6.ちょっと東区まで
3/17 午後 最後に少し文章を足しました。
ヴィムティエ校のカフェでヘルメスパンが大人気だとお父さんが言っていた。すぐに売り切れるから「幻のヘルメス」なんて呼ばれてるんだとか。
お野菜も絡めた濃厚ソース麺とパン。糖質パンチだけど、絶対みんな好きだよね。分かる。老若男女問わず好きになる味だよね。
今後は店頭にも並べようって言ってた。お店でも人気出るかな。力仕事のティムさんとか好きかも。宣伝しておかなきゃ。
こうなると、新バージョンの開発を急がなきゃいけないと思うんだよね。女の子にも人目を気にせずにヘルメスパンを食べて欲しい。
そういえば、最近あのピンクのお姉さんを見かけてない。もしかして諦めたのかな。ううん、用事があって来れてないかもしれない。あのお姉さんがまた来た時に喜んでもらえるように頑張らないと。
お父さんを説得……の前に、ダンさんに相談しよう。パックパンがどれくらい売れそうか、私が言うよりダンさんからも推してもらえれば可能性が上がるもんね。
「だから、協力してくださいっ」
「この前待つって言ったよね?」
「だって。今大人気なんだよ。この波に乗り遅れたら損だよ、損!それに、美味しいんだから、人目を気にする女の子にも食べて欲しいんだもん」
「気持ちは分かるけど、人手が足りんだろ」
「そんな時こそ魔道具だよ!」
アイデアを書き綴ったノートを開いて見せる。
原案は夢で見たホットサンドメーカー。パンを並べて蓋をしたら上下のパンがくっつく仕組み。ここは魔法でなんとかしてもらおう。たぶんできるはず。テコの原理を使えば私だって使えると思うんだ。
「あとね、何種類かの焼き印を使ったら、中身を変えても区別できるでしょ?」
ヘルメスパンの麺だけじゃなくて、卵マヨとかベーコンとレタスとか、ジャムとか可能性は無限大。
「うわっ。びっしり書き込んでるな。ちょっと見せてみな」
ひょいっとノートを手に取ると、ダンさんは真剣な顔で読んでくれた。
「ここをもう少し広くして、設置型にした方が使いやすいな。この隙間を開けておくと切断した部分が下に落ちて回収しやすいんじゃないか?」
「ここが噛み合うようにして打ち抜く感じだよね。落ちた部分は砂糖がけにしたらどうかな?」
「ラスクみたいに?」
「そう。美味しいパンなんだから、捨てるなんてもったいないよ」
休憩時間中、ダンさんとああだこうだと構想を練って、なかなか良いものができたと思う。とりあえず思いつくことは全部書いてみた。
果たして、この魔道具がいくらぐらいのお値段になるかはさっぱり分からない。だけど、出来たらいいな。
さぁ、あとはお父さんを説得するだけ。…………最難関はお母さんかも。
「………………」
「………………」
「………………」
閉店後の厨房で、黙り込んだお父さんを前にして私とダンさんは緊張しながらその様子を伺った。
お父さんが見ているのは私とダンさんが書き込んだノート。ダンさんがひと通り説明をしたあと、ノートを手に取り黙ってしまった。
この沈黙が居た堪れない。怒られてるわけじゃないのにそわそわする。早くなにか言ってくれないかな。
「よく、分かった。確かに、この道具があれば今の人数でも作れるだろうが、問題はこれでちゃんとくっつくのか?」
「そこは、試作するしかないけど、焼くか少し湿らせたらできると思う……んだけど」
そこは、試作しないとなんとも言えない。圧迫することでちゃんとくっついたけど、魔法でどこまでできるのか知らないからなんとも言えない。
「一度、相談に行ってみるか」
相談ってどこに?
首を傾げてると、ダンさんが私の頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「良かったな。採用だってよ」
その言葉に驚いて顔を上げると、お父さん「相談だけだ」と小さく笑った。
それは魔道具を作ることを前向きに考えてるってことだよね。
「やったあ!ありがと、お父さん。ダンさんも!」
「良かったな、ロッテ」
嬉しくてダンさんとハイタッチしたら、そのままぶっとい腕に掴まれてぐんっと抱き上げられた。この年で高いたかいなんて……すっごい楽しいっ。
ぐるんと回されて着地すると、お父さんから名前を呼ばれた。見上げると真面目な顔つきをしているお父さんがいたので、私も居住まいを正して真面目な顔を作った。
「パン職人になりたいなら、新作を考えるのはやめろ」
「…………え?」
言われた言葉がよく分からなくて、頭の中で何度も繰り返される。やめろ?夢で見たパンを作っちゃダメなの?
「なんで?なんで?だって、お父さん……」
ヘルメスパンだって、パックパンだって認めてくれたんじゃないの?人気が出そうな美味しいパンだって、思ってくれてたんじゃないの?
「職人になりたいなら、パンを作れるようになれ」
パン、作ってるよ。ちゃんと作ってるじゃない。なんでダメなの。何がダメなの。
お父さんは私の頭に軽く手を置くと、店の方へ行ってしまった。
「パン、作ってるのに」
お父さんの前では言えなかった反論が口から溢れた。
手伝い程度だけど、私なりにちゃんとパンを作ってるつもりだったし、ここ最近は関われる工程も多くなってきた。ちゃんと頑張ってるのに。
「親方はさ、基本をちゃんと学べって言ってるんだよ」
顔を上げて目が合うとダンさんは優しく目を細めた。
「ヘルメスパンも今回のパンも、ロッテが考えてる色々なパンも、パンが美味しくなきゃ意味がないだろ」
「うん」
「湿度が違えば水の量や粉の量も変わる。季節や天気が違えば配合も変わる。パンによっては使う粉も作り方も違う。そういう基本的なことを覚えろってことだと思うよ?」
「基本的なこと……」
作り方は分かる。でも、分かるだけで自分でいちから作ったことはない。季節や天気でどのくらい変化があるのかなんて知らない。
ヘルメスパンはお父さんたちが作ったコッペパンをアレンジしただけだし、パックパンだって同じ。
元になるパンを人に作ってもらってなにがパン職人だ。
私の夢はパン職人で、お父さんみたいに美味しいパンを焼くこと。そして、夢で見たパンたちを焼くこと。
「うん」
両手で、自分の頬を思いっきり叩く。
「よし!目指せ世界一のパン職人っ!」
基本大事。
アイデアだけは書き留めておこう。いつか作るその時のために。
「でも、新ヘルメスパン作りは頑張る!」
決意を示すように、握りしめた拳を突き上げた。
私の背後でダンさんが「おー、がんばれー」と気のない応援と拍手をしてくれていた。
目指すことは決まった。
ダンさんを手伝いながら雑用をする日々だったが、全治一ヶ月と言われたダンさんの手は三週間で完治した。完治宣言の前から普通に働いてたから、ほぼ半月で治ってるんだよね。回復力が凄すぎる。
お手伝いの働きぶりが認められたのか、コッペパンを作る担当になりました。わーい。やったっ!!
粉とかミキサーとか力仕事は手伝ってもらわないと無理なんだけどね。注意点とか色々教えてもらいながら作ってる。パン・ド・ミーやバケットなんかも、今まで見てきたから大体は分かる。材料にどの粉を使うとか工程とかは分かるんだよ。頭で分かっていても、実際に作るのはまた別なんだよね。特にバケット類は専用の粉だし、工程がちょっとずつ違ったりして覚えるの大変。
でも、頑張る。時間のある時は夢で見たパンを忘れないようにノートに書いたり、ちょっと思いついたことを書き足したりしてる。
「ロッテ。明日、魔道工房に行くぞ」
「私も行っていいの?」
「考えたのはお前だろうが」
厨房の片付けをしている私にお父さんが声をかけてくれた。魔道工房っていうのは、魔道具を作る専門店。お店の道具とかオーダーメイド品を扱うところなの。
魔道工房に行くってことは、例のパックパンの道具を注文するんだよね。実は、ダンさんと試作を作ってたら、接着に使えそうな粉を見つけたんだよね。
お母さんの料理で、ハーブと挽肉を薄い皮で包んで煮込む料理があるんだよね。挽肉を皮で包む時にその粉を水で溶いた液体で接着すると煮込んでる間も剥がれないの。
試しにパン・ド・ミーに塗ってみたらくっついて、時間が経つと剥がれた。押し潰してみても同じだったけど、焼くといい感じにくっついたので、熱でくっつくんだと思う。べシールって芋から作られてる粉で、肉団子やスープに使ったりするんだって。
いいもの見つけたって、ダンさんと大喜びしたんだ。粉も高いものじゃないからコストに影響はほぼ無い。
パックパンの件は意外にもお母さんの方が乗り気だった。うちは主婦層に人気だけど、学校に卸してる以上女子受けする商品は取り入れるべきらしい。
お母さんも女の子なんだねって言ったら、微妙な顔をされた。叱られなかったけど、怒ったのかな。
そんなこんなで、お休みの日。お気に入りの服を着てお父さんとお出かけ。
職人が多い東区に行くには路面電車に乗って行く。路面電車は各地区を繋ぐ乗り物で、車掌さんから切符を買って乗る。乗る区間が長くても短くても同じ値段だから利用する人が多い。
今日はそこまで混んでないけど、座れるほど空いてもいないので、お父さんの服を掴んで立ってる。揺れても微動だにしないお父さんってすごい。揺れるたびにタタラを踏んでたら腕に掴まるように言われた。安定感。
路面電車を降りたら、バスに乗る。バスって言っても、夢で見た大きな乗り物とは違う。屋根のある荷馬車って感じ。動かすのは馬じゃなくて運転台っていう魔法で動く車なの。大人が全速力で走るぐらいの速さだから、どことなくのんびりしてる。
今日はそんなに混んでないからお父さんと並んで座って、滅多に来ない東区の街並みに夢中になっていた。
「雰囲気が全然違うね」
「そうだな」
東区は工場とか工房が多いせいか、背の低い建物が多くて全体的にデコボコしてる感じ。色も形も統一感がなくてなんだか面白い。
「降りるぞ」
目的の停留所に着いたら、お父さんが私の脇に手を差し込んで降ろしてくれた。
ひとりで降りれたのに。と思いつつも、久しぶりに抱き上げられて嬉しいとか、乙女心は複雑。
大通りに面してる場所はお店になっているところが多い。用事があるのは裏通りなので、店と店の間の小路を右に曲がったり左に曲がったり。私じゃ絶対に迷子になりそう。
裏通りっていうと暗いイメージだけど、建物が低いから空が広く感じてかなり明るい。行き交う人たちも作業服を着た職人さんや、買い付けに来た商人さんとか色々。
お父さんが「ここだ」と言ったのは、古そうなお店。そんなに大きくはないお店だが、お店の外側や見える範囲の店内の至る所に道具が置かれ、吊り下げられている。知っている物もあれば使い道が分からない物もたくさんある。種類でちゃんと区別されているのに、物が多すぎて雑然とした印象しかない。
元の色が分からないほどに日焼けしたテント看板に書かれた店名は掠れてほとんど読めなかった。
物珍しさに眺めていたら、お父さんはあっという間に店内に入っていたので、慌てて追いかけた。
店内も物が天井まで届く棚にぎっしりと道具が置かれているせいで、なんだか薄暗く感じる。
そう奥深くない場所にあるカウンターには誰もいない。
「グレゴール。いないのか」
お父さんが何度か呼ぶと、奥の扉からひょろりと背の高い男の人が現れた。ボサボサの髪と無精髭のせいか年齢はよく分からない。髪に白髪が混じってるからお父さんよりも年上かもしれない。
グレゴールさん(?)は、神経質そうに丸い眼鏡の位置を何度も変えながら「約束には早いんじゃないか?」と不満そうだった。
「バカ言え。とっくに過ぎてるだろうが」
「……遅刻した奴が偉そうに」
「あんたがそんな風だから、いつも早い時間を連絡してるんだ」
「そんなチンケな策も意味がなかったがね」
鼻で笑ったグレゴールさんを丸っと無視して、お父さんが私を招き寄せる。
「この人が魔道具師のグレゴールだ。性格はアレだが腕はいい」
「そりゃ褒めてんのか」
なんだか気さくなやりとりしてるけど、お父さんのお友達かな。仲良しか。
「はじめまして。娘のロッテです」
「グレゴールだ。……珍しく子連れか?」
「頼みたいのはロッテが考えた道具だからな」
「嬢ちゃんが?へぇ、どんな玩具だ?」
当たり前のように玩具だと言うグレゴールさんにちょっと腹が立った。子どもだから玩具ってのは安直じゃない?失礼な人。
「パンを作る道具です。こういうの作れませんか?」
みんなでああだこうだと書き込んだノートを見せる。
「こんな感じで、貝みたいに手前だけ開いて閉められるようにしたいんです。で、ここの四隅だけ熱が入るようにして……」
「ふぅん。なるほど。大体分かったが、下手くそな絵だな」
うわぁ。失礼な人だ。接客業で鍛えてるから表情には出さないけど、一言で苛立ったよ。
お父さんは慣れてるのか気にしてないのか、普通に大きさとか説明している。お父さんすごい。器の大きさが違うよね。
「こういうパンを作ろうと思ってます」
説明がひと段落したところで、試作してきた新ヘルメスパンを紙袋から取り出してグレゴールさんに渡す。
端の処理は熱した包丁を押し当てて処理した。
「へぇ。中に何か入ってるな」
受け取ったパンをくるりと回して観察して口に入れる。一口で表情が変わった。
「んまいな、これ」
一気に食べ終わったグレゴールさんは上機嫌で「もう無いのか?」と催促してきた。なんだか、近所の友達に似てるなぁと思いつつもうひとつ渡すとぺろりと完食してしまった。
「なるほど。こういうパンか。継ぎ目に熱を入れるんだな。温度は決まってるのか」
美味しい物で上機嫌になったグレゴールさんは、更に細かい部分を質問し、お父さんがそれに答えていく。更に値段の話になり、一部素材を変えたり形を変えたりしてなんとか予算内に収まった。良かった。お母さんに怒られないで済む。
「今、急ぎの発注を受けてるから、出来上がるのは二ヶ月後くらいだ」
出来上がったら連絡すると言ってくれたグレゴールさんは、私をじっと見て「もう無いのか?」とパンのおかわりを催促してきた。
なんだろう。大人なのに、カールを見ている気分になる。仕方なく、私のおやつ用に持ってきたジャム入りのパンを渡してあげた。
グレゴールさんの魔道具工房は「バヴァルデ」という名前だった。なんで『おしゃべり』なんだろう?不思議に思って聞いてみたら「見りゃ分かるだろう?」と不思議がられた。いや、分かりませんよ?
用事も終わって帰ろうとしたら、背の高い男の子とすれ違った。五歳くらい年上で、グレゴールさんみたいなボサボサ頭の男の子。
お客さんかな。もしかしたらグレゴールさんの子どもかも。
でもそんなことは、帰りにお父さんとパン屋巡りをしている間にすっかり忘れてしまった。
お読みくださりありがとうございます。
すみません。ちょっと遅れました。
そして次話も遅れます。