第16話 陛下と交わす言葉
おそらく「公爵家の夜会にわざわざ足を運んだ王族」として、大歓迎を受けると思っていたのだろう。
「何故陛下がここに……?」
「今日は用事があった筈では」
思いの外戸惑いの方が多い周りの声や反応に気が付いて、陛下も側妃も二人揃って怪訝そうな表情を浮かべた。
しかしそれも、すぐに変化する。
先に私の姿を会場内から見つけたのは、側妃だ。
声こそ聞こえなかったけど、彼女は私を見るなり口の形で「何故あの女が」と呟いたのが分かった。
一方彼女から一拍遅れて私に気が付いた陛下が、純粋な疑問顔になる。
焦るでもなく、怒るでもなく、ただただ小さく驚いた顔。
それを見て、私は「あぁ」と、納得のようなため息のような声を内心で漏らした。
薄々「もしかしたら、そうじゃないか」とは思っていた。
しかし認めたくはなかった。
時戻り前、私を追い詰めるための決定的な最初の一手。
それが今日この日で行われる筈だった、「陛下が側妃のみを夜会という公の場でエスコートする」という事象だ。
それがまさか、何の悪気も悪びれもなく、あまり深く考えずに「側妃が望むのなら、叶えてやるか」程度の気持ちで引き起こされた事だったなんて。
愛されている訳がなかった。
愛されたいとも、もう思っていない。
それでもこの件が、少しは悪気や、悪意でもいい。
何かそれなりの理由があってああなってしまったのだとしたら、まだ気持ちに救いもあったのだ。
それなのに。
怒りだ。
怒りが、脳内を蹂躙していく。
そんな軽い気持ちで私は追いやられ、影響力を失って、子どもたちに辛い思いをさせた挙句に、命を落とさせてしまった事。
その事実を鼻頭に突きつけられて、一体どうして冷静でいられるのか――ドンッ。
お腹の内側から、強くノックされた。
偶然なのか、私の心を知ってなのか。
胎動が私を我に返らせた。
そうだ。
私にはこの子たちがいる。
まだ生きているこの子たちが。
ならば今ここで怒りに任せて、大事なこの局面で我を忘れ、やり直す機会を逃す訳にはいかない。
そんな陛下が王妃ではない女――側妃を連れて、公の場に現れた。
この事実を、この国の暗黙の了解という名の常識に照らし合わせ、指摘しなければならない。
私の誘いを断って、嘘までついて、ここに来た。
そんな陛下を、つい先ほどまで「すべてが思い通りだ」と悦に入っていたのだろう側妃の思い違いを、皆が注目するこの場でまっすぐに正す必要がある。
先程までの私に対する共感や肯定が転じて、私に同情を、陛下に不信を向けている常識的な貴族たちの前で。
常識や王家の暗黙の了解などはどうでもいいが、対岸の火事を面白可笑しく眺めたい野次馬たちの前で。
城内の情勢が動くかもしれないと、冷静にこの盤面を見極めようという目になった人たちの前で。
「あら、エリス王妃殿下。身重の体でこんなところに来るなんて、少々自覚が――」
「ご機嫌麗しゅう、陛下」
目上の者に、目下の者から話しかける事は基本的に許されない。
仲のいい相手同士の間では例外があるけど、私と彼女がそのようなモノになった事は、時戻り前にただの一度もなかった。
それでも私が時戻り前に終始一貫して彼女のこういった無礼を許していたのは、側妃と良好な関係を築く事が、妃たちの取り纏めである王妃の仕事だと言われていたから。
陛下から頼まれていたからである。
陛下に嫌われたくなかった。
少しでも意に沿う自分でいたかった。
だからどんなに不躾な態度で来られても、それに文句を言った事はなかった。
しかし今はもう、状況が違う。
私の一番は子どもたちだ。
子どもたちを守るために暫定的に陛下の王妃であり続ける事が必要だから、最低限陛下に嫌われない努力はするが、その最低限に『陛下の願いをすべて聞く事』も『側妃との関係を良好に保つ事』も含まれてはいない。
子どもたちの立場を守る事と、陛下に嫌われない事。
もしこの2つを天秤にかけるなら、私は迷わず前者を選ぶ。
そして今がその時である。
だから、無視した。
本来の立場を示すために。
ただ私と側妃の関係性を、あるべき姿に戻すために。
側妃に私を侮らせない事。
両者の立場を正しく明確にする事。
それが今日この場に私が来た、今後子どもたちを守るためにやるべき事の、一つだから。
驚きに目を丸くした彼女は、もしかしたら私の豹変ぶりに、驚いていたのかもしれない。
しかし今はまず、陛下の相手だ。
彼女を一瞬横目に見た後は、まっすぐと陛下に向き直り、彼女から向けられる怒りの視線を感じながら敢えて知らないふりをする。
「まさかこのような場所でお会いするとは思いませんでしたわ。本日は何のご予定で? 陛下」
「……こうして夜会に顔を出して、夜会への参加以外に何の用事があるというのだ」
「そうですか。先日私がこの夜会にお誘いした時、陛下が『予定がある』とお断りされたので、てっきり夜会には来ないものだと」
なのに、側妃と一緒に来たのか。
私の誘いは断って。
王家の暗黙の了解も破って。
そんな言葉は、敢えて口にしない。
「その後、予定が空いたのだ」
「ならばお声掛けくださればよいものを」
「それは、そなたの体調を気遣って」
「そうして私には何も言わずに貴族の夜会に参加して、それを後日聞いた時の方が余程体に障りますわ」
お腹をさすりながらそう言えば、彼はグッと押し黙る。
この無言が、返す言葉がないからなどという、可愛らしい理由ではない事は分かり切った事だ。
この男は、冷徹なまでに徹底した利己主義者である。
利己とためになら平気な顔で嘘をつき、次の瞬間には言わなかった事にさえできる男だ。
でなければ、側妃が彼の前に現れる前までは何度も囁いてみせた愛を、彼女が私に台頭し周りへの影響力を強めた途端に、口にしなくなる筈がない。
私との間の子の健やかな成長を願った口を付けたままにしておきながら、側妃が男児を産んで以降、一度も私の部屋に来ないなどという事がことが起こる筈もない。
子どもたちの死後、せめてもの供養にとあの時の持ちうるすべてを使って調べた真実が綴られた書類を、目を通す事もなくごみ箱に捨て「既に死んだ者のために、この国の忠臣や国母を罰せよと言うのか?」だなんて、悪びれもなく言える筈がないのだ。
あんな時でさえ心無い言葉を吐き出せた口が閉じているのは、ただ偏に「自分の不利になる言質を取られないため」。
それ以上でも、以下でもない。
そんな男とこうして対峙しなければならない事が、ひどく腹立たしい。
それでも子どもたちのために、未来のために、母親として、私は一国の王妃然とした穏やかな態度で、彼に己の行動の間違いを正させなければならない。
彼が素直に態度を正せるように、彼に「私についた方が利を生む」と思わせて、行動を引き込まなければならない。
これは、直接的な糾弾や断罪なんかより、余程難しい挑戦だ。