なくてもいい夜会な上に、一人で出ても問題ないところを、わざわざ側妃様と連れ立って参加するなんて、ねぇ?」
目で「どう思う?」と尋ねるメイド。
それに応えるメイドも含めて、さも「他人の不幸は蜜の味」という言葉を実感しているかのように楽しげだ。
「王妃様って、陛下と不仲なのかしら」
「王妃様は二人目を身籠っているのに?」
「あらでもそれは、王族の義務でしょう? 建前にでも、先に王妃様を身籠らせておかないと、ほら、跡目争いとかが面倒じゃない」
二人目は、万が一にも一人目がダメになった時の保険。
そう考えれば、納得じゃない?
そんな話をしながら、嗤うメイドたち。
これは王族だけの話ではない。
一夫多妻制を認めているこの国の貴族の間では、この手の話はよくされている。
これまで特にこういう話に縁はなかったけど、私も話くらいは聞いた事があった。
でも。
――気持ち悪い。
今お腹の中にいるこの二人目が、『保険』だなどと言われる事にも。
子を成す行為が愛の証ではなく、ただの義務だったのではないかという下世話な話にも。
そして何より、『陛下が公の場に側妃のみを伴って参加する』という、従来の暗黙の了解を破った事。
それによって周りが「私は陛下の寵愛を受けている訳ではない」という認識になる事も。
私に向けられるだろうそんな視線や勘繰りを度外視した、私の事をまったく考えない行動に陛下が走ったという事実も。
そのどれもが、まるで雨に濡れて張り付く衣類のように、じっとりと重く肌に張り付くような不快感で。
不快感が強い吐き気に変わった。
せり上がってくる胃液に耐えられず、その日の昼食をすべてもどした。
それ以降、娘・リリアを出産するまで、ベッドの上で安静にしている必要があった。
あの時は、陛下の事で悩み、自分の価値に悩み、悪化する体調に悩んだ。
そこにはもちろん「リリアが元気に生まれてくれるか」という心配もあったけど、それがすべてではなかった。
側妃が陛下の傍に姿を現して以降、ずっとどこかジワジワと自分の領域を侵食されるような恐怖が私にはあった。
しかし今思えば、その浸食が目に見えて加速した切っ掛けは、この件だったのではないかと思う。
だから、『陛下が側妃を伴って、エインフィリア公爵家の夜会に参加する事』。
それを野放しにする事は、今後の事を考えても、この時期で最もしてはならない事である。
子どもたちの未来を守るために、阻止しなければならない。
何としても。
しかしそれ以上に、この件を知った事で生まれた心的不安。
そのせいで、お腹の中のリリアを辛い目に合わせてしまった事。
母として、この未来は必ず書き換えねばならない。