第18話 利己的で傲慢な王の選択
私がした四つ目の賭けは、『陛下がどちらの未来を選ぶか』。
私が正解と定めた方には、きちんと彼がうまく切り抜ける事ができるよう、弁解の余地を残している。
おそらく陛下は、すました笑顏の裏側で、色々な計算をしただろう。
貼られた「常識破りの国王陛下」というレッテルを、どうすればこの場で剥がす事ができるのか、と。
この男の事だ。
どうせ『どちらを切り捨てるか』は、一瞬で決まったに違いない。
しかしすべてを側妃のせいにして「自分はただ側妃が自分を誘っただけだ。悪気はなかった」と言ったところで、考えなしな愚王の出来上がりである。
レッテルに更なるレッテルを重ね貼りする、無様な結果にしかならない。
そこで迷っているのだと思った。
おそらくこの予想は、外れていない。
ならば、私は彼に都合がいいように、彼の逃げ道を――最初から用意していた私の予定調和を、優しい笑顔で指し示してやろう。
「私、体の事もありますので、本日は無理せずに途中まででこの場を辞しようと思っているのですけど――陛下」
ジェイス卿の腕に添えた手とは反対の手をスッと出して、告げる。
「エスコートしてくださいませんか? この夜会の最後まで」
本当は、陛下と共に楽しみたかったのです。
そんな偽りを口にして、歩み寄りを装った決断を迫った。
側妃は「何をそんな戯言を」とでも言いたげに、嗤った。
まさかそんな要望がこの場で急に通る筈がないと、自分の優位を、自分が愛されている自信がある故に、信じて疑っていなかった。
しかし彼にとっては、どうだろう。
ただ既に内心で決していた選択の答えを示すだけ。
何の葛藤も罪悪感もない事をただ端的に示すだけで、自分のレッテルを剥がす事ができる。
そんな機会が、私のおぜん立てによって都合よくも勝手に巡ってきたのだ。
今これに手を伸ばさねば、流れに乗り遅れる。
自分が不利益を被る。
そういうふうに思っただろう。
この男は、そういう人間だから。
自分の腕に絡みついていた手をやんわりと払った陛下に、側妃が怪訝な顔をした。
しかし「陛下……?」という彼女の呼びかけに、彼が耳を貸す事は一切ない。
その手で私の手を取って、手の甲に紳士然としたキスを一つ落とした。
「この場に王妃がいるのなら、その王妃が私のエスコートを望むなら、それを叶えるのは伴侶の当然の務めだからな」
利己的で傲慢な国王は、自分のためだけの選択をした。
私はこの日、ジェイス卿を騎士として後ろに侍らせ、陛下の隣で夜会を楽しんだ。
陛下は私の要望通り、最後――私がこの夜会を途中離脱し後宮に戻るまで、終始エスコートする事となったのだった。
「自分の、エインフィリア公爵家からの忠誠心の低さを反省するべきね」
後宮の自室で部屋着に着替え、メイドを下がらせ、既に眠っているベッドの中のロディスの頭を優しく撫でながら、私はそう呟いた。
主語はないが、それが『陛下』の話である事は疑いようもない。
私は今回四つの賭けをしたけれど、中でも一番分の悪い賭けが、一つ目の『公爵家が私のお願いを聞いてくれるかどうか』だった。
他の賭けに比べ、成功率を上げるための小細工がほぼできない。
公爵家に対する個人的な繋がりは皆無に近かったし、それを育てる程の時間的余裕もほぼなかった。
相手は商売と外交のエインフィリア公爵家だ。
変に小細工をしても、相手に切羽詰まっている事を見透かされるだけだと思った。
だから敢えて何もせずにただ要望だけを伝えた方が、まだ成功率は高いかもしれないと思った。
その結果、賭けには勝った訳だけど……。
この国には、外国に対する二つの派閥的思想が存在する。
一つは、和平路線の賛同者からなるもの。
もう一つは、侵略路線の賛同者からなるもの。
前者は国王を旗頭に、後者は国の武を象徴するダンフィード公爵家を筆頭に、二つに割れている現状だ。
両者は内政において、互いに静かなるつばぜり合いをしている状況にある。
私の生家であるスイズ公爵家は、和平派――すなわち国王派の賛同者で、ダンフィード公爵家は言わずもがな。
となると、三大公爵家の最後の一家・エインフィリア公爵家がどちらに傾くかで、国内の力関係が変わる。
エインフィリア公爵家は、現在どちらにも賛同しない中立である。
どちらにも組しない。
それを時には交渉カードに、時には言い訳に使っている。
だからこそ、立場的に国王陛下にすべての忠誠を捧げている訳ではない人ではある。
この賭けの勝機があるとすれば、そこだ。
そう思った事は否定しない。
時戻り前は、この件を機に急速に力を得始めた側妃を認め、手を組み、派閥内における自家の影響力を担保させる代わりに、国王派側につくに至っていた。
ならば、そのきっかけが起きる前に私がしたお願いを、かの家はどのように捌くのか。
この賭けに負ける事も織り込んだ上で、その結果を今後の自分の動きの一つの指標にしようと思っていた。
結果は、先程の通りである。
“今度の夜会に参加させていただきたい。陛下も別で参加すると思われるけど、陛下が到着したら私が会場に着くまで、それとなく別室に留めておいてほしい。その代わり、面白いものをお見せする”
要約すれば、そんな内容だったあの手紙。
それを読んだ公爵たちが何を思い期待したのかは、分からない。
しかし陛下に手紙の件を言うでもなく、どちらにも与しない訳でもなく、直接的に楯突いたという訳ではないにしても、陛下たちを別室に留め、私に協力した。
下手をすれば国の力関係を大きく動かす事の、片棒を担がされた形だ。
予想外だったかもしれないし、面倒事に巻き込まれて不服だったかもしれない。
今回の事で、私にいい感情を持たないかもしれない。
しかしそれでも、彼らの選択から透けて見える、彼らの現状は大きな情報だ。
――今日時点でまだかの公爵家は、側妃に与する事を決めてはいなかった。
なら、うまくやれば側妃側につかせずに、利用する事ができるかもしれない。
もちろんロディスを殺した人間を、信用する事は一生ない。
それでも私が上手くやる事で、ロディスとリリアが健やかに育てる土壌を作る事ができるのなら、それが一番いいのだから。
種は撒いた。
おそらくエインフィリア公爵夫人は、再び私と接触したがるだろう。
その時、何が起きるのか。
まだそれは分からないけれど。
陛下の行動を改めさせる事。
公衆の面前で私を選ばせる事により、側妃に牽制し、周りへの私に対する評価を明確にする事。
ドレスでの話題作り。
そして、エインフィリア公爵家への足掛かり。
三週間を要したこの作戦は、一定以上の成果を上げたと言っていい。
「これで少しは、この子たちの平穏な未来に近づく事ができたかしら」
ロディスを撫で、反対側の手でリリアが育っているお腹を擦る。
手の平から、たしかな体温が感じられた。
それにただただ安堵して、張っていた気が緩んだのか。
眠気に負けて思わずあくびが出たのだった。