第15話 時限爆弾
彼女の事だ、どうせ私が教えずとも、ノイマン裁縫店の場所を探し当て使いの者を向かわせるだろう。
それでも尚私の紹介の口添えのみをしてほしいのは、ノエさんの妹にドレスを作ってあげるためではない。
商売に使うために、件の裁縫店を抱き込む必要がある。
それを私に断りなくするのは、目上の人間の領分に土足で踏み入るような行為だ。
彼女にはそれができないのだ。
少なくとも、まだ陛下が「側妃の方により多くの寵愛を向けている」という状況を対外的に示す前の、この現状ではまだ。
だから。
「実際に作業をするのは私ではありませんもの。ノイマンの子たちが頑張ってくれますし、私も同じ妊婦として、この子と同い年に生まれる子の成長をぜひ願わせていただきたいのです」
ノイマン裁縫店も、このドレスを他者にプレゼントする事も、譲らない。
嬉しそうにお礼を言ってくれるノエさんと、「よかったですわね」と言う周りの夫人や令嬢たち。
夫人はまだ何か言いたそうだったけど、私はそれを察していながら、敢えて先程からずっと隣で置物のように存在感を消しているエスコート役に目をやった。
「ごめんなさいね、ジェイス卿。私の歓談に付き合わせてしまって」
「いえ」
「そういえば、本日はジェイス卿のエスコートでお越しになったのですね」
短く答えた生真面目な貴族に、夫人のうちの一人が気が付き尋ねる。
令嬢たちが、頬を染めてヒソヒソと何かを耳打ちし合っているのは、間違いなく彼の事が気になっているからだろう。
婚約者がおらず、女性関係の噂もない、見目麗しい伯爵家の次男坊。
生真面目で実直で、武に一直線。
この国の武を象徴するあのダンドール公爵からも認めらる剣の腕の持ち主で、スイズ公爵家の筆頭騎士として、当主の傍に仕えている男だ。
未婚者にとって、これほど優良に見える物件も中々ないのだろう。
たとえ片や既婚者、片や未婚者でも、仲良くしていれば嫉妬の対象になってしまう。
そんなものにされて余計な敵を作ってしまっては意味がないので、私は事実を、多少悲壮感を強調しながら伝える事にした。
「実は、最初は陛下をお誘いしたのです。子どもも順調に育っているし、『引きこもってばかりいるのも胎教に悪い』と医師に言われたので。ならば、せっかくですから陛下と共に楽しい時間を過ごしたい。そう思ったのですが、予定が合わなかったらしく、お断りされてしまって」
「まぁ……」
「それはお気の毒ですわ」
これまでの一連の会話にも、ドレスに興味を持っていた周りが自発的に耳をそばだててくれていたお陰で、それなりの人数の傍聴者がいた。
しかし敢えて、先程までよりも活舌を意識して話す。
その効果があってか、夫人の取り巻きたちだけではない。
その外側の人たちの表情からも、同情心が見え隠れしている。
「忙しいのは仕方がない事です。なんせ陛下は一国の王なのですから。しかし『胎教に悪い』と言われると、そのままにもできないでしょう?」
「えぇ」
「なのでお兄様に相談してみたのですが、いつもお忙しい方ですから『夜会には付き合ってやれない』と」
「王妃様のお兄様は、宰相補佐として国を支えるお一人ですものね」
兄の言葉に関しては、実際に言った言葉ではない。
それでもどういう思惑であろうが、聞けば結果的に似たような言葉を貰っただろう。
そう思うので、自分の中で「嘘は付いてない」と半ば無理やりに定義づける。
「そこでお兄様が貸してくださったのが、彼です。彼なら兄の代わりとしても、私の護衛兼、万が一にも転びそうになった際の支え役として、これ以上の適任はないだろうから、と」
「なるほど、たしかに」
「腹心を貸してくださるなんて、王妃様はお兄様から愛されているのですね」
それには答えない。
これに関しては私の心が、嘘でも肯定などしたくないと強く主張した。
私と兄の間には、そのような生温かな関係など、欠片程も存在していない。
時戻りをした今、最早、拒否反応が出るレベルでそんな関係など欲しくない。
しかし否定も口にできなかった。
兄には私の張りぼての後ろ盾になっていてもらわねばならない。
でなければ、血縁である甲斐も意味もない。
時戻り前に頑ななまでに助けてくれなかったのだから、やり直しの今くらい、子どもたちのために勝手に利用させてもらったところで、きっとバチは当たらない筈だ。
だから何も言わずに微笑む事で、周りには勝手に誤解してもらう事にする。
「このドレスは、本当は久しぶりに陛下と夜会に出られるからと、張り切って作ったものだったのです。陛下と共に来られない事で、実は少し気落ちしていたのですが」
胸に手を当てて、寂しそうな顔を作った。
そして、夫人たちの顔を一回り見ながら続ける。
「皆さんが褒めてくださったから、このドレスも私の寂しい心も、少し報われたような気がしますわ」
この言葉に、特に女性からの首肯や共感の目が多く集まった。
男性からもチラホラと「そこまで自分との外出に張り切ってくれる奥方がいるなんて、陛下は幸せ者だなぁ」という類の声が聞こえてくる。
――間に合った。
そう思った。
盛大な時限爆弾を仕掛け終えたような達成感だ。
起爆スイッチは、もうすぐ来る。
エインフィリア公爵家が、私が事前にしていた“お願い”を、きちんと聞いてくれていれば。
ザワリ、と会場の空気が揺れた。
ざわめきの正体は、それらを生む人たちの視線の先にある。
派手な赤髪に、傲慢を絵に書いたような釣り目の男。
童顔の女と楽しげに、見せつけるような仲の睦まじさを発揮しながら現れたその男を見て、私は「来た」と思った。
私が用意した時限爆弾の、起爆スイッチ。
私の婚姻上の夫、ロディスとリリアの父親である、この国の王、その人である。