8.緊急事態発生
エマさんは眉間に皺を寄せた顔で私を見ると、お皿や調味料の場所や一連の流れを教えてくれた。調理台は高いので木箱を踏み台にさせてもらったけど、調理したトレイを置く窓口に置く木箱は無いしあっても邪魔になるので「やらないで」と言われた。パンが乗った皿だけなら問題ないかもしれないけど、飲み物があると落とすかもしれないもんね。
「こんな子どもを雇うなんて、店長もなに考えてるのかしら」
独り言だったんだろうけど、ばっちり聞こえてしまった。
緊急事態とはいえ、新人がいきなり入ってきたようなものだもんね。不安なのは仕方ない。
私だって、うちの厨房に新しい人が入ってきてすぐにパンを焼くことになったら接し方に困っちゃうもんね。
でもね、何も知らない素人じゃなくて、これでも店の手伝い歴は五年以上だし、パン職人見習いは二年になるんだからね。しかも、お店に出せるパンだって作れるようになったんだから。役に立てるって知ってもらわなきゃ。
腕の見せどころってやつだよね!
エマさんはセットメニューの三種類のサンドを作ってみせてくれ、調理台の真ん中に見本として置いてくれた。
わかりやすいです。ありがとう。
「分からないことがあったらその都度聞いて。飲み物は私がするから触らないでね」
「はい。分かりました」
言うだけ言ってエマさんはトレイやお皿を慣れた手つきでセットしていく。
なんだか、エレシアさんと比べると壁を感じる。なんて言うのかな、苛立ってるとも怒っているとも違う、あ、迷惑そう。うん。そんな感じ。
新人が降って湧いたようなものだからリズムが狂うのかな。……これは気合を入れて役に立たなければ。私の腕の見せ所ってやつだよね。
手を綺麗に洗いながら私はやる気に満ち溢れていた。
エプロンもコック帽子も店に置いてきちゃったので、カフェの予備を借りることになった。一番小さなサイズでも私には大きいので、あちこちをピンで留めて調整してる。髪の毛は三角巾で纏めてるよ。
カフェは十時開店だが、開店直後はそんなに忙しくはないらしい。忙しくなるのはランチタイムの十一時から十三時頃だという。その言葉通り、開店直後の注文は単品やテイクアウトが多い。テイクアウトはカウンターで準備するので、厨房では食事用のセットトレイとテイクアウトの飲み物だけなので、まだ余裕がある。
エマさんの指示通りに作ったサンドは厳しい目でチェックされたが、特にダメ出しは出なかった。
緊張した〜。パンの出来をお父さんに見せるぐらい緊張した。
「少しは出来るのね」
これは褒め言葉なのかな。少しじゃなくて、ちゃんと戦力になるんだからね。
よし!と気合を入れると同時に、横の扉が勢いよく開いた。飛び込んできたのは水色の髪を三つ編みした女の人だった。
「おはよう……ぁ、………」
息を切らしてやってきた女の人と目が合った。その瞬間、顔を俯けてすごい速さで後退りして開いたままの扉に戻り扉を閉めた。後ろが見えてるのかってぐらい速い。すごい。
「リズっ!待って……っと」
エマさんが扉に向かう途中でぐるりと振り返ると、私に向かって店側を指差した。
「ロッテ。悪いけどカウンターを手伝ってくれる?あの子、極度の人見知りで知らない人がいると作業できないのよ」
そう言うなり扉をノックして、リズさんが「大丈夫」とか「臨時のお手伝いなのよ」と私の説明をしていた。生憎とリズさんの声は全く聞こえなかった。
極度の人見知りなら、知らない私がいたらびっくりするだろうし、早くカウンターに行かなきゃ。
木箱はそのままで店側への扉に手をかけた時、エマさんの驚く声が聞こえた。
「大変!そうだったわ。ロッテ!カウンターにいる人に今日はパッフェル教授の特別講義がある日って伝えてちょうだい」
「はいっ」
なにか分からないけれど、なんだか緊急事態っぽい。
急いでカウンターに行くと、近くにいたネリーさんにエマさんの伝言を伝えると、レジのコレットさんもトレイを取りに来ていたエレシアさんも驚愕していた。
一人だけわからない私だけが首を傾げていると、エレシアさんが鬼気迫る表情で私の両肩をガシッと掴んだ。
「ロッテ。緊急事態なの。レジをお願いするわ」
「は、はい。がんばります」
「厨房はエマとリズに任せて、ネリーはフロアへ、コレットはロッテのサポートをお願い」
エレシアさんの号令でみんなが速やかに持ち場につく。コレットさんが厨房の木箱を持ってきてくれたので、お礼を言って立つとちょうどお客さんがやってきた。
お父さんよりも年上のおじさんはレジに立つ私を見て驚いたけれど、すぐにやわらかく微笑むと注文をしてくれた。
「Aセットをチキンサンドとコーヒーで」
レジを打ってお会計を告げると、スッと手を差し出された。そこには銀色のシンプルなブレスレットがあった。
レジに付いている銀色の細い棒で、ブレスレットに触れると棒の先端とブレスレットが仄かに赤く光る。
開店前に説明をしてもらったんだけど、この銀色のブレスレットはヴィムティエ校の関係者がしている魔道具なんだって。校内での買い物や施設の予約などに使えるのだとか。お財布持たなくていいなんて便利。
お店側も現金のやり取りがないので会計は速いし、リスクも減るのかな。それでもブレスレットを忘れた人やお金で払いたい人もいるから、現金も用意している。
先生か生徒か判別できないお客さんに番号札を渡し、レジから出てきた注文書を
コレットさんに渡すと、省略した暗号のような注文を告げてボードに貼り付けてくれる。
そんな感じで二人、三人とやってきたお客さんの会計をしているとコレットさんがほっとした顔で「大丈夫そうね」と呟いた。
「もうすぐ嵐がやってくるわ。無理なら私がするからね」
「え?嵐ですか……」
室内で嵐?今日は天気も良くて青空だったのに。
どういうことかと聞こうとした私の耳がドドドッという音を拾った。その音は次第に大きくなって近づいてくるようだった。
「来たわよ」
コレットさんが告げると、大きくなる音と共に黒い塊が見えた。それは競い合うように走ってくる男の人の群れだった。
「店内では走らないでください」
エレシアさんたちの注意が店内にこだまする中、体格の良い男の人たちがやってきた。
一人目はティムさんぐらい体が大きくて、眼光鋭い目で「Cセット、ビーフサンドと紅茶で、あとヘルメスパン二つ」と注文してきた。
突然のことにちょっと驚いて反応が遅れたけど、慌ててレジを打つ。太い手首のブレスレットで会計をし、番号札を渡すとすぐに次のお客さんが口早に注文を伝えてきた。
そこからはまさに嵐のようだった。次々にやってくるお客さんは体の大きな男の人で、ほとんどがビーフサンドと追加でヘルメスパンや惣菜パンを二つ三つと頼んでいく。
中には私を見て驚く人もいたけど、並んでいる人が多いから説明してる暇なんてない。「ご注文はお決まりですか?」と笑顔で促していけば戸惑いながらも会計して席へと移動してくれる。
続々とやってくるお客さんが何人かも分からないぐらいレジを打ち続けた頃、行列が途切れた。ひと段落かな。
注文する人がいないだけでフロアは大変そう。
あれだけお客さんが来たから店内は満席かと思いきや、空席がちらほらとある。よく見れば、みんな食べるのが速い。一番近い席の人なんてヘルメスパンをふた口で食べてる。
「お疲れさま。もうすぐランチタイム始まるから、またよろしくね」
コレットさんが笑って教えてくれた内容に背後の時計を仰ぎ見る。
あれだけ忙しかったのに、まだランチタイム前!?
「いつもこんなに大変なんですか?」
「ううん。今日は特別よ。パッフェル教授は実戦魔法の教授なんだけど、特別講習は騎士さながらの訓練をするからみんな腹ペコなのよ。この時間はまだレストランが開店してないから…」
ほば全員がカフェにやってくるからあんな状態になるんだ。うちの店じゃ絶対にない光景だったなぁ。
実戦魔法って何するのかよく分からないけど、パンが大量に出るのは分かった。それもガッツリ系。注文がビーフサンドとチキンサンドとヘルメスパンがほとんどだったし。
「ランチタイムはあそこまで鬼気迫ることはないけど、人は多いから頑張ろうね」
「はい。がんばりますっ」
コレットさんと一緒に拳を握って気合を入れると、トレイを戻しに来たエレシアさんが笑って「私もがんばるわよ」と拳を握った。
そして、そんなに時間を置かずにやってきたランチタイム。
競い合って走る学生たちと、それを注意するエレシアさんたち。似た光景をついさっき見た気がする。
「チキンサンドとコーヒーをBで。追加にヘルメスよろしく」
「Cセットのビーフと紅茶。ヘルメス追加で」
「Bの玉子とコーヒーとヘルメスパン。…………ってちっちゃ!」
「ヘルメス単品で二つ。テイクアウトで」
「なんで子ども?……あ、ヘルメスパンとコーヒー。単品で」
怒涛の注文ラッシュ。合間に私を見て驚く声が入るけど「ご注文お願いします」と笑顔で言うと、我に返ってくれた。後ろに列ができてるからね。注文と支払いが終わったら移動してください。
「申し訳ありません。ヘルメスパン完売です」
コレットさんの声に行列の中から残念そうな悲鳴が聞こえてきた。中には列から離れていく人もいる。
ヘルメスパン目当てなら仕方ないんだろうけど、他のパンも美味しいのに。サンドもおいしいし、ベーコンチーズとかエピとかバケットにオレンジピールを入れたオランジェとか、美味しいのに。美味しいのにぃ!
伝えたいけど、グッと我慢して目の前のお客さんに対応していく。お仕事はちゃんとやらなきゃね。
すると、店内がなんだかざわついた。ざわつきの合間に黄色い悲鳴が混じってる。なんだろう?と注文待ちのお客さんも声のする方向を向いて驚いていた。残念ながら、私がいる場所からはお客さんしか見えなくて、離れた場所にいたエレシアさんもトレイを持ったまま動かなくなっている。
なに?なにかあったのかな。事故とか動物が紛れ込んだとか?
キョロキョロと首を伸ばしていると、ざわめきが大きくなって近づいてきている感じ。
すると、次のお客さんが道を譲るように身を引き頭を下げる。現れたのは若葉色の髪の男子生徒だった。
「おい……なんだこの子どもは」
視線を下げて私を見るなり眉間にグッと皺を寄せて不愉快そうな顔をした。
順番抜かししといて、その態度はどうなんだろう。
「臨時のお手伝いです」
「こんな子どもを雇うなんてふざけているのか」
不機嫌さを隠そうともせずに私を睨みつけてくる。
順番抜かしするお客さんよりはふざけてないと思う。
「えっと、ご注文なら最後尾にお並びください。横入りはダメですよ」
「貴様、私に並べというのか?」
「え?お客さんが多い時は順番に並ぶものじゃないんですか?」
「っ!貴様、誰に向かって物を言っている!?」
誰って、目の前の怒っているお兄さんにだけど、それ言ったら怒られるかな。他の人は知ってるみたいだし、有名人なのかな。学校で知っていて当たり前なのに、私が知らなかったからプライドが傷ついたのかな。そのぐらいで怒るなんてカルシウムが足りてないのかもしれない。
「ごめんなさい。知りません。お兄さんのお名前を聞いてもいいですか?」
ぺこりと頭を下げて丁寧に聞いてみたら「なぜ教えなければならないっ」と逆ギレされた。
えぇ……。なんか理不尽。
「カルシウム不足には牛乳がいいですよ」
「要らんっ!ヘルメスパンと紅茶のAセットを三人分用意してくれ」
せっかくの提案を秒で断ってきた。ますます魚を勧めたくなる苛立ちっぷり。
カフェを使用するのは初めてなのかな。最初から説明したほうがいいのかな。あ、その前に……
「お腹が空いてもマナー違反はダメですよ。先生たちも並ぶんだから、ちゃんと並んでください」
再度注意すると、なぜか一歩下がっていた次のお客さんがブンブンと首を横に振っている。その後の人もこくこくと小さく頷きながら手を横に振っている。
「ほら、構わないと言っているだろう」
なぜか踏ん反り返る違反お兄さんは得意げだ。
言動が近所のガキ大将に似ていて、思わず半目になってしまった。友達のメルが「男って幾つになっても子どもで困るよね」と言っていたけど、本当だね。
これ以上揉めても進まないし、他の人が横入りしてもいいと言うならいいけど。うちだったらお母さんに叩き出されてるよ?
「えっと、申し訳ありません。本日のヘルメスパンは完売しました。それと、セットは三種類のサンドからお選びください」
「は?なんだ、わざわざ来てやったのに品切れだと!?」
完売と聞いた瞬間、カウンターを強く叩いて怒った。
びっくりしたぁ。
大きな音に驚いてビクッと震えた私の肩を温かい手が包み込んだ。
「足を運んでいただいたのに、本当に申し訳ございません。ヘルメスパンはございませんが、チキンサンドや玉子サンドも美味しいのでいかがでしょうか?」
ゆっくりと肩を引かれて木箱から降りると、コレットさんが私の前に入ってきた。背中に庇われたおかげで怒りん坊なお客さんは全然見えなくなったが、相変わらず怒ってる声は聞こえる。
コレットさん、大丈夫かな?
「ジョシュア。どうかしたのか?」
「あ、いや。それが、例のヘルメスパンが無いと言うのだ」
「売れてしまったのか……」
知っている声が聞こえたので、コレットさんの背中から顔を出すと知ってる顔があった。
「テオお兄ちゃんっ」
「……ロッテ?」
驚いて目を丸くしたのは、カッコいい制服を着たテオお兄ちゃんだった。いつも優しそうなんだけど、今日はちょっとキリッとしてカッコいい。
「お兄ちゃん、ここの生徒だったんだ」
「なんで、ロッテがここにいるんだ?」
「この子どもと知り合いか?」
「えっとね、緊急事態だったのでお手伝いしてるの」
「そっか。偉いな」
褒められたのが嬉しくて思わず笑っちゃった。
テオお兄ちゃん、怒りん坊さんとお友達なのかな。なんか意外。
「えっとね、今日は午前中に腹ペコの生徒さんがいっぱい来たから、ヘルメスパン早めに完売しちゃったの」
「腹ペコ………。あぁ、今日はパッフェル教授の…………」
「ごめんね」
「ロッテが謝ることじゃないさ。そういうことなら仕方ないな。ジョシュア、殿下に事情を伝えて移動を提案してくれ。私もすぐに戻る」
「ああ、分かった」
怒りん坊さんは頷いて行ってしまった。テオお兄ちゃんのお友達なら悪い人ではないのかも。
人間、お腹が空くと怒りっぽくなるもんね。
「あのね、お店でもヘルメスパン売り出したんだよ。具材多めだからお値段もちょっと高くなっちゃうけど」
「そっか。それは近いうちに行かなきゃな」
「うん。待ってるね」
テオお兄ちゃんは返事の代わりに頭を撫でて「またね」と行ってしまった。
去り際も爽やか。あれ、絶対モテるよね。
まさかここでテオお兄ちゃんに会うとは思わなかった。おまけに頭まで撫でられちゃった。嬉しい。
お読みくださりありがとうございます。