第11話 迎えの騎士
はぁ、まったく。
今日の件が終わっても私の周りには、問題が山積しているわね。
――私の、子どもたちを守るための私の言動を邪魔するような人たちは、総じて私の傍には必要ない。
人員のすげ替えも、早急な私の課題だわ。
そんなふうに内心で独り言ちながら、私はキッと目の前の男を睨み上げる。
「通しなさい」
「断ります」
「なら、勝手に通ります」
そう言って彼の脇を通り抜ける。
不服げに「そんな事をされては困ります」と言った彼が、私の腕を強く掴んだ。
痛みが走る。
痕が残るかもしれない。
貴人相手以前に、妊婦に対する行いではない。
……いや、せっかく同じくらい不快な思いをするのなら、証拠が残った方が得か。
利用してやる、どんな物でも。
だって、お腹の中のリリアをぞんざいに扱ったも同然だもの。
そんな怒りが、私の中で燃える。
「貴方の主人である国王陛下の妻に、騎士が許可なく触れている現状が許されるのなら、力づくで私を止めて閉じ込めればいいではないの。もしくはこのドレスを汚せばいいわ。そうすれば私は、人前に出れない」
内心とは裏腹に、意識的に強くそう主張した。
怒っている。
その一点を、声に含んだつもりだった。
人道的に許されるべきではない事。
されたくない事を、敢えて口にした。
そんな事をされたら夜会に行けなくなる。
それはものすごく困る。
だからこそ、私はああ言ったのだ。
どうやらこの男には、「陛下のため」という大義名分で、過ぎた真似をする傾向があるらしい。
だから「今貴方がした事は、これらと並べるくらい私にとっては不快な事だ」と、明確に教えてあげたのである。
そこまでするのなら、相応の覚悟があるのだろうな、という脅しでもあった。
それらが正しく伝わったのか、私の鋭い非難の目を受けて、騎士の中に些かの迷いが生じたのが分かった。
その瞬間を、見逃さない。
「もちろん今の件も含めて、貴方にされた事は一言一句違わず他者にお話しするつもりです。現状なら、そうですね……『私の進行方向を遮り、断りもなく突然手首を掴まれた』でしょうか」
「なっ」
「それが嫌なら、私を拉致監禁するなり、殺すなりすればいいわ。ただその場合、貴方の主である国王陛下は、貴方の事を切り捨てるでしょうけど」
この場において、吐いた言葉は、必ずしも事実である必要はない。
たとえ私が周りに説明するための言葉以外はすべてただの憶測であっても、相手に「そうなる可能性がある」と、「そうなりたくない」と思せる事ができれば勝ちだ。
それができれば、とりあえず今この場での邪魔は取り除ける。
後に少なからず遺恨は残すだろうけど、それは「今この『後宮』という名の空間から外に出る事」以上に優先される事ではない。
何故なら。
「あら。貴方が来たのね、ウィルター」
後宮の出入り口のすぐ向こうに、見知った騎士の姿を見つけて名を呼んだ。
いかにも堅物な騎士といった風体の直立不動のその騎士は、肩にスイズ公爵家の紋章を刺しゅうした、おそらく同性が見ても「整った顔立ちだ」と認めざるを得ない程の男である。
「お久しぶりでございます、エリス様」
「えぇ。前に顔を見たのは、私が屋敷にいた時かしら」
無礼な騎士から、生真面目な騎士の方へ、歩いていきながら言葉を続ける。
「お兄様が出席するパーティーの身辺護衛は、貴方、しないものね」
「そういう畏まった場は、苦手なので」
「そうでしょうね。だから今日来たのが貴方で少し驚いているわ」
「……ルティード様からの、ご命令でしたので」
「たしかに今日の場に、貴方以上の適任はいないでしょうね。流石はお兄様の人選」
褒めたのに、答えは返ってこなかった。
どう言葉を返していいのか分からず、結果的に沈黙を選ぶあたり、彼らしいなと内心で独り言ちる。
……実は、こうして話しながら醸し出している雰囲気程、私と彼の間に交流はない。
愛を求める対象だった兄の腹心だったから、印象にも残っているし事実よく表情の観察を模していた相手だけど、ただそれだけ。
彼とは個人的な話も、ほぼした事がないと言っていい。
なのに何故こんなにも馴れ馴れしく話しかけているのかというと、単に「それがこの場の騎士とメイドへのけん制になるから」という理由だ。
邪な気持ちは、一切ない。
個人的に仲良くなりたいとも思っていない。
純粋に『兄の腹心』と『見目がよく社交会での知名度も高い』、『それでいて中々夜会に出ない、レアな人物』という彼の付加価値を、余すことなく利用したいと思っているだけだ。
兄も彼が騎士の腕だけではなく、そういう意味でも使えると思っての人選だろう。
そしてそれを彼も分かっているから、兄に忠実で寡黙な彼は、私の行いに嫌がる様子を見せない。
本当にいい人選をしてくれた。
ついに後宮から一歩外に出た私は、待っていたウィルターの前に右手を出し「今日はよろしくね」と告げる。
私の手を取り、指先に挨拶のキスを落とした。
ウィルターは、兄の手駒だ。
私のではない。
それでも兄に意向に沿って正しく私を遇してくれるあたり、兄が重用するだけあって騎士としての躾が行き届いている。
スマートに示してくれたウィルターの左側の腕に、支え代わりに手を添える。
そして振り返り、ここまでついてきたあの騎士を見た。
呆けた顔で「何故ここに『スイズ公爵家の番犬』が……?」と呟く騎士に、微笑んでみせる。
「安心して。陛下の騎士である貴方に、これから向かう私的な用事のエスコートを任せる事はないわ。だから私がどこに行こうとも、貴方には関係ない。そういう事よ」
先程の言葉の真意を告げ、ウィルターと共に歩き出す。
尚もついてこようとしたメイドの気配を感じて、思い出したように「あぁ」と口を開く。
「貴女はロディスの事を、お願いね?」
このメイドもまた私ではなく、陛下に忠誠を誓っているメイドだ。
しかしだからこそ、まだ陛下の寵愛が私と側妃、どちらにより向いているのかが明確でない――つまり、陛下がロディスに対し完全なる傍観を決め込む前の今、この後宮内では彼女が最も、ロディスを任せて安心な人物になり得る。
これは時戻り前の記憶からだけではない。
ここ三週間強、密かに彼女を観察していて、私自身が感じた事だ。
何か言いたそうな彼女だったが、どうやら残る事を選択したらしい。
その場で一礼を私に向ける。
やらなければならない事の前に、これ以上無駄な労力を割かずに済んだ。
その事に軽い安堵の息を吐きながら、少し遠くで待っている馬車へと二人で向かったのだった。