4.ピンクの髪の不審者
焼きたてのパンの匂いで満たされた店にはひっきりなしにお客さんがやってくる。注文されたパンを紙袋に入れてレジを打つのも慣れたもの。本当は見なくても打てるけど、ちゃんとレジを見ながらやっている。前にノールックでやったらお客さんに本当に合っているか疑われたんだよね。間違ってないのに。
お母さんから、お客さんを心配させるようなことをしちゃいけないって言われたから、今はちゃんと見ながらやってるよ。どんな名人だって間違う時があるもんね。なんだっけ「こうぼうふえをえらばず」だっけ?工房で笛?楽器店の話かな。
いつも通りの一日が過ぎて、夕方のピーク前の静かなひと時。ひとりで店番をしていたらお客さんがやってきた。
「あ、マリアちゃん」
手をひらりと振ってくれたのは、仕事明けの朝に来てくれることが多いマリアちゃんだった。いつも色鮮やかで華やかな服なのに、今日は紺色でシックな感じ。カッコいい美人さん。
「はぁい。ハムサンドまだある?」
「あるよ。こんな時間に珍しいね」
時間だけじゃなくて、パンもいつなら甘いパンを買っていくのに。
「ちょっとね。いつもより早い仕事が入ったのよ。あ、デニッシュも入れてちょうだい」
「あ、来週からベリーマフィンが発売になるの」
「あら素敵。それは買わなきゃね」
「今年のは大粒で美味しいんだよ」
会計を終えて商品を渡すとマリアちゃんは「楽しみにしてるわ」とウィンクして店を出た。その時誰かとぶつかりそうになったみたいだけど、大丈夫だったみたい。窓の外を颯爽と歩いて行くマリアちゃんを確認すると、その後ろ姿を見ていた女の人がいた。
淡いピンク色の髪をした女の子で厚みがある窓ガラスのせいで、顔立ちとか年は分からなかった。その人は店の前をうろついた後、帰ってしまった。
店に入ろうか迷ったのかな?少しだけ気になったけど、すぐに別のお客さんがきたのでそのことはすぐに忘れてしまった。
そのことを思い出したのは数日経ってからだった。
夕方前の、まだ人が混まない時間。友達と遊んで帰ってくると、店の外をキョロキョロと見回している女の人がいた。柔らかなピンクの髪をポニーテールにした十五歳ぐらいのお姉さん。前にマリアちゃんとぶつかりそうになった人じゃないかな。
原色系の髪の色が多いこの世界で、パステル系の髪の毛はけっこう珍しいので印象に残っている。
一番多いのは私みたいな茶色の髪だけどね。私の髪はパンの焼き色みたいな美味しそうな色なので、けっこう気に入ってる。
ピンクのお姉さんは、店の前を右に行って、左に行って、かと思えば店内を覗いている感じ。
なにしてるんだろう?
「お姉さん、なにしてるの?」
「きゃあっ。いえ、その、だ、大丈夫ですぅぅ」
ぴょんっと飛び跳ねたお姉さんは、私を見ると焦ったように返事をしてあっという間に走り去ってしまった。
大丈夫。って、なにが?
首を捻ってみても分からない。
「変な人だったなぁ」
変だけど足が速い人だった。金物屋のマシューより速いかもしれない。すごい。
家に帰った私は店の手伝いに忙殺されて、三日後にまた変なお姉さんを見るまで忘れていた。
同じような時間に、そんなに日にちを空けずにお姉さんはやってくる。店の外を眺めて帰る。その繰り返し。
夕方のピーク前でお客さんは少ないし、私が店番する時も多いから、なんとなくその時間は外を見てしまう。
紺色に金の装飾がある制服はヴィムティエ校で販売している制服だった。若い学生さんがよく着ているから知っている。帰り道に寄ってくれる人もいるけど、あのお姉さんは一度も店内に入ってきたことがない。帰る姿はどことなくしょんぼりして見える。
なんでだろう?
パンが買いたいなら店に入ればいいのに。
入れないナニかがあるとか?…………もしかして、お化け?ホテルとかなら幽霊がいても箔がつくだろうけど、パン屋にお化けがいてもなぁ。売り上げに貢献してくれるならいいけど。
「…………もしかして、学校じゃヘルメスパンを買いづらいからお店にきてたのかも!」
最近開発した新商品のヘルメスパンは、ずばり焼きそばパンだ。パンとか具材とかちょっと違うけど。
そのヘルメスパンが、販売先のヴィムティエ校のカフェで人気になっていると聞いてる。初日に完売してから大人気らしい。やったね!
男子に人気のヘルメスパンは全体的に茶色だから、お年頃の女の子には買いづらいのかもしれない。紅生姜があれば少しはマシだったかな。ポイントがパセリの緑だけだもんね。
でも、紅生姜ないんだよね。生姜はあるんだけどなぁ。あれどうやって色付けしてるんだろう?確かシソって葉っぱに漬けるんだった気がする。いや、ウメだったかな。どっちも聞いたことないからここには無いのかも。代わりに酢に漬けたら……赤くは、ならないよね。
どうにかして女の子でも買いやすい見た目にできないかな。形を変えてみる?色を変える……のは難しいよね。
うーん。そもそも、ヘルメスパンはヴィムティエ校限定品で、まだお店に並ばないんだよね。
だからって、ああして期待してわざわざお店まで来てくれるお客さんを失望させたくないし。上手く出来たらカフェで一緒に販売できるかも。
「パンの形を変えたらどうだろう」
晩ご飯を食べ終わってからずっと女の子用のヘルメスパンを考えている。ノートにいろんな形を描いてみるけど、どれも現実味が無かったりしてイマイチ。
可愛い形というのが難しい。手作業だと均一にならないし、金型作るとお金がかかるし、そもそも焼きそばパンに可愛さっている?
可愛いは置いといて、女の子が手に取りやすい形にすればいいんだよね。
「なに難しい顔してんの?」
「商品を考えてるから邪魔しないでよ」
横から覗き込んでくるカールの肩を軽く叩いてもお構いなしにグイグイ近づいてくる。
「なに、これ。落書きじゃん」
「違うってば。新しいヘルメスパン」
「え〜。クマとかウサギとか、どう見ても落書きじゃん」
「女の子向けだから可愛くしてんの」
女の子向けと聞くと興味が薄れたのか、つまらなさそうに身を引いて離れていく。
「どうせ食べるんだから形なんてなんでもいいじゃん」
「女の子は可愛いのが好きなの」
「ロッテ以外はな」
「もぉ、うるさい。邪魔だからあっちいってよ」
手で追い払う仕草をすれば、カールは憎たらしい顔で私をバカにしてくる。かっわいくない!
そこから私とカールの追いかけっこが始まり、お母さんの鉄拳で終了となった。悪いのはカールなのに、喧嘩両成敗って納得できない。
「お姉ちゃんなんだから弟に優しくしなさい」
でた。お母さんの「お姉ちゃんなんだから」理不尽攻撃。好きで姉になったんじゃないもん。
「弟なんだから姉を敬うべきでしょ!」
実際カールから仕掛けてきたんだし、いつも私が怒られるなんて割に合わない。
「まったく、ああいえばこう言う。誰に似たんだろうね」
絶対にお母さんだと思います。だってお父さん口数少ないもん。
「もう!部屋でやるからカールはしばらく入ってこないでよっ」
描きかけのノートと鉛筆を持って部屋に行く。カールと一緒の子供部屋は狭いので、ベッドとタンスくらいしかない。机なんて置けないから低いタンスの上にノートを広げた。椅子もないから意味もなく部屋をぐるりと歩いて考える。
形。形。形。中をくり抜いてみる?いや、手作業だと時間がかかる。かと言って中を空洞にする作り方なんて無い。縦じゃなくて横に切れ目を入れたら……横からはみ出すよね。
「ダメだー!思い浮かばない。なんでもいいから前世の夢でてこーい!」
諦めてベッドの上に寝転がる。
そういえば最近は前世の夢を見てないなぁ。毎日ぐっすりと、夢も見ないくらい熟睡してるせいかも。お手伝いできること増えたから疲れるんだよね。
………………ダメだ。横になると寝ちゃいそう。
抱えていた枕兼クッションを横に置いて起き上がる。
「…………あれ?」
何かが記憶にひっかかった。なんだろう。何かが何かに似てるって…………なんだろう。
うんうんと目を閉じて必死で脳内を探ってもカケラさえも出てこない。うう、気持ち悪い。何か、思い出しかけたんだけどなぁ。
目を開けてため息を吐くと、落ちた視線の先には私の枕がある。
「………………あ!ああ!お昼のパックパン!」
思い出した!前世のお店で売ってた白いパン!中にいろんな具材が入ってて、季節限定とかあったやつ。確か、食パンの白い部分だけを使って端をぎゅっとプレスするんだよね。温めてからプレスするんだったような気がする。
あれなら焼きそばでも他の具材でも隠せる。そしたら女の子も買いやすいよね。
「パン・ド・ミーでもできるかな」
食パンはないけどそれに似たパン・ド・ミーはある。あっさりさっぱりした味のパン・ド・ミーはトーストして食べることが多い。サンドにも使うけど、軽く焼いたパンで具材を挟むからそのまま使うことは少ない。
それ以前に、うちのパン・ド・ミーは全粒粉を使っているから茶色なんだよね。茶色のパン・ド・ミーに茶色の焼きそば。
…………できるかどうか、とりあえずやってみよう。何事も挑戦することが大事だもん。
お昼の空いてる時間に早速試作を作ってみた。
ヘルメスパンの具材を薄く切ったパン・ド・ミーに挟んで端をギュギュッと押してみる。一瞬くっついたけど、時間が経つと部分的に剥がれていく。
次は温めてみようと、お湯で湿らせた布巾でパンを湿らせたらべっちょりして指に付いちゃった。端だけ湿らせてみたらくっついたけど、端がペトペトする。
なにより、薄く切ると柔らかすぎて持ちにくい。かといって厚めに切ると分厚くなって大口を開けなきゃいけない。
「なに作ってんだい?」
失敗した試作品を前に考え込んでいたら、ダンさんが声をかけてくれた。
「また面白そうなものを作ってる?」
「あのね、女の子用のヘルメスパンなの」
「ん?女の子用って?」
首を傾げるダンさんに思いついた経緯を話して、作ろうとしているパックパンを説明する。
「なるほどな。女の子視点ってのは思いつかなかった。端をくっつけて包むのか」
「うん。でも剥がれちゃうんだ」
「うーん。ちょっとやっていいかい?」
ダンさんは私の失敗作を分解して、少し考え込んでから新しいパンを取り出した。真ん中に具材を乗せてパンを被せると、端っこをめん棒で器用に押し潰していく。
「できた」
そうやって出来上がったのは、きちんと四隅がくっついたパックパンだった。
「えー!なんで!どうして!?」
「ロッテは具材を乗せすぎなんだよ。それに、パンの上で動かしだろう?だからソースがパンにくっついて剥がれたのさ。あとは…力かな」
「ずるいぃ。力はどうしようもないじゃん」
さっきも力いっぱいぎゅって押したのに。なんか悔しい。
作業台の上には私の失敗作とダンさんが作った新ヘルメスパンがある。ちゃんとできた。できた、けど。
「……茶色だ」
「パン・ド・ミーだからな」
外も中も茶色とか、可愛さが皆無だよ。可愛い要素ゼロだよ。こんなんじゃ女の子は喜ばないよ。
「とりあえず、味見。はい、ダンさんも食べて」
お互いに自分が作ったパンを手に取りパクリと口に入れる。
「悪くは、ない」
想像通りの味というか、なんだか微妙。悪く無いけど、パンと焼きそばが互いに主張し合ってる感じ。
「いやいや。普通のヘルメスパンのほうが絶対的に美味しいだろ」
私の甘い採点に、ダンさんがすかさずツッコミをいれてくる。
確かに、ヘルメスパンのほうが断然美味しい。だって、具材に合わせてパンを作ってるんだもん。いわば専用パン。それに比べてこっちは普通のパン・ド・ミー。
勝敗は分かりきってるんだけど、作ってみないことには分からないじゃん。
「パンを変えたとしても商品にするのは難しいだろうな」
「なんで?中身は変えられるし、手も汚れないから食べやすいよ」
「確かに手は汚れにくいが、具材が少ない。ヘルメスパンに使う麺の七割弱だろ。パンも柔らかすぎるし、人手がたりない」
「はい。私やる!」
「ダメだ」
思いっきり手を挙げたら即座にデコピンをくらった。
軽くやったんだろうけど、痛い。むー。
「量もちゃんと気をつけるもん」
「そうじゃない。四隅を密着させるのに時間がかかるし、ロッテは他にも任された仕事があるだろう?なにより、パン生地を考え直さなきゃならない」
確かに。それは正論なんだけど、分かるけど、悔しい。
せっかく考えていたものが形になったのに。
「そう、だけど……」
納得いかない。悔しい。作りたい。
「でも、着想は悪く無い。俺からも親方に話してみるからさ、商品開発は一時中断にしよう?な?」
「……うん。分かった」
一個のパンにかかる手間が多いのか。端を押し潰すのが一度で出来たら楽だよね。そういう金型みたいな道具があるといいな。どうせなら一度にたくさん作れる物だとなお良し。
あ!ついでに焼印つけられないかな。いくつか種類があったら中身を変更しても区別できるし、茶色でも可愛くできるはず!
どんな形がいいかな。花でしょ、動物でしょ、あと、あと、あ、肉球とかどうだろう。
「ロッテ?おーい、戻ってこーい。もうすぐ店番じゃないのか」
「あわわ、忘れてた」
ダンさんが声をかけてくれて、慌てて片付けを始める。
一時中断になったけど!ちょっと前進かな。
ピンクのお姉さんが来たら、新商品をたのしみにしててって声をかけてみようかな。あ、でも、出来てからのほうがいいよね。
ごめんね。もうしばらく待っててね。
お読みいただき、ありがとうございます。
大幅改稿したせいで、次話はいちから作り直ししております。来週間に合わなかったらごめんなさい。